Sculptor Gon Shinji WORLD

44年間生きた場所から移動中 住居は近場に確保 制作場所はあちこちに分散中

美術展 art

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
パリと言えば ルーブル美術館ですが
ここクリュニーも欠かせない。
最初に足を踏み入れた欧州、パリセーヌ河左岸のカルチェラタンは五月革命の名残か若者たちで活気あふれていました。パルドンとシルブプレ、ボンジュ―ルとメッシーくらいしか言えぬ身で本屋界隈を歩き回り真冬のリュクサンブール公園で子供たちに混ざってギニョールを見、ニンニクのきいたエスカルゴを食べと、、、宿がオデオン座の前の路地だった。
クリュニー美術館に入り、中世の木彫にひかれた。

今回は来ていませんが
イメージ 1 Sainte Marie-Madeleine

Bruxelles, fin du XVe siècleBois (chêne)H. 0,97 m ; L. 0,36 m ; P. 0,24 mAcq., 1850 ; Cl. 1851
Cette sainte Madeleine au charme profane est représentée avec son attribut traditionnel, le vase à parfums qui devait lui servir à embaumer le corps du Christ. La savante coiffure, où les nattes s'enroulent autour du bonnet pour retomber sur les épaules, contraste avec la relative simplicité des vêtements et l'allure générale de la sainte. Elle a été rapprochée ainsi qu'une autre statue de la Madeleine (Bruxelles, musée du Cinquantenaire) de la production des sculpteurs bruxellois de la fin du XVe siècle, spécialisés dans la statuaire de dévotion, surtout des retables.


今回展示の小品彫刻で 木彫(樫だろうと)のマグダラのマリア像はなかなか良かった。
さて 
タピストリー6枚の連作ですが
期待して無かったのですが たいへんよかった。
同じ空間でまとめてみれてこれはすごい、これはちょっとダサイのではとか、、、
わたしは触覚という一角獣の角にタッチしているのが 婦人の衣装がゴージャスで他を圧しているのではと、、天幕のもよかった。
今回のヒットは6台の映写機を駆使したこれではないでしょうか

凸版印刷、「貴婦人と一角獣」展で公開するVR映像作品製作開始

2012年12月21日
http://www.pjl.co.jp/news/images/toppan20121220.jpg大画面シアターのイメージ
 凸版印刷(株)(金子眞吾社長)は、NHK、NHKプロモーションと共同で、東京の国立新美術館と大阪の国立国際美術館で開催される「貴婦人と一角獣」展で公開するVR(バーチャルリアリティ)映像作品の製作を開始する。
 同VR映像作品は、世界で最も有名なタピスリーのひとつである6面の連作タピスリー「貴婦人と一角獣」(フランス国立クリュニー中世美術館所蔵)の高精細デジタルアーカイブを実施し、VR映像で再現するもの。最新のデジタル撮影による約204億画素に及ぶ膨大なタピスリーの高精細デジタルアーカイブデータを活用することで、肉眼では見ることができないほど細部まで拡大し鑑賞できる。

夕立もあがりの帰りの中央ハイウェイ 
イメージ 2



一昨日のアーティチョーク
イメージ 3

ブルーベリーも熟しだしました
イメージ 4



上野 芸大美術館とう

御徒町の渡辺漆店へ 漆の調達にいく
 
よる8時からのドイツ文化開館のレセプションまで時間があるので 上野の美術展を見ようと公園口へ

西洋美術館でラファエロをやっているがどうも入ろうという気にならない。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6
イメージ 7

こんなことをして遊んでから
イメージ 8

公園を抜けます

イメージ 9
野口英世を見たり

イメージ 10
こんなに高木の剪定は大変だろうなとか



芸大美術館の 『フェンディ UN ART AUTRE』(4/26迄) 
毛皮の扱いが、、 職人がいて説明をしていた。ミシンもあったから実演もっしているのだろう
どこかのファッション学校の若い子たちがいました 授業のつづきだったようです
イメージ 11


ついでに地下『芸大コレクション展』(5/6まで)
上村松園の「序の舞」や荻原守衛の「女」橋本平八「花園に遊ぶ天女」「裸形の少年像」等々
そして辻晋堂が得度した翌年に彫った木彫「出家」というめずらしいものも 


