倉雁洋の蔵の中

まあ、そうはいってもまーたすぐ戻ってきそうな気はするんですけどねー。

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「平和だなぁ……」
 
 その男は書類の乗った机に背を向け、窓を開けて遠くを見つめていた。
 秋の空が高い。透き通った風が流れている。
 近くでは兵士たちの鍛錬の声。カチャカチャと鳴る鎧の音と、ターンと響く火薬の音、そして打ち合う剣の音。新人兵士を相手に、ベテラン鬼教官の怒声が響く。どうやら、銃の取り扱いがうまくいっていないらしい。銃は一発しか撃てないとはいえ威力が高く、そして弓などに比べて訓練が少なくて済む。今ではだいぶ、軍の主力へと変わっていっていた。
 もっとも、ここ十七年間まっとうな戦争に参加していないこのサディアス王国中央軍においては、あまり意味がないことだろう。
 
「平和だぁ……」
 
 遠くから聞こえてくるのは、子ども達の声。あははきゃははと、今日もにぎやかな声が聞こえてくる。戦争を知らない子ども達は、兵士の怖さすらだいぶ昔に忘れさられたらしく、近くで遊ぶようになっている。まあ、門番達も黙認どころか一緒になって遊んでいるような兵舎だ。この国の平和を象徴するとも言えるだろう。
 大陸全体が協定を結び、市民の間から戦争という言葉が使われなくなって久しい。もう、この国に戦争はないのだと、誰もが信じていた。
 男はただ頷いて、また一言を呟く。
 
「平――」
「平和なのは分かりましたよっ!!
 
 三度目の平和な気持ちを噛み締めていた男の言葉を遮ったのは、赤い髪が目立つ少年だった。ここサディアス王国軍正規の軽鎧に身を包んだまだあどけない顔の少年は、掃除用具片手に男に向かって叫ぶ。その整った顔もみるみる赤くなっていった。
 
「イアン隊長! いい加減任務はないんですかっ!? もう暇すぎて、掃除するところも無くなりましたよ!」
「そう言われてもなぁ……」
 
 イアン隊長と呼ばれた男は少年に言われ、机へと向き直る。その上には何枚かの書類。適当に置かれているそれらは、一応軍上層部からの指令……なのだが。
 
「ないことも無いんだが。ほれ、ドブさらい」
「……はぁ」
 
 イアンが取り出した書類を見ながら、赤毛の少年――リックは思わず頭を抱えてしまった。そんな任務、軍じゃなくてボランティアでやるような内容である。断じて、軍を出動させるようなものではない。それなのに何故かこの部隊にはそんな任務ばかり来る。
 
「どうせ急ぎの任務でもないし、それなら焦ってすることも無いだろ。人生長いんだし」
「焦るも何も、仕事するのは僕だけじゃないですか。……せっかくあのイアン隊長の部隊に配属されたのに、その日から僕がしたことと言えば掃除と洗濯、料理にペットの犬探し、ドブさらいくらいなものですよっ!?
「働き者だなぁ、リック。俺なんかここに座ってるかお前を見てるだけだったぞ」
「褒められても嬉しくありませんっ! せめて、隊長も何か――」
 
 言いかけたリックの顔が固まる。この言葉は言ってはいけない言葉だった。言ってしまったら最後、この隊長はそれを理由に任務を全くやらなくなる。
 そんなリックの考えを察したらしく、イアンは唇をにやりと上げた。してやったりというイアンの表情が正直憎らしい。
 
「――って言われてもなぁ。俺じゃペット探しもドブさらいも出来ないし」
 
 イアンが机に乗せた自分の右足をこつこつと叩く。肉にしては固すぎるその音。それは足の中身が血と肉ではないことを伝えていた。
 イアンの右足は義足。しかも、軍が支給した粗悪品である。あまり体格に合っていないその義足では、ペット探しもドブさらいも満足にできない。それ故、自分は仕事を出来ないのだと彼は言う。
 
