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十返舎一九 辞世の句

浮世絵作者の生年、没年をwikipediaチェックしてしていた。
ありゃ十返舎一九や式亭三馬までもが浮世絵作家の項にある。

『浮世道中膝栗毛』の作者で有名な「十返舎一九」(じっぺんしゃ いっく、明和2年(1765年) - 天保2年8月7日(1831年9月12日))は、

静岡市で同心の子としてうまれ 江戸で武家奉公をし、 大阪で義太夫語りの家に寄食し浄瑠璃作者となり、三十才で江戸にもどり蔦谷重三郎宅に寄食。用紙の加工や挿絵描きを手伝い、黄表紙を出版。新作を書き、挿絵版下までやる器用さ。「吉備大臣図」などの肉質浮世絵まで残るとありました。
晩年を貧しく過ごしたのち、天保2年(1831年)8月7日、67歳で没した。

辞世の句
『此世をば どりやおいとまに せん香と ともについには 灰左様なら』

火葬にされた際にあらかじめ仕込んでおいた花火があがったという逸話が林家正蔵によって語られたと。

彼も北斎も売れた作家なのに貧乏な晩年。私が貧乏なのは当然の様だ。
タンス預金を芸術に使おうと叫びたいなぁ。

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昨夜サントリーホールでチェロを聴いてきた
午后3時すぎのこと、友人福生 回帰線のイズミさんから、叔父が亡くなりこれからでかけるから変わり行けませんかと電話があった。早速つれに頼んで予定を変更。

車で西国立キ・アリに荷を届け、地下鉄銀座線溜池山王でおりて、6時に着く。

私はミーシャ・マイスキーのことは知らなかった。チェロは若きヨーヨーマを聴いていたことはがあったが、ピアノやバイオリンほどおつき合いが無い。
私はグールドとイタリアオペラの何枚かがあれば、あとはなくても生きていける。連れや息子はミーシャは有名な人だよと言ったましたが、、だいたい私は曲名や演奏者の名前も余り覚えないし、、(演奏者には失礼なことをいっていますが門外漢だとお許しを)

7時開演。バッハの無伴奏組曲第1番ト長調 私はバッハは好きなのでこれは知った曲でしたが白髪の彼は私の知るようなものとはずいぶんと違って少しびっくり。次はブラームスのチェロソナタ。あとはぐらなどす、サラサーテ、アルベニス、ファリャ。アンコールが5曲。
メロディックな叙情的にうたう演奏のように聴こえましたが、、

実は私たち、回帰線関連のおっさん3人でしたが、その席が最悪の位置取りでまいりました。
音がまとまって、聴こえてくる。ひとつひとつの音それぞれが聞き取れない。まるでくぐもっているかのように聴こえる。

理由がある
私の座席は、画像に印をつけた場所です。
ステージにはグランドピアノがありその向こうにチェロがいる。
出た音はピアノの開かれた蓋でガードされて、、、、

すぐ前の座席の人たちや後ろの人は休憩後はいなくなっていた。
2000席以上の広い会場は3割り程?の入りだったから移動したんだろうか。
しまったと思ったが後の祭りでした。


音が売りのはずのホールがこんなんでいいとは、、音楽愛好の国のはずもお金のためには身を売ったのかな。演奏者も後ろから視線をとばされてつらいことでしょうに。



ステージの床はオーク楢材 内壁表面はホワイトオークだそう。5階建てのビルが入りそうな天井の高さでしたがたぶん音は上手に設計されているようだ。

あの席での音で印象を話してはいけないなと思い、演奏については語りません。
小ホールが贅沢だなと、、室内楽やチェンバロなどの古楽器が好きなんで大ホールは、、、

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上野公園には美術展が目的ででかけます。
JRだと公園口から美術館へ直行。
地下鉄銀座線利用の時は上野駅と公園の間の坂を上ります。

今回は久しぶりに『西郷さん』をみておこうと別ルートを選択。
地方からの修学旅行?5人のグループが立ち止まりなにやら相談してからお布施をあげる。托鉢僧の口元がほころびて、、。その後、あっちだこっちだと西郷さんを探し、像の前でシャッターをお願いして記念撮影を。東京の子たちに見られないのびやかさに私も心身が緩み和む。