そしてこちらは無料で見れる
守衛所のうしろにある正木記念館田中記念室で田中コレクション2013
辻晋堂の陶彫 中原悌二郎の「平櫛氏像」田中の力作「転生」橋本平八「猫」森川杜園 など
芸術学校だけあって無粋な進入禁止線などがなくて目の前の鑿痕も観察できる 4/21まで

同じ一画で 芸大教授の深井隆や林武、武蔵美の袴田京太郎、日大出の原口典之などの
「物質と彫刻―近代のアポリアと形見なるもの」展 これも4/21まで 無料


そのあと国立東京博物館資料室へ。西門から入れば無料(展示館へはいけませんが)。
調べ物をして コピーをとろうとしたら4時までだと,トホホ

館を出て庭で休息
イメージ 3
手元にひきよせて香りをかぐ
ここには誰もいない
守衛所でサインをしたのが3人しかいなかった


そのあと京橋をまわり青山一丁目からドイツ文化会館へ
10月中旬の展示の為の会場確認をしてきました。




桜ばかりにめがいきますが
これはなかなか見事な、、

イメージ 1

金網を押しのけて曲げています
根元左には、ゴミ篭が樹に食べられ半分埋まってしまい、撤去出来ずにそのままで放置
こんなでもゴミを捨てる人がいるようでポリのゴミ袋がセットされていた。


この樹はクスノキ
立派な大きな樹なのに桜見に忙しいばかりで誰も気づいてくれません。


お堀には

イメージ 4

いつ捨てられたものか、、





イメージ 2
大山巌 (1842-1916) 像(作者名?)陸軍大将

イメージ 3

西郷従道 (1843-1902) 像 海軍大将
作者名が高村光雲と台座にかかれている
光雲は木彫家で、塑像は習ったことがなく、木彫をわざわざつぶして塑像のような表現にし、黒く塗り
ブロンズ原型にしたものが芸大に複数体あると息子からの情報で知ったが、この原型は?

従道は西郷隆盛の弟で大山巌は従兄弟、西南戦争の際にはともに政府軍であった。 
銅板画家キヨッソーネが描いた西郷隆盛肖像画のモデルは彼ら2人であったという。

これらのブロンズ像は道を隔てた靖国神社を正面に据えられている。




その先には

イメージ 5

この色でお気好きの方もおられることでしょう
イタリア文化会館

赤色がケバイと近隣住民からクレームがつけられた建物で、
こちら側から見るとイタリアデザインっぽくてとても素敵でした。


一階のホールで展示をしていないかとよってみます。

この平屋(ガレージでした)の塀にそってビルの空間を行き、扉のノブをまわすと、
通り抜けOKでした
イメージ 6
柑橘類などを配置して地中海の匂いを演出しようとデザインをといっていました。

通りぬけられるのかわからないつくりですし、花見とは逆側ですから、どなたもいらっしゃらなかった



エントランスホールの催しは
イメージ 7
1876年35才で来日し1890年イタリアに帰国
白黒彩色の写真
当時の風俗が見れれば、、とドアをいいやあとドアを入ると、、


彩色というからベタのカラーだろうと期待しはなかったが
立体的な色表現で思わずオッ!と


さすがルネッサンスの末裔イタリア出身者、、
1876-82来日し教鞭をとっていたラグーザ、76-78キヨッソーネなどの美のレベルにも、、

写真に写されているものは
明治初期の外国人の居留地10里四方に限る制限が解かれ、中部日本方面への観光開発の時代らしく、
日光、中山道、甲州街道、東海道、関西5ヶ月の旅先の写真には、和田峠,猿橋、木曽など私の近しい場所も多く、鎌倉の大仏や身延山久遠寺、東照宮陽明門、猿沢池や四天王寺といった名所旧跡、あるいは人力車夫やタトゥ―、神主や仏僧、芸人、相撲、子守、田植え、藤棚、、、

そういえば子供の頃にみた、引き出しにあった戦前の観光写真を思いだしました。
横浜写真というものの流れだったのかもしれない。


10代前半の2人の子守りと、20才前後の3人の女郎の娘さんたちが目に焼き付いて残る、、。


この写真展示は昨日で終了すがで
このあとのイタリア文化会館
3月末から4月の頭の10日間イタリアブックフェアが催される。
ついでがあればでかけます。

東博 その3 法隆寺館

法隆寺献納の金銅仏の話のつづきです。

下の像は
東京国立博物館のサイトから>e国宝>法隆寺献納宝物 の5頁目、192件中の34件目
3体を別々に、前から横から後ろから下から写したものが30枚、それぞれ拡大して細部まで見れます