「……訓練校で『イアンの部隊にだけは行くな』って言われた意味がわかりましたよ。ただの雑用じゃないですか……」
「まぁな。この部隊自体、元々国民の声を無視できなくて無理やり作ったもんだし。俺をお飾りにしようとしたんだろうが……今じゃ、あんまり意味ないからなぁ」
 
 そう言ってイアンは紅茶を飲んだ。その目はすでに色々と諦めてしまっている感がある。その姿が、リックの心にまた一つ影を落とした。
 リックが自分の選択が間違っていたことに気付いたのは、この男に初めて会ったその時だった。今でもその時の事は覚えている。
 王国中央軍第二十番隊執務室。そう書かれた扉をノックした時の緊張、そして歓び。……入った時に漂ってきた、何とも言い難い匂い。
 その時、部屋の主は軍服もまともに着ないで椅子に座って寝ていた。黒に近い茶髪はぼさぼさ、無精ひげも伸ばしっぱなし。英雄の面影なんてものは、何所にもなかった。
 やる気満々、『生ける伝説』イアン・スタッブズにあこがれそうなりたいと願って兵士となった彼の夢は、そうして見事木端微塵と砕かれたのである。
 部隊を変えたくても、最低でも一年はここで過ごさなければならない。なんとかこの男のもとですごしてやっと半年。あと半年は、この生活を続けなければ。
 そうやって何とかリックは自分を保っていた。掃除と洗濯しかできない自分が兵士になるということを嘲笑った連中を見返したい。自分の夢を応援してくれた孤児院のシスターに華を持たせてあげたい。そして何より、このままでは孤児院に残してきた弟達に申し訳ない。
 そうした彼なりの意地と想いが、今の彼を支えているのだった。
 
「分かりました。ひとまず街の方に行きましょう」
「おお、さすがリック。やる気があっていいなぁ」
 
 故に、リックはその雑用のような任務にも精を出す。きっとこうして働いていれば何とかなると信じて。そうやってやる気を奮い立たせている彼に対して、隊長であるイアンは何所までもやる気がなかった。しまりのない顔で、ぼへっとリックを見ている。
 
「……むしろ隊長がやる気無さ過ぎるんですよ。これで文官としての能力も無いんだから、もうどうしろって言うんですか」
「はっはっは。俺はこう見えて、二十歳すぎるまで字も読めなかったんだぞ」
 
 その緩んだ顔でのほほんと言うイアン。その様子を見たリックは、再び大きなため息をつくのであった。
 
 ――かつて、大戦と呼ばれた戦争があった。
 巨大な帝国とその属国。それに対する王国連合。大陸のほぼ全土を巻き込んだ戦乱は、サディアス王国――連合の中心国の一つ――の一人の青年によって終結を迎える。
 戦禍に巻き込まれ疲弊した国やその民は青年を称え、英雄と呼んだ。平民出身の彼が英雄として騎士に名を連ねたことは人々の希望となり、また彼らを奮い立たせる。彼はサディアス王国において、生きたまま伝説となった。
 それから十七年。いつしか戦乱の傷も癒え、大陸は再び発展の道をたどっている。戦乱の最中に生まれた蒸気機関が大陸を繋げ、発展していく工場が新製品を大量に生み出し続ける。
 大陸の市場が広がっていく。人々は剣を捨て、工具や農具、そして教鞭をとり今日を生きていく。
 それ故に――かつての英雄はその影を薄くしていく。人々の記憶から零れていく。
 その英雄の名を、イアン。イアン・スタッブズ。
 
「はぁ。誰か、この元英雄現ぐうたら親父の使い道を教えてください……」
「言うねぇ、リック。ま、それは俺も聞きたいけど」
 
 元英雄もすでに三十九歳。たった二人の部隊の隊長である彼は――今日もしけていた。
 
 
 
(二へ続く)
 
 
 
 
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