Sculptor Gon Shinji WORLD

44年間生きた場所から移動中 住居は近場に確保 制作場所はあちこちに分散中

イタリア Italy

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

Facebookでみかけて、こちらにシェアさせてもらった。
川北秀也さんは昨年河北秀也 東京藝術大学退任記念 地下鉄10 年を走りぬけて iichikoデザイン30年展』されたかたで、地下鉄路線図もこの方のデザインだそうです。

オリンピックエンブレムの問題がおきてから、サントリーのトートバックなどの、「疑惑がある?」という記事をコメント無しで次々とシェアされて議題を世に問い、問題の判定はそれを見た方各自にまかせる、というスタイルをとられていた。

     この記事は別の方が雑誌のインタビュー記事をアップされたものを拝借
イメージ 1
(記事後半を抜粋)
 かって、あるシンポジウムで、イタリアのデザイナー複数に「デザインといえば何だと考えるか」と聞いたことがあります。すると全員、年代を問わず「生活や暮しである」と答えたのです。日本人なら彩や形と答えたでしょう。日本とは認識が違います。
 グッドデザイン賞をご存知でしょうか。あれはもともと、旧通産省の輸出局が管轄していました。僕はこの賞の審査員を十数年もやっていました。そもそもなぜこの賞がうまれたかというと、にほんがとにかく外国製品のまねばかりする時代に「オリジナルな製品には賞を与えて印をつけ、工業製品の輸出を伸ばしましょう」となったからです。それぐらい、かってはメイド・イン・ジャパンといったら全部まねだった。デザインとは何か、日本は今こそ深く考えて変わるべきです。

EU諸国、ことにイタリアは「生活や暮し」各人一人一人を考えることがすべてのことに優先しています。企業のため国の為ではない。それに対して日本は、集団的自衛権にしても個別的自衛権にしてもその議論は、個々の人、具体的な生活でなく、いろいろにとれる抽象的な概念「国」基調にしています。その上この「国」「国民」は、日本列島の住民総てを含んでいない。もう何十年も日本に生まれ生きてきた三世四世の在日の方は排除されている。
なんとかナショナリズムを払拭したい。
これから軍需産業が日本経済を牽引していく気配だ。誰の為の人生、誰の世界かを、上記のようなイタリア世界に学びたい。
http://it.yahoo.com/ をみると
地震の危険度マップが、

イメージ 1

赤色が危険度が高く、緑色は低い地域


次の頁には
『何故イタリアに地震が起きるのか』と
イメージ 2

アドリア海のプレート(アフリカプレートの一部)がユーラシアプレートの下に沈み込んでいる


そして
『震源』

イメージ 3

10日前のマグニチュード6につづいて
月曜の午前9:00 にまた揺れたようです。
ベネツィアでは彫刻が台座の柱から落下して通行人をかすめたとか、近くの町では液状化現象がとか、
先日のFinele Emilia と この日のMijandola はともにModena地域の町です。


先日の朝日新聞に、バルサミコ酢やパルミジャーノの農業が打撃を受けたとでていましたが、
実はそのことを知りたくてyahoo itを開いたら、このニュースだったのです。

イメージ 4
イメージ 9

これはすごい金額だぞ

あとの 写真も少しのせておきます。イメージ 5イメージ 6イメージ 7イメージ 8

やはり被災する人は 弱者が多いようですね。

お見舞いを申し上げます

イメージ 1

YAHOO JAPANのニュースで 伊北部で地震とある。 えっ伊那でとあわてて開いてみたら
イタリア北部のことでした。
ミラネーゼの友人がいるのでhttp://it.yahoo.com/を開いて辞書を片手に、、チビチビと、、

場所はエミリアロマーニャ州のモデナ県(comune)の Finale Emilia(人口約1万5千人の町)
6人死亡50人負傷半壊数十軒ことに教会が。避難は千人とありました。マグニチュード6(5.9とも?)

