Sculptor Gon Shinji WORLD

44年間生きた場所から移動中 住居は近場に確保 制作場所はあちこちに分散中

korean memo

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 Nさんの個展パンフレットを読んでいたら、コギリのアトリエ近辺でもトンボが減りクワガタも見なくなったとかかれていました。
 あの広い車線の高速道路や空港からの道すがら見えた高層アパート群の建設を見た後だと、自然が減っていく状況にあるのは良くわかります。
 日本でも雀や蛙がずいぶん減り、警鐘が鳴っているのに、沖縄辺野古の海を今にも埋めようとしている。
 経済最優先の国の恐ろしい行く先を、皆は忘れようとしているように思えます。311後の反省は消えてしまったのでしょうか。


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 訪問三日目。
 気温は零下でも日も差して気持ちが良く、Dohアトリエ周辺を一時間ほどの散歩にでました。

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松の木ソナムはどこでも見かけます。

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比較的小さな松をみかけるのですが、この松は少し年期がいっている。

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寒いところなので樹高が低く、枝先の小枝が奇麗にそろっています。
日本の植木の松は新芽をかいたりと、手入れが大変なのですが、
これなら樹勢にまかせても、めったやたらに大きくなることはないでしょうね

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こういったものに異国を感じます

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ほうれん草も寒さでこんな大きさです。
店に並ぶほうれん草もこのままの大きさ。信州の山間部のほうれん草を思い出します。

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里山の中ですが道路標識が新しく設置されています。
二三年の間に住所表示が変わり「何々通りの左何番地」という風になるといっていました。
今の[京畿道仁川市oo洞123 ]という住所表示からoo洞123というところが変わるようで
漢字表記が無くなるということらしい?

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ソウルは地震はないらしいし、岩盤だから云々といっていました。確かに岩が露出している。
山の樹の背が低いのは気候の他に、地表の沃土が浅いことにも原因があるのかもしれない。

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この里にも焼肉や海鮮などのレストランが何件も進出してきている。
(先日ご馳走になった鴨料理の店もそのうちの一軒でした)
あちこちの駐車スペースや畑の一角に練炭灰がつみあげられていました。あれっ大きいかな?

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エコパーク  こんな山里に子連れがくるのかな?
チョット貧相な雰囲気のところだったが、土曜日とあって帰り道に眺めたら、何台かの車が停まっていました。幼稚園くらいの年の子をつれた若夫婦たちです。

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この辺りの山はこんなでした。春の若葉の季節は気持ちいいでしょうね。

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北側斜面の側溝はしっかり凍っています
毎日零下ですし昼間も気温のあがら日も続いています。
Doh studioの部屋も、オフィステルも床暖房なので家の中にいるかぎりでは寒さを感じません
東京の今の方が外気の中にいるようで寒い〜〜(米軍ハウスは薄ベニアの太鼓張り)

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登り終わりの切り通し 蛇籠の詰み石がきれいです

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高速などの下り道では、このslowチョンチョンフィの標識を良く目にしました。
制限速度が普通道路でも80kmだったりするので注意注意です。
街中で下りが続く道路は、横断歩道の手前で段差をつけて、
スピードを緩めざるを得ないようにしてある場所も多かった。
(仁川―ソウル高速道の霧による多重衝突事故も、あのスピードではありえます
リムジンバスはハイスピードでした。)

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道の脇にこんな地図がありました。.
登山路 XX 案内 登山路利用案内 あとは??

 この日かで漸く辞書をひけるようになりました。
 私の旅はいつでも行きあたりばったりで、
今回も案内書も地図も持っていませんので、今どこにいるのか?晴れていれば南北はわかるりますが・・。
 帰国してからgoogle mapで探しましたがハングル表記なので、時間がかかってかかって、
漢字表記の地図をサイトから探して、両者を付き合わせてやっとあのときの居場所がみつかった

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お寺でしょう。新しい建物のようです。裏側なので入れませんが、奇麗だなと写真を一枚。


その脇に登り道があるので、山へ入り、木立の様子を確かめたいと思います
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細い木が多い。楢の仲間がほとんどのようです。所々に桜もみられます。
ドングリ(トットリ)の粉からモチの様なものを作るようですからクヌギやコナラでしょうか。

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10数分ほど登り、この峰の頂上で我が影の、記念撮影をしました。
もっと先にいきたいが、行き着く先が分からなく、言葉も出来ぬから引き返すことにします。

