福生市図書館へいって、館内にある郷土博物館の企画展示を見る
武州下原刀―康重 (郷土館サイトから)
室町時代末期から江戸時代を通じて、現在の八王子市恩方地区や元八王子地区に住み、刀槍類を制作していた刀工集団のことを下原鍛冶といい、この集団が製作した刀槍類のことを武州下原刀といいます。下原鍛冶は大永年間の周重に始まります。周重の子康重は小田原の北条氏康の「康」を、その弟照重は八王子城主北条氏照の「照」をそれぞれ授かり、名乗りにしたと伝えられています。 後北条氏を後ろ盾に栄えた下原鍛冶でしたが、後北条氏の滅亡後は、徳川氏の御用鍛冶となり、幕末まで刀槍類の制作を続けていくことになります。
戦国時代、福生地域は北条氏照の支配下にありました。そして北条氏が庇護した武州下原刀は多摩地区の郷土刀です。ここでは、所蔵する武州下原刀のうち、下原鍛冶宗家である康重の刀剣類で、研磨済みの資料を紹介します。
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写真禁止でしたのでこの写真は郷土館サイトからのもの
五代目以降の康重 刀身に反りがほとんど無いことから寛文・延宝年間だと・・
小学生対象で砂鉄を採取し炉を築きタタラを・・日本刀を作る講座を下原の刀匠が指導でしたようです。
2010年に八王子の下恩方の工房の展覧会に招かれた時にこの碑を見ました。
(MYブログから拾った画像で下の作品画像は消せない)
展示されている刀剣類は郷土館所蔵+個人蔵
館所蔵品は、赤羽刀だとかいてあった。
GHQが押収し、文部省管理となり、それが各地の自治体の所蔵になったもののようです
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以下wikpediaから
1945年(昭和20年)9月、当時日本を占領していた連合国軍(GHQ)は、日本の武装解除の一環として全国に刀剣などの武器類の提出を命じ、警察署を通して集められた刀剣類の大部分は海洋投棄などの処分とされた[1]。これによって関東および東海地方の民家から接収された20万口を越える膨大な刀剣類(脇差、鎗、薙刀などを含む[2])は、アメリカ軍の米陸軍第8軍兵器補給廠(当時、東京都北区赤羽に所在)に集められた[3]。 これらの刀剣類は保管された場所から「赤羽刀」と呼ばれるようになった[3]。
1947年(昭和22年)に、関係者の努力により美術的価値の高いもの約5600口が日本に返還され、その後、元所有者への返還が始まり、1132口が所有者などに返還されたが、4576口が所有者不明のまま、国の所有として東京国立博物館の収蔵庫で保管された[1]。その中には重要美術品に相当するのものは含まれていなかったが、およそ4000口には銘があり、「刀匠の出身地でなら、十分展示に値する」と評価されたものの、長期間放置されていたため研磨を要する状態になっていた[3]。
戦後50年にあたる1995年(平成7年)に「接収刀剣類の処理に関する法律」が成立して1996年2月から施行され、文化庁が元所有者からの返還請求を受け付け、審査の結果7口は、元所有者やその遺族に返還された[1]。
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