Sculptor Gon Shinji WORLD

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桜 cheree-tree

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櫻 彫刻 番外編

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foto左上 bud flower seed の展示から seedです

foto右 房総館山の北条海岸の夕陽。鏡の浦の別名のあるところ。「Two weeks in the spring」の野外展に出品した作品です。松のbodyに櫻です。ちょっと海の仲間に見えませんか。信州育ちなので海にいると幸せです。何時間でも海風を聴いています。
foto左下 上記の松に刺した櫻の一部を展示したもの。私はこういったシンプルなのが好きなんですが.. 
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以下『櫻』のタイトルでの個展(1995/ギャラリー檜/銀座)のDM 文章を掲載します。


 ソメイヨシノを彫刻することは、かなりのエネルギーを使う。ソメイヨシノに限らず、かって生体であった木が朽ち空気と土に帰るその生と死の過程を中断してかなり強引にこちらの世界へ引きずりこむことの意味が私には常に問われている。

 材としのてソメイヨシノはほんのりとした桜色で、割にしっとりとした肌合いである。(山桜のこまかなや木理には及ぶべきもないが。)しかし、青年期である樹齢20年くらいのものは、水っぽいケージ飼いの若鶏のささ身肉のようだし、樹齢40年を越すと木の中心部が腐り出しほうけ、スポンジ化したところがあちこちに出てくる。その上樹皮を巻き込んでいる部分も多く、真っ直ぐに伸びた木などほとんどないため建築材工芸材としての用をなさない。樹齢40年で老化が始まる樹種など他には無く、これもあのひたすらに咲く花の多さからであろう。産卵後の油っけ
の抜けた鮭の姿を思わせる。

 ソメイヨシノは、江戸末期に植木の地である染井村(王子と巣鴨の間で染井霊園に名が残る)で作られた種である。これが明治以降の天皇制の下で国策として全国に広められたことは知られた話である。私にはこの人工樹種の巨大盆栽世界の異様さが現代のバイオテクノロジー世界とダブって見える。天然樹のヤマザクラやシダレザクラや八重桜が「柳桜をこきまぜて…」あった頃の穏やかで優しく豊かな多様な桜花が、今私たちの時代では一種類の物狂おしい花見となって樹下に死体を思わせる。

 人が生み人が殺した街の木であるソメイヨシノは様々な関わりで私の元にやってきて、数年滞まり休息し、呼吸を整えてまた街に出る。
                                     1995.5.15

      サクラハ  イタイ
      サクラハ  コワイ
      サクラハ  ニオイ
      サクラハ  キヨイ
      サクラハ  クライ
      サクラハ  うまい

櫻 彫刻 展 示4〜8

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 ソメイヨシノの木質は粗く、ひび割れも放射状に細かくいくつも入ります。山桜に比べると、ささくれだっている。
 山桜はしっとりとしたピンク色の肌合いで艶っぽく、ちょっとぞくっときます。太さが尺に欠けるくらいの枝はチップ材貯木場の中にはあるが、太い樹は購入しないとなかなか手に入らない。
 ソメイは園芸種(クローン)で一本の木に花が多く、たぶん木の体力に負荷がかかりすぎるのだと思う。産卵後の鮭とか産後の肥立ちが悪いなどの言葉を思い出しますが、この花の量が樹の老化を早めるのだと思います。樹齢60年説があります。(弘前城のソメイは110年だと言いますがりんごの木の剪定方法を応用した管理をしているとのことです。)

 樹齢が35年/壮年期はじめくらいの樹でも中心部は死んで来ていて、もう少しするとウロになりだします。木肌もごつごつして来て老成する。私は「巨大盆栽」のようだと思っています。