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落葉している季節で樹間から遠望出来ます

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水道施設の様なものがありkogiriの里がみえました。

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峠の道を下るとサイクリングの若者たちが上ってくる

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先頭のものはにこやかに挨拶をしていったけれども
最終ランナーは痙攣でもおこしたか辛そうです。一人引き返してきて声をかけていました。

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ドックカフェ テリア?が二匹走っていました。

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なにやら休憩広場の様なものがあります。行きには気がつかなかった。
どこの家も犬がいて怪しいぞと吠えるので、うっかりでも、他所の地所に入り込めない。
何しろ言葉が通じぬので。

ここでも山登りは流行っているようだ。ブンダンを流れる河川の遊歩道もウォ―キングの人でにぎわっていました。都市生活者はどこでも健康志向のナニヤラをやっているようですね。

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コンプレッサー室もあったから自転車の空気入れのサービスのようでした

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低山とはいえ取り囲まれているのでアンテナは必要でしょう

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エコパーク、そしてXX山荘という看板

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久しぶりにこういう風景をみました。やはり寒い地方のようですね。


もう少し樹木をみたかったのですが、あちこち歩き回らなかったのでわかりません。
韓国の山は以前はまる裸になってしまっていたと聞いたことがありますが、この里山の樹の細さ、背の低さをみると樹齢がそれほどあるとは思えません。床暖房(以前ならオンドル)で暖かく暮らしているので熱源が必要だったと思います。今は電気でしょうから原発からは逃れられないのかもしれないと思います。木浦の辺や東海(日本海)沿いにはかなりあるようです。



最後に店風景を
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名を忘れたと思ったら写っていました。おめでたい時の魚のようで、高価でした。
辞書:クルビgulbi(塩漬けの)干乾し石首魚[ぐち]
検索ヨリ:イシモチを塩漬けにし干物にしたものをクルビと呼び、旧正月(ソルラル)や秋夕(チュソク)のお歳暮として人気です。全羅南道(チョルラナムド)の霊光(ヨングァン)産のクルビは高級で、中には10匹で50万ウォン(五万円)を超える事もしばしば。

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新世界デパートの一画  Nさんにすすめられて買ったオコシが唯一の土産です



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事務所と住居の混住オフィステルの中のスーパーで。 良く見えませんが一番左端にタンポポの葉があります。 焼き肉にはレタスやサンチェはかかせません。

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 ワラビや茄子やの乾燥ものです 冬の季節の長いところでは、
このような保存食が伝統的に残っているのでしょう。



中央博物館の記事をもう一回アップして、韓国メモを終了します。




 特別展はポンペイの展示をしていましたが、昔ナポリから日帰りで行ったことがあるのでこの日はパスしました。進学競争の激しい国を反映してか子供連れの親御さんを多くみかけました。(日本ではどの展覧会も年輩の方であふれかえっていますよね)

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 常設展示の有名どころから紹介します
まずはこれ
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Horse Rider-Shaped Vessel (Master)
Silla Kingdom (6th century) Geumnyeongchong, Nodong-dong, Gyeongju-si, Gyeongsangbuk-doClay H. 26.8cmNational Treasure No. 91

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    Horse Rider-Shaped Vessel (Servant)
    • Culture / Period   Silla Kingdom (6th century)
    • Provenance Geumnyeongchong, Nodong-dong, Gyeongju-si, Gyeongsangbuk-do
    • Materials      Clay 
    • Dimensions     H. 23.4cm
    • Designation     National Treasure No. 91
    • Accession Number Bongwan 9705
    These two earthenware vessels, which were excavated from Geumnyeongchong Tomb in Gyeongju, are shaped like riders on horseback. Each vessel has holes at both ends, so that liquid could be easily poured in and out, which indicates that they were used to serve alcohol or other liquids. Most importantly, the riders’ outfits and horse tack yield crucial information about the culture, customs, and social hierarchy of the period. Based on the difference in the riders’ size, as well as how they and their horses are outfitted, we can assume that they belong to different social classes. In fact, the larger rider with the triangular hat seems to be the master of the smaller one. The other man, who looks like a servant, has a topknot, a naked upper body, and some luggage or cargo strapped to his back; also, his horse has much simpler trappings, with no stirrups. The servant is ringing a bell with his right hand, as if to guide the spirit of his master to their destination. Earthenware vessels made to look like people, like these two, were probably made for ritual purposes, rather than daily use. Experts believe that these two vessels were used at a funeral or memorial service, to express the mourners’ wish for the peace of the deceased and his or her rebirth after death. 
                     国立中央博物館homepage englishを選択して引用
 高さが23.4と26.8cmで、馬の装飾品、人の帽子等の衣装も違います。主人と従者だという説明です.
 AD500年代の三国時代-新羅のもので、出土地が慶州金鈴塚クムリョンチョン出土とありした。

