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アメリカのTV ドラマや映画をみていると、’’ビューティフル’’という言葉をよく耳にします。
日本語でいうところの’’うつくしい’’でしょうが、近頃この言葉を耳にする事はほとんどありません。
’’ビューティフル’’を訳すにも、’’いいね’’という相づち程度にしています。
個展会場ではいろいろな方と作品を媒介としてお話しすることができます。なぜこのような仕事をしているのかというのが一番の関心事だと思いますが。
今回、私がいちばん話したことは、ものごとの価値判断をするときに『美しい』という基準を使ったらどうかということでした。
現在の日本の価値基準はなにか?金額が高いものは、安いものよりも価値が高い。お金ですべてを判断しているということです。そこまで言わなくても、金額でものの価値判断が出来るということを、殆どの方が否定されません。
ところが『美しい』という価値基準を使うとこの泥沼から一瞬にして抜け出す事ができるのです。『美しい』は、お金で換算できないのです。
例えば建物を建てて入り口のタイルを何にしようかと迷ったときに、ほとんどの場合、経済的かどうかを最終判断にするでしょう。耐久年数は、メンテナンスにいくらかかるか等々。見栄えが良いとか癒されるとかいうことがそれ以外の判断材料にはなるでしょうが。AのほうがBよりも「美しい」からAを、ということにはなりません。ことに公共の場合は余計な判断だと思われるでしょう。
『美しい』は一人一異なりはしないのかと言われた方がいました。私は確定した美の基準はあるのだとお答えをしました。
人類が数千年にわたり築き上げ、残してきた文化財、美術品がそれです。
国内だと国宝や重要文化財に指定されているものが、この国の美の基準をつくる基底となっています。
正倉院の品々があり、その後何百年もかけてそれを追い求める人たちがいて、今の日本の工芸が世界に誇れるものとなっているのです。
フランスのルーブル美術館にある山ほどの美術品が『美』の世界基準なのです。
『美しい』をお金に換算出来ません。たとえば、サザビーなどの美術オークションという市場では、一枚の絵にたいして何億という価値換算は行われていますが、それは絶対的なものではなくて、欲しい人がいれば2倍にも3倍にも一瞬にして変わるのです。それはマネーゲームの範疇を越えています。なぜならば、決して手放さない人がいるとゲームになりませんから。
その意味で『美しい』は絶対価値だともいえるでしょう。
一人一人の価値もお金に換算できないように、美術品もひとつひとつ別々の価値なのだと思います。ただ、その仕事がより美に近づいているかいないかの程度の違いはあります。しかし、美への近づき方、ルートも異なりますから、その判断は難しいのですが。
人にはそれぞれの顔があります。その顔の表情も刻々と変わりますから良し悪しは判断しにくい。しかし、その方の 今の顔は美しいという判断はできるでしょう。その時の環境や身心の状態を意志でコントロールできている状態ならば美しい人になれているでしょうから。表情も造形も。(これも金額はつけられません)
すべての物事の判断に、美しい か 美しさに欠ける かを用いるならば、世の中はもっと素晴らしくなると思います。醜いことにも気づき、それを止めようということにもなります。
同じ金額を使ったとしても、もっと住み良い街になると思います。
ビューティフル ベッロ ベリッシモ 『うつくしい』と連発してみませんか?カワイイもいいですが。
最後に 本屋の店頭に’美しい日本’という新書が並んだ時期もありましたが、美しいをこのように抽象的に曖昧に使うのではなくて、具体的に用いるのです。’’この茶碗はうつくしい’’が’’その茶碗はうつくしくない’’というふうに。
なにが美しいか、日々勉強で探してみてください。
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