倉雁洋の蔵の中

まあ、そうはいってもまーたすぐ戻ってきそうな気はするんですけどねー。

弁天娘の縁切行脚!

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 走る、走る。僕は一人、道を走り続ける。
 今度は追手なんていない。誰も追いかけてこない。誰も……追いかけてきてくれない。
 分かってた。僕が友人だと思ってた人も。大人達の態度も。皆、僕のためだとかそういうための事じゃない。ただ自分の役に立つから、自分の迷惑になるからというだけで僕を見ていたんだ。僕が必要なわけじゃない。
 いつしか僕は森の中に入っていた。ここが何処なのか。僕のうちの敷地かもしれないし、もっと遠くの森なのかも知れない。小町だったら自分の位置が分かるのかもしれないけど、僕にはそんな技術はなかった。
 
 ホー。ホー。
 
 何かの生き物の声がする。空高く上った月が、今僕のいる辺りを少しだけ照らしていた。辺りはほとんど真っ暗で、何がいるのかもわからない。
 あれから、どれだけの時間が経ったのだろうか。僕は時計を持っていない。執事がいちいち時間を教えてくれていたから、今まで必要なかった。一日たったかもしれないし、二日たったかもしれない。そんなことすら、もう分からなくなっていた。
 食べ物は少しだけ、鞄の中にあった。僕達がスーパーから盗ってきたパンやお菓子、そしてジュース。結局、回収されずにそのまま持っていたもの。……何度か手をつけようかと思ったけど、食べる気がしなかった。
 
『堅気から盗んで、それで腹満たして生きんのか!?
 
 そのパンを手にする度、頭の中の小町が叫ぶ。その表情が思い出される。それだけで、僕はこれを食べるわけにはいかない気になった。僕は悔しかった。あれだけ言われても、小町に何も言い返せなかった。
 僕だって……僕だって、これがいいことだなんて思っていなかった。でも、生き残るためには必要なことなんだって、何度もあいつ等に言われた。いつしかその気になってた。
 僕が一人で生きてくのは無理なの?
 心の中で呟く。もちろん、その言葉に応えてくれる人なんていない。……ただ、幻の小町が耳元で叫んでいる。
 
『親の金で生きてるだけじゃねぇか!』
 
 そんなこと、本当は僕だってわかってた。僕がやってきたことは、結局全部そうだった。車で登校するのだって、結局は父さんたちのお金。学校の準備を執事達にさせるのだって同じ。
 大人たちが僕の事をちゃんと見ないって言ってたって、内心その特別扱いが嬉しかった。僕が人と違うって事が、嬉しかった。だから、いっぱい遅刻もした。
 あいつ等の仲間になったときだって。あいつ等は、僕を財布と同じくらいの扱いしかしてこなかった。いざというときの、トカゲのしっぽくらいにしか考えていなかった。そんなことは、分かっていた。それでもお金を出してる間は、役に立ちそうな間は仲間にしてくれてた。
 
 分かってた。
 全部、僕が『それでいい』って決めてたんだ。
 僕は一人で生きたいと口で言って――結局、一人で生きることを諦めていたんだ。
 
 ぽたり、と地面にしずくが落ちる。気がつけば、僕は泣いていた。気がつくともう止まらない。とめどなく流れる涙が、僕の足元を濡らしていった。僕はどうして、そんなことから今まで目をそらしていたんだろう。もっと前から、目を向けていればよかったのに。
 ……小町だけが。
 本当は、小町だけが。僕の事を見て、僕の事を叱って。僕のために、謝ってくれていた。
 小町が嫌いになったなんて、嘘だ。僕は、自分の心にさえ嘘をついていたんだ。
 本当は、今だって小町が大好きだ。小町の歌声、小町の手のひら、小町の笑顔。その全てが懐かしい。……小町に、会いたい。
 
