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			<title>かやけんのブログ</title>
			<description>心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書いています。
時事、アニメ、ダイエットなど。

間違ったことを書く時もあるでしょう。その際は、ご指導のほどよろしくお願いします。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_kayasaki</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>かやけんのブログ</title>
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			<description>心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書いています。
時事、アニメ、ダイエットなど。

間違ったことを書く時もあるでしょう。その際は、ご指導のほどよろしくお願いします。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_kayasaki</link>
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		<item>
			<title>1万年と2千年前</title>
			<description>&lt;div&gt;創聖のアクエリオンを観ましたよ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;敵には敵の事情があって、こっちにはこっちの事情があるけど、みんな一つになったらいいんだよってアニメでしたね。うたい文句が「あなたと合体したい」ですから、仕方がない。でも、おもしろかったっすよ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ただ・・・大事な部分で感情移入できなかったっす。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;物語の設定として、天使が人間狩りをして・・・その人間の精？を糧として天使が日々の営みとなすってのがあるんすね。だから天使と人間はいがみ合いながらも、共存の体をなしているんす。人間は狩られることを拒んでいるだけなんすけど。で、その形が・・・我々人間が牛や豚を狩るように食物連鎖の上にあるって会話があったように思うんすよね。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;まぁ…そこまではいいんすよ。設定っすから。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;でも・・・物語の転換期っぽいところで天使の子供がいたずら半分に人間を虐殺していくわけです。で、その子供の天使は人間に捕まり殺されて、人間と天使の憎しみの連鎖が増幅していくわけなんす。物語としては重要な局面です。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;で・・・付いていけなかったのは・・・こどもの天使が遊び半分でいのちを奪っていっていることに関して、まだ小さいから「いのちの重みをわかってないんだよー」って天使はへらへらしているんすよね。そこまではいいっす。設定として天使は人間を見下しているってのがあったから。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ただ・・・人間は決して牛や豚を無慈悲に殺しているわけではないですよね。まるで人間が遊び半分で牛や豚を殺しているのとそう大して変わらないでしょー的な空気感がそこにあるんすよね。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;遊び半分で子供がいのちあるものを殺していたら、普通の大人は怒るでしょ。もちろんそんな子には罰があるはずですよ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;で、結局その子供を人間が捕えるれども…殺してしまうんすよね。そして、天使と人間の憎しみが増幅されていくって重要な描写っす。いのちを遊び半分で奪っていった代償が自らの命…。なにも間違っていないんですけど、このアニメでは・・・「こどもがかわいそう」って流れになるんすよね。人間が何万人殺されようと、「数の問題ではない！」って言うんですよ。そして、無知は罪ではなく、無知は無罪っていう・・・とんでもない無法がまかり通る描写がこのアニメの重要なターニングポイントなんすよね…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;だもんで・・・1万2千年越しの恋は、うん千万人の人命よりも、たった一天使の「こどもかわいそう」エゴに振り回されて、多くの人間が死に行っても「数ではない」「家畜と同義」と言い切り、主人公（人間）が人柱となったことに関しては、お涙ちょうだいよーと言ってのけるんすよね。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;1万2千年経ると厚かましくなるって教訓を示すアニメとしてご覧ください。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_kayasaki/11687093.html</link>
			<pubDate>Thu, 29 Dec 2011 02:21:19 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>孤独を恐れる？</title>
			<description>いやぁ…相変わらずスゴイなぁ…。&lt;br&gt;
