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山の天気は変わりやすい
真夜中に激しい雨が降り、日中は止む時も多く、陽が射す時さえあるので作業を続けている。水道管を探し出すための穴掘りなのだが、湿った土が重く捗らぬ。その上新たなルートさえ現れ、さながら地下都市の様相さえ漂わせる設備屋家業だった義父の世界が現れいで、穴掘りの苦労は飛んでしまう。
今日は一日中雨降りが続き、松本探訪写真を整理する時間を持つことができた。
市立博物館の今回の企画には多種類の伝承品が並べられている。
その中にこの像があった。
木食明阿上人像 彫刻シンポを計画する切っ掛けとなった江戸初期の作仏僧木食山居の師にあたる。
松本出身の木食山居は、子守りの時に謝って井戸で死なせてしまい死のうと思っていたところをこの寺の僧に拾われ仏門にはいることとなった。
その弾誓派の本拠地の寺は、現松本市立美術館近くにあった念来寺といい、明治三年の廃仏毀釈の際に廃寺となった。時の鐘を告げていたためか鐘楼だけは今に伝わる。
最後の松本藩主戸田家の激しい廃仏毀釈がこの説明文に書かれています。
もうひとつ文書が展示されてた
廃寺された念来寺の仏像は松本藩領外へ避難、松本市郊外和田の西善寺に運び込まれいまでも大切にされている。
松本平の北端の大北地域には重要文化財の仏像が残っていますが、安曇野市や松本市にほとんど存在しないのはこの戸田氏の無謀な政略から蒙った被害によるものだと思われます。貴重な文化遺産が損なわれたことは、空白の歴史をもたざるを得なくなったこの地域の不幸です。
『イタリア美術の500年』の序文の、「これらの作品群(この書が扱ったルネッサンスを含む14c−18cの作品をいう)は、もし地球が滅亡のときを迎えたら、人類の創造性の証として宇宙へ運び出して保存すべき、人類の遺産というべきものである。」という格調高い宣言を、明治政府のそして現代までの、政治をするもの達にきかせてやりたいものだ。
www.oshiro-m.org/tanbou/20100211.pdf
blogs.yahoo.co.jp/k_i_a_r_i/30961116.html
この江戸時代初期に宗派に属さずに民衆の支持を受けながら活動をつづけていた遊行作仏の弾誓派の木食僧たちに関してすばらしいブログをみつけましたので、興味をお持ちの方はこちらをご覧下さい。宮島潤子氏と五来重氏を勉強されており、私の知る範囲では正確を記されているように思います。
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