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図書館で今月のオススメのような棚からこれをみつけ、ひとつの項目を読み出したら面白くとうとう最後迄読んでしまった。
・・文章は平明、明晰、内容豊かで、随所に深い考察が見られる珠玉の名篇。もともと『週刊朝日』の連載で、「室町編」「戦国編」「江戸篇」「明治篇」と、手に取ることを躊躇する構成の上、登場する二十一名のうち、誰もが知っているような有名人は、一休、樋口一葉、正岡子規、ぐらいのものであり、しかもいずれも現代人には読むのが難しい「古文」ばかり。しかし、そうした懸念はすぐさま払拭される!
内容は教科書的なものとは全く異なり、文学史的な該博な知識も完全に咀嚼され、平明にして明晰な文章がリズム良く続くので、楽しく読み進めることが出来る・・・
西洋の文学にも精通している筆者が日本文学の特筆を取り上げる新鮮さがある。日本人の書く日本文学論はとかく民族愛的な感情を含むか西洋にたいする劣等感的な思いを捨てきれないでいる場合が多い。西洋文化の全時代にわたっての知識が不足しているせいでもあるのだが。
そのてんキーン氏の両文明に対する知識は並大抵のものではないので、とても説得力がある。しかも週刊誌読者にむけての平易な(完ぺきな)文章で語ってくれている。
例えば平安朝以来の漢文の役割はと問われて、欧米におけるラテン語のことを指摘している。あっという間に疑問が氷解する。博学とはこういったことをこそを指すのだろう。 図書館で読みながら私が書き留めたmemoを保存しときます。
一休(p19)
「(欧米では伝記というのがあるのに)・・ なぜ日本では伝記の手法的発達がそんなにおくれたのだろうか。おそらく伝記というものが、個人としての対象を知ったうえで書くものである以上、封建制下の日本人の間では、個人が余り目立たなかっただろう。個性は三十六歌仙の「肖像」にも見当らない。そのねらいは主に装飾的なもので、専門家だけが誰が誰かを見分けられるのである。時には、男か女か分からないことさえある。春信や歌麿のような巨匠の浮世絵の中では、若い男女が全く同じ顔をしており、恋人たちのおのおのの特徴よりはむしろ画家の美の観念をあらわしているのである。
しかし日本には風狂の伝説があって、時にはそれが個性にも似ることがある。体制順応が誰にでも要求された封建社会では、どのような個性を発揮しても、性格の強さよりは奇癖のせいにされがちであった。
最も風変わりな奇人のひとりは一休禅師(1394-1481)である。
・・・
有漏地より無漏地へ帰る ひと休み 雨降らばふれ 風吹かばふけ
・・・ 」
⎯⎯⎯⎯⎯今の日本の表現者の特質も、 個性的なところが喜ばれているのではなくて、奇をてらったように見えて喜ばれているのかもしれない(草間弥生氏もそこが喜ばれているしあれもこれも・・
樋口一葉(p208)
「 世界文学の中で、日本文学は、傑作の創造に女性が大きな役割を演じたという点でユニークなものとなっている。19世紀以前のヨーロッパ文学の多くの分野で・・女性作家は・・無視することができる。中国も・・。しかし『源氏物語』『枕草子』『蜻蛉日記』小野小町や式子内親王の和歌、その他女性によって作られた多くの平安鎌倉初期の書物を抜きにして日本文学を論じるのは不可能であろう。
『万葉集』でも女性歌人は傑出していた。そして女性のみならず男性の歌の場合にも後代の和歌の調べを定着させたのは彼女たちの歌だった。・・平安と鎌倉時代の非凡の女性作家グループが日本文学の形を作ってしまっていた。
和歌の作者が男であろうと、作歌の文体と作風とは、平安時代の女らしさの色合いをおびている。雨の夕暮れのもの悲しさ、すぐにうつろう美の貴重さ、何気ないもの言いにこめられた暗黙の含み、その他、平安時代の女らしい感受性の特徴が、日本人全体の遺産となったのである。・・・」
⎯⎯⎯⎯⎯日本の表現の特質は女性らしさにある」なるほど戦闘的ではないなあ。政治的なあるいは社会的なメッセージ性のある作家は少ない。(ボイス、ボルタンスキー、中国のアイ・ウェイウェイ たちのような表現タイプの作家は日本人にはいない。日本には皮膚感覚にたよる表現者も多い)
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2015年02月23日
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