Sculptor Gon Shinji WORLD

44年間生きた場所から移動中 住居は近場に確保 制作場所はあちこちに分散中

信州 Nagano-pref.

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松本市美術館から駅まで歩いてもどります
行きは正面の大通り、昔は路面電車が浅間温泉までは走り風情があったが、、残せなかったのかな

帰り道は裏にぬけて、、
美術館の隣りの東電ビルの北西角に
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飲用には御注意下さい、とかいてある。
自己責任でということでしょうか。
飲んででみたけれ硬水ではない。お茶を入れるのに良さそうな水でした



この下の画像の場所は観光の方もよっていらしゃる。
クラフトや骨董店人形展などの通りの一画にある
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美術館からここまでの間ではいたるところから水がでていました。
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信州安曇野日帰り

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いそがしく行き来したので車窓風景だけです
甲府盆地は霧というよりは霞が、春をつげていました。
烏が2羽で巣作りをしている。東京で見るのと違い健気で可愛いく感じられる。東京のからすも嫌いではないですが。

写真は塩尻に入ってから1枚
安曇野の田園風景を1枚
穂高のわさび田と堰の風景も
高校の頃の通学車窓からの風景と違って家が続きちょっとうるさく感じます。わさび田もビニールハウスの屋根で覆われて風情が無い。目の奥に残る景色、水とわさびの緑と、、、、、
安曇野にも春がはじまっていました。

穂高の先は松川村、いわさきちひろ美術館の別館が10年数年になりますか。
しなのまつかわ駅に、重要文化財の看板が、薄れて、、地元の人も知らなかったくらいですから、、
飛鳥白鳳の頃の小金銅仏があります。故久野健氏や故倉田文作奈良博館長らの書にかかれています。
この辺りに半島から移動した民が住みついたんでしょう。おそらく日本海の糸魚川からのぼってきた。糸魚川で日本海にそそぐ姫川の県境あたりが日本の翡翠ヒスイの産地。勾玉マガタマはここからでた石で、、帰化人(この言い方は?だと最近は)が安曇に住みついても不思議ではないとおもいます。安曇族は海洋の民だそうですし、ケンカタバミの紋も海のかんけいのようです。(今時めずらしいカナヅチですが。)重要文化財になるくらいですから出来はよろしい。秦氏の本拠地太秦広隆寺と同じポーズで、半島からもってきた像だろうとのことです。

脱線ついでに、
広隆寺の仏像は国宝1号で指定されています。同じ形式の韓国の金銅仏と顔がちがい、広隆寺のは日本的です。いつだったか京大生が抱きついて指を折ってしまい材質が判明しました。当時日本で使っていなかった赤松材だと。これが半島から由来の仏像だというひとつの理由になっています。
あるとき、学生社『仏像』久野健著 をみていてびっくりしました。この像の明治期の写真がのせてあった。お顔も韓国の像の系譜なのです。明治期に修理?で顔を彫ってしまったのらしい。(意図的なのだろうか??)東博の法隆寺館で本が読める場所があります。そこにも久野さんの別の本でもこの写真を見たことがあります。このことは皆うれしくないようで、ほかで話題を聞いたことがありません。


大町に入る高瀬川から西山(北アルプス)をみると降ったばかりの雪がみえる。
この辺りは積雪量が4km(一里)ごとにずいぶん変ります。
大町が30cmでも松川になると5cm穂高は0
逆に北へ向い仁科3湖の青木湖端の佐野坂が分水嶺になっているのですが、そこは1m近いつもりかただったりします。その北は、白馬村、小谷村、県境を越えて糸魚川へ向っています。

駅前の駐車場から東山を撮る
ここに山岳博物館が写っています。
この館に私の初期の木彫2体を寄託してあります。
日本の最初期の一本スキーや、切れて遭難したナイロンロープ(井上靖が小説にしている)、あるいはコマクサ園やカモシカなど。日本カモシカとアルプスマーモットをインスブルックの動物園の交換しています。
大町は戦前から登山の街としてしられています。駅の壁にこんなものもみつけました。
冬場になると遭難がニュースで大町の名をみかけます。

