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仏像展 exh. budda

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東大寺はもう何十回か行っていて、しっかりと心身に叩き込んでいるので、でかけなくても大丈夫と思っていましたが、
重源上人がわざわざお出ましになるので、ご挨拶にいってきました。

行って良かった。

快慶の八幡神像に今まで私はお会いしてなかったのです。
今回も出品されている三尺仏、地蔵菩薩立像や阿弥陀仏立像には何度もお会いしていますが、この像に会うチャンスを逃がし続けていました。勿論、あちこちの印刷物で知ってはいましたが、実際に拝見するとイメージが全く違った。やはり実物を見ないと。

運慶は無理をしてでも出掛けて見に行きますが、これまで快慶の八幡神像をみていないのが残念だとは思っていませんでした。(安倍文殊院や醍醐寺三宝院の快慶は見ていますが)
 
今回思いがけずにこの像にであえて、パズルが解ける様なきがしました。八幡神像のお顔を見る事で、地蔵菩薩立像や阿弥陀仏立像の尊顔がより明確になった。曖昧模糊とした記憶だったのが、この八幡神像のピースが入る事ではっきりと見えてきた。
無理をしてでも見なくてはいかんなと思いました。


今回の展示では、普段は拝観できない俊乗堂の重源上人坐像や阿弥陀仏立像、四月堂の良弁上人坐像などがみれますからお出かけ下さい。本来の鎮座されている場所でない痛々しさはありますが、、横からも後ろからもみれます。

本館前の、ユリノキの紅葉も見事です。
公園の噴水をふくめて大改造のようです。50年経つのでといっていますが段ボールハウスが建てられないようにと狙っているんでしょうか。新宿西口の歩く歩道のように。異物排除。慈悲の心は、、
光明皇后没後1250の展覧会なのに。

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奈良遷都1300年関連の三井記念美術館の仏像展に再訪する。
10時のオープンに生徒2人と待ち合わせる。2,30人程の列の全員が50才以上。この建物の作りが若い人には入りにくそうな、、。旧財閥のご威光が、、。美術品は人類の財産なのだから堂々と入ります。
学生証を忘れた子に、切符売り場で相談してみればと言ったところ、次回は必ず提示をといって学生値段でいれてもらえた。とても良い判断だ。
パリでは一般客でも無料の日が有る。日本では最近の入場料金が高すぎる。学生は無料に近い値段にするべきだし、学生でなくても25才未満の若者値段を設定して、若いうちから国宝などの文化財産を経験出来るような環境にしてほしい。若者の程度がどうのこうの言う前に、文化環境を作らぬとだめだ。次の時代のことなど関係ないというようでは、、、、

今週から唐招提寺新宝蔵の、東洋のヴィーナスなどともいわれる、あの、首と手の欠損した如来立像が展示されるので久しぶりの対面にでかけた。十数回は見ているが、私の力量、造形理解がその度に違うので(当然理解力は上がって、いるとおもってはいますが)再会。
今回見て、結構あっさりしている、思ったより重厚ではなかったなと。勿論、造形的に全く間違いはないのですが。今、これを書きながらまた見たいなと、、、、東京の日常には国宝級の文化遺産がないから飢えてもいるのだ。お金だけの世の中につっぱしれるのも砂漠のような場所でこそかもしれないが、そこは私には無縁の地平です。

生徒の一人に仏像好きな子がいる。仏像鑑賞の入り口を示してやれれば良いなと思い、レジメも作り待ち合わせ。彼は新聞奨学生で3時までに調布の販売所に戻らねばならぬ。12時に切り上げ、久しぶりの砂場で昼食。信州蕎麦とは味も量も全く違うが、おしゃれなお江戸の雰囲気での体験も信州出身の彼にサービス。出汁の効いた卵焼きと生Bにおおもり。

神田駅から日本橋方面へ向うとまた新しい建物がある。ファサードが長い石を何本も立てて、その間をガラスでつなぐ。もちろん一本の石を立てたのではないが、イメージとしてはムクの石が立っているように見える。一階部分はまだ囲いがあり全景はみえないが、この建物の景色は、めずらしく好きかもしれない。ちょっとローマの建造物を思い出したし、、。出来上がったらもう一度チェックせねば。

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上 伝日羅上人立像(橘寺/いつもは国立奈良博で展示)重文
中 観音菩薩立像(夢違観音/法隆寺)国宝
下 これは今回の展示像では有りません 虚空蔵菩薩立像(法輪寺)