いつも怖いもの見たさで自己啓発っぽい言葉の羅列を読んでるんすけどね…。&lt;br&gt;
その中での一言に慄然っすよ。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
「&lt;font style=&quot;font-weight:bold;&quot; size=&quot;3&quot;&gt;自分たちは…あなたが思っている以上に実は正しいから、自己の正当性を疑い自己分析を行うと、安直な孤独を導きかねない。やたら正しい知識や解答を自分に求めるな。&lt;/font&gt;」&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
ね…すごいっしょ。手放しで他人の正当性を認めるんす。担保無しっす。だからおいらは以下のように思ったんすね。&lt;br&gt;
もう…いきなり赤字でどーんっと言いたいこと言っちゃってますが…。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
&lt;font style=&quot;font-weight:bold;color:rgb(192, 0, 0);&quot; size=&quot;3&quot;&gt;いやいや…自己を疑い分析せずして自分の正当性が主張できようか…。「安直」とは寧ろ自らが正しいと言ってのけるその傲慢にあるはず。&lt;/font&gt;&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
大体…内省したところで、ぐらついて孤独感に苛まれる程度の「自己」しか存在していないのであれば、その人は恐らく正しくない。その人の正当性は薄弱であると断言できる。&lt;br&gt;
自分の正しさは何度も反芻して自問自答、または他者の意見を参考に、また意見を戦わせながらスリム化、肥大化、一般化、ごにょごにょ…等々を繰り返し再構築することで、ようやく自分は正当だと主張する土台が出来上がるんです。&lt;br&gt;
そうっす。土台が出来上がるだけっす。そして…その土台が出来た時点ではまだ、自分が正当だと証明されてもいないんすよ。それを…全部ほったらかして、あなたは正しい！って…。&lt;br&gt;
やたら&lt;span style=&quot;font-weight:bold;&quot;&gt;知識を渇望したり解答を導き出そうとすることが自分を苦しめる結果になるってことは、誰しも経験済みです。だからと言って…その苦しみを放棄しろ！なんてことは言えません。&lt;/span&gt;あなたは正しいんだから、考えるのをやめて苦しみから逃れなさい…ってのは生みの苦しみから逃れさせ、成長の足かせとしての役割を担っているとしか思えない。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
&lt;span style=&quot;font-weight:bold;&quot;&gt;安易な自己啓発の類の言葉は…とっても卑怯で退廃的ですらあります。&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;color:rgb(192, 0, 0);font-weight:bold;&quot;&gt;そして一番恐ろしいのは、それを本人に気付かせないように、生ったるいオブラートに包んでいることです。&lt;/span&gt;心地よくココロに忍び寄ってきますが…実際は大したこと言ってないはずです。&lt;br&gt;
「あんたは正しい」「あんたは自由で良いんだよ」「許しがある」「感謝」…など毒にも薬にもならないような言葉が並びますが…これらが一度、余人の心の隙間に闇として（本人は闇ではなく光ぐらいの認識かも…）入ると…それにお金が絡むと…。&lt;br&gt;
考えただけで、恐ろしいっす…。&lt;span style=&quot;font-weight:bold;&quot;&gt;本当に恐れるべきは「孤独」では無く…こういった安易な言葉の羅列だってことっす。&lt;/span&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_kayasaki/6404909.html</link>
			<pubDate>Tue, 14 Dec 2010 16:58:02 +0900</pubDate>
			<category>心理学</category>
		</item>
		<item>
			<title>デビルマンの孤独から思うこと</title>
			<description>&lt;div&gt;そー言やぁ…昔のヒーローってのは、自らの正体を明かさなかったよね。その中でもデビルマンは、おいらのなかで…カッチョ良すぎ。現代で自らの正体を明かさないヒーローって、アメコミか浅見光彦ぐらいか。（浅見光彦は、おいらの勝手な趣味っす。すんません。）でもね…後者は知られても特に構わないんすよね。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ちょい古いけど、スーパーマンなんか別に知れれても、そんな支障は無いだろ…って。寧ろ知られてハッピーエンドになるかも…ってじれったさが作品の魅力の一つであって。でも、デビルマンは知られちゃいけないんす。だって悪魔だから。バットマンやスパイダーマンもコンセプトは似ているけど、デビルマンは人間の味方でもなく、悪魔の味方でもないんす。その孤独たるや…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;で、孤独ってのは、人間を成長させる要因の一つだとおいらは考えているんすけど…何だか最近は孤独を描かず、薄っぺらい人間関係と事件の羅列を小気味良く織り込んだ作品のほうがウケるのかなぁ…って思うことが多いんす。これまた、ちょい古いけど…「世界の中心で愛を叫ぶ」（←実はおいら見てません。