倉雁洋の蔵の中

まあ、そうはいってもまーたすぐ戻ってきそうな気はするんですけどねー。

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「オイ」

 暗い、暗い路地裏。人気も無く、ただ異臭だけが漂う。そんな月光も届かないようなこの場所で、少女は男が一人になった所を見計らい、声をかけた。

「は?」

 少女の声に、その男は振り向く。
 この匂い。夢にまで感じた、この匂い。絶対に忘れることはない。私の、ご主人の仇。
 殺せ、殺せ、噛み砕け。殺せ、殺せ、噛み砕け。殺せ、殺せ、噛み砕け。コロセ、コロセ。
 黒い衝動が私を支配する。それは全身を駆け巡り、まるでこの身がたった一つの牙になったような錯覚さえ起こさせる。
 しかしそんな、すぐにでも飛びかかろうとした私を少女は押さえた。優しく、私の頭をなでる少女。その間だけ、私の黒い衝動は収まった。

「……何だ、君は? ……家出少女か? 悪いが、今日は女を抱きたい気分じゃない、別を当たってくれ」

 男は下卑た笑いを浮かべながら、そう少女に言った。男のしゃべる言葉は何の感情もこもっていない。だから私には、何も理解することができない。それがまた、私を黒い衝動へと向かわせる。

「……俺だって、お前となんざまっぴらごめんだ。……なぁ、あんた」

 少女がその顔を怒りに染めながら、男を睨みつける。

「……人、殺してるだろ?」
「……何の話だ?」

 ずばりと。少女はただ事実だけを言葉にした。言われた男はとたんに笑い顔をやめ、無表情になる。そしてすぐに、驚きと怒りの入り混じった表情へと変わった。

「あの家の……犬を飼ってた家の主。その人を、殺しただろ? 悪いがな、見てた奴がいたんだ。そいつがはっきりと認めてる。あんたが、犯人だってな」

 ……再び、男の顔つきが変わった。それは、開き直った男の顔。決して追いつめられた男の顔ではない。罪を認め、悪を悪と認識しながらも実行する、汚い男の顔だった。

「……まいったな。誰にもばれないと思ったんだが……なぜ、君がそんなことを知っている?」

 男は、懐からナイフを取り出した。それは、ご主人の命を刈り取ったナイフ。血はぬぐわれているが……べったりと、ご主人の匂いが染みついている。その匂いは優しく……そして、悲しい。

「言ったろ。目撃者がいたんだ。ただ、そいつの話を聞いてやる奴がいなくてな。俺が付き合うことにしたんだよ」
「それは……しまったな。そんな奴がいたのか。あいつに子どもなんていなかったと思ったんだけどな。まあいい。そういうことなら、しょうがない。お前を殺して、そいつも殺せばまた真相は闇の中、ってことだろ」

 男はご主人の匂いがするナイフを舌でなめた。唾液にぬれたナイフが、きらりと光る。男の瞳にあるのは反省なんてものではない。愉悦だ。少女に追い込まれて、しかし少女を殺すことに対する愉悦。いつまでも、同じことを繰り返す。いつまでも、楽しい時間を。ただそれだけが男の目的なのだと、感じさせるものがあった。

「……本当に、俺は男運がないな。出会う人間なんて、こんなもんだよ。……悪い、テメェには同情できない。――いいぞ」

 そう言って。少女は、私を撫でる手を離した。
 私は解き放たれた狼のようにただ大地を脚でける。あの時と同じように、全力で走る。狙うのはただ一点。私が私であった最後の場所で――私が私で無くなる、最初の場所。

「ガァッ!!」

 カラン、と。ナイフが男の手から離れて乾いた音を立てた。男は腕を押さえて苦しみだす。私の牙は、確かに男の腕を貫いている。そこから、赤い血が滴っていた。

「……なんだ、何もないのに……どうして突然右腕が……! 貴様、何をした!!」

 私からは見えないが、男が少女を睨みつけているのがわかった。その瞳はきっと憎悪と恐怖に染まっていることだろう。私がさらに強く食らいつくと、男はいっそうの悲鳴を上げて倒れた。

「俺は何もしてねぇさ。そこはな、そいつが……事件を見てた奴が、最期の最期に食らいついた場所。テメェが、『呪われている場所』」

 そう言って、少女はあの棒を取り出した。白く輝く、『縁切』と少女が呼んでいた、あの棒を。ああ。私はもう、その棒を見ても心躍らせることも無い。尻尾が震えることも無い。その事実だけが、胸にずきりと痛んだ。