阿弥陀如来および両脇侍像
イメージ 1
重要文化財  3躯
指定名称:銅造阿弥陀如来及両脇侍像(法隆寺献納)
銅造鋳造鍍金
像高(中尊)28.4(左脇侍)21.1(右)21.3
飛鳥時代・7世紀
[  説明文から抜粋  ]
阿弥陀三尊像であることが確かなわが国最古の遺例である
中尊の倚坐形式や両脇時の三面頭飾、瓔珞の懸け方などに中国の北斉から隋にかけての仏像の様式を示すが、像全体のもつ大らかで瑞々しい気分は白鳳彫刻の本領ともいえよう
台座背面に刻まれた「山田殿像」の銘 蘇我倉山田石川麻呂や彼が創建した山田寺との関連も想起されるがその詳細については不明
彩色は各像とも頭髪に群青、唇に朱(あるいはベンガラか)が認めれ、中尊の腰部底面から懸裳裏面にかけての全面に赤色顔料(ベンガラか)が塗られている。台座は上框、腰、下框・台脚の3部と両脇時用の蓮茎を各別鋳で造り、組み立てている。鍍金は表面にあらわれる個所の全面に残り、台脚部の裏面全体には赤色顔料(ベンガラか)を塗布




この金銅仏を知ったのは、私らの師匠小畠廣さんが、イタリア鋳造を作家として導入しようと、鋳造炉(坩堝が30番のちいさなものでしたが)と焼成炉(加藤昭男さんの設計)を吉祥寺のご自分のアトリエに築炉した頃でした。そのころの鋳造は砂型、ガス型鋳物が主流でイタリアの蝋型石膏法はまだめずらしかったころです。
作業をてつだった私たち生徒も小さいのを鋳込ませてもらったことを思いだします。

ある授業日のことでした。
神田神保町の美学校からそれ見に行くぞと先生の一声で上野へでかけこの一群の像をみました。
彼がつぶやくのを聞き漏らすまいと耳をかたむけた。皆、気合いがはいっていた。
その後、東洋館とここは何回かいった。
住んでいた(2年ほどだったか?)本郷から湯島の階段を下り、つれあいと東博へ出掛けた。帰りにアメ横でサバなどを買って帰ったことも思いだします。

日吉館に泊まりながら奈良の仏像を見によくでかけた。
聖徳太子ゆかり斑鳩の、法隆寺金堂釈迦三尊や夢違い観音像、百済観音や玉虫の厨子、中宮寺の半迦思惟の観音像、法輪寺の虚空蔵菩薩像など、飛鳥白鳳時代7世紀の不思議な造形の仏像も、何回かつき合ううちにだんだんと身近なものになってきました。

といっても、聖徳太子の時代から天智帝天武帝の時代7世紀は、東大寺、興福寺、薬師寺、唐招提寺と云った大寺の平城京、奈良の時代8cのように成熟もしてないし、とてもわかりずらいのです。

その7cの粋を集めた像の数々がこの法隆寺館一堂に会しているのです。

この頃は、大陸、半島と盛んに行き来があったのでしょう。
仏教も伝来したばかりで、受入れる受けつけぬの権力闘争があり、
先端技術をもった集団が半島から移動してきて住みつき、
任那、百済が滅び、移動してきた氏族もあり、、、 
48体仏はその間の事情を語っているはずなのです。

この48体仏の中にもいくつかは海の向こうで鋳込まれて持ち込まれた物だと推測されていますし
私の郷里信州安曇の隣村松川にも渡来仏の重文が伝わっています。日本海から川をさかのぼりその地にすみついたのでしょうか。この姫川に勾玉などの原石、ヒスイの採れる場所もありますから、ひとつのメインルートだったのではないでしょうか。

この金銅仏たちを、どこの工房でどんな職能集団が造仏しどんな氏族がそれを祀っていたかなにもわかりません。
幾系統かの流れがあったんだろうか。
その一団は聖徳太子一族のような最後を遂げたんだろうか、あるいは後のどこに連なっていくのだろうかとか、、