でも、果敢に書きます）なんてのがあるっしょ。大体のストーリーしかわかんないけど…恋人が重い病気。普通に生活していたら多くの若者は、そんな状況に陥ることは無い。でも、共感を呼ぶ。なぜだ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;つまり、恋人がいる、恋愛をしている…ってことは共感できるんす。でも、同じ恋人がいる、恋愛をしているってことは戦時を描いた映画でも取り上げられたり、もちろん古典的なロミオとジュリエットなんてのもありますが、それは共感し難い。だって、戦時中には恋人を取り巻く多くの人の輪が存在したし、古典なんて地域社会そのものじゃないですか。若者は、雑多な人間関係の中の繋がりが複雑になればなるほど共感できなくなり、「もう世界に二人だけだったら良いのに・・・」的な甘い恋愛に共感するんです。もう…二人だけの世界に共感して、後は強烈な事件の羅列です。そして、事件に共感云々は必要ありません。ただのエッセンスですから。だから恋人が重病になろうと、わざわざ世界の中心で愛を叫ぼうと、そこには二人だけの世界があるだけです。他の雑多な人間関係は無視されます。だから、共感が得られるのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;でもね…おいらは孤独を見たいんす。それが人間を成長させるって思っているから。二人っきりの世界の共感よりも、他種多様な人間関係の中でこその孤独を見たいんす。そして孤独を糧に少年が青年へと昇華する。濃密な人間関係の中でこそ、精神的な孤独が発生する素地があるわけで…間違っても、物理的な孤独を見たいわけじゃないんす。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;まぁ、そんな雑多な入り組んだ関係の中での孤独感…ってのは描くのが難しいんだろうけど。で、簡単に言うと…結局はガンダムになるのかなぁーって。狭いながらも濃密な人間関係は構築されていて、それぞれに思惑があって、それぞれが他者に理解を求めるが理解されないことも多い。アムロは味方に心を開くことなく、ランバ・ラルやララァなど敵方の人間に共感することのほうが多かった。シャアは自分の生い立ちを知る妹アルテシア、つまりセイラに理解を求めるも「兄さんはおかしいわよ」の一言で終わらされる。まぁ、境遇は違えどアムロもシャアも孤独っていうことなんすよね。その孤独にどう立ち向かったかはガンダムをご覧ください。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;でも…孤独から成長が生まれるっていうのが、もう古いのかも…とも思うんすよね。コミュニケーション力至上主義的な世の中ですし。就職面接の集団ディスカッションで何を見ているかって、相手を尊重したり、場の空気を読んだり…っていう八方美人社員を求めているわけで。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;で、「リア充」や「ぼっち」なんて言葉を聞いた時にはびっくりしましたよ。孤独を何より恐れる思想の現れなんじゃないかって。そんで、おいら少し考え方をシフトしなきゃなんないのかな…って。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;「&lt;strong&gt;現代で孤独は忌み嫌われ、成長の素地とは見なされていない&lt;/strong&gt;」って。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;でも・・・馴れ合いから新たな成長が生まれることもあるでしょうが…なんだかなぁ。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_kayasaki/5380827.html</link>
			<pubDate>Wed, 03 Nov 2010 00:42:40 +0900</pubDate>
			<category>アニメーション</category>
		</item>
		<item>
			<title>生物多様性の必要性</title>
			<description>&lt;div&gt;生物の多様性を是とする人も、否ってする人も・・・同じコトを言ってる気がするんです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;例えば…「どの生物がどのような影響を環境や生物に及ぼしているかが未だ証明されていない事象も無限に有るといっても過言では無い」ってことを両者共言っているわけで…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そっから分かれている気がします・・・。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;つまり、よくわからないから・・・とりあえず保護しとこうよ、次の世代が考えたら良いんじゃね、選択肢は多いほうが良いから、遺伝子の種類が多ければ多いほど人類に役立つ可能性も増えるってことだし・・・ってグループ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;もう一つは・・・人間が環境を破壊したって証明できないのに、なんで贖罪のごとく環境サマに頭下げなきゃいけないんだ、証明できないのだったら人間も自然の一部に過ぎないんじゃないか、人間の行動を規制するほうが自然の原理に反しているんじゃないのか・・・ってグループ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;まぁ、私はどちらかというと・・・後者に思い入れが強いから、きちんと客観的に判断できているかは迷うところだけど・・・。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;今のところの、私の考えは以下。後者の意見に近いっす。