「さて……覚悟はいいな?」

 少女が手を動かすと、その棒から月が生まれた。否。それは月ではない。月のように美しい、少女の牙だった。少女はその牙を片手に持って男に近づき、言葉をつむぐ。

「呪いとは、因“縁”。そいつは、テメェの行いの、今までの報いだ。……テメェは、テメェが殺した犬に呪われてるんだよ」

 そうだ。私はもう、死んでいる。それが、記憶を失っていた理由。私が山の中にいた理由。私はあの時、コイツの腕に食らいついて、殺されたのだ。

「テメェはどうしてか犬を山に捨てたみたいだが…………まぁ、そこら辺は俺の知ったことじゃない。証拠隠滅とか何とかだろ。ただ、俺とそいつに“縁”があって俺はここまでそいつを連れてきた。……でも、これ以上そいつが人を苦しめたら、きっとそいつが楽になれなくなっちまう。だから俺は、テメェの縁を切る。……ただ、それだけだ」

 ドス!
 少女は、その牙を男に突き立てた。しかし、それを抜いても男から血は流れない。
――そして、私も男に触れなくなっていた。私の牙が男を通り抜け、私は地面へと着地する。

「……腕が……収まった」

 男は、不思議そうな顔をして腕を見ていた。そこには確かに、私が食らいついた後がある。血が流れている。しかし、それだけだった。もう、私が触れることはできない。

「……テメェの因“縁”確かに断ち切った。ただ……一緒に良“縁”も切らせてもらったからな。これからの人生、今まで楽しんだ以上に苦しみな」
「……何を言って……」
「おーい、誰かいるのか〜」
「! ……クソ!」

 少女の後ろから声が聞こえると、男は一目散に逃げ出した。ナイフを拾って行こうともしない。――それが、私が見た男の最後の姿だった。

 キキィー! ドン!

 ……男の逃げだした方から、何かがぶつかる音と、衝撃。あの男の血の匂いが、遠くから風に乗ってくる。私はただ、その匂いが不快だった。

「おい、交通事故だ! 車が人をはねたぞ!」
「いきなり人が飛び出してきたんだ!」
「まだ息がある! 救急車だ、救急車を呼べ!」
「……悪いな。それでも、死んで楽になれないのが“縁”ってもんなんだ。テメェはこの事故じゃ死なないさ。……一生、罪を償うんだな。……胸糞悪い。行こうぜ、お前の家に」

 そうやって少女は呟くと、その牙を棒にしまった。そのまま私の家に向かって歩き出す。
 あちこちから悲鳴と怒号が上がっていく。今、賑やかなはずの繁華街は確かに喧騒に包まれて行った。怯えた人の声が、風に乗って漂う血の匂いが、嫌にわずらわしい。
 ――ああ、誰でもいいから殺したい。
 心は、まだ晴れない。


「なぁ……まだ、行けないのか?」

 ああ。あの男を殺せなかった私は、まだ行けない。

「そうか……」

 私と少女は、私の家のリビングにいた。それは、ご主人が大好きだった長椅子の前。ご主人が、最期を遂げた場所。私が今、最も落ち着くのがその場所だった。此処にいる間は、私はまた私になる。

 チャキ。
 私が静かにたたずむその前で、少女が再びその牙を取り出した。月のない室内でさえ、それはやはり三日月のように輝く。その輝きが、心地よかった。

「……お前を中途半端にしちまったのは、俺の所為だ。なら、俺がお前を送ってやる」

 少女が顔を俯いたまま、言う。表情は私の位置からでも見えない。しかし、どんな顔をしているかはわかる。――その声は所々震えていた。

「コレは、全部俺の我儘だ。俺がお前を活かして、殺した。だから、俺がけじめをつける。けじめを、つけなきゃならないんだ」

 少女は顔を上げる。その牙を高く高く掲げ、そして謳った。

「……何の因果か、弁天の……呪いを受けし、この体。先祖の呪いを…収めよと……渡されたのは、この『縁切』!」

 少女の声が、私の体を包む。その音色はかつて母の傍にいた頃を思い出させてくれた。優しい思いに包まれる。

 ……良いのだ、少女よ。私は、本当はずっとあの山で彷徨ったままになるはずだったのだ。それが、少女に会えた。仇に、一矢報いた。

「……誰が呼んだか……、ついたあだ名がぁ! 『縁切弁天』!!」

 それだけで、私は嬉しい。確かにあの男を殺せなかったのは心残りではあるが、仕方あるまい。それが私を縛っていることも認めよう。私が中途半端な化け物になってしまった原因であることも理解できる。
 しかし……あれ以上私が男を傷つけたら、少女を悲しませてしまうからな。

