Sculptor Gon Shinji WORLD

44年間生きた場所から移動中 住居は近場に確保 制作場所はあちこちに分散中

信州 Nagano-pref.

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 昨年秋からこの計画の準備をしています。出身地ではありますが在住者ではないので大変です。高校の同級生だった元新聞記者が数年前からこの地区の住民となっているので彼の助力を得て進めています。あと数人かの助けもあります。
 2月初旬に市町村の窓口経由で県の事務所に申請書を出して、ヒヤリングも受け審査待ちとなり恐らく5月に結果が出ます。
 私の自己資金がないのでその結果に寄って計画の縮小をせねばなりません。
 メインの彫刻現地制作は何とかできるように勤めますが彫刻家が3名ほどになる可能性は覚悟しています。最悪、私と欧州から1名でも大丈夫でしょうが、予算も決まらないうちに欧州からの招聘作家に声もかけづらいのでどうなりますことやら。

 最初は木喰上人に因んで木彫コンクールを、、と計画を始めたのですが、賞金がどこからも見つけられそうになかったので変更。以降、(頭の中で)紆余曲折をへて、以下のような筋書きを正月の三が日に作り上げました。ネット環境のないところで作ったので印刷はPDFになおしてセブンイレブンでしたのです。

 木を彫り出しているといつも他のことは後回しになるので、書類作成から逃げられないようにとこの文章をアップすることにしました。


PLAN AZUMINO WOOD SCULPTURE SYMPOSIUM
安曇野彫刻シンポジウム
はじめに
 信州北安曇の3カ所の社寺に、九体の重要文化財に指定された仏像が残されてきている。   
 松川村観松院の金銅弥勒菩薩半跏思惟像は、朝鮮半島百済からの渡来仏であり、本邦最古の6cにも遡りうる仏像である。大町市八坂藤尾の覚音寺には、仁科氏により奉納された1179年供養の千手観音立像、1195年の銘を残す多聞天、持国天立像があり、鎌倉時代はじめの息吹を伝えている。また、大町市社宮本にある国宝指定の神明造り社殿の仁科神明宮には鎌倉から室町時代の世界認識、神仏混交思想を物語る貴重な文化財である『御正体』と呼ばれる、天照大神の鏡面を光背とした大日如来像がある。 
 近世に入る天正から江戸時代に変わる頃のこの地方には、弾誓上人の足跡が記録に残り、江戸期を通してその木喰行、念仏行、作仏行を行う遊行僧の集団が活動していた。 その中でも、1724年に大町市九日町の弾誓寺観音堂に入定した弾誓六世木喰山居故信の残した仏像の数々は異彩を放っている。 池田町浄念寺の如意輪観音像や大町市南原六角堂の聖観音像、天正寺等の寺院やこの地域の民家に守られてきた仏像の数々は、万体作仏の願をかけた木喰行者達の活動の跡を伝えている。また、松川村雲照院の弾誓五世長音作の阿弥陀三尊像も田園の光の中に静かに鎮座している。
このシンポジウム開催にあたり
 日本列島の構造体の変換点であるフォッサマグナ大地溝体に存する安曇野は、その昔淡海であり、その地を泉の小太郎が親龍と共に東山を穿ち平野となしたと伝わる。 その後どのような変遷を経たのか定かでないが 、戦後のいち時期まで林を切り開く開墾がつづき、今は一面の田園風景が広がっている。平地の樹木は鎮守の森か屋敷林に残るばかりであるが、低山岳帯の東山の落葉広葉樹林や、北アルプスからの高瀬川、乳川や烏川の扇状地に広がる松林はこの地を流れる重低音となり、人びとの命の源となっている。

