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彼の為に本当に愛して下さった方々がキ・アリにお別れにお集まり下さいました。
小学校の同級生が息子さんの運転で丸子(現上田市)からみえられた。90才で足腰頭脳が矍鑠としておられる。 松本と木曽からは展覧会もして下さった50代のお友たち。 甥や姪の方々も長野や山梨からみえられた。 四国からはお便りをいただき、 絵のモデルをしてくれた30代の女性も。等々
それほど広い空間でないからほんとうに親密な方々にご連絡しました。
こういったお別れを当人が希望していました。 皆様遠くからお集まり下さり充実した〆となりました。
恨みつらみを一切言わずにすべてに手抜きをしない、他人にサービスすることはあたりまえのこと。
笑顔が皆に好かれて、デイケアで通所した晩年も職員の方や同輩の方々に愛されました。あの無私の努力と男前の故でした。
鉛筆画を3年ぶりに展示してみて、かれの目の良さに感動すら覚えます。何よりも構図の確かさ、M美大の学長もそれを言っておられた。
もの に対しての理解力も違う。目を通して理解することをずーーと続けている。
番外編で自分史を読みビックリするのは3才のころからの記憶がすごい。これは目で記憶にとどめているからだろうと思います。 飛び立った何十羽もいる鳥を数えるのに、目で記憶出来る方なら数えることができるというそのことです。
現場で仕事をしていたこともあり木や鉄、石、あるいは紙とか、材質感、手触りとか硬軟の感じや表面の光に対する反射とか曲がりの具合や、、、
絵画はそういった理解力がでます。ダビンチを持ち出すまでもなく科学的な理解力は大前提です。
彼は生まれたときからずーーーーと目でものを理解しつづけていたので75才で絵をかき始めた時にそれを紙の上に溢れ出させることができました。絵を書くという技術に少し熟練することは必要でしたが2、3年のうちに獲得し始めました。まわりに先生が3人もいましたが。娘と私と孫。(かれが最も新人です。絵を描き始めたのは孫が美術の世界に入ったことがきっかけではありますが。)
さて今日見えられた最年少は生後7ヶ月のお嬢さん。T美を出たばかりのころにキ・アリにお手伝いで1年半?ほどおつきあいしたR..m..さんが3人目のお子さんを伴い5年ぶりに。
彼女の着物姿を描いたのを展示しました。まわりの図柄は正倉院写しでこれも色鉛筆で。
彼女らが帰ろうという時に、呼ばれていくと、
7ヶ月の兒が子供の笑っている絵をみて同じように笑っているではないか。そのうち何か声でもいっている。幸せな風景でした。J i j i さんもそれを見てさぞ満足したことでしょう。
ちなみに、この雪の絵は、孫が小さい頃の写真から描いたものです。後ろの三角屋根は自分で設計や水回りをした木曽駒のぽちの家の雪景色、手前は東京の雪。リンゴ箱をひいているのは私で乗っているのは息子。木曽の雪は乾いているのに前の雪は重たい。昼には溶けてしまいますから。
3枚目の白黒の絵は、子供びじゅつクラブの生徒だった子が中学生になって訪ねてきた時のショット。箱は薫製中の装置?です。
この絵はかいた本人も大好きで、「この絵でおくってくれや」といっていました。
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