 よいオスとは、黙ってメスを労わるモノなのだよ。


「今宵、 その縁! 切らせて……もらいやす!!」

『だから、少女よ。そんなに、泣かないでおくれ。私は……貴女に会えて、満足だ』

 トス。
 少女が抱きつくように私にその牙を立てる。それは決して痛いなどということはなく、私の体に優しく突き刺さった。ああ、心が楽になる。眠くなってきたみたいだ。

「……ごめん……ごめんね……!」

 少女が私の体を抱いたまま泣く。私にはその涙に触れることはもうできない。――舐めてやることもできない。
 やれやれ。全く困ったものだな。
 泣き虫の……女神……さま……だ……。

 そうして私は、美しい女神の泣き顔を見ながら眠りに就いた。



 私は夢を見る。それは、優しいご主人の夢。
 ご主人は、有体に言えば普通の人だった。優柔不断でもあったが、皆にやさしくしていた。誰からも好かれたし、誰とも仲良くしていた。そんな優しいご主人は、ただ静かに私の頭を撫でてくれた。
 ああ、ご主人。お久しぶりです。
 私はお返しにと、ご主人の顔を舐める。くすぐったいよ、と言いながら、それでもご主人は私の頭を撫で続けてくれた。
 ……ああ、ご主人。先ほどまで、変わった人と一緒にいましてな。随分と、泣き虫な女神様でした。……いつかまた、“縁”があったら会いたいものです。

 そんな、優しい夢。
 
 
第二話 完
 
 
 
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いいお話というか…感動しました。
最後がいいです。なんだか、胸のつかえが下りるというか。
犬さんが幸せになれて、本当によかった。

縁切行脚。まだまだ続くのですね。

2010/9/9(木) 午後 5:04 [ - ]

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AKARIさん、こんにちわです。
つたない文章ですが、少しでも人の心のドアをノックすることができたなら私は満足です。
縁切行脚。少なくとも、後二話分は続けられます(笑)。
その後は完全に書き下ろしになってくるので自分のネタ次第になりますね。書けそうなのに書けないというもどかしさが続きます。
引き続き、小町の事を見守ってあげて下さいませ。

2010/9/9(木) 午後 5:11 倉雁 洋

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こんにちは。『弁天様の縁切行脚!』読みましたよ!
感想、ちょっと長くなるかもしれません。ご勘弁を。

小町のさばさばした性格は、読んでいて好ましいし、多くのタイプの人間と絡ませやすそうですね。
一話の冒頭は、もう少し『俺』の生活を描いてから現状の説明に入ったほうが、物語に入り込みやすいかな、と私は思います。
そして、悪役達があまりにもやられキャラ扱いで、少しだけ爽快感が削がれている気がします。一度小町がいないときに借金取りを押しかけさせて、彼らの悪っぷりと理不尽さを見せつける、などすると、後半のスカッと感がアップするんじゃないかなと思いました。
親玉の縁を切る際の決め口上は、この上なく格好良いです。きたきたきたー!ッて感じでテンションが上がりますね。

二話目は温かさと切なさ折り重なるお話で、ラストはぐっと胸にきました。『私』のダンディズムに乾杯!
こうしてみると、このお話は他者の視点から見た小町を描く。つまり小町を第三者の立場から知っていくお話でもあるんですねぇ。

え〜、ちょっとどころじゃなく長文ですみません。
以上、『弁天様の縁切行脚!』の感想でした。

2010/9/10(金) 午後 6:50 [ 大和 ]

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大和さん、こんにちわ。

貴重なご意見ありがとうございます。
そうですね、確かに彼の生活をもう少し明確にした方がいいかもしれませんね。悪役たちも……うん、彼が巻き込まれるようにすればいいのかな? いつ直していけるかわからないですが、参考にさせてもらいます。
そうですね、この話はそれぞれの『主人公』達から見た小町という存在を描いていく物語です。……そうしたせいで、主人公が決まらないとネタが詰まること詰ること。第四話まではありますが、その先で固まってます。またそのうち更新していきますね。

感想ありがとうございました。大和さんも新作執筆頑張ってください!

2010/9/10(金) 午後 7:05 倉雁 洋


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