 老化しすぎたソメイヨシノを大事にしすぎても、かえって悲惨な感じがします。早めに若木を間に植栽し成長を五六年待てば、直に咲き出して、十数年もすれば充分代わりを果たす様になると思う。
 本数を数えるのが管理の仕事ではないと思う。健康に育った樹は人に感銘を与えるが、辛く育ってしまった木ではなかなかそうはいかない。木を見れる人を育てその人たちが樹の管理/木とおつきあいしなければ素敵な町などできないでしょう。たぶん弘前はそれが出来る方がいたんだろうと思います。



foto4 内側にアスファルトで目止めして水をためてあります。月をつかむ。/目黒
foto5 『ひと夜たけ』シリーズより「開花」/調布仙川
foto6 羽村郷土館10周年記念で館の入り口正面に展開しました。ちょうどお花見の季節。
    館のすぐ下流で伐られたソメイヨシノです。
foto7 新宿紀伊国屋の展示 黒いヒビが入っているのがソメイヨシノです。
    このように細かく入るのがこの木の特徴です
foto8 これも紀伊国屋 中央が櫻です。これはソメイではありません。
    肌理が滑らかで色つやもよく多分山桜系だと思います。
    会津田島でのパフォーマンスフェスに参加した時、製材所にあるのを見つけて購入したもの。

櫻 彫刻 展 示1〜3

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ソメイヨシノ用いた展示が数回あります。
foto1 これが『不動の旅人』に登場する中学校の桜です。6年後に手直し私の発表では珍しく装飾の
   手鋸、鑿を結構しつこく手を入れてあります。当時の心境は死化粧をしてやろうというつもり
   でした。/檜ギャラリー 銀座
foto2 上段が桜です(下は梅)。霧がまいて幻想的な高原でした。/八ヶ岳自然文化園 信州原村
foto3 Flap! Flap! Your Wing のタイトルで多摩川河川敷に15日間展示しました。  
   この桜は羽村上水取り水口の直ぐ上流の大正土手改修工事の際に伐採した桜で、最期の春の花を
   草月流で写真を撮っておられた女性にお願いして撮っていただきました。
   コラボをしたかったのですが仕掛けられませんでした。(制作と多摩川展企画だけで手一杯で)   掘り上げてもらったね根を整理ー彫刻するのは大変でした。山ほどの石を抱え込んでいたから
   です。チェンソーの刃を何本も消費しました。
    この根に、私の方法でひねりを入れ薄くした長い枝を差し込んで羽に見立て上記のタイトル
   としました。上流の羽村から府中まで飛んで?きた。
    展覧会後は、羽を外し、根を生息していた堤の対岸にある羽村市郷土館の入り口に10年ほど
   常設展示しました。都内の小学校が水道の社会勉強で訪れるところですので、記憶に残ってい
   る方もいるかと思います。
    根は風化し易いのでその後は館の裏にある保存民家で囲炉裏の煙として最期のご奉公を
   お願いしました。foto1の経験をしっかり活かしたつもりです。
    

 『不動の旅人』

 二十年余り木と格闘している。本意ではないが、「木彫家」なとど呼ばれたりする。大学を中退してからの遅い美術修行で、はじめは火の色に魅せられてブロンズにのめり込んだが、やがて一筋縄ではいかぬ一木の世界に絡みとられてしまった。

 「日本は木の文化」と皆一様に認めながら、実は手の届くところにある木といえば、つま楊枝というのが現実である。花が咲けばやんやと手を打ち、枯れ葉が落ちれば役所に抗議の電話が殺到する。汚れきった空気を浄化しているのは忘れて、杉の花粉がと大騒ぎだ。
 伐るは倒すは好きかってにされて、それでも木は黙っている。と、思ったら大間違い。木がどれほど多くのメッセージを発しているか気がつかないのは、こちらの感受性の鈍磨ゆえだ。