つーか、後者ですな。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;後者のグループも決して環境破壊だの生物が絶滅するってことに安穏とする人はいない。けれども、過剰な保護政策や倫理的問題が足かせとなり人間の行動（生命活動）を規制するようでは人類の発展は無いのではなかろうかって考えている人が多いのだと思う。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そもそも科学なんて不安定な理論に立脚しているものだし、その科学を否定し始めたらキリが無い。でも、その科学で我々人類は多くの繁栄を築いてきた。そして、人類が他種を絶滅させてまで繁栄を謳歌しているなんてことも証明はできない。確かにちっぽけな利益・・・乱獲によりヒトが主な原因となって絶滅させた種はあると思います。でも、それにより人間は学んだんじゃないのでしょうか。人間の経済活動が他種に影響を及ぼすことがあるって。で、恐怖に曝された。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;でも・・・私は単に分からないからって理由で、科学の発展が阻害されるのは納得がいかない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;科学は分からないところから発展していくものでしょ。そこから知的好奇心が育まれて、大きなうねりとなって時代を動かすんでしょ。環境の保護も大事ってのは皆分かっているんです。でも、過剰な保護は・・・ってところで迷っているんです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そして・・・科学の発展は、タブーの破壊にあるんです。ガリレオ、コペルニクス、ダーウィン、ウェゲナーなどはタブーに挑み迫害を受けたことで有名です。日本では杉田玄白らが・・・死体の解剖はタブー（死者は死後の世界では平等。罪人の死体といえど簡単に解剖の許可は下りなかった。死は神聖なものだったから。）の当時、これを打ち破り「解体新書」を発表したことは有名です。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;環境だの、エコだの、砂漠だの、二酸化炭素だの、シロクマだの、異常気象だの、ダイオキシンだの、環境ホルモンだの、酸性雨だの、光化学スモッグだの・・・からはじまり、マイ箸だの、マイ買い物袋だの、マイ水筒だの・・・。←この帰結地点がおかしいってのは科学を信奉している人間なら普通に思うはずなんです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;科学は万能ではないってことは、実は恐らく・・・科学を信じずに背後霊を信じている人たちよりも、科学の信奉者が一番分かっているのではないでしょうか。そして安易に科学不信任案を出して科学の発展を萎縮させることが、結局は多様性の解明の足かせとなったーってなことになったら悔しいなーってことです。でも、環境を保護しようとする人たちの意見も貴重なことは間違いありません。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;・・・科学の暴走を止めるのは彼らしかいませんから。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_kayasaki/4987723.html</link>
			<pubDate>Wed, 20 Oct 2010 02:08:11 +0900</pubDate>
			<category>その他環境問題</category>
		</item>
		<item>
			<title>生物多様性に関して思うこと</title>
			<description>&lt;div&gt;生物多様性って…言い換えれば遺伝子の多様性ってことでしょ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;じゃぁ、遺伝子が多様だと何か良い事あんのー？ってな疑問にぶち当たりますわな。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;その解答は大体こんな感じかなぁ…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;農作物や家畜の育種、医薬品開発、バイオテクノロジーの素材や材料として考えた場合、 全ての生物（遺伝子）は役に立つ可能性があるってことらしいっす。ほんで、生態系の維持は、生物の種が多ければ多いほど安定するらしいっす。だから遺伝子って種類が多いほど良いってことなんすなぁ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;で、遺伝子を人類全体の資源って考えると、バイオテクノロジーで突っ走る先進国にはちと都合が悪い。勝手に自分たちで遺伝し作っちゃったりしたものもあるでしょ。それを人類の財産なんて言われたら、それに投資したお金やら開発した知的財産の権利だの…よく分からなくなるっす。だから生物多様性条約に米は批准しないんす。ただ、遺伝子の価値をどうのこうのってのが、科学技術の発展を妨げる構図がここでも見られてる気がして…科学信奉者のおいらとしては残念な気持ちになるっす。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そして環境保護の話も同時に語られることが多いっす。干潟を埋めたら干潟に生きる生物が死ぬ…これは道理。でも逆も存在する。生物は環境の変化に適応して生きながらえる場合もありますわな。まぁ、その理論で行くと・・・干潟を保護したら絶滅する生物だって見つかっていないだけで実はいるかもしれないーなんてことになるわけで…。それを言い出したらキリがないわけで…。