 私は慶州に行ったことがないのでgoogleでしらべます。

 無料のグーグルブックスに面白いものがありました。
『古蹟調査報告: 慶州金鈴塚飾履塚発掘調査報告』朝鮮総督府1925 慶州金鈴塚飾履塚発掘調報告 - 朝鮮総督府 - Google Books 読む☜クリック

 まずオレンジ色の地に黒字でchosen sotokufuという頁からはじまり、
 次に昭和六年三月発行朝鮮総督府とあり、
図版二一四 飾履塚雑品から始まります。金製心葉形垂耳環(図版第162)とか発掘現場の槨基底層部写真(161.160)には「発掘調査中に於ける法養,導師佐伯法隆寺貫主」という写真もあります。茅葺き屋根の農家の前庭のようなところで営まれています。つづいて発掘風景や発掘状態の写真や図面もありなかなか面白い。

 図版一三八からいよいよ金鈴塚です。石製紡錘車、着彩木片、馬具類(136〜115)と続く。
中央博物館での見覚えがある臺附船形陶器(90〜87)も。
 目的の図版が第八六に。陶製騎馬人物形容器 第一号第二号の左右側面からの写真と図面が見つかりました。
 そのあとは容器類、装身具類、有名な黄金製冠などとなります。
 残念ながら白黒印刷なので、土の中で光り輝く金冠を発見した場面の興奮が伝わりにくい(図版29.28.24〜22.16)
 尻の頁から掲載されていたので見終るころに図版目次が出てきて、例言 古蹟調査事務嘱託梅原末治氏の前書きがあり、発掘が大正十三年(1924)の五.六月に行われたことが分かりました。

 発掘後にこれら宝物はどのような展示をされたのか、そしてそれらが韓国に残った経緯などを知りたいのですが、専門家でないので調べるのはパスします。

 かなりの回り道しましたが急いで次の国宝に移ります 

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金帶冠・新羅・慶尙北道慶州市路西洞 金冠塚出土・銅合・幾何文.列文h27.5cm・国宝87

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金製冠帽・新羅・慶州 金冠塚出土・銅合金製17.6cm国宝87号

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金製冠飾・新羅・慶州金冠塚出土・銅合金製40.8cm国宝87号


 ここでもう一度回り道 慶州金冠塚で検索します
 30 慶州金冠塚関連資料の公開をめぐって(2011.11.7)
 hb3.seikyou.ne.jp/home/Hideo.Yoshii/omoituki/my111107.html
 この研究者の頁には以下のように書かれていました。
・・192110月に土取作業中に埋葬施設が露出することにより偶然に発見された金冠塚は、現地の人々の手で遺物が掘り出されてしまいますが、朝鮮総督府によって回収され、濱田耕作・梅原末治を中心として遺物の整理作業が進められました。・・1924年に『慶州金冠塚と其遺寶』図版上冊および本文上冊として刊行・・
(早速googl電子書籍を期待したのですがこれは電子化されていませんでした。同時期にけ慶州地域で金冠塚、金鈴塚と次々とみつつかったのですね。)

金鈴塚の調査書にでていた舟形土器
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 最後に今一度眺めながら思ったのですが、この丸みの造形意識は金銅仏のお貌の丸みにつながる形かもしれないと。(まだ単なる思いつきですが・・)(広角気味に撮れてしまうのでそのせいでもあるかもしれないし・・)
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 閉館間際に見たのは、順路で言うと最初の部屋です。その李氏朝鮮時代の部屋では歴史ビデオも流れ親子連れの方がお勉強をしていました。

 案内してくれた李さんが、太宗の肖像がを前にして、私の祖父の祖父・・と言っています。そこでご先祖様のまえで記念撮影をしました。
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 顔かたちが似ているようにも思いました。

