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ふむ、済まないが、そこの御仁。
「ああ? 何だ、お前?」 本当に申し訳ない。もし良ければ、その手の中の物を分けてくれないだろうか。もう、何日も何も口にしていないのだ。 「……コレが食いたいのか?」 うむ。この哀れな私に、ぜひ恵んでいただきたい。 「まぁいいか。ほら、食べな」 ……暑く、うだるような夏のある日。私は、深い山の中で女神に会った。 どういうわけか記憶を無くし、行くあても無く山の中をさまよっていた私。幾日かは山を下ろうと歩き続けたが、どういうわけかふもとにもたどり着けない。 山の中を動き回れば、当然腹も減る。しかし私は恥ずかしながら、生まれてこの方これほどの山の中で狩りなどしたことが無い。何も口にできないまま、川の水だけで過ごしていた。もちろん、それだけで足りるはずもない。 いよいよ限界かと思われた時、私の鼻が肉の焼ける匂いを感じ取った。焼いた肉がうまいとは思わないが、やける匂いは素晴らしい。これほどまでに、私の食欲を刺激する。私は本能に従い、僅かな月明かりの元を駆け抜けた。草をかき分け岩を避け、たどり着いたその先に――彼女がいた。 その姿はまるで女神のようだった。
私は人の顔を覚えるのは苦手である。ほとんど無理だともいえるだろう。それでも、その整った顔は忘れられないだろうと思った。この山の中にいるのにふさわしい、使い古された衣服にも好感が持てる。 何より、その匂い。その匂いが、その少女が他の人間と全く異なっていることを告げていた。私の鼻は、仲間内でもよく利くことで有名だったのだ。間違いはない。 少女がその手ずから、自らがかじっていた肉を私の目の前に置いてくれる。今まで嗅いだ事のない匂いの肉。だが決してまずそうなわけではない。むしろ、今まで出会った肉の中で最もうまそうだった。 私は恥も外聞も無く、ただ勢いよくその肉に食らいつく。私には少々熱すぎて少し口の中を火傷してしまったが、そんな事も気にせずに、私はただただ貪った。 「おう、落ち着いて食え。しかしアレだな……お前、名前は? ……なんて聞いてもしょうがないか。まぁいい、俺の名前は遍槙小町 (べんてんこまち )。よろしくな」 そう言って、私の頭を撫でる少女。その声が優しく、山の中に響いた。 「はは、くすぐったいよ!」 私はお礼にと、その少女の顔を舐める。人の言葉を持たない私には、ただこうするくらしか、彼女に私の気持ちを伝えることはできない。 「あははは、わかった、もう分かったって! はぁ……『どういたしまして』ってか」 そう言って、再び少女は私の頭を撫でる。その少女は私の言葉を、理解してくれているようだった。その表情は穏やかで、優しさに満ち溢れている。 私は、彼女に出会えた幸運に感謝した。 ……私の父も祖父も、ただ人のそばにあり、人とともに生きてきた。私もまた、人と――私のご主人とともにある。あり続けたい。だから、帰らなければならないのだ。 私は、犬。ただの、犬なのだから。 「こら、暴れるな!」 あれから、私はこの少女と共にいた。理由は簡単だ。彼女という存在についていけば、私の目的が叶えられる。そう、私の勘が告げたからだった。 「ほら、尻尾も」 ……しかし、この扱いは困る。 穏やかな昼下がり。今、私と少女は川の中にいた。 きれいな水だ。一時、口にするものがこれしかなかった私が、その安全を保証する。あちこちには魚も泳いでいるし、私にそれらを捕まえる技術があったならよかったのだが――その時は、この少女とも出会わなかったかもしれない。こういうのを、そう、“縁”があった、というのだっただろうか。 ムニュ 先ほどから、私は体を洗われている。水浴び……というか、水を浴びるほどに飲むのは最近毎日行っていたのだが、体の方はとんと無頓着になっていた。私だけでは、全身をくまなく洗うなんてことも出来ないし、何より早く家に帰ろうと躍起になっていたからな。いつの間にか、私の体は汚れてしまっていたらしい。それが、少女の気に障ったのだろう。 当然、川の中にいるのだから少女もその衣服を脱いでいる。使い古された衣服は無理に力を入れるとすぐに穴があいてしまいそうではあったが、少女は特に気にした風も無く、その辺に脱いで捨てていた。几帳面なご主人に比べれば、何とも大雑把な性格である。 私の体は比較的大きい。町の中でも、私に勝てる者などそうそういなかったほどだ。その私の体に比べ、少女の頭はそれほど高い位置にあるとは言えない。よく家の前を通っていた少女と、同じくらいだろう。 少女は全体的に細みだ。いささか、人間の女性としては肉づきにかける気がするが……逆に、動物として見ると非常に美しい肉体をしている。すらりと伸び、しなやかに動く手足は移動するのに役立つだろうし、筋肉の付き方から見て、相当な瞬発力があることもうかがえる。私にはよくわからぬが、その体は……そう。昔ご主人と一緒に見ていたテレビに出てきた、古い彫刻みたいな感じだろうか。 ムニュムニュ ……先ほども言ったと思うが、私の体はそれなりに大きい。それに対して、少女はこの歳の女性として普通くらいである。そんな彼女に、私の体は洗いにくいらしい。その結果、少女が私を抱きとめるような形で洗うという状態になっていた。要するに。 少女の胸のコブが、私の背中を圧迫しているのである。 圧迫と言っても圧力がかかっているわけでもなく、また少女のコブがそれななりに柔らかくて気持ちがいいため痛みは無い。ただ、少しうっとうしかった。少し離れて欲しくて体を動かせば、逆に少女が力を込めて私を抱きしめてくる。仕方なく、私はされるがままに任せることにした。 