だから技術の発展と遺伝子の価値を天秤にかけるべきではないけど、どっちが重いか決めなくちゃならない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;だから、どっちが重いか価値観のぶつかり合い。よって人間のエゴが見えるんす。自然万歳の人たちも生物多様性に乗っかっちゃてるしね。生物多様性は人間のエゴの多様性でもある…ってな感じ。あんま良いオチじゃないけど…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;（蛇足）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;生物多様性を錦の御旗に押し立てて環境保全を訴えるけど、そんな必要はないよね。おいらも自然愛好家だから自然好きってだけで良いのに、人に押し付けたがるのがいるから…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;例えば、干潟を守るなら干潟や干潟に生きる生物が好きなんだーってエゴを爆発させてくれたほうが分かりやすいし、正当な主張のようにも思えるっす。おいらも自分の住む自然が政治的圧力等で不当に無くなるのだとしたら、その時は愛しているからやめてーって叫びますよ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;おいらはそれで十分だと思うけど、中にはそれだけでは満足せず、学者先生のお墨付きのような…権威が欲しくなるから利用するんだろうねー。自分の言っていることの正当化のために学者の権威の裏付けが必要って思うんす。それが間違っているんすよね。好きなら好きで良いのに…。自然への愛が屈折したんでしょうなぁ。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_kayasaki/4834872.html</link>
			<pubDate>Thu, 14 Oct 2010 23:46:31 +0900</pubDate>
			<category>自然保護</category>
		</item>
		<item>
			<title>FTAはよく考えないと…</title>
			<description>&lt;div&gt;ＦＴＡ締結しまくれー！&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;農政利権を貪るやつらが困るだけだろがぁー！&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;農業は潰れねーよ！&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ってコト言う人っているっす。ま、農村部は壊滅的打撃を受けるでしょうが…確かに農業は潰れないと思うっす。でも、ＦＴＡで輸出企業が潤う＝日本が豊かになるって発想は、なんだかなぁ…って思うのはおいらだけなのかなぁ…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;って言うのも・・・&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;企業が潤っても日本人の雇用が増えるかどうか…。輸出企業が潤うから街にお金が流れるーなんて、もはや神話に近いんじゃ…。グローバル経済だ何だって理屈を言って、お金は日本に留まらず海外に流れる…つまり、海外工場が増えるだけのような気も…。ＦＴＡ＝多くの日本人の利益ではなく、一部の日本人の利益と言えるのではないでしょうか。その一部の人間の利益目的のために日本経済新聞はＦＴＡしろーって言っているんす。購読者は一部の利益層に当たる人が多いですから。でも、巷では多分恩恵には預かれないであろうような人まで自由経済を叫びます。だから、おいらは悩むんす…。どっちが幸福なのかって。踊らされているのが良いのか、騙されていたって気付くのが良いのか。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ま、おいらが悩むどうのこうのは置いといて・・・&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;農業で食えなくなった若者は職を求めて都市部に流れる。年金等の保証がある老人が壊滅的農業を支える。悪循環ではないのかなぁ…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;せっせと海外に工場を作って企業は潤うが、日本の若者は雇用機会に恵まれず、老人に保障しまくって、その保障費で老人は農業をする。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;だもんで、農業は潰れない。だけど、若者は疲弊すると思うっす。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ＦＴＡってもっとよく考えないと、若者が食い物にされるだけの諸刃の剣のような気がするんすけど…。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_kayasaki/4685779.html</link>
			<pubDate>Sun, 10 Oct 2010 01:29:02 +0900</pubDate>
			<category>失業、無職</category>
		</item>
		<item>
			<title>まだ存在する…</title>