 他にも青磁や白磁の良いものもありました。絵画等も、homepageでご覧下さい。

 これで国立中央博物館の記述は終わります。

追加
騎馬人物容器は見る前から知っていました。帰国して本棚の整理を続けていたらこれが出てきた
イメージ 19no183 1976年
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入江泰吉の写真、松本清張が文、直良信夫、大林太良、宮本常一とそうそうたるメンバーが並ぶ
松本清張の文をのせておきます
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 都さんと最初に出会ったのは88年ソウルオリンピックの一週間前の日韓彫刻工房講師交流展。次の年の私の企画した多摩川野外展にアジアからの作家として参加してもらい我が家に宿泊しながら製作展示をしてもらったのがきっかけで以後友人付き合いをしています。
 翌年秋にも参加してもらい、この間に彼は、武蔵美大油科を卒業しソウル大東洋画科へ留学中のNさんから日本語を習い、二度目の来日時には私とは日本語と英語と日韓辞典でなんとか通じあえるようにまでなりました。そしてその彼女とは結婚し来日時には必ず訪ねてくれます。

 今年のNさんからの年賀状に都さんが病に侵されたとのことで、お見舞いににでかけました。

 到着したその日は、ブンダン区の中心街にあるお宅に泊めてもらいました。
 オフィステルというスタイルの建物で事務所やお店も入っています。手頃なスーパーや喫茶店や食堂、サウナ、教会まであり、地下鉄へ5分ほどの便利な場所です。ご子息は高校を終え大学迄の休みの間にセブンイレブンでバイトをしていました。好青年に成長しています。
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日の出 八時過ぎの24階です。この日は視界が悪く残念でした。(時刻は日本時間と同じ)

次の日はそこから6kmの里山にあるアトリエに見舞いにいきました。
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 コギリのアトリエの周りは昔ながらの風景のようですが、ブンダン区から近いので開発が進み、日本で言うところの市街化調整区域の規制が近いうちに外されるとのことです。

 都さんは中心部のアパートよりもとても静かなここが好きなのでと、隔週?治療のソウル大病院へもここからでかけています。
 
 私の伺ったその日は、サンフランシスコからの幼友達と、大学でひとつ上だった木浦大の彫刻教授が見舞いに訪れていました。Dohさんの人柄でしょう、次々と見舞客が訪れています。
 


 Dhoさんはステンレスを用いる彫刻作家でいくつものモニュメントを設置しています。
 今回はNさんにブンダン区の二カ所に案内してもらいます。

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アルミの作品です。狭い場所なので道路側からの作業しか出来ずに大変だった。
夜のスポットライトがないと彼は不満をもらしていました。

次は新世界デパート前です
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七個の林檎(サグヮ)です
当時のステンレス工場の技術はいまほどでなかったのでと、すこし残念そうでした
当時は桃が植えられて花の時期の映り込みがきれいだったといっていました。

アトリエの中には
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このパズル作品は各辺40cm、このあと80cmのものに架け替えを手伝いました。

病直前の新作があります
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個人アパートの天井は高くないので横長のものを考えたそうです
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このバリカンを探すのが大変だったそうです。10個ほどをメッキをして保管してありました。
腕のある作家の遊び心がみえる作品はなかなか良いものですね。

机もこんな手作り
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20mm厚のガラスと30mmアルミの無垢板なので普通の床だとぬけおちてしまいます
短い鉛筆を一本もらいました。


開発の進むこの周辺には一軒の画廊もあり直美さんが預けている作品を見によります
一階が喫茶で二階と一階の一部がギャラリーです。
お年にはとても見えないバイタリティーあふれる芸能畑におられた美形のオーナーでした。この川岸の裏庭は緑の季節には気持ちが良さそうです。


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喫茶店内にはNさんの作品があります
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個展カタログもおかれています
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彼女とはじめてじっくりと話が出来てよかった。また作品やこの文で親しくなれたと思います

彼女は桂園芸術高校で講師をしていて案内もしてくれました。
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蒲鉾形の建物は中学で右が高校 大学は別の場所です
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いかにも美術の実習棟 冬休み中でも生徒がいました
いろんなものが展示されていました
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私学で裕福な家の子が多いようです。総じて明く自由な傾向のものがおおかった。
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なんでミロがこなにあるのかと聞いたら今は使わないが入試用だといっていました





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 철조석가불좌상鐵造釈迦佛坐像 ・한국(韓國)-고려(高麗)・경기도(京畿道)-하남시(河南市)・금속(金屬)-철제(鐵製)・높이 (高さ)281.8cm・보물(物) 332호・덕수()-002748-000
           (写り悪く読めぬので美術館サイトから拾って載せました)

