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図書館に新刊書棚に『昭和天皇実録』の厚い本が3冊あった。岩浪新書でまず入口を作らねばちょっと無理だろうとこちらを借りました。
『昭和天皇実録を読む』原 武史 岩波新書 2015/9/18
2014/9/9「昭和天皇実録」が公開された。24年の歳月を変えて編纂され・・計61冊(うち目次凡例が1冊)1万2千137頁、東京書籍から出版も開始されている。「神」と天皇の関係、天皇と「臣民」の関係の図1が最初にある。 著者の読みからいろいろ教えてもらいました
幼少期のまわりは女性が占めていたとか、真言宗の僧侶が日々健康祈願の加持祈祷をしていたとか、カトリックの影響とか、新嘗祭をしない(大正天皇が病,代拝しなかった)翌年に大正大震災があったことによる?皇后との確執、貞明皇后と神功皇后を祀る香椎宮や宇佐神宮、神功皇后を天皇から外すこと、貞明皇后が摂政のなるかもしれない可能性、本土決戦を考える高松宮や皇太后との関係、1921訪欧時のローマ法王との謁見等、敗戦後の退位や改宗の可能性等々。
読んでみて下さい。
あとがきだけ書き出してみました。
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あとがき 2015年8月15日、現天皇は日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式に出席し、「お言葉」を述べました。今日の平和は「平和の存続を切望する国民の意識」によって支えられてきたとし、「さきの大戦に対する深い反省」を表明するその内容は、例年とは全く異なるものでした。単に戦後七十年という節目の年を意識しただけでなく、前日の安倍談話を念頭に置いた発言と見ることができるでしょう。 安倍談話の前提となるべき「二一世紀構想懇談会」が八月六日に提出した報告書では、「日本が世界で最も兵力規模の大きい国々が集中するこの東アジア地域において一度も外国から攻撃を受けることなく、平和を享受できたのは、日米安保体制が作り出した抑止力によるところが大きい」として、戦後の平和の原因をもっぱら安保体制と言う対外関係に求めています。この一文が安倍首相の唱える積極的平和主義を正当化する役割を果たしていることは言うまでもありません。しかし現天皇は、そうではなく、「「平和の存続を切望する国民の意識」を強調したわけです。 また安倍談話では、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、適切な反省と心からお詫びの気持を表明してきました。(中略)こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものであります」とあるように、反省の主語を「我が国」とし、反省をしてきたのは「歴代内閣」だとして、自らの主体的な姿勢を前面に打ち出すことを避けています。英国の新聞『ガーディアン』が、「第二次世界大戦について天皇は安倍首相よりも謝罪色を強く打ち出した」と報道したのは、正鵠を射ています。 もし、おまえの考えはどちらに近いかと問われれば、ためらうことなく天皇のほうだと答えるでしょう。しかしながら天皇の政治的権限をいっさい否定したはずの戦後憲法体制のもとで、天皇の発言が首相の発言と比較して論じられること自体、奇妙なことといわねばなりません。安倍政権が進める安保法制は憲法違反だと考える人々が、自民党一党優位の政党政治に失望し、自分たちの思いを代弁してくれる天皇の「お言葉」に期待しているとすれば、それこそ憲法違反であり、政党政治を否定して天皇と臣民の一体化を主張した昭和初期の超国家主義に類似する危険すらあることに気づかねばならないからです。 序章の図1で示したように、「お言葉」は明治から昭和初期にかけて「勅語」や「詔書」という形で示されました。臣民から天皇に向けての「奉仕」は頻繁になされたのに対して、天皇から臣民に向けての「勅語」や「詔書」はめったに発せられないからこそ、有り難いものと見なされました。