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画像はクスの新芽、八王子鑓水の多摩美構内です。
no.1のコメントに小学校の美術教育を批判的に記し つづく
でしたので責任を、、 今日は こども美術クラブ”ほし” の記憶を記します。
30才の頃、連れ合いと2人で美術塾を10年程しました。
原則、小学生のみ。入学直前の子も許可し、総勢十数人に教師が2人。
うちの子が幼稚園年長になった春からはじめた。
同じ幼稚園を卒業したばかり子と近所の子、駅前の貼ったビラを読んで自分で申し込んできた小2の子など。ほんどは親が選んできた子ばっかりでしたから、絵を描きたくて来た子は少なかった。
郊外の不便な場所なのに市立公立小学校7校の子らがいました。
お絵描き教室ではなくて美術クラブと名付けたように様々にトライしましたが、生徒皆が、絵がかける、絵を描く子になりました。
小3、小4とになってから入った子もいましたが皆、小学校の卒業まできてくれていました。
内容は書ききれませんがすこしおもいだすままに、、
裏の畑の大家さんは福生最後の牛飼いの方で、奥多摩街道からここまで歩けば30分もかかる畑に牛糞を埋めたり、飼料のコウリャンをそだてたりしていました。かれは理解のある方でさまざまに協力をしてくれます。(そのおかげで畑も貸してくれ、かれら夫妻が亡くなった後も息子さんもそのまま引き継いでくれています。借家のまま福生で人生をすごしてしまったのはこの I さんとのおつきあいの結果です。このところ流している画像はその畑からのものが多い。)
水着着用できなさいと、ある夏休み中のびじゅつクラブほし。
畑に長いホースで水をひいて泥のプールをつくる。
こわごわとつま先だけ入る子の姿を思いだしで懐かしい。饅頭をこねたり体中泥にまみれてむつごろうになったり。写真を眺めると底抜けにあかるい顔をしています。
5月の節句
以前の法事や結婚式には引き出物を包む薄手の風呂敷がありましたが覚えていらっしゃいますか。あの布に絵の具で鱗や鰓、目玉を描き、袋状に貼り尻尾を切って、竹ヒゴで口パクさせて鯉の吹き流し。空に連なり泳ぎます。
畑の大家さんが牛をかけばいいよと、生まれてまもない仔牛を軽トラにのせて運んできてくれます。近所の小学校が描きにきたことがあるといいいながら。彼は地域全体を考えているかただったなあと思いだします。昔はこういう方がいた。今は役所が高給取りになって、仕切って、勘違いもして、、。
仔牛の大きな眼と柔らかな鼻つらをおもいだす。子供たちがおそるおそる触れる手とともに。
畑から球根に土がついたままの水仙をぬいてきて、それを描かせる。長いので紙からはみ出す子にはもう1枚継ぎ足して、、とても良い絵ばかり何枚も。
外で写生をします。
地面に腰をおろし、、座れない子もいる。段ボールの御座布団にちょんと座って、、
あの子が描いた捻れたモチノキは大きくなって健在です。
せんだっての雪の日に画像を撮った雑木林でも何回か写生をした。八高線が通っていく。
国立の一橋大学へも遠征。xx教授が同期だと名をあげて事務所に電話を入れて。講堂を描く子、守衛所の建物も。大木も描きます。日常と異なる空間の良い緊張。ここへいった子はいないが東大早稲田中央明治電機大明治薬科自由学園女子美東京芸大国立音大とあちこちにとんでいきました。
できたばかりの昭和記念公園にも写生にいき、絵を描いた後は駆け回ります。
竹橋、近代美術館の常設展示もみました。そのあと科学館に入り、北の丸公園でお弁当をたべて鬼ごっこ。
上野の西洋美術館の常設展示にもでかけた。
小学校1年から6年までの集団十数人。まず館員のチェックの眼差しの中で、皆に話します。これらは代わるものが無い宝物。お金にしたらすごい金額でもあるけれど、と。触れると錆びたりするので禁止しているのだと、、館員に安心してもらってからの入場です。誤解されてチェックを受けると子供はことさら萎縮して絵をみることができませんから知恵を使います。まぁ礼儀でもありますが。
ルーブル美術館で、子供の団体を前に、1枚の絵から離れずに何10分も話しを続ける生生たちを何度もみたのでこちらも負けずに、、
学校では教師に相手にされていない子が西洋美術館の『ナポリの漁師の少年』を前にしてこれが大好きだと何回もいう。年輩の館員が嬉しそうにほほえんでいました。外へでてから「ぼく連れて来てもらって本当に良かった。」と感謝してくれました。「絵を描かなければほんとうにいいところなんだがなあ」ともいってましたが。
皆が描いた絵は、公民館の展示場所や西友の階段、銀行の壁をかりて親や家族に見てもらいます。
その絵は卒業時に親の元へいきました。妙な批評を避ける為にすぐには戻しません。
また、お子が小さいから見える場所に控えていたいと思うようですがそれもお引き取り願い、帰りの時刻に再び来てもらいます。親の眼からはなれて個で私たちと相対してもらいました。
夏には一泊の合宿もした。今は廃止されましたが、東京都の青年の家が五日市、青梅、八王子北野、狭山湖、小金井とありました。管理が小うるさくなく、こちらのペースですすめられる有り難い施設でした。北野には元宮家の和風の建物に宿泊出来て良い経験をさせてやれました。五日市では水着になって川遊び。子が流れてきても良いように下流からながめます。岩から飛び降りたりすべったり、、
はじめて親元を離れねむりにつけづ、しくしく泣き出す子もいたりで私は睡眠不足でしたが充実した疲れでいた。
冬になると木版画を、3x6のシナベニヤをB4サイズに切り薄墨を塗り直に描いて彫刻刀で彫りすすめる。
彫刻刀を持つ右手に左手を添えるようにまず指導。刃の前に切れる手が無ければ全く心配ないよと。
題材は宮沢賢治から、、数週間前から連れ合いが読み聞かせています。1度2度。自分が描きたい場面を選ばせて、その部分をコピーして渡します。その場面を繰り返し読み聞かせ、紙に描いてもらい、指導もして、綿棒で板に描く本番です。
どんぐりと山猫、銀河鉄道、虔十公園林、セロひきのゴーシュ、、名作を鳥の子紙に手刷りしA4サイズの製本にして皆に渡しました。
今思いだしたが最初の2、3年は動物写真を見て、描き、彫りカレンダーにした。12ヶ月x人数分を馬連で刷った大仕事でした。アニマルライフという週刊冊子の写真がとても良かったのでこの版画集も名作です。
工作ものもさまざましました。木曽ヒノキの木っ端を持ち帰ったり、、ぜいたくを。
コンクールには一切出しませんでした。
賞を貰うのも外れるのもどちらも悪い影響がでるからですが。
よくあるコンクールの優秀賞はえを見なくても評をかけます。画面一杯に大きくかけて元気がある。色使いがとても良い、などなど。失礼ですが、 そんなもんです。
賞を貰うとその絵に縛られます。自分の絵をコピーしだす。何が良いのか良くわからずに。絵は描く技術ではない。モノを見る眼がすべてです。その見えたものをどのように表現しようかと悩むのが結果として技術になっていくのです。子供はそこを発明していきます。大人のあるいは社会のつまらぬちょっかい、評でじゃまをしなければ。
こどもびじゅつクラブほしは2人で教えてましたから、私一人の記述では足りません。というよりは連れ合いの指導力がずーと上でしたから、、しかし彼女は今いそがしくしていますから、私一人のおぼえがきとしました。
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