 史上、最も豊かな生活を享受しているこの時代に311の大震災と原発事故を経験し、消費を至上とする今の経済活動をそのまま続けていくことでいいのかと様々な動きが始まっている。
 そのひとつにエネルギー循環型の社会を目指す考えがある。
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 植物が地上に現れ大気や気象が安定し、地球は生きとし生けるもの達の楽園となってきた。しかし人間の経済活動はとどまるところを知らずして、大気の汚染や地球の温暖化を促し、最近の激しい気候変動や生物種の減少といった危機をまねいてきた。
 エネルギー循環型の社会とは地球に負荷をかける経済活動を転換しようという考えであるが、瞬時に地球の裏側とも語りあえるボーダレスのこの時代に、その対極ともいえる鎖国社会であった 江戸期の資源循環型社会をそのまま選択することもできない。(藩外や海外との人や物の移動交流があり完全な封鎖社会ではなかったけれども )
 ここにひとつの提案がある。
 生きること最長にして育つこと最大の生物である樹木の命に身を預けてみてはいかがだろうか。私たちは地球の守護神、彼ら樹木からのギフトをあたりまえのこととして気がつかない生活を続けて来過ぎたのではないだろうか。
 落ち葉が雨樋を塞ぐからと苦情を言う前に、一本のかの樹がその何万枚の葉でどれほどの空気を浄化し、また、その周囲の温度をどれほどに調整しているか、数キロにも及ぶ地下の根が大地を安定させ、何百年もの間つもった落ち葉の層が水を浄化し水量調整をしているのかに耳を傾けるべきだと思う。
 西洋は石の文化で日本は木の国だと当たり前のように思っているが、今の私たちの生活の中で、合板という工業製品を除くと木のものは割り箸か楊子くらいしか見当たらないというのが都会生活であり、いまの日本は木の文化と言うよりも石油製品の国、石油資源を消費することで成り立っている文化である。
 かように地球の守護神、樹木から、自然から離れてしまった生き方を不安に思う。
 そこで、木の声に耳を傾け人生を送ってきている美術家を招聘し、木の彫刻家がいかように木の声を聴き刻んでいくのか、公開制作し、展示し、木彫講座指導をし、また有識者も招き公開の討論会を開催し、これら一連の経験をとおして、真摯に樹木の声に耳を傾け、樹木からのさまざまなギフトを、これからの生き方の基本に据えようではないかという風潮を促す一助にしたい。

 森の洞窟で修行した木喰行者集団は、この樹木からのギフトに守られて千体万体の仏像を刻み安曇のお堂に安置した。そしてこの仏像をとおして、森の、樹木からのギフトを感受した人びとは明治維新の廃仏毀釈の大嵐をも乗り超え大切に守り続けて来た。
 縄文、飛鳥、平安鎌倉室町、江戸の息吹を残すこの安曇の地に流れる、私たちの文化的な遺伝子に気づき、新たな世代に向けた、新たな時代への取り組みへの揺るぎない心の支えとしたい。
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PLAN AZUMINO WOOD SCULPTURE SYMPOSIUM

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その他特筆事項
 1)欧州アルプス地域から、木の作家を招聘する。2)韓国或は中国台湾から、木の作家を招聘する。(不定)3)信濃の国でシナノキを用いて彫刻家たちが技を競い合う。
 信州には信濃明科蓼科などシナの名のつく地が多く見られる。おそらく平地が森であった縄文時代には到る処にこの樹が繁っていたのでしょう。そして縄文時代にはシナ布として利用されてもいました。
 そこで、この地の先住のものたちであるかれらに敬畏を表してこれを用いることとします。また欧州からの作家にとってもこのシナノキは興味深い木だと思います。リンデンバウムはシナノキの近縁であり、ドイツ歌曲「冬の旅」にもあるように、城門外の泉に沿いて繁る菩提樹~と、そこは恋人達の語らいの場にもなっている。欧州の人びとにとって大層親しみのある樹で、またリンデンのハーブティーは安らかな眠りに効果があると好まれてもいる。

