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私の学生時代のサークル二年下の友人が代表で頑張っている「川越 唐人揃い」へでかけてきた。
秀吉の朝鮮戦争に加担しなかった徳川は近隣友好路線をとり、鎖国後も朝鮮使節団を迎えた。
ソウル―釜山ー対馬ー壱岐ー九州から瀬戸内海を渡り大阪ー京都ー・箱根越えで江戸
17cに7回、18cに4回、文化八年は対馬までん12回、四百〜五百人の大文化使節団。
川越は江戸幕府の(フィクサー?)天海上人の本拠地でもあり、藩主に老中がなるような親藩で、江戸への河川運の便も良く、商業の発達した町であった。日本橋にも店を構える大商人榎本弥左衛門の書物に、家綱襲職祝賀の通信使行列が詳細に書き残されている。その後川越の氷川神社祭礼に、練り物として朝鮮通信使の仮装行列である「唐人揃い」が行われるようになった。(「川越と朝鮮通信使」より)
今年の正使役は、オペラ歌手の田さんで、李朝へ嫁した正子役を演じたご縁だそうです。 民間の様々な団体が参加されていました。
民族衣装のグループ
あとになって知ったのですが美大退官教授や美術館館長、美術家。どういうグループなんだろうか?
この児たちは可愛かったです。今年は嫌がらせグループがいなかったようで、受入れている大人に守られた幸せな時間をすごせた郎と思います。
多文化共生・国際交流ということでまだまだいろんなグループが参加している
そしてソウルからの自転車隊や歩いてきた人たちも参加
こんなに充実したフェスタをつくり上げている、Eサンのご苦労にしびれました。
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korean memo
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相変わらず旅の始末していて・・
長いことツンドクだった本の他に、市の図書館から五冊借りて、乱読しています。
幸い?今日は雨で少し濡れるので寒いし、ということで本を端からやっつけています。
そもそもは、日本の飛鳥白鳳の時代ー7cの仏像それも小金銅仏の由来を知りたい、それらの造仏の現場を少しでも具体的に?実感してみたい。その時代の風を想像してみたい。あまりにも謎?だから。というのがきっかけです。
AD500年代から大化の改新の645年頃までのこの間がなかなか分かりにくかったのです。
昨年からこれまで避けていた古代史の本を読み出したら、あるはあるは次々と出版されています。
十冊は目を通したかな。
どうやら何となく掴めてきたもののどこかスッキリしない。
先週借りてきたこの本が、喉に詰まった塊を溶かしてくれました。
[ この本の内容・ちくまのサイトより転載]
(アップの承諾を受けていないのでダメがきましたらカットします。)
半島は地域ごとの農業生産条件が結構違うようだと言いますが地形を知らずに不便していました。
この図ですこし理解が進められます。
下図は最初の紹介のちくま新書からです
この時代渡来した人の流れが私たち一人一人の中にも流れているかもしれません。言葉の語順がほぼ同じだという、こんなに似通った民族同士なんですから。 |
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まず奈良の大仏 わずかに残った天平創建当時のままの蓮弁図像の一部を。
菩薩たちの華やいだ香りが満ち 〜 ています 私の最近は、韓国の国宝や宝物(日本でいう重要文化財)をすこしずつピックアップしています。
国立博物館のサイト探索は一応終えて(絵画,書は未だですが)、一昨日からサムソン財閥がソウルに作ったLEEUM MUSEUMを見ています。
ここのサイトは日本語がしっかりしていますし、画像ザイズもあるので移動せずにその頁ごと拡大して詳細画像をみれるので、時間が無駄にならない。
また私立美術館なのに国宝宝物指定の所蔵品が国立博と肩を並べるほど多くある。
