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川の流れを見た帰りに面白い石仏を見つけた
完成されたコンビネーションがなんともいえない。
文字がないので何かは分からない
機会を見て近所の方にきいてみます。
また、この先に
この部落の別の場所に
木曽の御岳山は、山岳仏教(修験道)御岳講の聖山です。
江戸時代中期に秩父出身の普寛行者と愛知の春日井の寛明行者が相次いで登拝ルートを切り開き
、以来行者の先達の先導のもと精進潔斎した白装束の講者の登坂する信仰の山となっています。
ほとんどの信仰地が女人禁制の時代にも、このお山は女性に開放されていました。
いまでも先達や中座という重要な役割に多くの女性をみかけます。
江戸時代はこの列島文化の熟成した時代だったと思います。
明治以降の富国強兵、海外膨張そして戦争という少数の富める者のために多数者が苦しんだ時代と違い二百五十年の太平の世で庶民は様々な遊びを生み出した。
歌舞伎や文楽などの芝居文化、夏祭り、浮世絵などの出版文化、盆栽や金魚が投機対象にまでなったりもした。その中に講という社会文化もある。富士講や伊勢参りなどの旅の文化もあった。
月待ちとか十三夜講、庚申講などもあり、寝ると虫が体の中に入るからと一晩中食べたり話たりの集まりをもったという。御岳講もそんな時代の風潮の中で盛んになっていったんだろうと思います。
ちょっと脱線しましたが
御岳講の信者は、死ぬとxx霊神となりお山へ帰ると、
御岳の登山道には、その霊神碑が数限りなく立っています。
その石碑の数からして、おそらくこのあたりには石工もかなりいたはずでしょうから、
この黒川の石碑の出来が良いんだろうかと思います。
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