中でも1945年8月15日の「終戦の詔書」は、昭和天皇が初めてマイクの前に立ち、ラジオ放送を通してポツダム宣言受諾を臣民に語ったものであり、巨大な政治的効果をもたらしました。 けれども天皇のメディア利用は決して旧憲法下だけではありません。現天皇もまた、1911年3月11日の東日本大震災から五日後にテレビに出演し、「お言葉」を表明したからです。それ以来、天皇と皇后の発言はことあるごとに注目され、その多くに政治的なメッセージが込められてきた感があります。十五年八月十五日の「お言葉」も、その延長線上に位置付けられるでしょう。 そもそも天皇制というのは、単なるシステムではありません。独特の身体や肉声を持った生身の人間がしばしば姿を現し、その生涯が元号という時間を規定して・・いる以上、旧憲法家であろうが戦後憲法下であろうが、天皇という存在を憲法と言う枠組みに完全に封じ込めることはきわめて困難なのです。だからこそ、改元に伴う天皇の交代は、人々に新たな時代の始りを実感させることになりますし、めったに発しない天皇の「お言葉」を国民が有り難がるという構図も根本的に変わることはありません。 安倍政権が天皇の「お言葉」に神経をとがらせるあまり、談話を八月十五日でなく八月十四日に発表したように、現在でも日本の政治に天皇は影響を及ぼしています。こうした日本特有の政治のメカニズムを知るためにも、昭和天皇の研究は今後ますます重要になるでしょう。「実録」は決して単なる過去の記録ではありません。その記述は、本書で触れたようなバイアスを含みながら、戦前や戦中ばかりか戦後にあっても天皇がいかに政治的存在であったかをしるうえで重要な材料を提供しています。 (以下十一行略) 2015年9月 原 武史 |
本 book
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ブログ友達の作家から木の伐採時期で狂いが違うといっている方がいますが、本当ですかと聞かれ、図書館でかりた本があったので調べてもますと返答した。
が、署名も著者も忘れてしまい、いろいろなキーワードを入れて検索したが見つからなかった。
昨日返却に市立図書館へ行き、新刊棚で妙な題名の本を見つけ借り出した。
『木を食べる』志村史夫著 牧野出版
杉檜のオガクズの粉をパウダー状にし煮沸減菌灰汁出し乾燥させたものを、小麦粉と混ぜてクッキー等につかうというもの
静岡県浜松市天竜区水窪の森林業者との共同開発のようだ(SWPスーパーウッドパウダーとして特許申請をしているという)
以上の内容が要点のようだが、著者がこの森林業者と行き会った切っ掛けに、探していた本の名がかかれていた。
天竜川の支流、水窪川の町の林業者榊原正三氏の杉、檜材の伐採時期の話からである。
9月から2月の月のかけていく時期(満月から新月)に伐採を行い、新月から満ちていく時期には行わない。伐採したら葉をつけたまま山側に寝かせて、枯れたら葉落としをし、輪切りしたものを半年間桟積みして天然乾燥、製材し、さらに半年間天乾、含水率25%までにするというもの。この伐採法の材は狂いが少ないという。
この天竜T・Sドライシステム協同組合の「月齢伐採」は『木とつきあう知恵』(E・トーマ著宮下智恵子訳、地湧社)に従っているという。
カバー帯には「月のリズムがつくる『新月の木』は腐らない。暴れ・くるいがない。火が付かない。千年使える。室内の空気を浄化する。心が安らぐ。シックハウスにならない。日本の山林を回復させる。」とあるそうだ。
検索してアマゾンで見たら探していた本は確かにこの表紙だった
『木とつきあう知恵』(E・トーマ著宮下智恵子訳、地湧社) |
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オペ後のベッドで読み始めたもの
レヴィ・ストロース『悲しき南回帰線』上下 講談社文庫1971版 / 越宏一『ヨーロッパ美術講義』岩波セミナーブック82 / 折口信夫『日本文学の発生 序説』角川文庫1975 / 勝木俊雄『桜』岩波新書2015
十分な時間があるだろうからと甘い考えで、ツンドクだったもの等をこの機会にと思ってのことだったけれども、新書版の『桜』を読み切っただけで、後はレヴィ・ストロース二冊組の上、そして欧州中世のロマネスクとゴシック美術の研究書は2/3、折口信夫にいたっては最初の一章目だけでギブアップだった。