穏やかなかわゆらしい童子形の金銅仏をながめながら想像を膨らませるのです。




今回金銅仏を鑑賞して、新たな発見があった。
左斜め後ろからながめたある像の姿が,美しいのです。(2列目?のもっとも左の像)
これまでは正面の姿は脳にインプットしようと努めてきましたが、斜め後ろの姿は記憶の引き出しに入っていなかった。
かわいいとか、この細腰のラインが素敵だというような感想は持っていますが、美しいライン美しい形だとみえたのは初めてのことです。
東洋館でみた北斉の石像や百済観音の腰をつきだしたラインと同じ造形美だとは思いました。
朝鮮民族のウエストを締めないチマチョゴリの衣装はこの時代からつづく美意識かもしれないなとも思いました。




最近中国武侠ドラマを見たり三国志を読んだりしてから、この島の歴史をナショナリティックに考えずにすむようになった。
戦争ものの三国志では一族が抹殺されて無くなってしまうのは自然のこと。7cまでの権力争いの歴史も同じような土俵の上のこととして平静にみれるようになった。倭の五王も中国ドラマで大王というものをみてから具体的な姿が浮かぶようになってきた。
私たちの過去と言う気持を入れこんだ熱くなった見方からでなくて、対称との距離を保てるようになったことが、美しいという見え方ができるようになったのかもしれない??



次は都美館のグレコかな。




東京国立博物館の続き記事 その2

東洋館を1fから5fまでそしてb1と一応すべてチェックしてからもう一度1fの中国石仏群を目に焼き付けてから、
本館で開催中の円空展を見る。(この記事は別に記すことにします)

次に常設展示1f2fの全室をまわる。

木喰明満(微笑みの、、)が1体あった。
野々村仁清の月梅図の茶壺 右衛門様式の伊万里 花鳥紋深鉢、
何度見てもなかなか覚えられないのだけれど正宗、国光、長光などの銘の日本刀、
竹製の花入れもあった。いっしょに行った若者がこれなんですかという。千利休だと答える。ただの竹筒なんだから違和感があったんだろう。
雛人形もあり他国の方も興味深げに眺めていた。
、、、、、
以下略

お子さんお孫さんつれていってやってください。
東博のサイトから e国宝 の頁を開けば虎の巻。勉強して来たと云えば尊敬してくれるかもしれない。教科書に出てくるようなものの数々を目の前で見れます。
生ものはうったえかけてきますから是非。

さてそのあとは法隆寺館です。
池の前の紅梅が満開でした。
ここまで来る人が少なく、静かに鑑賞出来ます。

10数年?前の旧館は木曜日の雨が降らない日だけの開館でしたが、今はいつでも入れます。
明治初期に300件ほどの品を天皇家に献納し、明治政府から金1万円の下賜金が法隆寺に渡された。
廃仏毀釈で国中の寺が大変だった時代のことです。興福寺の五重塔も売られて解体されるはめになりそうだったという話しもあるほど。
戦後に国有財産になり。今やめでたくも私たちは見たい時にみれる。(正倉院や天皇陵の古墳はなかなかそうはならない。21cでさえ)

さてこの法隆寺献納宝物の中でお目当ては、何物にも替えられぬ 金銅四十八体仏です。(金銅とは銅製鍍金、平たく云えば銅の上に金メッキしたもののことです)

まずは以下で見て下さい。

摩耶夫人及び天人像(まやぶにんおよびてんにんぞう)
イメージ 1



摩耶夫人/像高16.6 天人像/像高12.5-13.0cm//飛鳥時代7c//重文

如来立像(にょらいりゅうぞう) 
イメージ 2
像高33.4//朝鮮三国時代6-7世紀//重文

観音菩薩立像(かんのんぼさつりゅうぞう) 
イメージ 3
像高29.3//飛鳥時代7世紀//重文

如来坐像(にょらいざぞう)
イメージ 4像高30.8//飛鳥時代7世紀//重文


菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう) 
イメージ 5

像高38.8//飛鳥又は奈良時代推古14(606)または天智5年(666)//重文



明日に続きを


.
contemporary Eat & Art
contemporary Eat & Art
非公開 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

標準グループ

art

登録されていません

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事