 ……♪………♪
 
 ふと、風に乗って何かが聞こえる。それは音楽。誰かの、歌。暗い闇の中、遠い森の向こうから、歌声が響いてくる。
 
 …………♪
 
 この歌は、確かに。
 
 ……♪……♪
 
 小町が歌っていたあの歌。この声は、小町の声。明るくて、優しくて。僕が、大好きな――。
 そう気づいた瞬間、僕の足は走り出した。
 
 ………♪…〜〜♪
 
 走る、走る。僕は一人、疲労も忘れて走り続ける。 歌が聞こえる方へ。小町がいる方へ。幻の小町が笑いかける。あのニカッと笑う男くさい笑い方で。
 空を照らしているのは月だけ。街灯すらない、暗い夜道。それでも僕は倒れることも無く走り続けた。僕は倒れない。小町が、手を取って走ってくれている気がした。。
 
 走る、走る。僕は走る。ただ、前へと向かって。小町に会いに!
 
 
 
「〜〜♪。………よう、弟」
 
 走り続けた僕の前が突然開けた。森の中でぽっかりと浮かび上がる、月夜のステージ。小町はその中心でただ一人、岩に腰かけて歌っていた。格好はうちで着ていた服じゃない。初めに出会ったときの、ボロボロの服装だった。
 そして、僕の姿を見た小町はニカッと笑った。その笑顔に、僕の胸が高鳴る。
 
 小町!! どうして……どうしてここに!?
「何となく、だな。お前と俺は“縁”があるから、少しだけ判るんだよ」
 
 小町が微笑む。天使のような、優しい微笑み。いつもと同じ、優しい小町の声。
 コロコロと変わるその表情は、確かに小町だった。
 
 小町! 小町! 本当に小町なんだね!
「ああ、俺が他の誰かに見えるか? 何だ、殴られてあんだけ泣いてたわりには、元気そうじゃねぇか」
 
 小町の言葉に僕は頷く。それはそうだろう、僕は今、小町に会えて本当に嬉しかった。もう、執事の事もあいつ等の事も、うちの事もどうでもいい。
 
 小町! ねぇ、僕を旅に連れてって!
「バカ言え。なんで俺がお前をつれていかなきゃならねぇんだ」
 約束したじゃん!? あの日の夜!
「……あんなもん、約束のうちに入るかよ。人の唇まで奪おうとしやがって。未遂だったからほっといたけど、万が一俺のファーストキスを奪いやがったら、十回は殺してたぞ」
 ずるいよ!
「寝込みを襲うほうがずるいと思うがな。このエロガキ。……ま、どっちにしろ俺はお前を連れてかない。俺は今夜、旅に出るんだ」
 
 僕が何を言っても、小町は首を縦に振ってくれない。ただ静かに、僕の事を見つめていた。その態度が悔しくて、僕は膝を地面につける。
 
 小町!
「あん?」
 
 手をつき、頭も地面につける。あの時小町が見せてくれた行動と全く同じ、ある意味小町仕込みの土下座。僕はそれをそっくりそのまま、誠心誠意心をこめて小町に対して行った。
 
「小町、お願いだ! 僕はもう町にはいられない、一人でも生きていけない! 小町、僕を連れて行って!」
「…………」
 
 僕の土下座を見ながら、小町はしばし無言だった。何かを確かめるような、悩むような目線が僕に向けられている気がする。
 ……どれだけの時間が経っただろう、そのまましばらく僕が固まっていると、呆れたように小町は言葉を発した。
 
「……へ。いい土下座するじゃねぇか。そうだな……なら、条件によってはいいぜ」
 ……本当!?
 