モデナは近郊にフェラーリ社の本社があります。創業者がモデナの出身。
イタリアは出身地に本社を置く企業が多くあり、東京へ一極集中する日本とそこが違います。
1万人以下の町の占めるめる割合がかなり多い(数字を忘れ、、)地方が元気です。
また12年もののバルサミコ酢の産地でもあります。バルサミコ酢はhttp://viteitalia.com/viaggioAcetaia05.htmがわかり易い。モデナはミラノからフィレッンツェへ列車でいく途中のボローニャ(最古の大学のある)の手前に位置する町です。

地震の画像拾ったのでアップしました。

イメージ 1

今回の個展は画廊に詰めたいとおもっています
空き時間が多いので本を読めるだろうと2、3冊もってでかけます。

昨日は羽村図書館から借りた本
『母なる地中海Medeiteranea Mere』ドミニック フェルナンデスDominique Fernandez99
フランス人のイタリアニスト 本書は1965に出版 イタリア南部/ナポリから南、サルデーニア、シチリアについての文明批評。

私達は75年8月初旬にミラノからメッシーな海峡を渡りパレルモに3?泊、帰りには、ナポリに泊り国立博物館やポンペイの遺跡を見てから、8月15日マリア昇天祭の日にはローマの宿でサンタマリアマジョ―レの鐘楼のカンパネーラの音を聞いていました。
思いだすのは
昔の旧盆の帰省列車と同じように荷物を一杯持った人に混じっての長時間の南部直行のこと、
パレルモの街角でみかけたマフィアのような雰囲気の男たち(普通の市民だったろうが)、
客はだれもいない中、わざわざ鍵を開けてみせてくれる美術館、あなたが危ないんじゃないかなと思うような人がボルサは脇に抱え込んでいないとひったくられるよと一生懸命に教えてくれた。

トラーパにへ向う列車から降りたセジェスタの駅、踏み切り番1人と私ら2名、ドイツ人の親子2名、そして駅舎と全山枯れ野の風景。ほかには何も無いシチリア。この駅にはインフォーメーションはもとより、地図も予定していたパンフもなにもなくて、しかたなく当てずっぽうで歩く。
じりじり照りつけるシチリアの陽ざしのなかを30分程のぼり道をいった頃に、どこからか車がくる。乗せもらい、すぐの一山を越した所にアレーナ(ギリシャ式野外劇場)跡があった。遥か下方に海を臨み観劇する。ギリシャにはじめて出会い感動する。
私達とドイツ人以外には人っ子一人いない場でみた神殿もとてもすばらしかった。

旅への出発前30日間を、abcから伊語をかじっただけの私でしたからイタリアは全く遠い国でした。しかし旅から帰ってからは、私達の文化に欠けているものをイタリアから学ぼうと本や映画に積極的に接するようにしています。ことに311以後の原発に対する態度のちがいの理由を知るべく
お勉強しています。


南イタリアに関するこの本は、私が上記の実体験しか無いので少々理解が、、、「輝ける青春」「マレーナ」「シチリアシチリア」「シネマパラダイス」「山猫」「ルスティカ カバレリーア」、、直近で『短篇で読むシチリア』、などからしか情報を得られないから尚更わかりずらい
ましてやサルデーニアにかんしてはなおさらです。
身近かな北イタリアをしるような訳にはいかないのです。


さて本題の「目から鱗が」は、

ミラノのカルチョのチーム ACミランはみなさんご存知でしょう。このミランという言葉は英語でしょう。トリノがチューリンというように。このミランというのはフランス語読みでもあります。

イタリアの諸都市名のフランス語化は18c世紀末、ナポレオン1世のもと強力な推進があった。と当書にあります。
ミラノはミラン、ナープルはナポリのこと、パレルム(パレルモ)チュラン(トリノ)リュック(ルッカ)ピストワ(ピストイア)などと。
フランス語化するのはその都市に対する敬意でそうするのだというけれど、帝国主義的な高慢な押しつけをしていたのだとこの著者はいいます。

日本も半島や大陸に武力で侵攻した時には日本語化した。そのうえ人の名前まで日本語に強制変更させた。金さんを金田さんのように。ナチ収容所では名前をとりあげて通し番号に。個人のアイデンティティや、その土地の歴史、文化を略奪した。無に帰すようにと。