次年度宇以降の展開
 来年度は大町市、再来年度は松川村で開催を計画する。場所等未定ではあるが、森をベースに据える国定公園も候補のひとつとする。
 現地制作をベースに据えて、3市町村の仏像を巡るツアーや市民木彫講座、そして樹について考えるシンポジウムは続けて取り組んでいくこととする。
 また欧州アルプス地域との文化交流の機会も続けることとする。
 ことに来年度開催予定地の大町市は、オーストリアチロルのインスブルックとアルプス動物の交換等の友好関係を続けており、文化的な交流の一助になればとも思う。これは、1994平成四年夏の大町野外美術展がインスブルックの美術家を含めオーストリア人3名の参加を実現させており今回はそれを一歩進めることとなる。さまざま分野も含めた交流にすすめうる可能性にトライする。
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PLAN AZUMINO WOOD SCULPTURE SYMPOSIUM
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実行内容

1) 会期 2014年8月1日()~8月24日()
2)
会場 北安曇郡池田町立アルプスの見える丘美術館 

3) 主催「安曇野 木 彫刻 シンポジウム」実行委員会
4) 後援(依頼予定) 大町市・池田町・松川村各教育委員会
5) 実行内容
 a) 8 /1 fri. 作家歓迎レセプション / 小品展示 (美術館ロビー)
 b) 8 /2 sat.~8 /24 sun. 彫刻家3=4名による公開制作 (創造館)
 c) 8 /2 sat. /9 sat. 「安曇の重要文化財と木喰仏を巡る」バスツアー 

 d) 8 /22 fri. 公開討論会『森のギフト樹の力』 (場所未定)
 e) 8 /2 sun.~/10 sun. 木彫刻講座 / 研ぎから小品つくりまで (創造館))

6) 実行の対象者とう
 a) 招聘参加作家・市町村関係者・地元文化団体・協力者 etc.の親睦パーティー  b) 招聘作家34名の制作を来館者に公開する。市民ボランティアによる案内。 c) 市民および県内外からの申し込み者を市民ボランティアがバスツアーで案内する。

 d) シンポジウム参加彫刻家を含めたパネラーで「森のギフト樹の力」を市民に語る。

 e) 申し込み市民をシンポジウム参加彫刻家が指導する。
7) シンポジウム参加作家(未定) 国内作家2~3名 および欧州アルプス近郊の作家1名 東アジアの作家1名

8) シンポジウム「森のギフト樹の力」パネラー(未定)
候補者 中沢真一(哲学者・人類学者・宗教学者・多摩美大教授)小塩節(独文学者・中大名誉教授・旧制松高・駐西独日本公使・ケルン日本文化会館館長・フェリス女学院長 理事長)子安美智子(独文学者・早大名誉教授・シュタイナー教育やエンデの紹介者)
8) 委員会事務局  池田町会染 某氏





これらの重要文化財と木喰山居の像を事前に確認しました。
さすがに準国宝は十分な出来映えで、これなら準備を進められると確信できました。 以下はその時の記事です。
12/8/17(金) 午前 8:35仁科神明宮 大町 国宝 重要文化財 
2012/8/20(月) 午前 2:10信濃 北安曇の風景
2012/3/19(月) 午前 2:2信州安曇野日帰り 
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数日かけて古い材の始末をした。
エンジンのチェンソーを荷台が一杯で積み込めなかった。
また、ここに残した短い刃のでは時間が無駄になるのでので、マキタ刃長40cm電動のを持参して作業。使える部位は小品用にカットして残りは燃料用とバークに分解。

突然、住処を荒らされて蟻が右往左往しています。

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桜の朽ち木に穴を空けて、、
ご苦労でも移動してもらいましょう。

一匹の蜂が何時間も歩き回っていた。
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小さなスズメバチのようですが、巣は離れているので攻撃はしてこない。
飛ばずにうろうろと、、 
二三度、私の背中や首筋を這い回る気配を感じて払いのけます。つぎには私もなれてしまって気にせずにいたら ちょこっと噛み付かれました。
噛まれたあとが何ともなかったから、このお肉食べれるかなと試しただけだったようだ。体温か二酸化炭素にでも反応したのでしょうか?


