Sculptor Gon Shinji WORLD

44年間生きた場所から移動中 住居は近場に確保 制作場所はあちこちに分散中

美についての雑感

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

画像はクスの新芽、八王子鑓水の多摩美構内です。

no.1のコメントに小学校の美術教育を批判的に記し つづく  
でしたので責任を、、 今日は こども美術クラブ”ほし” の記憶を記します。

30才の頃、連れ合いと2人で美術塾を10年程しました。
原則、小学生のみ。入学直前の子も許可し、総勢十数人に教師が2人。
うちの子が幼稚園年長になった春からはじめた。
同じ幼稚園を卒業したばかり子と近所の子、駅前の貼ったビラを読んで自分で申し込んできた小2の子など。ほんどは親が選んできた子ばっかりでしたから、絵を描きたくて来た子は少なかった。
郊外の不便な場所なのに市立公立小学校7校の子らがいました。

お絵描き教室ではなくて美術クラブと名付けたように様々にトライしましたが、生徒皆が、絵がかける、絵を描く子になりました。
小3、小4とになってから入った子もいましたが皆、小学校の卒業まできてくれていました。


内容は書ききれませんがすこしおもいだすままに、、

裏の畑の大家さんは福生最後の牛飼いの方で、奥多摩街道からここまで歩けば30分もかかる畑に牛糞を埋めたり、飼料のコウリャンをそだてたりしていました。かれは理解のある方でさまざまに協力をしてくれます。(そのおかげで畑も貸してくれ、かれら夫妻が亡くなった後も息子さんもそのまま引き継いでくれています。借家のまま福生で人生をすごしてしまったのはこの I さんとのおつきあいの結果です。このところ流している画像はその畑からのものが多い。)

水着着用できなさいと、ある夏休み中のびじゅつクラブほし。
畑に長いホースで水をひいて泥のプールをつくる。
こわごわとつま先だけ入る子の姿を思いだしで懐かしい。饅頭をこねたり体中泥にまみれてむつごろうになったり。写真を眺めると底抜けにあかるい顔をしています。

5月の節句
以前の法事や結婚式には引き出物を包む薄手の風呂敷がありましたが覚えていらっしゃいますか。あの布に絵の具で鱗や鰓、目玉を描き、袋状に貼り尻尾を切って、竹ヒゴで口パクさせて鯉の吹き流し。空に連なり泳ぎます。

畑の大家さんが牛をかけばいいよと、生まれてまもない仔牛を軽トラにのせて運んできてくれます。近所の小学校が描きにきたことがあるといいいながら。彼は地域全体を考えているかただったなあと思いだします。昔はこういう方がいた。今は役所が高給取りになって、仕切って、勘違いもして、、。
仔牛の大きな眼と柔らかな鼻つらをおもいだす。子供たちがおそるおそる触れる手とともに。

畑から球根に土がついたままの水仙をぬいてきて、それを描かせる。長いので紙からはみ出す子にはもう1枚継ぎ足して、、とても良い絵ばかり何枚も。

外で写生をします。
地面に腰をおろし、、座れない子もいる。段ボールの御座布団にちょんと座って、、
あの子が描いた捻れたモチノキは大きくなって健在です。

せんだっての雪の日に画像を撮った雑木林でも何回か写生をした。八高線が通っていく。

国立の一橋大学へも遠征。xx教授が同期だと名をあげて事務所に電話を入れて。講堂を描く子、守衛所の建物も。大木も描きます。日常と異なる空間の良い緊張。ここへいった子はいないが東大早稲田中央明治電機大明治薬科自由学園女子美東京芸大国立音大とあちこちにとんでいきました。

できたばかりの昭和記念公園にも写生にいき、絵を描いた後は駆け回ります。

竹橋、近代美術館の常設展示もみました。そのあと科学館に入り、北の丸公園でお弁当をたべて鬼ごっこ。
上野の西洋美術館の常設展示にもでかけた。
小学校1年から6年までの集団十数人。まず館員のチェックの眼差しの中で、皆に話します。これらは代わるものが無い宝物。お金にしたらすごい金額でもあるけれど、と。触れると錆びたりするので禁止しているのだと、、館員に安心してもらってからの入場です。誤解されてチェックを受けると子供はことさら萎縮して絵をみることができませんから知恵を使います。まぁ礼儀でもありますが。
ルーブル美術館で、子供の団体を前に、1枚の絵から離れずに何10分も話しを続ける生生たちを何度もみたのでこちらも負けずに、、 
学校では教師に相手にされていない子が西洋美術館の『ナポリの漁師の少年』を前にしてこれが大好きだと何回もいう。年輩の館員が嬉しそうにほほえんでいました。外へでてから「ぼく連れて来てもらって本当に良かった。」と感謝してくれました。「絵を描かなければほんとうにいいところなんだがなあ」ともいってましたが。

皆が描いた絵は、公民館の展示場所や西友の階段、銀行の壁をかりて親や家族に見てもらいます。
その絵は卒業時に親の元へいきました。妙な批評を避ける為にすぐには戻しません。
また、お子が小さいから見える場所に控えていたいと思うようですがそれもお引き取り願い、帰りの時刻に再び来てもらいます。親の眼からはなれて個で私たちと相対してもらいました。

