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はぁ……。
口から重く湿った息が抜けて行く。私は一人、今日何度目になるかわからない溜息をついた。一度ため息をつくと幸せが逃げると言うなら、今の私の幸せはゼロを通り越してマイナスになっているに違いないだろう。
ただでさえ今年の夏は暑くてムカつくのに、私がため息をすればするほど湿気が多くなったみたいで、余計に気がめいる。
はぁ……。
――それがまた、私のため息を招く。正しく悪循環だった。
思えば、私は子どもの時からついてなかった。持ってきたはずの給食費は失くす。勇気を出して買った好きな男の子の写真。体験学習の、集合写真のだったけど、私はそれでもドキドキして、買うのにも凄く勇気が必要だった。……なのに、買ったその日に雨にぬれてやぶけた。
大学時代もよく電車が遅れて講義に遅刻した。休講って聞いてた講義が実は次の講義で、私だけが欠席になって単位を落とした。就職活動も二年生の時からコツコツ準備して、二百社以上受けたのに、全部だめだった。
なんとか派遣社員として働けてるけど……。今日もいっぱいミスして、いっぱい怒られた。『替えならいるんだから』。その一言が一番つらかった。
そんな私の唯一の支えは、高校時代に告白してくれた彼だけ。
私は子どもの頃から不幸続きだったせいか、少し内気な性格だった。友達だってほとんどいない。男の子なんてもっての他。そんなダメダメな私を、彼は不思議と選んでくれた。
私はそんな彼が近くにいてくれたから、このつらい毎日に耐えてられてきたんだと思う。……なのに、最近は全然連絡とれないし。さり気なくデートに誘ってもらおうとしても、『仕事だから』って断られる。
はぁ……。
私は空を見上げる。ビルの明かりの所為で、星空は思っている以上に薄い。微かに瞬いているであろう星なんて、強力な光の前ではかき消されてしまうのだ。……たぶん、星も私を照らす気がないんだと思う。
残業ばかりで疲れた体が重い。今の私の望みはただ一つ。早く帰って休みたかった。そうやっていつもの帰り道を速足で歩いているときに――彼女に出会った。
「〜〜♪〜♪〜」
会社からの帰り道、私は人があまりいない海沿いの道を歩く。遠くの夜景が目に美しい。その光景のためカップルが多くいてもおかしくないような所だが、そうした人々はもう一本向こうの通りを歩く。
私は、そんな綺麗な場所があるのに見向きもされない、この通りが好きだった。
……その人がほとんどいない通りで、その少女は一人歌を歌っていた。
「♪〜〜♪〜」
それは変な少女だった。使い古したTシャツにジーパン。髪もぼさぼさで、ほとんど手入れしていない。……のくせに、顔は綺麗だし、肌もびっくりするくらいきめ細やかだった。私が一体どれだけ苦労してケアしてるのか。小一時間くらい、この子に説教してあげたくなるくらいうらやましかった。
「〜〜♪〜♪。っと」
……気がつけば、一曲終わってしまったようだ。正直、舐めてた。確かにこの少女の事を観察して足を止めたのも事実だが……。実際、彼女の歌声があまりに見事だったから、聞き惚れていたのもある。
私がそのまま佇んでいると、件の少女と目があった。何かを期待する目で私を見つめている。
「………コホン」
少女がわざとらしく咳払いし、何かの空き缶を前に出す。やっぱり、何かを期待する目。仕方ないので、私は財布からお札を一枚取り出しその中に入れてあげた。
「へへ、毎度! 姉さん、なんか悩み事かい? 何なら俺が相談に乗ってやるぜ? この、遍槙小町がな!」
小町、と名乗った少女は胸をドンと叩いて私にそう言った。別に、その少女に相談する必要なんてなかったが……コレも“縁”かと思い、私はその少女、小町ちゃんに愚痴を聞いてもらうことにした。
「ムグムグ……へぇ、姉さん、苦労してるな」
とある牛丼屋。最近すき焼きのような丼を売り始めたことで話題になっている店。とりあえずお腹がすいているという少女を連れて、私はそこに訪れていた。
さっき私が渡したお札を使って、変えるだけの牛丼を目の前に並べる小町ちゃん。どう考えても、女の子には多いんじゃないかって思うその量を、彼女は私の話を聞きながらパクパクと消化していった。私はその光景に圧倒されながらも、愚痴をこぼしていく。
会社の事。彼氏の事。
彼氏の話をした時、小町ちゃんがあからさま嫌そうな顔したのが少し面白かった。
「恋人がいるなら、俺よかマシじゃねぇか」
聞けば、小町ちゃんはそういう人を探して旅をしているという。随分と変わった少女だと思ったが、何とまあ。この子位の魅力があれば、彼氏の一人や二人は出来るだろうに。それに比べて、私ときたら……。正直、彼氏がいるのが不思議なくらいなのだから。
私自身、彼の存在が本当に私の人生の中での奇跡だと思っている。彼は何で私と付き合っているのかわからないくらい、いい人だった。
何で私と付き合いたいって思ったの?
