Sculptor Gon Shinji WORLD

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信州 Nagano-pref.

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松本訪問記事をアップし終わったと思っていましたら、これが抜けていました。
夏シーズン到来で信州に行かれる方もいらっしゃるでしょうからと写真だけでも乗せようと思います。

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明治初期の疑洋風建築

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木の細工なので興味深いのです
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内部へ
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   建築の棟梁
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明治天皇巡幸の際の休息所の一部屋もある
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松本城 その3

松本訪問シリーズ 松本城その3
投稿する当事者が飽きてきたとは呆れた者ですが最後のおつきあいを。


まず1999年再建の「太鼓門」
城の東、市役所前の堀割から入場しました。

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門をくぐり振返るとこのような形になっていました。
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壁には矢狭間と鉄砲狭間が、まるで見本のようにお行儀よく並んでいます。
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真っすぐに突入出来ずに鍵型にまがった先が太鼓門


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この石が玄蕃石(げんばいし)いわくのある石のようです

以下ネット検索で見つけました
松本城築城の際の石材は山辺山・浅間・岡田から切り出されたようです。
二の丸太鼓門にある巨石を「玄蕃石」と呼んでいますが、この石について人々の酷使にまつわる話が残っています。
築城の際、井深村(岡田)に有ったこの石を城普請のために運搬させようとした時、人夫の一人に苦情を訴えるものが一人いた。
それが城主石川玄蕃頭康長の耳に入った。
康長は怒って多数の人々の前面に呼び出し、たちどころに首をはね、槍の穂先に貫いて先頭にたて、みずからはその石の上に飛び乗って「ものどもさあ引け!」と命令をして運搬させたものだという。
だれいうとなくこの石を玄蕃石と呼ぶようになった。
松本市誌第二巻歴史偏近世より引用
かなり残酷な話ですが、石川氏が改易された後に入封した小笠原秀政は他村他領や山中に逃散した農民の帰村を促す還往策をとっていることからも、城普請に農民などがかなり人足としてかり出され無理な仕事をさせられていた事が窺えます。
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梁に使われた樹齢140年の赤松の切り落としが展示されていました
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⑥薄緑色長方形枠は、合図の太鼓がならされた場所のようです  



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木造
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漆喰壁
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材木の見本
鍛冶屋が鍛造した鉄釘
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終わります お疲れ様 ありがとうございました 

松本城

木曽谷南部で土砂災害が出ていますが木曽町日義の毎日の雨量はそれほどではありません。
最近の天候は局地的に変化が現れて予報では分かりにくい。時々空を眺めて判断しています。(この地域は初心者ですが)

さてお城紹介をごく普通にしてみます

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   北側より  旧開智小学校との中間の駐車場に駐車 

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南東ヨリ

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黒門より入場

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無料サービス ご一緒にお撮りします
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入り口について見上げる?
石垣を登ろうとすると石落しから岩や弾丸が飛んでくるのでご注意を!

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歴代城主

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では中を一部ご紹介
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2階

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正面の角窓は鉄砲狭間
鉄砲狭間,矢狭間25カ所
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内側が黒漆で塗り固められています 
そういえば松本城の別名を烏城と言いましたね

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千鳥破風の内側
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階段が急です。一段の高さも私の膝頭ほどもあり大変です。

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天守閣につきました。戦闘寺には望楼として使われるので四方を見渡せます。

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すべてが木づくりなので心身が落ち着いてきていました。
その場では気づかず記事にしながらハッと思いつきました。

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前記事の鉄砲蔵での銃展示紹介から漏れたものを追加します
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この装備のうえに槍や鉄砲を持ち肉弾戦・・歩兵は大変だ
明治になって維持出来なくなり競売にまでなりそうだったのにこんなお宝の山が展示されていました。
 このコレクションは松本出身のご夫妻が寄付されたものでした。

 ゆっくりする時間が少なかったので、撮りためた写真をこれから眺めようとかとおもいます。



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                      小筒   銘  天保二年 佐倉臣国友忠之作           
全長98.4cm 銃身長65.2cm 口径18.9cm 重量6.5kg
(やっと読み取りました。やはり重いもんですね)

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彫り込みが良い

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レボルバー 米国製
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口薬入れ 管打式鉄砲も、着火を完全にするため、雷管とともに口薬をもちいた

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管打式銃(脇差鉄砲)全長 357mm 銃身長 176mm 口径 9.2mm  重量 0.4kg

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管打式銃(匕首アイクチ鉄砲)全長 217mm 銃身長 89mm 口径 7.5mm  重量 0.3kg

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指火式銃(十手鉄銃)全長 317mm 銃身長 157mm 口径10.0mm  重量 0.6kg

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指火式銃(二連発手中筒)全長 125mm 銃身長 110mm 口径 7.8mm  重量 0.3kg

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下 大筒  
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火縄 木綿
敬白起請文前書之事 
砲術の秘伝をうけついだ上は、決して他へは漏らさないことなどを誓った起請文である。
寛文二(1662)年から貞享四(1687)年まで、約25年間にわたって、門弟たちの名前が書かれ、血判が押されている。


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鉛の弾を鋳込むのはご婦人がたの仕事出そうです。

彫刻家なので木彫の資料に画像をファイルします。
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石仏の道祖神は松本平一帯から諏訪、甲州、相模のあたりにはかなり点在しています。
 佐渡から相模へと向かうこの地域は、中世から江戸時代にはつながりのある地域だったような気がしています。前記事の木喰僧の一派が洞窟修行や作仏行をし念仏行を広めたその活動地域でもありました。徒歩で動いた時代だと考えれば日本海から太平洋へ抜けるこのルートはそれほど難しい行程ではなかった様にも思われます。関西が中心だった時代の若狭、近江、京、奈良ルートがメインルートであったように、江戸の町が中心となり、佐渡に金山が見つかるとこのルートも全くの裏街道ではなくなったのではないのでしょう。

初市に使われた舟があります
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同じ台座に
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菓子型も展示してある
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文字を写し損なった

これはこの地方の七夕人形で子供のお古の浴衣などを着せて吊るして飾る
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この下のは天の川を渡す役割の人形
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次のは別バージョン
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木彫ではないが こんな絵馬もあった
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さいごに松本手鞠を
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町中にも
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他にも深志神社に関して舞台(屋台)など、いろいろ展示がありましたが、博物館記事は終わります。

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