Sculptor Gon Shinji WORLD

44年間生きた場所から移動中 住居は近場に確保 制作場所はあちこちに分散中

木曽谷

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全13ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

今朝は4°で明朝は1°cとの予報。
最後の紅葉ですね。
イメージ 1
私も明日午後には上京するので、黄金色の風景とも来秋までおさらばです
イメージ 2
このカンパネッラとも
イメージ 3
この木蓮の葉とも
イメージ 4

対岸のこの風景もしばしの別れ
イメージ 5

手指の付け根を痛めたので午後は骨休め。川を挟んだ景色の中を探索しようと出かけることにした。
国道まで降りて橋を渡り登り道
イメージ 6
同じ山を見ても、角度、高度により変わる風景。谷筋川筋でそれぞれ異なる空間で生きているんだなと実感。こういう体験は何時も新鮮です。

イメージ 7
人気のない山の中、檜の木肌が美しい。
イメージ 8

イメージ 19

落ち葉から木を判断するのは難しい。 檜、松、朴、楢、杉、樅、桜、唐松 等。
イメージ 9
イメージ 10
知っている木だけれど名が分からない

30分ほど行くと舗装道路が旅荘で切れて、あとは林道がつづく
イメージ 12
猪の害獣駆除許可の掲示とともに。
誰も通らない場所で罠にかかってしまうのも怖いのでこのルートは避け、林道の出来る前の尾根道らしきところを歩く。
イメージ 11
これも檜
イメージ 13

イメージ 14
四時をまわったのでそろそろ戻り道。熊との出会いはゴメン。時々「くまだ〜」などとわけの分からんことをいい合図を送りながら。
イメージ 15
日が暮れる前に 最後の紅葉を見ながら
イメージ 17
イメージ 16

飛行機雲が西日に当たり光っていた。
イメージ 18

 
イメージ 1
風が吹くといっせいに舞い落ちる 栗の葉です
イメージ 2
掃いてもすぐに溜まる 一冬過ぎ、夏の暑さでようやく腐葉土に成り始める

山の紅葉は今が盛りです。今年は早い霜にやられて、枯葉色が強い。 でもきれいですね!
イメージ 3
明神岩
イメージ 4
昨日の車中から 漆の里平沢 唐松の紅葉が緑と相まって美しい。
イメージ 5
春一番に黄色い花で楽しませてくれるダンコウバイ。紅葉もいい。開田にも多くありました。
イメージ 6
これは庭のイロハモミジ 寒さのキツい開田のモミジ群はまだ葉が残っているだろうか。
イメージ 7
これも庭の、ドウダンツツジ
イメージ 8
プレハブの錆がでた屋根をなおそうと、はぎ取ると、冬期の準備を完了していたてんとう虫を慌てさせてしまった。まだ新しいねぐらを探せる気候だろうからと、ゴメンですませた。

イメージ 9
屋根の上から川を挟んだ林を写し
イメージ 10
川の流れと木曽駒ヶ岳も写す
モミジ樹林帯。(信州木曽町開田高原)
どう表現すれば良いのか迷った。紅葉山、紅葉林・・イメージ 1


林道の途中に車を止めて少し歩く。渓流の音が聞こえる。
紅葉(かえで)が黄色く色づいて迎えてくれる。
イメージ 2
林に入ろうと思うが急斜面に道はない。
入り易い傾斜をと探しながら行くとガラ場があった。
イメージ 3

三本あるいは四足歩行で15mほど行くと水が滴り落ちている。
イメージ 4
イメージ 5

晴天続きなので水量はそれほどではなくて径1cm弱の水柱。のどを潤す。軟水ですね。特別な味わいではないけれど美味しい。
水落ちの高さは5mほどあるので左の斜面をクマザサにつかまりながら登ると、紅葉(イロハモミジ)の幼木が数百、いやもっとかも知れない平面が現れた。モミジの群生。彼らの楽園。
イメージ 6
イメージ 7
イメージ 8