青磁や白磁をみるのにはこちらのサイトがオススメですね。(お金持ちの骨董集めの結果でしょうけれど。 いま国は大変でも財閥は繁栄しています。だからサムソンを嫌いな国民も多いですね。)
そのサイトの検索からこれを見つけました。
新羅 白紙 墨書 大方広仏華厳経
統一新羅 754-755年 紫紙・金銀泥 25.7×10.9 24.0×9.3cm (韓国)国宝196号
[ 説明文より一部抜粋]
統一新羅の景徳王の治世にあたる754年8月から翌年2月まで、慶州の皇竜寺の縁起法師が発願し、制作した現存する韓国最古の写経。現存するのは1-10巻、44-50巻の2軸と変相図である。・・
・・・菩薩形の毘盧遮那仏が数体の菩薩と声聞に説法する場面が金銀で細かに描かれている。 東大寺大仏の蓮弁の図像と雰囲気が大変良く似ていて驚きました。
東大寺大仏(盧遮那仏)の開眼供養は752年4月で、以後、鋳込みの直しや鍍金作業等755まで続いた。造像のトップは百済滅亡で渡来してきた百済高官の国骨富を祖父とする国中公麻呂である。
7c三国時代の朝鮮半島は、中国の隋、唐との戦争や、それに伴う同盟やらの緊張関係が絶え間なく続き、倭国日本との関係も複雑な動きをしていたようです。
日本が百済国復興を計り戦った白村江で763年唐 新羅連合軍に破れてからも、高句麗の滅亡、新羅の対唐戦争と国際的な緊張関係が続き、新羅と日本との行き来は頻繁にあったようです。
私は、東大寺三月堂の諸仏と戒壇院の塑像四天王を最上とします。とても好きなので肩を持ってしまいますが、このお経に書かれた画像を見ると甲乙つけ難いできばえで、華厳経の華やかな世界観は新羅の都にも展開されていたんだなと思いました。
華厳経は盧遮那仏の世界、東大寺の大仏が盧遮那仏です。
日本では東大寺から外へは、あまり広まらなかったが、新羅では名僧が・・・韓国のことを「華厳の風土」日本のことを「法華の風土」だと仏教学の権威学者が対比している。・・韓国には「華厳経」の教えが深く受容され今に続いている。 ・・高山寺の明恵上人晩年の仕事の「華厳縁起絵巻」で取り上げた祖師は新羅に華厳経を広めた二人だけを・・ 角川文庫18987『』華厳経入門』木村清孝著より
大した知識もないのに先入観で判断してしまう危うさを反省。
やはり実物のモノをたくさん見ることが、大切ですね。
この実物を見れる日の為に、予備知識を増やしておかねば・・
大仏蓮弁の 画像の大きなのが見つからないので、二月堂のものを追加します
二月堂十一面観音像(秘仏)の光背(江戸初期に火災に遭い壊れたもの、一部) |
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古代の金銅仏半跏思惟像をきっかけとして朝鮮半島からの文化(仏像)の流れを、お勉強しています。
造像年のわかる仏像が極めて少ないために流路ルートがなかなかわかりません。そんなことで研究も少なめ。目の醒めるようなものい出会えることはなさそうな気がします。
まあ断定できるような結果がでないのが古代史ロマンということになりましょうか。
私は造形の作家ですので、あくまでも現物からモノをみるのが目的ですが。
さてソウルから戻り毎日国立中央博物館のサイトから国宝・宝物指定の所蔵品から、立体物を拾い集めています。いまは金銅仏以外、青磁、白磁、粉青沙器などと。
そうしているうちに昨日、興味を惹かれるものをみつけました。
宝物367号 阿彌陀佛碑像/忠清南道燕岐郡 碑巖寺/己丑689年/ 高さ42.5cm 国立清州博物館
国宝106号 [癸酉]673年銘 阿彌陀三尊 高さ42.5cm
宝物368号 半跏像반가사유비상 碑巖寺 高さ40.5cm
(レリーフ状の半跏思惟像があるとは考えていなかった)
ハングルをグーグル翻訳に入れて読んでいます(半分ほどもつかめないんですが)
三番目の像説明によると、全氏が王と彼の七代を弔うために造仏したとありました。
顔の部位がつぶれていたりですが衣装や背景のモノ等を見ると大層できばえの良いものです。
石の40cmほどのところにこれだけ彫り込める技術もたいしたもので金属とともに石の文化でもあるのかなと思いました。
