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いそがしく行き来したので車窓風景だけです
甲府盆地は霧というよりは霞が、春をつげていました。
烏が2羽で巣作りをしている。東京で見るのと違い健気で可愛いく感じられる。東京のからすも嫌いではないですが。
写真は塩尻に入ってから1枚
安曇野の田園風景を1枚
穂高のわさび田と堰の風景も
高校の頃の通学車窓からの風景と違って家が続きちょっとうるさく感じます。わさび田もビニールハウスの屋根で覆われて風情が無い。目の奥に残る景色、水とわさびの緑と、、、、、
安曇野にも春がはじまっていました。
穂高の先は松川村、いわさきちひろ美術館の別館が10年数年になりますか。
しなのまつかわ駅に、重要文化財の看板が、薄れて、、地元の人も知らなかったくらいですから、、
飛鳥白鳳の頃の小金銅仏があります。故久野健氏や故倉田文作奈良博館長らの書にかかれています。
この辺りに半島から移動した民が住みついたんでしょう。おそらく日本海の糸魚川からのぼってきた。糸魚川で日本海にそそぐ姫川の県境あたりが日本の翡翠ヒスイの産地。勾玉マガタマはここからでた石で、、帰化人(この言い方は?だと最近は)が安曇に住みついても不思議ではないとおもいます。安曇族は海洋の民だそうですし、ケンカタバミの紋も海のかんけいのようです。(今時めずらしいカナヅチですが。)重要文化財になるくらいですから出来はよろしい。秦氏の本拠地太秦広隆寺と同じポーズで、半島からもってきた像だろうとのことです。
脱線ついでに、
広隆寺の仏像は国宝1号で指定されています。同じ形式の韓国の金銅仏と顔がちがい、広隆寺のは日本的です。いつだったか京大生が抱きついて指を折ってしまい材質が判明しました。当時日本で使っていなかった赤松材だと。これが半島から由来の仏像だというひとつの理由になっています。
あるとき、学生社『仏像』久野健著 をみていてびっくりしました。この像の明治期の写真がのせてあった。お顔も韓国の像の系譜なのです。明治期に修理?で顔を彫ってしまったのらしい。(意図的なのだろうか??)東博の法隆寺館で本が読める場所があります。そこにも久野さんの別の本でもこの写真を見たことがあります。このことは皆うれしくないようで、ほかで話題を聞いたことがありません。
大町に入る高瀬川から西山(北アルプス)をみると降ったばかりの雪がみえる。
この辺りは積雪量が4km(一里)ごとにずいぶん変ります。
大町が30cmでも松川になると5cm穂高は0
逆に北へ向い仁科3湖の青木湖端の佐野坂が分水嶺になっているのですが、そこは1m近いつもりかただったりします。その北は、白馬村、小谷村、県境を越えて糸魚川へ向っています。
駅前の駐車場から東山を撮る
ここに山岳博物館が写っています。
この館に私の初期の木彫2体を寄託してあります。
日本の最初期の一本スキーや、切れて遭難したナイロンロープ(井上靖が小説にしている)、あるいはコマクサ園やカモシカなど。日本カモシカとアルプスマーモットをインスブルックの動物園の交換しています。
大町は戦前から登山の街としてしられています。駅の壁にこんなものもみつけました。
冬場になると遭難がニュースで大町の名をみかけます。
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