夏には一泊の合宿もした。今は廃止されましたが、東京都の青年の家が五日市、青梅、八王子北野、狭山湖、小金井とありました。管理が小うるさくなく、こちらのペースですすめられる有り難い施設でした。北野には元宮家の和風の建物に宿泊出来て良い経験をさせてやれました。五日市では水着になって川遊び。子が流れてきても良いように下流からながめます。岩から飛び降りたりすべったり、、
はじめて親元を離れねむりにつけづ、しくしく泣き出す子もいたりで私は睡眠不足でしたが充実した疲れでいた。

冬になると木版画を、3x6のシナベニヤをB4サイズに切り薄墨を塗り直に描いて彫刻刀で彫りすすめる。
彫刻刀を持つ右手に左手を添えるようにまず指導。刃の前に切れる手が無ければ全く心配ないよと。
題材は宮沢賢治から、、数週間前から連れ合いが読み聞かせています。1度2度。自分が描きたい場面を選ばせて、その部分をコピーして渡します。その場面を繰り返し読み聞かせ、紙に描いてもらい、指導もして、綿棒で板に描く本番です。
どんぐりと山猫、銀河鉄道、虔十公園林、セロひきのゴーシュ、、名作を鳥の子紙に手刷りしA4サイズの製本にして皆に渡しました。
今思いだしたが最初の2、3年は動物写真を見て、描き、彫りカレンダーにした。12ヶ月x人数分を馬連で刷った大仕事でした。アニマルライフという週刊冊子の写真がとても良かったのでこの版画集も名作です。

工作ものもさまざましました。木曽ヒノキの木っ端を持ち帰ったり、、ぜいたくを。

コンクールには一切出しませんでした。
賞を貰うのも外れるのもどちらも悪い影響がでるからですが。
よくあるコンクールの優秀賞はえを見なくても評をかけます。画面一杯に大きくかけて元気がある。色使いがとても良い、などなど。失礼ですが、 そんなもんです。
賞を貰うとその絵に縛られます。自分の絵をコピーしだす。何が良いのか良くわからずに。絵は描く技術ではない。モノを見る眼がすべてです。その見えたものをどのように表現しようかと悩むのが結果として技術になっていくのです。子供はそこを発明していきます。大人のあるいは社会のつまらぬちょっかい、評でじゃまをしなければ。


こどもびじゅつクラブほしは2人で教えてましたから、私一人の記述では足りません。というよりは連れ合いの指導力がずーと上でしたから、、しかし彼女は今いそがしくしていますから、私一人のおぼえがきとしました。

イメージ 1

「中途で逃げ出し不足だらけ 時々コメント欄に書き込みます」
と 昨日のno1の記事でかきましたが、
考え直して、新しい頁no2)no3)とつづけます。
まとまりがつかない雑感になりそうですがお付き合い下さい。

そこで書庫を新しく造りました。そこへほおりこんでいきます。
どうしてもリキがはいってしまい小うるさいとおもいますがご勘弁下さい。

no1記事よりの続き
>「造形の美」とは、形、色彩、構図といったそれぞれの作品がもつ固有の美しさ(三井記念美術館)

これでは造形の美について何も言ってないようだ。「形、色彩、構図」をそれぞれに分けて論ずるのは、対象物を鑑賞/価値判断するときに用いるひとつの方便、入り口に過ぎない。研究論文で比較検討するには必要なことでしょうが。

しかしそのモノの価値は、総合的に判断される。
この美術品は絶対的な価値がある、美しい、と。

絶対的とは他に類例がない、他が及ばないということだ。ぬきんでているといういいかたもある。
(それを判断する眼が教養というものでもあるが)
地球が滅亡しても、なんにも勝って、宇宙へ送り出しす価値が あるもののことです。

人類なん千年か続く、蓄積された文化を、それが体現しているのです。


これらの美術品が、美の基準なのです。

正倉院の品々、旧三月堂の諸仏、運慶の円成寺大日如来と東大寺南大門の金剛力士像、興福寺の無着世親像、ミケランジェロのサンピエトロ寺院のピエタ、ミラノスフォルツェスコ城のロンダニーニのピエタ等々、ゴッホの5年間の仕事、殷周銅器、ボッチチェリーのビーナスの誕生と春、唐招提寺の、、、
あかる

これらを見続けること
眼に、脳にインプットすること
そうすれば何が美であるか、美しいとはなにかがわかります。

超A級の一部でも理解出来るようになれば、その他のA級もわかるし、B級品を愛でることもす。できるのです。


休憩時間終了        続く




つづく

イメージ 1

『用の美』は、柳宗悦が提唱した民芸運動の要の論点です。

三井記念美術館のhomepageの美術館概要にはこう書かれています。
「造形の美」と「用の美」
展示室では、洋風建築の空間に、館蔵品を主体に日本および東洋の美術品を展示し、伝統的な「造形の美」を鑑賞していただきます。「造形の美」とは、形、色彩、構図といったそれぞれの作品がもつ固有の美しさです。
また、茶室「如庵」を再現した展示ケースでは、茶道具の取り合わせによる「用の美」をご覧いただきます。「用の美」とは、・用いる(もちいる)・美しさのことで、茶道具は使われているからこそ、また、取り合わせて使われるなかでその美しさが引き出されるということです。