前回見かけたカミキリムシも
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厚い腐葉土

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中央高速バスで戻りました
木曽福島発 日義木曽駒高原7時39分 
木曽谷を塩尻駅まで6カ所停車しながらも乗客は7名、まるで貸し切り状態でした。

東京は暑い
木曽谷は秋になっていたから温度差が、、
金曜にメーターの交換にきた水道業者の方が、開田高原は7度だったといっていた。


木曽谷への入り口
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中央道伊那から藪原へ横断する道路の方が早いようですが通いなれた19号で入りました。
木曽駒高原から伊那までは30分、塩尻だと45分が目安のようです。


最新画像はこちら

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道の駅で バスを待つ間に撮りました

畑のあぜ道の花でもきれいです
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コスモスの色も、、
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道の駅がま近なので、毎朝おばさんが軽トラで出荷しています
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きれいですが、、
野の花の優雅さには、、


11時過ぎには中央道日野バス停につき、そこから500m弱のモノレール甲州街道駅まで歩く。刃を分解したチェンソーを入れたイケヤのバックを担いで帰還しました。

開田高原地蔵峠

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私の大好きな高原の花
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今ではトンネルの道がメインですが
昔はこの峠を越えないと開田村には行けなかった
この地蔵さんが助けてくれていました
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開田のそばがおいしいが
今回はお腹に入れてない
そばは粉と水が命だ
水は飲んできました

信州北安曇の地には準国宝とも云える6体の無形文化財の仏像がある。

松川村の国道から西へ数百mに位置する観松院の銅造菩薩半跏像
[16.4cm][この金銅弥勒菩薩半跏思惟像は白鳳時代の朝鮮半島からの渡来仏だといわれる]
大町市旧八坂村藤尾 覚音寺の千手観音立像ならびに持国天立像および多聞天立像
 [各168.2/161.5/157.6cm][ 平安末〜鎌倉初期の寄木造りの木像である ]
大町市社 宮本 仁科神明宮の御正体(金剛界と胎蔵界の大日如来坐像の二体)
[ 24.7 鏡板径34.8cm/17.0 30.4cm ][ 鎌倉後期 神仏混淆,大日如来は天照神の本地仏 ]

長野県大町北安曇地域に六体の無形文化財が伝わる。
その仏像それぞれが、白鳳 平安 鎌倉 室町の風を私たちのもとに届ける。
また大町や池田の町中には江戸初期からの優品が廃仏毀釈の変動期を乗り越え継承されてきた。
この弾誓派木喰山居の足跡は大町南原町六角堂、九日町弾誓寺、若一王子神社三重塔や池田町浄念寺に今日まで大切に守られて今にいたる。

仏像などの美術品は具体的な「もの」である。そこにはそれが作られた時代の精神、美意識がリアルに、それも濃縮されたかたちで残されている。それが大切に守られ伝承されて来たという意味では、それらは優品であり、より純化された時代の精神が残されているといえるだろう。

これらの仏像には、この地の先人の心、魂がそこにいきづいている。
わたしたちは、この地域に伝わる、先駆けのこころを受け継ぎ、この時代の精神をみがき、次の世代へ伝えるべく 云々、、、 

(云々、、、以下は考案中なのです。)



とりあえず現物を知らないことには話しにもならない。ということで、法事での信州行
きのもうひとつの仕事として仏像の拝観を計画しました。
(上の文章はこの翌日に作成しました。感激が薄まらないうちにと。)

観松院の銅造菩薩半跏像
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このなんとも出来の良い松川村の金銅仏には、何回かお会いできています。
火にあたって肌が荒れてはいますが、いかにも白鳳の風が吹いてくるかのような気のす
る、スタイルの良い金銅仏です。

(東京国立博物館の法隆寺館で重要文化財の金銅仏60体ほどが見れます。以前は木曜しか見れなかったが今は開館日にはいつでもみれる。関東ではいちばん歴史の時間の凝縮した空間です。)