昨夜の記事はばたばたしながら書いたので校正不足、わけがわからぬ文字があちこちに飛び込んで、読みづらくスミマセン!  (このノートpcで文字を打つとカーソルがあらぬところへぶっ飛んでああなる)

言葉足らず説明不足でわかりにくい箇所の補足をしたい

奈良国立博物館前の日吉館に春夏秋冬と一週間ほど泊りながら奈良の寺をあちこち歩き回った20代半ば。また義兄が般若寺のある奈良坂に2年間住んでいたのでそこにも長期滞在し仏像行脚。トータルでは1年間以上を奈良のお寺廻りについやした。
この後20代後半に欧州の美術館90数カ所を3ヶ月程かけて、、ルーブルは半月程通ったが半分ほどしかこなせなかった。 
この古今東西の人類文化の〜なまもの〜を呼吸出来たことで、私の美の基準が固まった。このころはいつも連れ合いと廻ったから独善に陥ってはいないと思う。

仏像たちとの出会い、美術に頭を突っ込む以前は日本史学をかじっていた。頭で。
法隆寺や法起寺の7cの仏像に、或は唐招提寺や大安寺の、鑑真と共に渡来した唐風の仏像たちに出会い何とも言えぬ感情が沸き起こった。
法起寺のコンクリートの宝蔵で、虚空蔵や十一面の樟の木彫像にであう。そこには7c当時の風が吹いていた。
また国立東京博物館の法隆寺館の金銅仏の数々。おそらくは十箇所以上の工房でそれぞれの作風で鋳込んでいる。多種の帰化人の世界があったんだろうと思われる。

何よりもそのナマな匂い、その時代の価値観が現実に表現されたものが、そこにある。
19c末のゴッホの20c初めのピカソの或は黒田清輝の明治の、それぞれの時代の匂いがそこにある。そして今の私たちは、私は、、と問われる。

いくつもいくつも見て感じ、覚えて、頭に置いて行く。例えば8c前半はこれとこれと、、鑑真が持ち込んだ諸仏が有り、7c後半白鳳の時代には、、、と。あっち行きこっちへ行き、少しづつつながり少しづつ見えて来る。何といってもその時代の最高最良の腕と精神なのですから、一つ見る(出会う)だけでも鍛えられます。


昨日の日本橋での仏たちとの出会いに未だ精神が高揚しているようです。  
では、次に行ってきてまた感想を。



以下、私のフェイバリットシングズ仏像編を。

東大寺三月堂の不空羂索観音像/脱乾漆/今にも空に飛び立ちそうな、、宝冠がすごいゴージャス
唐招提寺金堂の薬師像千手像/巨大な諸仏たち。お寺全体の清冽にして静謐な空間が私を清めてくれる
貞観時代、密教系寺院の一木作りのかずかず。/京都高雄の神護寺薬師如来、虚空蔵菩薩、河内の観心寺如意輪観音、新薬師寺薬師如来、法華寺十一面などなど
あと湖東渡岸寺の十一面観音。 興福寺(旧山田寺跡の)仏頭。 同寺北円堂の運慶仏。 柳生円城寺若き運慶作大日如来像。 東大寺南大門の仁王。 同寺戒壇院の塑像四天王。
他にも 醍醐寺や高野山金剛峰寺の諸仏とう 切りがないのでこのへんで。

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早稲田の大兄がブログページで、私がお会いしたかった室生寺の釈迦如来座像があと数日で奈良へ戻られると教えて下さり、午后に調布から日本橋へ向う。老々介護、昼をヘルパーさんにお願いしてあるので、、、

前世紀70年80年90年代、神田日本橋に、ときわ画廊と真木田村画廊があり、日本の今の美術を領導していたころは地下鉄銀座線の三越前駅から京橋駅銀座駅へ向うのが(或は逆コース)、現代美術のメインストリートであった。
できてから何年もたつのに三井タワーの美術館、今回初めてです。
この企画は平城遷都1300年記念 〜會津八一のうたにのせて〜とある。