「造形の美」と「用の美」を別々に相対するもののように論じているのは少し苦しい。「用の美」の中に新しい造形の美を見たのが柳宗悦だったんではないかとおもうのです。
工芸の展示パンフによく見かける「用の美」といういいかたで、とうぜん「造形の美」を語っているのだと思います。現今の 用 のもちいかたには、邪魔な、不要を省いた、シンプルなというイメージはありますが。


さて本題は「用の美」を語ることにあるのではなく、私のつくるものは不要のものかということを論じたいのです。
そんなものをつくって何になるのかと、最近は言われませんが、私が若かった頃にはいいいたそうな顔にずいぶんであいました。作品が完成まじかな時に何ができるのかといわれたことが何回もあります。
何の用にということでしょう。その方たちにとっては、不用のものをつくっているわけです。

三井の美術館概要もふくめてですが、ここには重要なことがかくれています。

『美しい』『美』とはなにかという、はっきりとした基軸がないのです。

『美』は不確かなもの、不定形のものではありません。
私たち人類が築き上げてきた確たるものが『美』です。

2/24のブログで『イタリア美術の500年』の序文を紹介しました。(書庫「本」のトップにあります)
そにでとりあげた13c〜19世紀のイタリアの美術品を、「...これらの作品群は、もし地球が滅亡の時を迎えたら、人間の創造性の証として宇宙へ運び出して保存すべき、人類の遺産ともいうべきものである。」とかかれている。
世界では、これが『美』であるという確たる基準があるのです。(だから絵1枚が何十億円もするのです。投機とは違うのです)
何が『美』であって、何が『美』にはなりえていないかは、はっきりしているのです。
今の日本にはそのことがわからないものが大多数です。原因は、学校教育に美術教育がないからです。
教育学芸学部が美術教育者を作る場所ですが、美術をおしえるノウハウを教えますが、それを教えねばならない意味はとわない。そこでは美、美しいなどという言葉は必要ないのです。だから日本社会では美の基準は混乱しているのです。

ちょっと面倒になったから途中下車して結論

『用の美』にたいして『美の用』なんてのでどうでしょうか



『美しい』を価値基準にとりこみましょう。
美しい日本などといった政治家がこの言葉にケチをつけたけれど、美しいは、日常のもっと現実的な行動に使わなければね。

美しい行動をし 美しいものをつくり 美しく生きる。 かっこいいね。美しくなれそうな気がする?

イメージ 1

イメージ 2

昨日はキ・アリシェフの誕生日でした。
青山フラワー....にミモザがあった。
さっそく活けて
なんとミロのヴィーナスに ご対面、、v
同郷の懐かしさ、彼女の表情が柔らかくなったように見えます。


銀座 資生堂のウインドウからギリシャ彫刻が、、
、ん ちと違う。 中に入って確かめて、、 表面を布で造形してある。
その道の連中はうまいもんだね。縦縞があるから少しはイージーだけれども。

映像ありませんが
一丁目の10番地?大塚家具の店舗に ザッキンの大きなブロンズ像が展示してあった。
いつもと違う一本となりの路地を歩いていて気がついた。
確認をしたくて 見せてといって店内に入る 。 本物だ。
木彫をブロンズに変換したものだと説明文にある。

すぐ近くの同じ1丁目にある北野建設にはマイヨールの彫刻もある。
 
銀座のビル外には空間の余裕が無いから気がつかないが、以外にあちこちに名品があるのだろうか。

イメージ 1

 菊畑茂久馬さんがとても感動的な追悼文をかいておられます。
 まず、今泉夫人からのはがきに使われた「カロンの舟」(春秋画廊1997年の個展での今泉さんの作品)のことではじまり、
 二人で出されていた『機関』「今泉省彦特集」1980 と 元旦に亡くなった田村治芳さんが出版した今さんの自伝本『ビック・パレード』からとことわり、彼の少年時代の経歴の紹介があり、
 1969年からの「美学校」でのつきあい。菊畑教場は1970から32年間毎月1回4日間の連続授業で九州から上京。今泉さんとの戦争画論のことや雑誌機関のことなど。

 他教場の生徒だった私には知らない話でした。ことに今泉さんは自分のことを話す人ではなかった。私の師は、彼は軍人の子だ とよく言われていたが それ以上のことは知りませんでした。菊畑さんの文章を読みながら、入院中、人気の無い広い廊下ををリハビリで歩く姿を思いおこしています。

 私が抜粋すると感動が薄れますし発行のご苦労をされている福住治夫さんにも失礼ですから。尻切れとんぼのようですがこのへんで失礼します。

<あいだの会>http://gekkan-aida.rgr.jp/ info@gekkan-aida.rgr.jp

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
contemporary Eat & Art
contemporary Eat & Art
非公開 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

標準グループ

art

登録されていません

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事