 十数年前、青葉の盛りのソメイヨシノが我家の近くの中学校で切り倒された。昔の排水池を埋めるために周りの櫻を伐ったのだ(今そこはバックネットの裏で何にも使われていない)。花の終わりを待って伐ったなと、義憤もあって無理に譲り受けた。生命の盛りの初夏に切られた木ゆえに、皮はぎの作業で返り血さながらの樹液を浴びて、シャツもズボンも櫻色に染まった。一年乾燥させて個展用の作品に仕立てたが、見事に失敗した。生命の無念をひきずって、木はあばれにあばれ、個展中にもその形を変えていった。六年後ようやく手を入れなおし、自分のものとすることができたが、木を単なる素材として扱うことのおろかしさを知らされ、一木にのめり込むことになってしまった。製材され、調教されたおとなしやかな樟や桂を使っていた時には知らなかった木の烈しい美しさだった。

 今、木を扱う人々の多くは分業の末に手に入れた素材としての木を使っていて、木の本性に触れる機会は少ない。私は木の入手先として信州の何カ所かの山中の貯木場を訪ねる。山から切り出された造木をとりあえず無選別に積み上げてある。他の木工業者等にとっては無価値でも私には宝の山だ。市場では手に入らない多種多様な木に出会うことができる。そこで働く人も独自の美意識を培っているので、私が一癖も二癖もある良材(私にとって)に目をつけると、彫刻されることで木が木のまま生命を保てることになるのを喜んでくれる。雪深い土地の木は、雪の重みに身を歪ませ鍛えられた筋肉をもっている。寒さ厳しいながらも雪風の少ない土地の木は直に伸び、材は緻密で鑿の切れ味を試される。樟のように暖地の木はおっとりと健やかで、こちらの鑿を少しもはねつけぬ。

 一方、前述のようにたまたまの偶然必然で私のところにやって来る木も多い。多くは街中の木である。老夫婦が大木になってしまった庭の櫻を切らねばならない。ごみになるのは忍びない。引き受けてくれないかと言われ、幾星霜のつきあいを思うと申し出を断れない。しかし、これは本来彫刻家のしごとではない。プロに頼みたいところだが、枝の落とし処も思うにまかせると思い、引き受けてしまう。仲々しんどい仕事になる。丸ごと木の最期にかかわる。何十年の木の時間が生の形で両肩にのしかかってくる。

 木は一つ処に芽生え育ち死ぬわけで、その体内に数十年数百年の時を刻んでいる。表皮から五十センチも内に彫り進んだところで釘に鑿の刃を折られたことがある。石ころを飲み込んだ木もある。一センチの間に十数年の年輪を記したネズコに、刃を立てられない時もあった「木っていいですね、心がおちついて」とよく言われるが、私は木に向うと、制作のプレッシャーもあるのだろうが心身共に強く揺さぶられる。ひくくうなる美しい大木な獣に向かい合い、なだめ、諭し、自分も彼に従い、やがてその背を撫でられるようになるまでの行為に似ている。

 曲がり捻れた原生林のきは、人に慣れぬ野生の生き物だから、木材には不適で、砕かれて紙用のチップになるが、それらの木々のなんと美しいことか。現役の人の役に立たないものほど美しい。経済だけの薄汚れた人間がほしがらない木ほど正しく美しいと思う。風に従い、雪にうなだれ、太陽に背伸びし、寒さに身を縮めながら、幾万の生命を養い、長い旅をする木。時を旅する事こそ本当の旅だと思う。

 私は、日々木をけずり、ひとけずり毎に木の旅した時を貰い受けている気がする。やさしく浄化された時。その快感が、もはや稀少動物状態の「一木彫刻家」をせきたてる。一木という困難な「素材」がその先へその先へと作家をひきずっていく。

 九十数回の発表の場で、五十数種類、数百本の樹とかかわってきた。そのいずれもが、やさしく死んでいった木達であった。その死をひき請けて、もう一度、人の目前に再生させるのが自分の仕事だと思っている。この後も時の旅人を巡る日々が続く。

  『まほら』第13号/旅の文化研究所企画発/近畿日本ツーリスト発売/1997.10.1 所収 

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