今度の旅は時間が足りぬので、八坂の藤尾観音堂を最優先として、ここはまたの機会に
。仁科神明宮の宝庫も連絡出来なかった為に無人で、これも次回とした。


さて、江戸時代に作られた仏像で重要文化財に指定されているものはなかったと思いま
す。
それは出来がいまひとつだからという理由でしょう。
国宝などの修理の際にも江戸や明治に修理した部分は取り去り、創建当初の姿に戻すや
り方をしています。腕が、、、という理由も大きいでしょう。(運慶が直したらそのま
まにしておくでしょう)

そんなわけで私も色眼鏡で江戸の仏像を見る習慣がついてしまっています。
まあ円空はキレが良いから別格として、と、これも一般的な見方です。木喰は腕がねえ
というのも業界の常識的見方です。


木食上人が何人もいたということを私は昨年まで知りませんでした。
円空の像を何度も見なければならないほど影響されている美術家はいないだろうと思い
ます。ましてや木喰は、、
だから木の意味さえ考えませんでした。

昨年信州で、池田町の文化財という教育委員会の冊子から木山居という作仏聖を知り
、この人が私の郷里の大町に造仏していること、すぐ近所の弾誓寺を本拠にしていたこ
となどと、俄然興味がわいてきました。

美術作家として自分の文化的な出自、バックボーンが見えてくるかもしれないと思った
のです。

私は20代半ばで美術の道に入り、通算で一年ほどかけて見歩いた奈良の仏像たちから
美の基準の教えをもらい、そのあと欧州の教会や美術館百カ所ほどをかけまわり、世界
基準の美の世界を経験した。

そして、明治以来そして戦後も追求してきた、西洋を移入をするような美術ではないこ
とを、私は追求したいと思ってきました。

しかし、明治以降の現代作家の世界からそのような先人を捜すことが難しかった。
今の歳になると西洋から脱却したいという先人の苦労が少しはわかるようになりました
が、若い時は生意気ですから、ちょっとでも日和見のところがみえるとすぐにだめだと
全否定となりますから、、若年もの浅はか、、。

またそれらの作家の思いは見えても、作品制作の技法やコンセプトで突破してきている
作家が簡単にはみつからなかった。明治以来の大理石やブロンズ、塑像の近代彫刻その
ものが、また戦後のモダンの石彫などそのものが、西洋からの直接の移入だったためそ
れを否定すると基盤までもが崩れるわけですからなかなかこの地独自のということには
なりません。


21世紀、情報は一瞬の内に世界をかけめぐりますから同じ感情で生きるようにも思
えますが、気候風土も含めそれまでの文化的な母体がことなりますから、その情報の受
けとりかたは。それぞれ独自のものになりましょう。

だが、その情報処理の首根っこを西洋流のシステムにからめとられてしまっていると、
美術家として感じていました。
引き継いだり批判したりするための、その先人がつかめないもどかしさ。すべて一から
確認していかねばならないという遠回り。どこから始めるのかさえ手探りで、、。。

こうした状況下に突然、文化的出自につながる江戸の文化があらわれたのです。

伏線はありました。
府中市美術館で開催された歌川国芳展で江戸の町人文化の世界を覗きみて、百数十年前
の人たちが私達の時代につながったのです。19世紀、文化文政天保幕末明治がそこま
でやってきた。


木食の世界は町民文化とはことなる。迴国遊行し木食戒を実践しながら洞窟に籠り、念
仏行、多数作仏(千体万体の仏像を彫る)作画作歌をし、講社をつくりお札を配り、時には塔を勧進したりもする、そして最後は入定(即身成仏)するのである。
16cに生きた木食弾誓、その系譜に連なるのが木食山居です。

その山居作の像を見てきました。
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長野県北安曇郡池田町 浄念寺 如意輪観音菩薩坐像 101cm
漆泥朱書「国光明仏山居法阿六世木喰故真作」

昭和40年代までは人目にさらさなかったそうですがご住職が常時御開帳を決断されたそうです

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