Sculptor Gon Shinji WORLD

44年間生きた場所から移動中 住居は近場に確保 制作場所はあちこちに分散中

信州 Nagano-pref.

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 山の天気は変わりやすい
 真夜中に激しい雨が降り、日中は止時も多く、陽が射す時さえあるので作業を続けている。水道管を探し出すための穴掘りなのだが、湿った土が重く捗らぬ。その上新たなルートさえ現れ、さながら地下都市の様相さえ漂わせる設備屋家業だった義父の世界が現れいで、穴掘りの苦労は飛んでしまう。
 今日は一日中雨降りが続き、松本探訪写真を整理する時間を持つことができた。
 
 市立博物館の今回の企画には多種類の伝承品が並べられている。
 その中にこの像があった。
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木食明阿上人像
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 彫刻シンポを計画する切っ掛けとなった江戸初期の作仏僧木食山居の師にあたる。
 松本出身の木食山居は、子守りの時に謝って井戸で死なせてしまい死のうと思っていたところをこの寺の僧に拾われ仏門にはいることとなった。

 その弾誓派の本拠地の寺は、現松本市立美術館近くにあった念来寺といい、明治三年の廃仏毀釈の際に廃寺となった。時の鐘を告げていたためか鐘楼だけは今に伝わる。


 最後の松本藩主戸田家の激しい廃仏毀釈がこの説明文に書かれています。
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 もうひとつ文書が展示されてた
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廃寺にされた寺が再興出来たので以前の檀家が加わったことの証しの調印




 廃寺された念来寺の仏像は松本藩領外へ避難、松本市郊外和田の西善寺に運び込まれいまでも大切にされている。
 松本平の北端の大北地域には重要文化財の仏像が残っていますが、安曇野市や松本市にほとんど存在しないのはこの戸田氏の無謀な政略から蒙った被害によるものだと思われます。貴重な文化遺産が損なわれたことは、空白の歴史をもたざるを得なくなったこの地域の不幸です。


 『イタリア美術の500年』の序文の、「これらの作品群(この書が扱ったルネッサンスを含む14c−18cの作品をいう)は、もし地球が滅亡のときを迎えたら、人類の創造性の証として宇宙へ運び出して保存すべき、人類の遺産というべきものである。」という格調高い宣言を、明治政府のそして現代までの、政治をするもの達にきかせてやりたいものだ。




この江戸時代初期に宗派に属さずに民衆の支持を受けながら活動をつづけていた遊行作仏の弾誓派の木食僧たちに関してすばらしいブログをみつけましたので、興味をお持ちの方はこちらをご覧下さい。宮島潤子氏と五来重氏を勉強されており、私の知る範囲では正確を記されているように思います。
松本城の入場券に博物館の入場券も付いていました。
私どもは最初から入る予定でしたので得した気分でしたが、お城で会った方の大部分は素通りだった。

特別展:松本城下町の繁栄・祈り・信仰ー天神様400年ー (7/21まで)
松本には詳しくないのでちょうどいい機会でした。
が、歩き回ってへろへろで、頭のチェック機能も数十パーセント。改めて画像を見直してみると、もったいなかったなあと反省。仕方ないですが。

色々あり過ぎてまとめ記事になリませんが、
まずは

ナギガマ
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薙鎌
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深志神社には諏訪明神と天神の両者が祀られているようです。

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この薙鎌というのは諏訪大社の神事に欠かせないもののようです。
中沢新一さんの本の中で知り興味はあったのですが、いきなり目の前に出てくるとは驚きでした


この機会に少し調べてみました


諏訪大社御柱祭の薙鎌について-日室・戸土・金丸の祭事を追って-    1997年 近藤信義


 私の不正確な記事よりも少し長いですが引用を [八十二文化財団の信州の伝統文化財の頁から]
 新潟との県境、北安曇郡小谷村に伝わる神事です

信州の伝統文化・長野県無形文化財  式年薙鎌打ち神事ー薙鎌を打ち込み風雨鎮護国土の平安を祈願する

 薙鎌打ち神事は、諏訪大社式年造営御柱大祭の前年にあたる丑年に小倉明神で、未年に境の宮諏訪社で行う。古くは、信濃の国境を示し、諏訪明神の神威の直接及ぶ範囲を示す神事であったという。
「薙鎌」は鶏のトサカのような形をした諏訪明神の神器のひとつ。諏訪神の信州開拓の象徴であるとか、また「なぎ」が「凪ぐ」に通じることから風雨鎮護、諸難薙ぎ祓うの意味ともいわれる。
丑年と未年の8月最終日曜日に奉告奉献祭が執り行われる。諏訪大社宮司が、随員とともに大宮諏訪神社へ参向する。神輿とともに薙鎌一口を収めた唐櫃が庄屋太田家から出発。同社へ着くと、祭儀の折に諏訪大社随員が、唐櫃から薙鎌の入った箱を大社宮司へ捧げる。大社宮司は、これを奉持し、所定の座へ進んで大宮諏訪神社宮司へ渡す。拝受した大宮諏訪神社宮司がこれを神前に奉献する。
奉告奉献祭の翌日、薙鎌打ちの神事が行われる。早朝、もう一口の薙鎌の入った唐櫃は、丑年は小倉明神、未年は境の宮の氏子総代らが担いで神社へ向かう。神社へ到着し、奉献祭と同様の授受が祭儀の折行われ、一旦神前に献ずる。薙鎌を奉持した宮司を先頭に大社宮司、随員と神木に向かい、諏訪大社宮司が薙鎌を受け取り、神木の前へ進んで、木槌を受け取って薙鎌を打ち込んでいく。打ち込み終わると、神職全員が祓詞(はらえことば)を奏上する。
神木には、歴代宮司の打ち込んだ薙鎌が残っている。

