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この月曜日に数年前から池田住人となった友をさそい、
旧八坂村藤尾部落の観音堂、覚音寺へ重要文化財指定の仏像を拝観しに出かけた。
前日yahoo mapで検索したら役場から寺までの道がない??雪の中を歩く???
明科から国道19号線に入り、山清路で左折する。
19号は犀川の渓谷をいくので氷道をい警戒していたが、当日は陽気が良くまたしっかりした除雪のおかげですいすいと、、
八坂に入ってすぐ、、明治の甲子の年の銘
山村でもこんな大きなものを設置する豊かさがあったのです
八坂の支所までの道路は、山道なれど車の通り道はしっかりと確保されていた。
役場の入り口に、
最上部に注目 花は山桜 鳥は鶯 樹がケヤキ
旧八坂村役場-現大町市役所の支所からは支所長が先導して下さる。
スタットレスをはいているのを確認して後をついていくことになった。
車道はありました。 が、除雪はされているものの地面は踏み固められた雪道で、 しかも下り坂。
途中に数軒が住まう平地がある。今日は穏やかな雪景色だ。
2.30分走ったろうか。
どんどん下り坂がつづいていて、先導者がいなければ雪のこの坂を戻れるのかと不安になるところだ。
切り返す場所も無いから行くしか無いのだが、、
つきました
住職に頼まれた方が待っていて下さった
右側にたつ樹が何かと訊ねたら、桜だという。樹肌で分からなかったといったらイヌザクラだと思うと、、
外柵の石の柱に寄付者の名がきされている 八坂誰々一円 大町誰々五円などと。
その中に、大町百瀬慎太郎とあった。あの針ノ木小屋の主。山開きの慎太郎祭の人、、
後ろの宝蔵に
戦後最指定の際に重要文化財の中から国宝をセレクト。法的には同じ重要文化財のようですが。
(この知識もう少し調べが必要ですが)
以下の説明をお読み下さい
私の小学校?年の時だったか、遠足でここにきたはずです。もっとぼろけたお堂だった記憶が、、
この村のかたである支所長もそうおっしゃってたから、、残念ながらおぼろげにし絵が浮かばない。
途中の崖で、昔は海?湖?だったという地層からこぼれた、葉っぱの化石を拾いあげ持ち帰ったりもした、、。
この仏像は写真から想像していたよりも優品でした。
こんな数軒しか無い場所にこんな都造りの像があるのに驚きます。
源氏と平家が戦っている頃です。
足利から運慶像がいくつもでてきたりしているのですから、ありえるか。
都以外の列島各地の歴史を知らなすぎますね。想像すらできないなんて、、
像の作者は造りから想像するに、都の仏師です。
かたちもバランスも良い。興福寺の四天王像を思わせます。
運慶も伊豆や三浦半島、北関東などで作仏していますし、戦火にまみれた南都復興事業などと、社会が大きく動いていたのでしょう。
311の災害復興に対して、慶派のこの意気が大切です。後ろ向きに経済を刺激などとトリックを駆使するだけではだめです。
今回電池がきれそうで写真が思うようにとれませんでした。以下の方がきれいな写真をながされていました。
コメント欄で紹介をお願いしときましたがお返事の前にフライイングで、、
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