手間取ったのは、病院は健康体で過ごすような場所ではなかったなという明白な理由の他に、レヴィ・ストロースの『悲しき南回帰線』のあまりにも濃密な内容に取り込まれてしまったからでもあります。
この本は、単に、ブラジル原住民の民族学的現地調査のようなものかと思っていたら、全く違っていました。
『悲しき熱帯』中央公論社1977・2001 川田順造訳 両著ともに、原著は1955刊の同じものからですが、タイトルがちがいますね。講談社版が出たころはトロピカルフルーツなどはまだポピュラーになっていない時代で、「熱帯」というイメージよりも「南回帰線」のほうが”夢があり売れる”と出版社が決めたのだろうと勝手に推測します
『悲しき熱帯』KINOKUNIYA書評空間BOOKLOG/文芸評論家加藤弘一の書評ブログ
この松岡正剛氏の文章(前半部)は、この本に取りつかれていった様子が書かれています。
(彼は未だ学生だったのにサスガ)後の少なくなった?私も、高揚しながら読み進みました。 旅日記でもあります。
例えばこんな記述が有ります。
「今、わたしに精神の糧としてあたえられているこのリオで、まず見きわめようと努力したことは、この冒険のもつ味わいである。
・・・・
「旅は一般には空間での場所の移動・・(しかし)・・同時に、時間と空間と社会階級制度の中に登録される。 印象のひとつひとつがこれらの三つの軸に連帯して・・・その印象は決定可能になる。・・空間自体で三つの次元をもっているので、旅行についての十全な表現がなされるには、少なくとも五つの次元が必要である。
わたしはブラジルで船をおりてすぐに、そのことを体験した。もちろん、わたしは大西洋と赤道をはさんで反対側の者で、今は南回帰線の近くにいる。多くのことがわたしにそのことを証拠だててみせる。
この穏かな、湿気をともなった暑さが、習慣となっていた羊毛の重さから、わたしを解放し、家と道との間の対立(過去を顧みて、ヨーロッパ文明の不変数の一つである)を取り除いている。
さらにそれが、ヨーロッパの相対的に人間化された風景には含まれていない、人間と未開墾地との間の別の対立を、単に導入するためであったことが、わたしにはすぐわかった。
また、やしの木があり、初めて見る花があり、カフェの店頭にはやしの実が山と積まれ、そこで人びとはその頭部を斬りとって、地下の酒蔵の臭いのする、すがすがしい甘い汁を吸っている。
しかしまた、別の変化も経験した。わたしは貧乏で、金持ちであった。第一に、わたしの物質的条件が変わったからだ。次に、その地方産物の値段が信じられないくらい低かった。・・・・旅は数千キロの距離を運んでいくと同時に、社会規約の段階を数段のぼらせたり、おろしたりする。旅は場所を変えると同様に、階級をも変えるのだ。ー最良の方にも最悪な方にも。そして、旅先の場所の色合いと味わいとは、あなたがそれを味わうために置かれる地位と切り離せないものであるが、その地位は予測を許されるものではない。・・・」 また文明批評でもあり哲学でもあります。
最終章の有名な表現を引用します
「 世界は人間なくして始まった。そして人間なくして終わるだろう。
以下、これに続く訳文を何行か書きうつしてみて、あまりにもすっきり頭に入らない文章なので、中央公論社版川田順造訳を見てからにしようと、削除しました。恐らくそちらならば伝わり易いだろうと思います。
尻きれとんぼですみません。図書館にあるかな。
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図書館で今月のオススメのような棚からこれをみつけ、ひとつの項目を読み出したら面白くとうとう最後迄読んでしまった。
・・文章は平明、明晰、内容豊かで、随所に深い考察が見られる珠玉の名篇。もともと『週刊朝日』の連載で、「室町編」「戦国編」「江戸篇」「明治篇」と、手に取ることを躊躇する構成の上、登場する二十一名のうち、誰もが知っているような有名人は、一休、樋口一葉、正岡子規、ぐらいのものであり、しかもいずれも現代人には読むのが難しい「古文」ばかり。しかし、そうした懸念はすぐさま払拭される!