			<description>&lt;div&gt;まだ存在するんですなぁ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;「勝ち組」「負け組」って、社会を幼稚な二元化で考える人って。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;まぁ、この言葉が出てきた当初から私は嫌悪感を抱いていたので、ここまで執着しているのかもしれないのですが…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;確かに他人に説明を行う場合、例を示すってのは常套手段です。それが面白ければ面白いほど良いし、勿論そこにはある程度の整合性が必要とされます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;んー、でもねぇ…そう、ある程度…なんです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;例え話に厳密な整合性を求めるのはナンセンスってやつです。だもんで、ある程度の歪曲表現は許されるんです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;で、二元化です。これは恐らく有史以来ずーっと人間が繰り返してきた例え話の中でも、定番中の定番。善と悪。金持ちと貧乏。勝利者と敗北者・・・。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そうなんです。勝利と敗北ってのは、有史以来・・・戦争に明け暮れていたころから必ず対面する現実…勝ち負けがあったのです。そして、それを引き合いに出して人間は人間を語ってきたのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;だから逆に、深いとも言えるんです。勝ちと負けのみで人間を語るってのはいろいろな哲学的な思惟を含みます。だって、勝利はなぜ敗北と異なるのか、勝利は敗北への第一歩ではないのか、いや、そもそも勝利や敗北を規定しているものとは何なのだ。死人か、経済活動か、名声か。ね、ちょっと哲学的でしょ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;でも、この二元論を引き合いに出して語る現代の人間は、他者を先導するための道具としてこの言葉を多用するのです。その薄っぺらさに辟易することもありますが、この言葉が薄っぺらいほど使用している人間にとっては都合が良いのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;なぜか。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;この言葉を使用している人は、他人（話し相手）を薄っぺらいと思っているからこの程度の言葉で例えて言っているんです。つまり、この例えを出された時点で、あなたはその人に見下されているといっても過言ではないでしょう。あなたには高度な例え話はムリでしょう…そうだね…じゃあ、勝ち組負け組の話をしようかぁーって。それだと分かりやすいでしょ。負けたら悔しいでしょー、感情的にもなるでしょうって。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そして、相手が感情的になればシメたもんです。感情的になった相手ってのは合理性を失います。言わば、主導権は相手に奪われているんです。例えば「負け組みになりたくなかったら、この本を買え！」とかあるでしょ。感情的になると買ってしまうんです。こうやって、相手の自尊心をくすぐり、感情をコントロールしながら日本経済新聞を買わそうとしているんです（笑）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ん。おいら、日本経済新聞嫌いだから・・・すんません。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;つまり、もっとも良いことを言っているのはガンダムの主題歌だったりするんです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ガンダム００８３で・・・&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;勝利者などいない～って&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;つまり、&lt;strong&gt;例え話ってのは曖昧さがあるのは当然。そして二元論のように太古から語られているような例に関しては、語り手による。その語り手が、真に哲学的な解釈で二元論を持ち出すのは構わないが、単に理解を求めるために安易に持ち出すことには弊害がある。悪意を持ってそれを使う人間も存在するから。そして、知らず知らずの内にそれに毒されると、自分もその二元論を用いて悪意を持っていなくても他者に悪影響だけを残すという社会的な悪循環は形成されていくのである&lt;/strong&gt;。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_kayasaki/4359880.html</link>
			<pubDate>Wed, 29 Sep 2010 02:18:47 +0900</pubDate>
			<category>哲学</category>
		</item>
		<item>
			<title>サンデル教授の限界？</title>