米帝国一人勝ちをうけて英語だけが国際語になっているが、土地の名はその場所、その人たち固有のまま使っていきたい。
もっとも日本は平成の大合併で旧郡名などの固有名詞を自ら捨てて国際化?していってますが。
日本政府が推進しているTPPも、グローバル企業に道を譲り、必然的にその土地にあった作物を滅ぼしていきます。遺伝子組み換えで世界征服を目論むモンサント社のように。

人も文化も土地も生き物も、固有の生き方を否定され、一色端に扱われ、ひとくくりのコード化された無機的なものになるのです。
そして、手塚治の描く未来のように、放射能から身を守るシェルター都市の中で生きることになるのでしょう。
そのシェルターからはじきだされた人たち(私もふくめて)の物語はできるのでしょうか。それとも永遠に忘れ去られるのでしょうか。

イメージ 1

DVD 『明日を夢見て』

Giuseppe Tornatoreジュゼッペ・トルナトーレの監督作品
・『ニュー・シネマ・パラダイス』 Nuovo cinema paradiso (1989)
・『明日を夢見て』 L'uomo delle stelle (1995)
・『マレーナ』 Malena (2000) [私がだいすきなモニカ・ベルッチの主演です]
・『題名のない子守唄』 La Sconosciuta (2006)』[これが一番好きかもしれない。アドリア海に面した国境の.オーストリア帝国の重要な軍事港湾都市であった町トリエステ]
・『シチリア!シチリア!』 Baarìa (2009)

 トルナトーレを追い掛けているわけではないが5作もみている。シチリアがみたくて、結果こうなった。


 1956年生まれの彼が描くシチリアは、幼い頃を思いだしての郷愁のようなものだろうか。二次大戦前から戦後にかけての時代を舞台にした作品が多い。
 シチリアの州都パレルモの東10kmの場所に、海に面した5万人の町Bagheriaバゲーリア(『シチリア!シチリア!』の原題 Baarìaバーリアはシチリア方言)が彼の故郷である。そこでみた様々な人のたちの断片が彼の映画には散りばめられるのであろう。

 私が子供の頃の記憶を考えてみる。近所のおじいさん、お兄さん、行商の売り子の人、、さまざまに浮かぶ映像は、鮮明ではあるがその前後の状況とかその映像の意味するものとか関連づけられるようなものがなく、その映像だけがきりとられた一瞬の場面として出てきて、その事象の意味合いを納得するのには、これまでつちかった歴史の勉強とか社会学的な知識とかを動員して解釈することになる。彼の場合もそうであろうか。


 この映画には、彼の記憶に残る人々が多数登場する。
 映画俳優を発掘紹介するという詐欺師のカメラの前でさまざまな人が本音で話す。
孫を売り込む爺さん、台詞が覚えられぬ兄弟、セックス自慢話をする男、娘の代金を体で払う母親、『神曲・地獄編』をシチリア語訳で暗唱する曹長、イタリア統一のガリバルディシチリア上陸戦争の生き証人112歳の爺さん、スペイン市民戦争(対フランコ国際義勇軍)の話しをする老人、星空を話す羊飼い、ホモ、山賊の兄弟、警官、シチリアの作家ヴェルガの名前をだして同士だと思い違いをする共産党員、のちに署長になり彼を逮捕する警察官、マフィアボスの葬儀、かれをヂュークだと騙ス詐欺師、そして孤児のベアータ(至福という象徴的な名前)。町を出てローマに行くことを夢見る人たち。
 まるで文化人類学調査のようではないか。
 
 この人物たちは真実を話してはいるのだが、どこかお決まりの感がする。途上人物たちの選び方もふくめてなんだけれど。
 彼が少年の頃にみた人たち、記憶のかけらをつないだんだろうが、それを台詞で説明をする。その説明が、、、彼らの人生とほんとうに関係がある話しではなくて単なる夢ではないのか、、かれらの状況説明にはなっているのでしょうが。

 ここが彼特有のソフトフォーカスされた、甘い調子になっているんだろう。

 この映画は1995年のもので1989の『ニュー・シネマ・パラダイス』のすぐ後のものだから資料集めを映画に仕立てたものか。

 シチリアを知る一部にはなるのかもしれないが踏み込みが浅いので、、、、

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]


.
contemporary Eat & Art
contemporary Eat & Art
非公開 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

標準グループ

art

登録されていません

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事