内容は教科書的なものとは全く異なり、文学史的な該博な知識も完全に咀嚼され、平明にして明晰な文章がリズム良く続くので、楽しく読み進めることが出来る・・・
西洋の文学にも精通している筆者が日本文学の特筆を取り上げる新鮮さがある。日本人の書く日本文学論はとかく民族愛的な感情を含むか西洋にたいする劣等感的な思いを捨てきれないでいる場合が多い。西洋文化の全時代にわたっての知識が不足しているせいでもあるのだが。
そのてんキーン氏の両文明に対する知識は並大抵のものではないので、とても説得力がある。しかも週刊誌読者にむけての平易な(完ぺきな)文章で語ってくれている。
例えば平安朝以来の漢文の役割はと問われて、欧米におけるラテン語のことを指摘している。あっという間に疑問が氷解する。博学とはこういったことをこそを指すのだろう。 図書館で読みながら私が書き留めたmemoを保存しときます。
一休(p19)
「(欧米では伝記というのがあるのに)・・ なぜ日本では伝記の手法的発達がそんなにおくれたのだろうか。おそらく伝記というものが、個人としての対象を知ったうえで書くものである以上、封建制下の日本人の間では、個人が余り目立たなかっただろう。個性は三十六歌仙の「肖像」にも見当らない。そのねらいは主に装飾的なもので、専門家だけが誰が誰かを見分けられるのである。時には、男か女か分からないことさえある。春信や歌麿のような巨匠の浮世絵の中では、若い男女が全く同じ顔をしており、恋人たちのおのおのの特徴よりはむしろ画家の美の観念をあらわしているのである。
しかし日本には風狂の伝説があって、時にはそれが個性にも似ることがある。体制順応が誰にでも要求された封建社会では、どのような個性を発揮しても、性格の強さよりは奇癖のせいにされがちであった。
最も風変わりな奇人のひとりは一休禅師(1394-1481)である。
・・・
有漏地より無漏地へ帰る ひと休み 雨降らばふれ 風吹かばふけ
・・・ 」
⎯⎯⎯⎯⎯今の日本の表現者の特質も、 個性的なところが喜ばれているのではなくて、奇をてらったように見えて喜ばれているのかもしれない(草間弥生氏もそこが喜ばれているしあれもこれも・・
樋口一葉(p208)
「 世界文学の中で、日本文学は、傑作の創造に女性が大きな役割を演じたという点でユニークなものとなっている。19世紀以前のヨーロッパ文学の多くの分野で・・女性作家は・・無視することができる。中国も・・。しかし『源氏物語』『枕草子』『蜻蛉日記』小野小町や式子内親王の和歌、その他女性によって作られた多くの平安鎌倉初期の書物を抜きにして日本文学を論じるのは不可能であろう。
『万葉集』でも女性歌人は傑出していた。そして女性のみならず男性の歌の場合にも後代の和歌の調べを定着させたのは彼女たちの歌だった。・・平安と鎌倉時代の非凡の女性作家グループが日本文学の形を作ってしまっていた。
和歌の作者が男であろうと、作歌の文体と作風とは、平安時代の女らしさの色合いをおびている。雨の夕暮れのもの悲しさ、すぐにうつろう美の貴重さ、何気ないもの言いにこめられた暗黙の含み、その他、平安時代の女らしい感受性の特徴が、日本人全体の遺産となったのである。・・・」
⎯⎯⎯⎯⎯日本の表現の特質は女性らしさにある」なるほど戦闘的ではないなあ。政治的なあるいは社会的なメッセージ性のある作家は少ない。(ボイス、ボルタンスキー、中国のアイ・ウェイウェイ たちのような表現タイプの作家は日本人にはいない。日本には皮膚感覚にたよる表現者も多い)
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原発の再稼働の準備がすすめられている。沖縄辺野古の海の埋め立て準備もすすめられている。
福島の被爆による甲状腺癌の子が新たにでた。そして海外派兵のための憲法改正を公言し出す。
笹子トンネルに象徴されるようなインフラの老朽化による補強点検予算がどんどん膨らむのに新たな新幹線工事や道路拡張工事は相変わらずである(韓国の高速事故は、同様の経済拡張政策が根本にあるからだと思う)
311の衝撃は忘れ去られようとしているように思われる。その波におされてユルくなっている自分に気づく。
そんななかで昨日借りてきたこの書に目を洗われた。
少し紹介します。
図書館で返本し新刊書棚からかりてきた
パリはどこの都市よりも好きなんだけれども、フランス哲学や文学には疎いのでマグリット・デュラスを知らなかった。
また、この本を44年ぶりの新訳をされた仏文学.欧州地域文化研究の東大名誉教授 工藤庸子さんもはじめてでお恥ずかしい。
訳者ノート(p199-220)より少し引用を(傍点が打たれている箇所を、斜体文字で表しました)
マグリット・デュラス(1914-1996)―およそ五十冊の本を書き、少なからぬ数の映画・演劇をやり、反体制の政治活動、女性解放運動、メディア絡みの文化活動にも積極的にかかわった。・・・
デュラスの『ヒロシマ・モナムール』は、レネの映画(1955製作。邦題『二十四時間の情事』)のために書かれた「脚本」でしかないのだろうか。物語としては、広島を訪れたフランス人の女がたまたま出逢った日本人の男と束の間の愛を生きるというだけの話である。