イメージ 9
モミジの幹はこんなです。密度のあるきれいな材だけれども、伐るわけにはいかない。

イメージ 10
白樺の群生や(ワラビ)シダの群生、そしてクマザサ。

こんなところもあるんですね。
美しい日本列島。植物のパラダイス。
人族が介在しない(しすぎない)場所が、美しさを保っている。
日本列島改造であちこち壊す。でも車の動線から外れると、美しい日本は残っている。地震台風とうの災害があっても縄文時代いらい住み続けているわれらの祖は、この美にひかれてのことだったろう。日本に人工都市は似合わないのだ。
すべてが否定された原発事故の311の時に、人のいなくなった自然の中で、鳥や獣、昆虫や草木は、どんな世界を作っていくのだろうかと思いを遣った。

モミジ、カエデ,acer ,maple 
日曜日 木曽町開田の記事に追加

ヤギのいた駐車場から遠くに鳥居が見えたので土手を上り近づいてみる。
参道がないのです。
イメージ 1

お社がなくて囲われた石碑があった。
イメージ 2

イメージ 3
「御嶽山大権現覚明?」覚明は江戸1985天明五年に大衆登攀のルートを開いた。天明三年浅間山の大噴火や天明二年から八年までの大飢饉で数万人もの人が飢死にし、人肉・・というような大変な時代の中で御嶽山登拝を決行したのだろうと思います。覚明さんは翌年二の池で入定しています。

イメージ 6
後ろへまわってみると、鳥居の方向に御嶽山を拝める。西陽の逆行で飛んでしまっていますが。

イメージ 4
蚕玉(コダマ)神社

この土手にリンドウを見つけた。アヤメとともに子供時代の記憶に残る花のbest3なのです。もうひとつは、何だろう。蓮華草かな
イメージ 5

覚明行者の記事追加します(一部重複)

覚明行者は、江戸期1785天明五年に御嶽山頂への大衆登攀のルートを開いた。
百日の厳しい精進潔斎をしないとお山へ入ってはならぬという不許可を振り払い先達として信者を先導してのことである。
天明三年浅間山の大噴火や天明二年から八年までの大飢饉で数万人もの人が飢死にし、人肉を・・というような大変な時代の中で、大衆への御嶽山登拝の道を拓く決意があったのだろうと思います。富士講、二十三夜講や庚申講、あるいは幕末に狂乱的な様相を帯びたという伊勢講などに江戸時代後期(80年間)の庶民の生き方がみえてきます。

春日井生まれの覚明行者が中京方面の信者へお山を開いた数年後には、秩父や江戸を本拠地とする普覚行者が別ルートで信者とともに登攀しています。
覚明行者は翌年再登攀中に病を発し、二の池で入定。当時の登攀は高山でルートをつくりながらですから大変だったことでしょう。数え59才でした。

彼らは覚明霊神、普覚霊神として多神教である御嶽信の末席に連なっています。
また御嶽山の特筆すべきことは、女人禁制でないめずらしいお山だということと、各地に教会(講社)があり、それぞれが独立して活動している神社本庁に絡みとられていないこと。
本当に庶民に根ざしたものだったんだと思います。

昭和四五十年代の夏の新宿駅中央本線ホームでは先達(先生とも)に率いられた御嶽教の白装束の団体を多くみかけましたが、最近では木曽福島駅でも見かけない。地元商人たちの講も高齢化だそうです。
駐車場の横の牧場に、二頭の馬がいた。
小さく穏やかな馬なので子供でも馴染んでいた
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3


柵の向こうを歩いていく人をみかけダッシュして林の方へ駆け去った。
餌をもらえる時間なんだろう。
イメージ 5
イメージ 4

イメージ 6

イメージ 7

御嶽山を眺めての帰り道、ヤギ二頭。タンポポやイネ科の植物をあげてかえりました。
イメージ 9
イメージ 8
イメージ 10

全13ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
contemporary Eat & Art
contemporary Eat & Art
非公開 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

標準グループ

art

登録されていません

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事