 僕は喜んで顔を上げ――次の瞬間、再び固まった。
 僕の目の前には、小町が立っている。それはいい。ただ、その小町の手にはさっきまでなかった物が握られていた。何所から取り出したのかわからない、白木の鞘に包まれた小さな刀。……たしか、合口っていうんだっけ。
 
「この合口は名前を『縁切』っていってな。昔々、俺の何代も前の『縁切弁天』の兄貴が、自分の妹を守るために鍛えたもんなんだ」
 
 僕は黙って小町の持つ『縁切』を見た。特に何の飾りも無い、白い鞘の合口。何の特徴もなさそうなそれは、ただ不思議な存在感が漂っているような気がした。
 小町がスラリと『縁切』を鞘から抜く。その刃が、月光を反射して光った。
 
「コイツでモノを切ると、その“縁”を切ることができる。簡単に言えば、もうそれに関わることがなくなるってとこだな。お前が家を出たい気持ちはよくわかった。なら――」
 
 そこで言葉を区切る。小町の瞳が、僕の心を射抜いた。
 
「――お前の家族は邪魔だ。此処でスッパリ“縁”を切ってもらおうか」
 
…………え?
 
「此処で俺か、家族か。そのどっちかを選びな」
 
 小町の目は真剣だった。その刀の効果も、言っている内容も全部本物。本気で、僕に小町か父さん母さんのどちらかを選ばせようとしていた。
 
 小町か? 父さん、母さんか?
 ……言われ、僕の頭には今日までの色々な出来事が思い出される。
 父さんと母さんと、一緒に海に行ったこと。父さんと母さんと、一緒に食事をしたこと。……父さんと、一緒に美術館に行ったこと。
 小町が来たこと。小町と一緒にお風呂に入ったこと。小町の歌を聞いたこと。小町と本の話をしたこと。……小町に、キスしようとしたこと。
 
 …………………………………………。
 
 思い浮かんだのは、父さん母さんとのセピア色の思い出と、小町と出会ってカラーな思い出。……それなら。
 
「それなら、僕は、小町を選ぶ」
 
 長い沈黙の後、僕はそう答えた。悩んだ時間は長かったけど、思ったよりもすんなりとその答えが出てきた気がする。ただ、僕の心がそう命じた。
 
「………いいんだな? “縁”を切ったら、もう二度と親に会えなくなるぞ?」
 
 まっすぐと、ただ僕の目を見つめる小町に、僕も逃げずにまっすぐと小町を見つめ返した。ゆっくりと、首を縦に振る。
 
「やれやれ、本気みたいだな。……分かった」
 
 小町はそう呟くと、『縁切』を天高く掲げた。その輝く刃が高く高く昇っていく。小町の頭上に輝くそれは、まるで月が二つになったみたいに見えた。強い光が、僕を照らす。
 
「何の因果か弁天の、呪い宿りしこの体。先祖の呪いを収めよと、渡されたのはこの『縁切』」
 
 小町の声が、朗々と森に響く。僕は、その小町の声が好きだった。その声を、ずっと聞いていたかった。……これからも、ずっと。
 
「誰が呼んだか、ついたあだ名が『縁切弁天』。今宵、その“縁”、断ち斬らせてもらいやす。…………行くぜ」
 
 シュパ!
 一直線に、月が僕に向かって降りてくる。その鋭い光に、僕は思わず目をつぶった。勢いよく振り下ろされた合口が生み出す風が、僕の頬を撫でる。僕の顔の寸前を、小町の手が通り過ぎていく。しかし、刀に切られた感覚はない。
 ………ただ、何かを失ったような喪失感だけが残った。
 
 ……カチン
 
「テメェの悪“縁”、確かに断ち切った。……終わりだ。目を開けていいぞ」
 
 
 『縁切』の鞘が鳴く音が聞こえた後、小町の鈴のような声が続いた。その言葉に、僕は恐る恐る目を開ける。小町は『縁切』を懐にしまっているところだった。
 
 ………小町! これで僕を連れて行ってくれるんだね!
 
 小町が僕の“縁”を切った。それは、小町が僕を連れて行ってくれることを認めたということ。それが嬉しくて、ついついはしゃいでしまう。僕は勢いよく小町に近づいて、その手を握ろうと――。
 
 ――握ろうと――――握れない?
 
「もう、俺に触れなくなってるだろ。当然だ、俺が切ったのは俺とお前の“縁”だからな」
 
小町は、何のためらいもなくまっすぐに僕の目を見て、そう言った。
 
 
 
 
(四へ続く)
 
 
 
 
 
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