簡素なドラマをささえているのは、映像メディアとの遭遇から生まれた前例のない散文テクストなのであり、ここで力強い女性文学が生まれて、近代小説の伝統から鮮やかに離反する・・・
1 破局(カタストロフィー)について
デュラス生誕百年の出版企画に『ヒロシマ・モナムール』の新訳を、という選択には哲学的といってもよい動機があった。「フクシマの後」にあらためて、1958年に構想された「ヒロシマ」を読みなおすことができるのか。ようやく語るべき言葉を模索しはじめた2014年のわれわれは、デュラスのテクスト上に応答する言葉を見出して、遠くから呼びかける声を聞きとることができるのか。まずは「シノプシス」より
ヒロシマについて語ることは不可能だ。できることはただひとつ、ヒロシマについて語るこ との不可能性について語ることである。ヒロシマを理解することはのっけから、人間精神が陥 る典型的なまやかしとして、ここに定立されている。(8ページ)
日本人の男はフランス人の女に執拗にくり返す。「きみはヒロシマで何もみなかった」と。「かたり得ぬもの」「表象不可能なもの」としての「ヒロシマ」ージャン=リュック・ナンシーの『フクシマの後で』を引用しよう。
アウシュビッツとヒロシマという二つの名に共通するのは、境界を越えたということである 。それも、道徳、政治の境界ではなく、あるいは人間の尊厳の感情という意味での人間性の境 界でもない。そうではなく、存在することの境界、人間が存在している世界の境界である。言 いかえれば、人間があえて意味サンスを素描し、意味を開始するような世界の境界である。
ジャン=ピエール・デュピュイ『聖なるものの刻印』からも一文を。
われわれの世界は破局に向かってまっしぐらに進んでいる、そうわたしはひそかに確信して いる。人類が歩んでいるのは自殺につながる道である。わたしは破局を単数で語っているが、 それはなにか単一の出来事を指しているのではなく、不連続性や臨界の超過、破綻、根本的な 構造変化、そういうものが相互に影響し合って、これから生まれてくる世代に未曾有の暴力で 真っ向から打撃をあたえるような、あるシステムのことを念頭においている。
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2 一九五八年、そして、その後
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1958年前後のフランスで、文学と映画が決定的な出会いを経験する機運は熟しつつあった。
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・・「原爆映画」ではなく「恋愛もの」であり、主人公たちは破局の証人=目撃者にすぎない。この方針で両者(レネとデュラス)は意気投合し、監督はデュラスに、好きなだけ「文学」をやってほしい、カメラらのことは忘れるように、と念をおす。・・・
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・・「本番」(となるはずの映像)と「メイキング」(製作過程の映像とみなすべきもの)が同居する不思議な構成は、ある種のメタフィクションとよべるのか。・・
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3「テクスト的な現実」としての『ヒロシマ・モナムール』
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・・作品の成立過程・・構想メモ・・女=リヴァの戦時下のヌヴェールでの生活・・ドイツ兵との愛、身体の相同性や狂気の体験・・ヌヴェールでの「丸刈り」と「ヒロシマ」への言及・・ (イタリア映画『マレーヌ』で終戦時にリンチを受け丸刈りにされたモニカ・ベルッチを思い出しました)
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4 イマージュ、音、声を切断する
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・・公開されたばかりの映画を観た遠藤周作は、・・「朗読風に呟く台詞の美しさ」を讃えてこんなふうに語る。冒頭の会話は「二人の人間の苦悩を通しての宗教劇のもつ悲壮さと荘重さ」をみごとに創り出しており、「私は広島をみた」「」いや、あなたは広島を見なかった」という台詞の反覆は「宗教詩的」な美に高められていた。(『キネマ旬報』1959夏・特別号)。
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5 デュラスの手
6 『グラディーバ』あるいはフロイト的妄想 7 本と映画と破局論
刺激的な内容が続きますが、お昼が終わったのでこのへんで終えます。
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