 奈良の大仏のように下から順に(逆さにかもしれませんが?)何段にも分けて鋳造し、合わせ目のバリが残ったままです。ブロンズと違い硬い金属なので削れなかったのでしょう。

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統一新羅末期から高麗初期にかけてということは10世紀前半ということでしょうか。


 日本では、鉄仏はかなり珍しく、それも鎌倉時代以降だと思います。
見ているはずなのにあまり注意を向けていなかったので覚えていません。
そこでいつものようにgooglの画像検索で見て出来の良さそうなのを探していたら

こんな記事が目につきました。
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 黒部に鎌倉前期の鉄仏 国内3番目に古く
北日本新聞 2月8日(日)0時25分配信
思わぬ収穫でした

ついでにこんな記事も(お貌がわかりませんが)
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他に愛知県あま市に国の重要文化財の地蔵菩薩立像があるようですが画像がみつからなかった

 韓国に残る小金銅仏は少ないだろうとは思っていました。

 それらの造像の目的が両親や先祖の供養とうのためであったりしますので、氏族が渡来してきた時などに仏像も携えてきたでしょう。あるいは仏典等と共に日本の王朝にやってくることもあったようです。
 また明治以降の半島進出にともなって、経済的な利益の為に渡ったものも多く、その中には骨董品あさりの者たちも多くいて、合法的非合法的にほとんどの価値ある品は半島から持ち去られたものと思われます。
 従って今残る美術品は、終戦時に日本総督府とうが所有していて接収されたものか、戦後の発掘品か、あるいは寄贈されたものとうのみだろうかと私はおもっています。
 韓国は北と南に分断された狭い国土であり(日本でいえば関東と東北をあわせたくらいの地域ではないかと最初の訪問のときに思いました)戦前に発掘出来るところはかなりの場所が荒らされてしまったのではないかと思います。

 今回中央博物館の展示を見て改めてそのことを確認しました。

 館に着くのが遅く、早足で飛び回ったこともあり、写真は良く撮れていませんが、のせておきます。始めの何枚かだけご覧下さい。後は記憶の為ですので。


半跏思惟像
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 己未 (539年)銘の如来立像
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   延嘉七年(539)歲在己未高麗國樂良 東寺主敬第子僧演師徒卌人共 造賢劫千佛流布
   第卄九因現義 佛比丘法穎所供養
 (高麗國の東寺で千佛が作られ流布されたうちの一体と思われるこの像は慶尚南道発見された)
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数回前の記事 メトロポリタンの金銅仏524年の像と似ています.(衣紋などもう少し簡略ですが)

純金製の小金銅仏692年 慶州景福寺址 三層石塔出土
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皇福寺跡三重の石塔から出土した純金製阿弥陀如来坐像
統一新羅 706年・h12.0cm金製(光背.台座は青銅に金メッキ)  ・国宝 79
統一新羅 692年以前・h14.0cm金製 (光背.台座は青銅に金メッキ・国宝 80
1942年、慶州市(キョンジュシ)・九黄洞(クファンドン)・皇福寺跡の三重の石塔を解体・復元した際、神龍2(706)という字が刻まれた金銅舎利箱が発見された。この箱には純金の仏像2体、銀製足付皿などが入っていた。舎利箱に刻まれた銘文によると、神文王(シンムンワン)が崩御した後の692年、その業績を讃え、孝昭王が神文王碑と三重の石塔を建てた。その後、孝昭王(ヒョソワン)もまた崩御すると、706年、聖徳王が二人の王の冥福を祈り、石塔の中に舎利と純金製の阿弥陀像1体、「無垢浄光大陀羅尼経」1巻を安置したと記されている。「無垢浄光大陀羅尼経」は塔の中で腐食してしまい、現在は伝わっていない。したがって、阿弥陀如来坐像は706年に作られたものであり、より古いものに見える立像は692年、塔を建てた時に安置されたものと見える。


宗風14c
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この半跏思惟像も今回の目的のひとつです
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お付き合い下さりありがとうございました


ps.
この少ない資料をもとに研究をするのは大変だとお思います。わがルーツを訪ねたくとも空にしてしまったのでそれも後の祭り。蹂躙し太った家系でないのですが国家を同じくするものとして複雑な思いにかられます。

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