イタリアのことは断片的にしかしらぬので、二次大戦中のアフリカ出兵、毒ガス(ホスゲンとイベリット弾)使用などということになると読み進めるのがひと苦労だ。
その上本書は、爆撃の日付や出撃回数、毒ガス弾の数量とうの公文書証拠を示す為に多くの頁を割いている。
中途であるがこの辺で図書館に返却することに。
覚え書きを残しておこう
イタリアは何世紀にもわたりいくつもの地方都市国家に分断されていたため、ヨーロッパ列強諸国の海外拡張政策に加わったのは1860統一後である。誕生当初は国内的国際的次元のより緊急な課題に取り組み・・
アフリカへの植民地主義の第一歩は1885年2月のマッサウ港(紅海 エトルリア)への軍隊派遣であり・・
1889 第1回目のエチオピアとの戦に敗北(アドゥアの敗北の怨恨は、ムッソリーニ政権のエチオピア侵略のプロパガンダとなる)・・
1908エトルリア.ソマリアを公式に植民地と宣言・・1911 当時トルコ帝国の一州であったリビアのトリポリに上陸・・1912リビヤを併合・・
一次大戦後の自由主義政府下での協調政策・・
1922ムッソリーに政権・・1931リビア.キレナイカ「奪還」・・1934トリポニアとともにリビア植民地として統一・・1935.10エチオピア侵略・・1936.5ハイレ・セラシエ皇帝亡命、伊皇帝ヴィットリオ・エマヌエル3世がエチオピア皇帝称号を・・これ以降エチオピアパルチザン部隊への報復作戦「植民地治安維持大作戦」・・1941東アフリカ植民地を失う・・1943リビアを失う
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植民地主義の歴史を過去に持つ国々でなされてきた・・自らの国の植民地政策をめぐり、肯定的な面も否定的な面もひっくるめて、冷静かつ建設的な論議を展開するよりも、むしろいっさいの罪の意識を良心から払いのけるほうが好まれてきた。・・おぞましい部分を明るみに出そうとするいかなる試みも、軍隊の栄誉を傷つけ、愛国心にもとる行為だと決められがちだった。・・
・・わが国の植民地主義は他の国のそれとは「異質的な」、より寛容で人間味のあるものだったと思い込むことで、あらゆる罪悪感を取りのぞき、赦してしまう神話・・
韓国。中国という隣国との関係を政治家たちが壊し始めてもうかなりたつ。それに呼応するように、十数年前だったら考えられなかったようなヘイトデモなどが闊歩し厭韓厭中本が平詰みされている。
それと共に豊かな中国文化からはいっそう遠ざかり、欧州は遠いままで、アメリカ一辺倒となってしまっている。
アメリカ文化は欧州から学び消化することで成立し。欧州文化のさまざまなバリエーションを内包しているはずだ。
ところが西洋文化だけにしか顔を向けていない日本ではあるが、この膨らみの部分がない。
一二冊の表層を読み取るのが精一杯で、様々な変化には着いていけなくなるのだ。(浅い教養)
有史以来続いてきた中国文化圏としての滋養の蓄積をこの数十年の時勢で失っていく。ファーイースト世界の一番遠くにある島。
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