			<description>&lt;div&gt;NHKの番組でサンデル教授の特集をやっていたので見た。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;原爆の是非についてインタビュアーがサンデル教授に食い下がるように聞いたところ・・・&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;日本も原爆を落とされるに至った責任を見つめなおす、だの&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;責任は我々全員にある&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;互いに謝罪し合い、和解に向けた対話が必要、だの&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;んー、サンデル教授のように聡明な方でも&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;アメリカ的歴史観ってのから逸脱することはできないんですなぁ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;リメンバー　パールハーバー、だの言わないだけ、多くのアメリカ人より・・・まだマシですが…&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;サンデル教授も知らないようなので一応。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;原爆は人体実験です。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;人種差別の結果でもあります。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;多くの人が救われたから、正義と捉えることもできる・・・なんて&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;物事を両面から見る必要もあるから、サンデル教授のお得意の論法で私が惑わされているだけなのかもしれませんが・・・それにしたって、&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;講義の題材だからって・・・&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ユダヤ人虐殺を我々人類の過ちだだと、ユダヤ人の前で言えますか？&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ユダヤ人もドイツ人もお互いに謝罪しようなんて言えますか？&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ユダヤはドイツと戦争していない、一方的な虐殺だから、広島とは違う・・・なんてこと言う人がいるかもしれませんが、やっていることは計画的な民間人の虐殺ですから同じです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;まぁ、アメリカ人の限界なのでしょうかねぇ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;サンデルさんの今後の言動に注目したいと思っています。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_kayasaki/4356417.html</link>
			<pubDate>Tue, 28 Sep 2010 23:01:25 +0900</pubDate>
			<category>政党、団体</category>
		</item>
		<item>
			<title>ムリじゃん</title>
			<description>&lt;div&gt;京都議定書…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;えっと、日本の目標は…&lt;strong&gt;2012年までに、基準となる1990年比で-6%。&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ん、2012年まであと少ししかないじゃないか…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;じゃぁ今は…？&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;エコエコうるさいから進んだのかなぁ…&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;って&lt;strong&gt;8%も増&lt;/strong&gt;加しているじゃないかー！&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;なんか…、環境問題の素人だから分からんが、こんなのムリじゃん…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ほんで達成できなかったら&lt;strong&gt;2013年以降にペナルティー&lt;/strong&gt;って…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;後世にツケを回す議定書だったのかぁ・・・。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ん、そう言えば・・・最近・・・&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;1990年比で2020年までに二酸化炭素を25%削減&lt;/strong&gt;って言った人がいたような…。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;まぁ、たまたま今日勉強する機会があったから良かったけど・・・&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;たぶん、おいら知らなかったろうなぁ、&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;法的拘束力があってペナルティーあるって。2012年まで。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_kayasaki/4259442.html</link>