このページ(ハングル、国宝宝物検索の11頁目)に同時代の新羅慶州の金銅舎利器外函の四天王がありましたのでそれも。
(三国統一を成し遂げた文武王の冥福を祈るために682年(神文王2)に創建された節、現在は同·西塔と寺の跡だけが残っている。 1959年西塔を解体復元した中三層塔新上面のサリゴンではサリー揃いが発見された。google翻訳のまま)
宝物1359号 感恩寺 統一新羅時代682年/30.2cm /1996東塔址解体時に発見
新羅慶州の金冠塚や金鈴塚の金冠などみごとですが、この3cmほどの箱の造形もなかなかみごとです。
このころの半島の技術がどんどん日本列島に流れてきて三月堂諸仏や戒壇院四天王像や興福寺の阿修羅像に結実し、天平の文化華開くとなったのだとこれらを見ることで確信出来ます。
今読んでいるものに、半島からの文化の流れルート図がありました
『実証 古代朝鮮』井上秀雄著 NHKブックス日本放送協会1992.1発行
画像サイズが小さくて見えにくいと思います。
私の2月14日記事の下の方に、中央博物館のサイト検索を書き込んでおきました
국립중앙박물관 これをクリックするか、韓国国立中央博物館で検索すると
始めにハングルでの頁が洗われます。
소장품 その下から2列目 右から3番目の소장품所蔵品をクリック
一頁に十数個の品の画像があらわれるので、見たいモノをクリックすると
その品だけが写る頁となりタイトルや時代、材質、サイズ等もみれます。
タイトルは漢字表記もあり、サイズは最初に高さ、続いて口径とか底の
直径とかが書かれています
上の百済仏像レリーフと慶州の舎利容器外箱は、12頁目にあります。
画像クリックして単一の頁になったら画像下の虫眼鏡マークをクリックすれば大きなサイズでみれ、その後 +マークを何度かクリックすると画面をはみ出す大きさで細部迄見れます。
ただ全身が現れる迄、かなりの時間を待たねばなりませんから、時間を消費する覚悟が必要です。(私は毎日数点と決めてやっています。謎解きの駒が増えていくようで続けています。)
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まだアップしてない画像を一挙にメモっておきます
まずは 素材が木のものから
寄贈(KimJonHakさんの遺贈)寄贈品で一部屋作られていました。日本の方の名前もありました。
これも? あとは・・
鏡 最後に陶磁器を載せなくっちゃ叱られるな
館のサイトから拾ったものも
さいごに百済王朝が滅亡の時に埋めて隠したという香炉を日本語サイトより拾います
(桓武天皇の母親は百済王氏の出です。長岡京、京都と遷都したのもその為かもしれません。
国宝第一号の半跏思惟像のある広隆寺太秦辺りは渡来氏族 秦氏の勢力圏だったのです。)
そういった意味でもこの韓国国宝第287号の香炉は日本の王朝にとっても大切なものですね。
この館におかれているのはレプリカのようです(私は見ていないのですが)本物は扶余の国立博物館にあるのではないかと思います。
[ "ナンチャッテ鑑定団" 博山香炉を検索 ]
奈良国立博物館の収蔵品データーから
韓国国立中央博物館のサイトについて
日本語ページもあるのですが検索出来る所蔵品の数が少ないので
Englishページ から入られたほうがよろしいと思います。
検索の順序と、検索出来る点数を下に書いておきます。
東洋書画や陶磁器、金属装身具等、そして"なんでも鑑定団"に興味のある方には、楽しいのではないかと思います。
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少ないけれどハングルなので読めてもわからない
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以上で10回にわたる韓国メモを終了します。
お付き合い下さりありがとうございました。
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