「よし、綺麗になった!」 ふぅ。やれやれ、ようやく終わったか。 その状態に耐えることしばらく。私の体のあちこちをいじり通した少女は、満足したのか私から離れていった。私が振りかえってみれば、なかなかにイイ笑顔をしている。 正直、ご主人はもっと丁寧に洗ってくれたからいささか疲れてしまった。無論、空気を読む私はそんなことを顔には出さない。ただ静かに、少女の顔を見つめていた。 腰に手を当てて、満足そうに頷いている少女。 ……少女よ。私にはわからぬが、人は裸でいることを恥ずかしがるのだろう? いくら人気がないからといって、そのままの格好でいるのはどうかと思う。 私はついついそう思ってしまったが……顔には出さない。 なぜなら私は、空気を読む犬だからだ。 ブルブルブル! 「あ! こら、水を飛ばすな!」 済まない、それが習性なんだ。 私は水浴びを終えた後、少女が自分の衣服と体を洗うのを待ってから、川からあがった。夏の熱気が冷えた体を一気に温める。いささか暑すぎるが、この調子ならすぐに体も乾くだろう。そのうだるような暑さの中、ふと気付く。何故、この少女はこんな山の中にいるのだろう。 私のような獣の身であれば、本能にまかせてこの山の中に飛び込む事もあるかもしれない。生憎と、その時の事は覚えていないが……まぁ、私もまだ若いということだろうか。と、そんな事は置いておいて。 少女はその肉のつき方や立ち振る舞いから、ただ者でないことは分かる。しかし、それでもその身は人間。それならば、こんなにも人里離れた所にいるのはおかしいのではないか。 私はその事を、少女に訪ねたかった。しかしそれは、犬であるこの身には叶わぬこと。 「ほら、体吹いてやるから大人しくしろよ」 私の顔を覗き込むようにして、少女が優しく私の体をタオルで拭く。とりあえず、私はそのまま身を任せるのであった。 パチパチと、火が爆ぜる音がする。私の目の前には、橙に燃えるたき火が灯っていた。日が落ちたとはいえまだまだ気温は高い。それなのに燃える火にあたりたくなるのが、人間という生き物らしい。少女も手早くその辺りから枝を集めてきたと思ったら、あっという間に火をつけてしまった。その動きは洗練されており、長いことこのような生活をしていることが伺える。 「よいしょっと。あー、もうイノシシ肉も少ねぇな。また出てくれないかな、イノシシ。あいつ結構うまいんだよな」 少女が袋から取り出した肉を、棒に差して火に当てる。私にはそのまま、大きめの生肉を渡してくれた。……うまい。昨日は火で焼かれていたが、やはり肉は生に限る。 「やれやれ。このまま道に迷ったままだと、そのうちこの山の主になっちまうな。そんなもんお断りだぜ。さっさと人里に下りてぇが……」 そう呟いて、少女は紙を取り出した。私は知っている。それは、地図というモノだ。 「北極星がアレで、あの星座がここにあるから……いま、この辺だよな。……たぶん。う〜、だったらもうすぐ山の外に出てもおかしくないんだが……磁石も落とすし、ついてないぜ、まったく」 ……トントン、と少女が頭を叩いて悩んでいる。地図をくるくるとまわし、何度も空を見上げていた。どうも、そうやると自分の位置が分かるらしい。 残念ながら、私には、地図は読めない。済まないがその点は力になれないな。もしどうやってこの山に入ったのか思いだせたなら、帰り道も分かるのだが……気が付いたら此処にいたからな。匂いも分からないし、人里がどちらなど、皆目見当がつかない。 「……また、アレやるか」 地図を睨むことしばらく。少女はそう言って、懐から一本の棒を取り出した。 真っ白い、妙に重たそうな棒。知らず、私の尻尾が反応する。 ……私と、遊んでくれるというのか? 気持ちは嬉しい。しかし私はもうそういう物からは卒業したのだよ。悪いが、あきらめてくれ。 パタパタパタ! いかん。尻尾が止まらない。 「ん? コレが気になるのか?」 私がその棒をじっと見つめていると、少女は私の気持ちをくんでくれたようだった。べ、別に遊んでほしいとは思っていないぞ。私はただ、その棒が飛んで行ったらすぐに取りに行こうと思っているだけだからな! 「コレはな、俺のご先祖が残した『縁切』ってもんでな。こうやって――」 私の心の声に気付かなかったのか、少女はその棒の頭を押さえたまま、棒を地面に置いた。少し反っているその棒が、地面の上でまっすぐに立つ。 「――使うんだよ!」 パタン 少女が手を離すと、その棒は倒れた。その様子を見て、少女は満足げにうなずいている。 ……? それで何だと言うのだろうか。私の期待はどうしてくれるのだろうか。見てみるがいい、少女よ。私の尻尾も元気を無くしてしまったぞ。 「よし、んじゃ明日はあっち行ってみっか!」 やっぱり私の心の声に気づかず、その少女はその棒が倒れた方向に目印を付けていた。つまり、そっちの方が人里だと? 「あっちに人里がありゃいいんだが……俺は悪“縁”が強いからな。ここ三日くらい同じことやってるが、……この辺りをぐるぐる回ってるし。ま、“縁”があれば町に出るだろ」 少女はそのまま地図を放り投げると、飯飯と、さっきから火にかけてあった肉を食べ始めた。ふむ。とりあえず、方針は決まったようだ。ならば、私は大人しくそれに従うとしよう。 ……別に、遊んでくれなかったことが寂しくなんてない。 (二へ続く) にほんブログ村に参加しています。面白ければワンクリックお願いします。 https://novel.blogmura.com/ ←にほんブログ村 小説ブログ |
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