| 監督:アレクサンダー・ペイン |
| 製作:マイケル・ロンドン |
| 原作:レックス・ピケット |
| 脚本:アレクサンダー・ペイン ジム・テイラー |
| 撮影:フェドン・パパマイケル |
| 音楽:ロルフ・ケント |
| 出演:ポール・ジアマッティ トーマス・ヘイデン・チャーチ ヴァージニア・マドセン他、 |
例の如く、ネタばればれなので厳重注意ね。
まそか、これほど 堰を切ったように泣くことになろうとは、つゆ予見できませんでした。うかつ、うかつ・・・。
様々と、 挫折やら悲しみを体験した者ほど決してあっけらかんとは笑えない、心の襞に ジーンと染み入るような切なさやら、 焦燥感にも似たやり切れない悲哀を感じるんじゃなかろうか?
これを観て、 「あっはは」と手放しで屈託なく笑えて、 「これ、まーまー良いんじゃないの」とのたまえる方は、ある意味、 若々しく健全な日々を送っておられる健康人ですな。
| 羨ましいでござる(溜息) |
| あたしゃ、もー切なくて切なくて正視出来ないシーンも沢山ありましたです。 |
ジアマッティ演じるところのマイルスは、こりゃもう完璧な 「鬱病」ですな。これはほぼ間違いない。
作中、自殺について語るところがありますが、その時の言葉の 「僕はまだ出版前だから自殺さえ出来ない」とは要するに、「自殺できる条件さえ整えば、その元気と弾みさえあれば、 僕はいつだって死んで決着をつけれるよ」という、切実な吐露以外の何物でもないのであります。
マイルスの人となりを一言で、 「中年の、うんちく好きなダメおとこ」と評するのは、かなり露骨に見限った、冷た過ぎる物言いでしょう。
だって、曲がりなりにもあれだけの分量の小説をつづり、好きなワインの知識を蓄えてよどむことなく語ることが出来る。他人に対しては決して攻撃的になることはない(ま、苦しさのあまり八つ当たりすることはあっても)。
| 純粋で善良で、やさしくて生真面目。世の中、そうではないあくどく嫌な奴はもっといる。 |
落ち着いて考えてみたら、この人、全然捨てたもんじゃない。
ただ、世の中それだけでは認めてもらえないのも確かなこと。
営々として “良い人格”を作り上げても、なかなかそれだけでは、かけがえのない人と認めてくれることは少ないもんです。
彼の最後に残される 「自己存在証明」だったのは、自分が長い年月を掛け、精魂を傾けた小説だったわけだけど、結局それも受け入れられず、世に出す道を失った。
生涯変わらず自分を認め、理解してくれると信じていた前妻は、離婚後二年で再婚し、 彼との間には作れなかった子供を宿した。
たぶん彼は、半ば諦めながらもその二年間、彼女が彼の元に戻り、失ったかつての心休まる生活が戻って子供を作り、小じんまりとしてても、それなりに落ち着いた人生を送れるだろうと夢想していただろう。
| だが、そんな哀しい夢想も目の前でことごとく破綻し崩壊し、二度と永久に果たせぬ夢となってしまう。 |
| 妊娠したと告げる前妻の前に立つ彼の心の震え。その恐怖。 |
深い、底無しに深い穴の淵に立って、じっと身じろぎもせずに、その 深淵の底を見詰める瞳の、残酷なまでの虚無感。
自分には二度と取り戻せない幸福が、目の前に存在しているのに永遠に近づけない、手にすることが出来ないと確信した者だけが、熱い 刻印を押されるように悟るその絶望。
魂を締め付けられる苦しみに耐えかねて、振り返れば、ろくすっぽ苦しんだことも無く、いい加減に生きてきた友人のそして彼には望むべくも無い健全極まる人生を歩いて来た者の)、満足げな至福の表情と、彼の結婚を共に喜ぶ人々の祝福の笑顔。
| カゴメはここに至って、痛々しくて辛くて、直視できなくなりました。 |
彼の車は、披露宴会場に向かう他の車と一瞬、行を共にするように右へ曲がりかけるが、ウインカーも点けずに反対方向に曲がって去って行く。
彼の無残に傷ついた愛車のボンネットはかろうじて、一本の紐でくくられている。