			<pubDate>Sun, 26 Sep 2010 01:04:14 +0900</pubDate>
			<category>地球温暖化</category>
		</item>
		<item>
			<title>社会学とのすりあわせ③　幸福</title>
			<description>&lt;div&gt;幸福ー。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;これは、もう何度かこのブログでも言った？かな。幸福を人々にもたらしていたものが科学だったわけなんだけど、科学の信頼性が崩れてきた。確かに科学が進んで車やパソコンや医療機器、便利になったし快適になった。けれども、我々は本当に幸福になったのだろうかーなんて考える人も出てきたからです。これは、ある意味仕方が無いことでもあるんです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;社会の構造が科学により支えられているため、だからなのです。人は新たな政策を話す人がいればその政策を科学的に判断するために勉強しなくちゃいけない。会社に新しいシステムが導入され各部署の連携をスムーズにするために、これまた新たに勉強しなくちゃいけない。この前ソフト書き換えたばっかりなのに…なんて言いながら。世の中に遅れちゃいけないってインターネットを始めたり、ツイッター始めたり。最新機器が欲しいからって朝早くから店頭に並んだり。その機能を熟知するために、また勉強したり。つまり、果てないんです。これに疲れた人が癒しを求めたりするのは、社会現象とも言えるでしょう。だから、この果て無さを幸福かどうか迷う人ってのは、ある意味仕方の無いことなんです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;もっと言えば…これは若者にもいえます。彼らは科学が人類を幸福にするとは最早思っていないでしょう。むしろ彼らは科学のデメリットを教育により叩き込まれた。核廃棄物や環境ホルモン、光化学スモッグに水質汚染。挙句・・・エコの嵐の中、地球温暖化ですからね。科学のメリットよりもデメリットを計算する人のほうが多いと思います。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;さらに経済は不調。働く場所もない。科学は高度経済成長を支えましたが、彼らを助けてはくれません。科学は団塊の味方でしかないって考えてしまう。だってこれから年金暮らしの年寄りを、働く場所も無い貧しい若者が支えなきゃいけないなんて科学は、彼らを苦しめるだけなのですから。だから、「働くのは美徳、お金こそ幸福の塊」なんて若者は思っていないんじゃないかな。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;だって彼らは自分探しの旅に出るでしょ。良いか悪いかは別にして。若者はね、労働よりもお金よりも自己の確立のほうが重要なのです。あと、大学を卒業して社会に出ても働きながらお金を貯めて、また大学に入り直したいって人も多い。これは社会が不安定なため、最も身近で確実な自己投資に幸福感を覚えるって分析するのが妥当かなって思うなぁ。社会貢献するにもプライスレスなボランティア。翻って自己投資と考えるって若者の逞しさ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;つまり、おいらは幸福に関してこう考えるんです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;幸福は科学を基に考えられていたんだけど、それが変化しつつある。人が癒しを求めたり、うつ病が社会現象化することからも、科学が主導する幸福に疲れが見え始めていることが伺える。&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;そして、若者はもっと極端。科学は彼らには冷淡な未来しか予測させない。だから彼らは確実な自己投資に走る。自己投資により自己を確立し、競争を勝ち抜く。もしくは争わず、自己の研鑽のみにしか&lt;/strong&gt;&lt;strong&gt;興味を覚えない者も出てくる。前者は肉食、後者は草食と揶揄される。&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;&lt;/strong&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;幸福を規定する入れ物は、科学の信頼の低下により形を変えつつある。その形は個人主義の塊のようでもあり、自己愛の社会版（ボランティア精神に見られる社会性より）とも考えられる。これは社会を通して自分を見るのではなく、自分を通して社会を見ることの方が一般化するというシグナルでもあるのか。そうであるならば、これは危機でもある。独りよがりの自己から社会を規定するようになれば、その社会は非常にいびつな形になることは間違いないからである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;以上、幸福と幸福から考えた社会でやんしたー。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ま、ほぼ科学から見た幸福って感じでしたけどー。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_kayasaki/4143333.html</link>
			<pubDate>Thu, 23 Sep 2010 00:17:50 +0900</pubDate>
			<category>その他社会学</category>
		</item>
		</channel>
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