直ぐ脇に柵に囲われた石碑がある。古びているなと説明文を眺めると、『彰義隊墓所』とある。会津鶴ヶ城落城後死体処理も禁じて、、という政府軍の非情さに義憤を感じていたから、このような場所に墓所があるとは以外であった。
http://byp.web.infoseek.co.jp/info5.htm等々で知りました。
遺体処理を禁じていた。神田の商人とお寺さんで許可を取りこの場所で荼毘にし後墓所となる。子孫が管理棟と上野彰義隊資料室をしていたが高齢で2003閉鎖。
上野の山にたてこもって、官軍と戦った彰義隊の墓。後ろの大きな墓石には、明治新政府をはばかって「彰義隊」の文字はありませんが、地中に隠され後に掘り出された手前の小さな墓石には、はっきりと「彰義隊」の文字が刻まれている。
うかつにも全く知りませんでした。
反政府軍の西郷さんは軍服を脱がされ浴衣姿で立ち、やはり戦犯、石に彰義隊とも刻めずに、、政府、官、軍は昔から陰湿だ。この体質が前大戦まで続いていたのだろう。戦後の中共軍の日本人捕虜の扱い方と全く違う。正規軍は大人でないと、、。

さて先に進むと人形供養で有名な寺がある。寛永寺の分院だろうか。『清水観音堂』 ずいぶん前に来た頃は預けられた素敵な西洋人形や和風の人形があったように思うけれど、今は普通の寺に見える。どんな人形たちがあずけられているかとすこし期待して近寄ったんだけれど、、中国からのお客さんがいました。東照宮にはフランス人やアメリカンが、にほんの人と半々でした。

そのまた先、左手に朱色の鳥居が、坂を下りながら続く。『花園稲荷』 参拝客は1人だけ。まるで秘密の場所の様。
軽く参拝して下がりながら、、、エッ 赤い提灯が、、飲みや横町のように、、境内だよここは。
『穴稲荷』とある。お狐様の洞穴が2カ所に。穴に蝋燭が灯り面白い雰囲気だ。
同じ敷地の『五條天神社』。祭礼の時に来てみたいが、、。
伊藤博文の懸額がかかる建物があったりして、上野のお山は明治の匂いが、、そういえばここは恩賜公園、恩賜動物園、帝室博物館(東京国立博)だった。

次は『上野大仏』明暦/万治に木喰が銅像をとある。天保の火災で再鋳。大正地震で首が落ち、二次大戦に身体は供給。写真を見ると出来は? おなじ所に『パゴダ』


後は
『東照宮』ここは寒牡丹の季節にでも訪れよう。
騎馬像モニュメントの『小松宮彰仁親王像』彼はもと東伏見宮で、鳥羽伏見の戦の征夷大将軍、会津征討越後口の総督。官軍大将だから正装、勲章をつけた軍服姿の騎馬像。


上野公園は美術が主なる場所だと思っていたら、地の底の方には、こんなにおどろおどろしいものが渦巻いていました。お花見の騒ぎも、こう見ると必然性があるような気がしてきました。

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この季節が採取の季節です
ヘビイチゴは陽のさす草地、畦や空き地に生えてきます。
草で蔓を延ばして増えていく。
時々草を刈って手入れをしているような場所があればさがして見て下さい。
毒ではないが生食してもぼそぼそして、味がない。美味しくない。
奈良公園一帯では鹿が好んで食していたように記憶している。

さて長々と書いたのは
この実をアルコールに漬けておいて、お肌の保湿液を作ります。
アトピーや蕁麻疹の時、肌が乾燥して痛い。
それを和らげるに、この液を使います。

私は何年かに一回、欅やチークでかぶれることもあるし、gは夏場に汗かぶれをおこすこともある。
また冬場に肌がかさかさした時などには重宝している。

今日の関東の空

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日本海側は大雪のよう
東京西部の空はこんなでした
foto左の木は もみの木 右の木は イタジイです

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