それが彼の 傷心の深刻さを鮮やかに表象している。
結局彼は、自分がこの世に対してまったくの無力で、何ものも無し得ない、孤立無援の、捨て置かれた、 一顧だにされない存在であることを心の底から悟ったのだ。
だから一本20万はする、大事に大事に取っていた特別の一本を、それを開けるにはシチュエーションとしては最も好ましくない場所であるファーストフード店で開け、シェイク用のプラカップで飲む。
| 今の破綻した彼にとっては、そんな無茶苦茶な飲み方が唯一ふさわしいから。 |
マヤと二人で語るシーンもまた涙無くしては観られませんね。
マイルスはこう語る。
「自分がピノ種を好むのは、繊細でデリケートなこの種のワインを作るには、その可能性を信じて一級の職人が、丹精を込めて育てる必要があるからだ。それで初めて大地の持つ力強さが表現される」と。
| 彼がワインに仮託して、自分を物語っているのは明らかだ。 |
それに対して、 マヤ(バージニア・マドセン)はこう話す。
「自分は、一本一本のワインは生きていると思う。そのボトルの中には、このワインを作った人々の姿がある。樽の中で、ボトルの中で育っていく四季を感じる」
つまり、かけがえの無い一本一本の、「そのボトルのワイン」の出来不出来に拘るのではなく、
| 熟練の職人の技というより、その一本に費やされた時間と思いにこそ愛情を感じると語るのだ。 |
そして更に、「同じボトルでも、別の時に開けられたのであれば、また味わいが違うはず」とも語る。
開けたその時の、飲んだその時の味わいだけで、そのワインの価値を断じ、評定してしまう愚は犯さないのだ。 「別な時に開けられていれば」という事にさえ思いを寄せる、その心根の、 なんと芳醇極まる豊かさであろうか。
更に彼女はこう続ける。
| 「ピークを境にワインはゆっくり坂を下りはじめる。でも、そんな味わいも捨てがたいわ」 |
| そして、そっとそっと、彼の手に、手を重ねる・・・。 |
ラストはあれで文句無しに良い。あれ以外のラストシーンはありえませんね。
最初にあの道にそれた時は、まさしく 「サイドウェイ」だったに違いないけど、ラストでの彼には、一筋にあの道しか目に入っていなかったろう。
| 彼にとっては必死の思いを自ら辿る道筋で、まっすぐ彼女に届く道なのだから。 |
その道を行く 思いの強さを取り戻しただけで、充分幸福なのです。それ以降の事は、他人には余計なことであります。
“マヤ”という役名ですが、実はこれって、カルフォルニアの ナパヴァレーのワインにも同じ「マヤ」というのがありまして、それから来ているようです(この名前は日本人女性からとったものらしい)。
このワインの 「マヤ」はカベルネ・ソーヴィニヨン。つまり、ピノ種のワインとは対極的な、ちと荒々しく パワフルで、たくましい味わいのワイン。
ちなみにマイルズが後生大事にしていた、 シュヴァル・ブランのヴィンテージ61年物もカベルネ種ですね。
| にしても、ほんとにポール・ジアマッティとバージニア・マドセンのこの演技は素晴らしい。 |
特に、目、ね。 真摯さ溢れる真面目な真面目な芝居です。
ステファニー演じるサンドラ・オーも良いですね。
この映画を撮り終わるまでは、 ペイン監督の奥さんだったらしいが、この後、別れちゃったらしい。
このオーさん、ちょくちょく色んな作品で見掛けるけど、今のところ、これが一番の出来でしょうね、きっと。
さて、いつものように、よそ様のレビュー読みましたす。
いわく「ところがこのマイルズ、汚い、だらしない、情けない、自信ない、おまけにワインにはうるさいがいっぱい飲むとただの酔っ払いオヤジ」
| むむっっ!! |
| あんだとぉぉ!ゴラァッーーッ! |
| 喧嘩なら買うぜ、代わりにっ!(激怒) |
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