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最近計画中のことのため
江戸時代について本を読み漁りだしました。
江戸市中については杉浦日向子さんや田中優子さんの本で、あるいは国芳などの浮世絵で、少しは知っているつもりですが、
地方のそれも城外の,農民やその他の生業の地域の事はまるでつかめない。
学者ではないのでひとつづつ深く掘り下げるつもりもないが、具体例から実感として時代の空気をつかみたいのです。 それも江戸初期から中期までのあたりを。
江戸期を近代につながる初期資本蓄積の時代としてとらえる研究が60年代からあることは知っていましたが歴史学から離れてしまって今どうなっているのかは?
また文化史でも浮世絵以外はメインストリートではない。
江戸期の彫刻は円空木喰行道の二人が有名ですがプロはそれほど見向きはしない。円空の腕は良いといった程度で、、。(1/12から東京国立博物館本館特別5室で「円空/飛騨の千光寺とその周辺の足跡」展示があります)
仏像を修復する時に、あとの時代に修理した部分は削り取ります。残す部分は鎌倉時代までです。
14c以後はたいした価値がない、文化的に腕が悪いという考え方です。
そういった価値観の世界ですので、立体に惹かれる私も鎌倉時代初期運慶の時代までしか興味を持っていなかった。
ところが一年前に信州北安曇池田町に如意輪観音坐像(102cm)木喰山居作の像があることを知った。
未だ実物を拝観してないので確かなことはいえないが写真で見る限り出来が良さそうなきがする。
この木軸山居1665-1724という在野の僧を調べて行くうちに、私の出身地大町の弾誓寺を拠点とし若一王子神社に三重塔も建立もしたという。最後は寺のお堂で即身成仏となるべく入定したらしい。
弾誓派という江戸初期の流れ、木喰行、遊行、洞窟に籠り万体の作仏をする。同じ衣を身につけて米麦などの五穀十穀を食べずに、有髪で、、。まるで乞食坊のようではないか。
小川村虫倉山高山寺に三重塔を再建したり勧進しながら若一王子神社に三重塔も作ったり、、
地域に受入れられていたし、塔を作れるような経済力もあったということか。
そのあたりの時代の匂いを知りたいのです。
隣町の図書館から、ちくま新書「百姓の江戸時代」田中圭一2000 を借りてきて読んでいますえ
筆者は佐渡の出身で新潟大そして新潟県高校教諭をへ筑波大教授などとなった。
この方の視点が、佐渡の地域住民から見た歴史研究であったことが、幕府の禁令から想像したこれまでの歴史認識の陥穽を打ち破る、いきいきとしたものとなっているのでしょう
途中まで読んだだけなので目次で内容をご想像下さい
佐渡は幕府の直轄領なので、各藩の場合はまた異なるかもしれませんが、、
これも図書館 福生市の本ですが
『江戸への新視点』2006 新書館 高階秀爾 田中優子 編
JAPAN ECHOという外国向けの日本紹介誌への2003.2-2004.12連載記事
「はじめに」「終わりに」から
江戸時代を遅れた否定すべきものとした歴史観は、
明治国家の官製「進歩」史観/マルクス主義の「封建制」史観/戦後の「鎖国」史観による
歴史認識の複雑骨折だ。
文明開化政策の明治政府が、江戸時代は「遅れた」段階にあったとしたこと。
米国占領軍による日本の過去すべてを断罪する政策。
19Cの、社会進化論都マルクス主義史観
これらのベールを外して江戸時代を再考する。
五来重全集で木喰や弾誓を読んではいますが
弾誓派は仏頭の伝授などと直伝なので書き物を残してない。
まずは作った仏像を見歩いて想像していくしかないでしょう。
下諏訪万治の石仏もこの系列だろうと五来氏は考えています。
弾誓の活動ルートは佐渡、安曇、諏訪、甲斐、相模。ですから田中圭一さんの佐渡の考察も直接参考になるかもしれない。
弾誓1551-1597?1613 円空1632-1695 木喰山居1665-1724 木喰明満行道1718-1810
万治の石仏1660(万治三)
参考:家康1543-1616[03-05] 家光1604-1651[23-51] 綱吉1546-1709[80-09]
吉宗1684-1751[16-45]
尻切れとんぼで終わり
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