朝日新聞の天声人語を私は読みません。どこぞから孫引きしたような季節の、、文章を無理矢理つくる。入試に使われるというのが読者獲得の売りだからプレッシャーになっているのだろう。
私は「新聞を見る」とは言っても「新聞を読む」とはいいません。が、信州で新聞を読んできました。
先日アップした上野千鶴子さんの記事もそうですが、以下のコラム欄も読んでしまった。もっとも暇な時間も多かったのですが、でも日和見の朝日と違ってまともな記事だと思いました。
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斜面2012.1.23 (全文)
 大江健三郎さんがノーベル文学賞を受賞した際の講演は、「あいまいな日本の私」だった。表題が心に焼きついているのは、日本の歴史や文化の特徴を一言でとらえているからだろう。
 「今度飲みましょう」があいさつ代わりだったり、政治家の「検討します」が「やりません」だったりする。曖昧な言葉や態度が潤滑油になる半面、政治の停滞の背景になっているのでは...。そんなことを考えさせられる表現だ。
 最近では脱原発がある。多くの人が唱えているけれども、期限となると違いが大きい。例えば最短派は次のように主張する。事故や定期点検で現在9割の原発が止っている。再稼働を認めなければ、短期間に全基停止も可能だ、と。
 時間をかけ段階的に、と考える人もいる。ドイツは2022年までに全基廃炉、10年がかりである。野田佳彦政権は「脱原発依存」を掲げるが、肝心の期限が曖昧だ。「40年間で廃炉」を宣言したかと思うと、例外的に60年は運転できるとも述べている。
 仮に40年としても脱原発と胸を張れるか疑わしい。これに比べて消費税率は14年4月に8% 15年10月に10%と方針がはっきりしている。脱原発はうやむやに、増税は鮮明に、が野田首相の本心なのか。「曖昧な脱原発」に終止符を打つためには、期限を切った議論が欠かせない。このままでは原発事故そのものが風化しかねない。
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斜面2012..29(頭のみ) 
 約2600という数字の多さに驚いた。江戸時代から現在までに存在したか、存在している県内市町村の合計数だ。長野県図書館協議会編「新版信州ふるさと変遷史」2006年刊で名前と変化が分かる。...平成の大合併前..120...それが今は77市町村.. 


 私の出身地大町は昭和29年に北安曇郡常盤村、社村、平村と合併し3万人の市となった。平成18年には八坂村、美麻村と合併した。(が22年の国勢調査では3万人をわってしまった)
 南安曇郡の穂高町や豊科町などは安曇野市となり梓川村は松本市に合併し、南安曇郡は無くなってしまったが、北安曇郡は池田町松川村白馬村小谷村とそのまま残った。
 この北安曇という名称が先人の足跡を残しているようで愛着があり、大町市の上につけたいとつねずね思っている。

 各地の農協の名前が、例えば みどりのうきょう とか、どこにあるのかさえ判らないようなネーミングで、一体なぜこんなことになったのかと思う。
 今回の放射能汚染に際して産地を見ても例えばみどり農協ではどこだかチンプンカンプンで、クレーム逃れには良いのかと穿った見方をしてしまう。
 地名には歴史が刻まれている。それをほいほい捨て去るようでは、地方分権などといっても、東京発の政治や文化とあまり変わうことがないことでしょう。か?

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信州から戻りました
北安曇郡池田町から松川、そして大町へ。
高瀬川をわたるあたりから急に雪が増えます。
橋の手前を西へオリンピック道路を走ると、吹雪いている。
舞い上がる雪で視界が閉ざされのろのろ運転です。

雪の中の『いずみの小太郎』に会うため迂回した。

北アルプスから吹き付けるほうの顔面が雪に埋もれていました。

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上3枚は 信州 松本平
下3枚は 東京 多摩 福生

高速バスで日野松本間を行き来しました。
午后3時すぎに日野のバス停。6時に一人暮らしの叔母の家に寄る予定で高速松本出口の停留所で下車。暗い夜道を逆方向に向ってしまい1時間近く歩く。近道をと袋小路に入り込んだりでしたが、初めての所を歩くのは好きなので寒い夜でも平気です。もっともリュックザックには長靴を用意し、厚着もして用意は周到?でしたから。

朝、目覚めると松本平は雪が軽く降っていた。
大糸線で島内駅fotoから〜途中foto~信濃松川駅まで。
これは高校3年間の通学路線。そのころは足下の暖房が火傷をしそうなほど熱かったり外からの寒い風がふきこんだりの古い車両だった。
今は割合新しい型にこそなってはいたが、ワンマン運行で駅員のいない停車駅では運転手がキップを受けとるバス並みの感覚。ちょっと価値観のずれを感じたが、日本中どこでも車社会になったんだからと、そういえばあちこちのバス路線もなくなっているし、、この何十年かの変化を改めて思う。昨日の記憶は過ぎ去った世界なんだと。(それが良いとは限らなくても。)


午后用事をすませ穂高有明のそばやへ。
十数年前に始めたと「あさかわ」のご主人が。
彼はギャラリーもやっていたようで日彫展の洞沢さんの小品がある。松本の展覧会で一緒になったことがあるが90才すぎてお元気だそうだ。他にも飯山市の人形作家の作品や山岳風景の絵画もあり、県外ナンバーの車が何台も。ガラスの外には四十雀やメジロが枯れ葉の中をついばんでいた。
店を出ると山がすぐそこだ。 foto

松本まで送ってもらい高速バスで日野についたのが19時
雨が降っているので再び長靴をはきモノレールJRと乗り継ぎ牛浜駅に着いたころには雪が本降りとなっていた。foto  他人様からだと長靴の装備が用意周到にみえたことでしょうか。

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