何度もその質問をしたことがある。もし私が男だったとしても、私は声をかけたくない。だというのに、彼は初めて出会った時から私が気になっていたという。だから、本当に疑問なのだ。彼が私と付き合いたいと思ったことが。
私がその質問をするたび、彼は決まって顔を赤くし、そっぽを向いてこう言うのだ。
「運命、かな。一目見た時に、その瞳に吸い寄せられた。俺が幸せにしてあげたいと思った」
ただその言葉が嬉しくて、私は彼に抱きつく。そんな毎日。不幸だけど、それでも幸せな毎日。ずっと、そんな日が続けばいいと思っていた。
けど、それももう終わりそうなんだけどねーー。
プハァ!
私は口についた泡をぬぐいながらそう言った。舞台は牛丼屋から私の部屋に移り、夜も徐々に更けてきている。私はもっと愚痴が言いたかったし、小町ちゃんは今日寝るところがないと言うので来てもらったのだ。
カシュ!
机の上に並べた発泡酒の缶を再び開ける。気がつけば、私はもう三本目の発泡酒に突入していた。
大体あいつもさ、もっと私にかまってくれればいいと思わない? それを仕事仕事と……仕事と私のどっちが大事なんらか。
少しだけ呂律が回らなくなってきている。この愚痴も、もう何度目だっただろうか。思考がループして止まらない。……私は酒を飲むと気が大きくなる性質だった。良くあいつからは、一緒に飲みたくないなんて言われている。
「いや、俺は恋人がいたためしがないから何とも……っていうか姉さん、酒臭い……」
何? 私が酒飲んじゃ悪い? 私ごとき派遣社員が、酒を飲むなんておこがましい?
「そういうわけじゃねぇが……俺、酒の匂いがダメなんだよ。これだけで酔っ払っちまう」
へぇ……じゃあ飲みなさい。
「いや、なんでそうなるんだよ!? 俺は未成年だって!」
いいの。私が許す。だから飲みなさい。酔うときは酔うの。こう言う話をするときは、相手に付き合って飲むのが礼儀ってもんよ。
「ううう……俺、絡み酒って苦手だ……」
私がきつく言うと、小町ちゃんは観念した様子ではしぶしぶと缶を一つ手に取った。くるくると周りを見回し、そこに書かれている『これはお酒です』の文字を見ては顔をしかめ、やっぱりくるくると見回す。
カシュ……。
そして意を決したのか、おっかなびっくりその缶を開ける小町ちゃん。それでもいきなり飲む気はないのか、缶の口から沸き上がってくるアルコールのにおいを嗅いでやっぱり顔をしかめている。
……何かあれね。缶の口に鼻を近づけて匂いをかいだり、行動が猫みたいね。
「チビチビ……お、意外にうまい……」
小町ちゃんは最初、恐る恐るその液体を舐めていたが、口に合ったのか普通に飲み始めた。普通のジュースを飲むように、ごくごくと喉を動かしている。
いい飲みっぷりじゃない。えっと、何処まで話したっけ? ああそう、だからね、私は言ってやったの。どうしてそんなに仕事ばっかなの? って。そしたらあいつ、今は言えない、もう少しだけ待っててくれ、の一点張り。何か隠してんだろうけど、私にも話しなさいよね。
「ヒック……ああ、姉さん、その通りだぜ。 男なんて、変な奴ばっかりで……ヒック……私だって、白馬の王子様に会いたいのに……」
カシュ!
いつの間にかこ小町ちゃんも二本目に突入。すでに顔は真っ赤だし、様子もおかしい。……小町ちゃん、泣き上戸なのね。
「ヒック、ヒック……。気がつけば兄さんも結婚しちゃってるし。 昔は私をお嫁さんにしてくれるって言ってたのに。……うう、兄さんのバカ……」
しくしく、と目に涙をためながら一口あおる。あおる。あおる。……止まりそうにないその飲酒ペース。よくはわからないけど、彼女もまた色々とため込んでいるようだった。
小町ちゃんも苦労してるのねー。いいわよいいわよ、今日は全部話して、流しちゃいましょ。ほら、もっと落ち着いて飲んで。ちゃんとつまみも食べなさい。
「うう、お姉さん、ありがとう。……私だってね、呪いがなければね……」
そっからの小町ちゃんの愚痴は正直あまり覚えていない。ご先祖様の呪いがどうとかこうとか、“縁”がああとかうんとか。お姉さんも私と似てるよね、うんそうだね、とか何とか。
――とりあえず分かったのは。
小町ちゃんが、お兄さんが大好きなかわいい女の子っていうことだった。
(二へ続く)
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弁天娘の縁切行脚!
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