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またこんなのを見つけましたイメージ 5

この神長官守矢史料館の建物は建築家・藤森照信氏イメージ 6


御柱祭に用いられる決定がなされた樅の木にも薙鎌が打ち込まれるそうです。神意の象徴のようなものですかね。






 松本市内の飴屋さんへ寄ろうと思っていたが、19号線を北上してこの前を通ったので急遽Uターン
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 長野方面に向かって左手に店がある。この先の新橋交差点を左折すると豊科穂高大町白馬方面です。

 奥で飴をつくっている最中のようで、店にはどなたもいません。
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          この棚にこんなものが
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店内にはこんなものもあります。
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板の飴を買う。その包装紙と、いただいた昔の包み紙です。
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創業の嘉永年間というのはペリーが来航した幕末です。


飴の写真が無いので以下でご覧下さい。
ことに下のは実際の製法紹介までされています。


2014 年7月3日松本探訪
新橋屋飴店(創業嘉永年間1850前後)> 松本深志高校 > 自然村産直の店 > 旧司祭館(明治22)> 重要文化財旧開智小学校(明治 9年)> 昼食(しずか)> 国宝松本城 >松本市博物館 > 清水中学校 

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この案内板は松本城にあったもの
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     旧司祭館(入場無料)  松本市立図書館  旧開智小学校切符売り場

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   アーリーアメリカン(コロニアル植民地様式)と説明がある

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入り口石段
年月で角が取れて暖かい感じになっている。上りきったところが床面。たっぷりと床下がある。なぜ?

各部屋に暖炉がある
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浅いけれど部屋が狭いからこんなものだろうか。
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この部屋のだけは調理用の異なる形のものが設置されていた。

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内部でどのように繋げてあるかは分からないが・・煙突がある。

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アーリーアメリカンの建築様式を調べようと検索したが、不動産家屋や家具の販売頁ばかりで・・・そのうちに図書館で調べよう。
廊下や階段、家具調度が木製で美しい。オーク楢だろうか?


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座面の下は収納スペース

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北側のテラスに
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轆轤ロクロ師の出番ですね

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ミニュチュアハウスが何なのか、説明が無いので?

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机の天板は杢が見えるが古びてしまい材種が分からない。修復ないかなあ。
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椅子の背もたれ部分の装飾
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これは暖炉の装飾部分です

信州より戻りました


3/5午前 信州木曽町日義 さんさんと雪が降り

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雪い重で 樹の枝も折れそうなほどでした
 
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前の道路は朝の早いうちから除雪車が通り、
家の前にかかれた雪が積まれ、それをどけるのが一仕事です。


狭い道の住宅道路迄きれいにしていました。
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午後は雨に変わりだいぶ溶けてくれました

その前日3/4は春の陽気で
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木曽駒も
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1月2月の寒い時期にはお山の風が強いせいでしょうか降った雪も飛ばされてこんなに白くなかったといっていました。

斜面の雪が溶け凍ってそのアイスバーンが陽光をはねかえし光っていました。

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私はこの時期の木曽は初めてで、変わる景色を楽しんできました。


3/1安曇野からの車中では 春を感じて楽しんでいました。
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今回の信州行きは、私が出案した
長野県元気つくり支援金という補助金申請の予算案の説明に呼び出されてです。

最終決定は4月末から5月の連休後で、それまではすべて自腹。自営の美術家にはつらい。



  

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2/27松本

   そして28日朝 一人暮らしの92になる叔母の家をあとにして大町へ。

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木の根が開く というのだと地域紙に出ていたが、知らなかった。

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島内駅から大町駅へ

   大町駅前にシナの木が植えられていた
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子供の頃の大晦日に4カ所のお宮に初詣に回った。

  駅への帰り道。路地を入るとその神社があります。久しぶりに寄ってみました。
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ほかは若一王子神社と大黒天と竃神社(荒神様)だとわかっていたのだけれど、ここがなんの神社なのかは知らなかった。
説明板を読むと御師がこの辺りに住んでいたということです。今は飲みや街の一角です。昔は映画館もありましたが、、 バーは相変わらず何軒もありますが。
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今日は道路の雪はすっかり溶けていた。高速バスで昼頃帰京しました。
今度の会場への展示は少な作品量なので、明日ゆっくりと準備します。


あっ それよりも案内状の宛名をこれから大急ぎでしなければ、、、わすれていたぞい



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