彼は昭和10年、早稲田大学文学部に芸術学専攻科が設置されると同時に主任教授に。私の学生の頃も古美研というサークルが有り学生運動盛んな時だったので随分風変わりな連中だと思ってみていた。う食え美学校で習い始めた頃、年に数回奈良に通った。NHK連おおきさドラあおによしの舞台日吉館が定宿で、おばちゃんのお世話になりながら、安い宿賃ながら豪勢なすき焼きを二月堂机で、金継の茶碗で頂いた。朝は はよ勉強に行ってこいとおくりだされやて、、幸せな経験です。そこにも津八一の書がかかっていたと思うが、若気のブンブンでろくに記憶に残っていない。
 
 その3、4、5年間の仏像とのであい。言い換えると日本のその時代の言語に遭遇、対面したことが、私が美術をする原点、今の言語で語ろうとする原動力というか生きている義務だと確信出来る根拠、生意気にも受け継ぎ次にすすめる文化なんだと、、。   そのようにいいます。

ルーブルやウフィッチも印象派も受け継ぎ進めるその意識、意気ごみが必要だと若い人にいいたい。

つい 熱くなります

 
さて仏像展

大きさがいい。20cm~90cmの秀作がメイン
 

今回の私のメインは室生寺弥勒堂の釈迦如来坐像です。国宝
国宝になっているものは、これが美の基準なんだと思ってくださって良い。
そこで学んで下さい。

この釈迦は頭髪がないので、多分人気がいまいち。御陰で充分対面出来た。
桧の一木作りで翻波式の衣の彫りが、危ないくらいに彫り込まれている。多分ちょっとやり過ぎ。どうだ!と言い過ぎかもしれない。 が、外してはいない。これは抜群の腕前だから。
直ぐ目の前で、見せてもらった。お堂の中ではここまで近寄れない。目にやきつけてきた。

あとなじみの法隆寺夢違観音とか奈良博の日羅立像、西大寺塔本四仏等のほかに

金銅仏の半跏思椎像/一体は岡寺の胎内仏、もう一体は聖武帝の念持仏。優品。とても、、。
奈良朝後期の文化の熟覧、熟した技術がみれて、ちょっと今の時代の熟し方が重なり、、。冠の装飾や首飾り、衣の装飾等。20cm足らずの小品ですが、、。もっと見ていたい。
9月20日までなのでもう一度行きます.

あと
唐招提寺の押し出し物 吉祥天 は 楊貴妃、唐時代の豊かな匂い(よく熟覧のと言われるが)、そのスタイルで鑑真の戒律の清新な爽やかさが、私には感ぜられて、 これも大好き!
法隆寺 戊子年(628)銘の 釈迦如来+脇持は、金堂釈迦三尊の言語で

日曜美術館が話題にせねばもっと静かに見れるのに、、、、

広隆寺の弥勒菩薩像

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京都太秦広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)は戦後の文化財保護法による新国宝第一号に指定されている。
随分前になるが、この像が半島から渡来したものであるという説を、学生社の「彫刻」か吉川弘文館「日本の彫刻」久野健で読んだ。明治の修理以前のお顔の写真があってそれは韓国の半跏思惟像/旧徳寿宮などに近い。修復後の容貌は日本の顔になっている。結構衝撃を受けた。
今回、国立東京博物館の法隆寺館二階にある資料室?に置かれている本の中に、久野健「古代朝鮮佛と飛鳥佛」を見つけ目を通すと、これに関する記載があった。(写真を載せて良いものかどうか分からないが久野さんは多分許されると勝手に思うのでアップしてしまった)

招来仏である理由として
1仏像の材質が、木の学者小原二郎さんの調査でアカマツであると分かり、アカマツの仏像例が当時無かったこと
2木の表を正面に造仏するのに、この像は木裏から彫っていること(東京芸大西村公朝の発表)
3指先まで一木で出来ていること(これは半島からの招来仏であるという証明にはならないと私は思う)
そしてこの画像です。

[ここから私の文責ですが] 明らかに顔つきが変わってしまっている。鼻筋がやや細くはっきりし眉下の形のしのぎが強くなり頬がそげて細くなっている。第一この弥勒さんのような顔のものが他に類型が無い。(明治日本の顔なんだからそりゃ無いわいな)
半島風と国風のちがいというか、明治時代の強引さが、近代的な国境/ナショナリズムの無かった時代のものを線引きして純国産だとする愚かさが、そこにある。

どう見ても久野さんの説は正論だと思うが、他では見かけないから世間はシカトしているようにも思えるのであえて紹介しておこうと記載しました。

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