アルザス地方についての本・雑誌

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ここでもう少しつっ込んで、この話題を掘り下げてみようと思います。どうのこうの、というややこしい話が苦手な方は、もちろん読み飛ばして下さって構いません。そんなことより本屋で一度『最後の授業』を試し読みした方がよっぽど有益です(もちろん他の本や雑誌などがお目当てで)。短いもので、二・三分もあれば読みきってしまう、一挿話です。


さて、本題です。アルフォンス・ドーデの『最後の授業』の中に登場するアメル先生なのですが、果たして「フランス国家」の象徴として、田舎の学校で権力をふりかざし、フランス語を教えることなど出来たのか、その疑問について考えてみようと思います。

まず、学校という教育機関の位置づけです。近代国家が誕生して教育制度が整う以前には、フランスの農村部では教会がその機能を担っていたといわれています。そんな時代の名残か、『最後の授業』の舞台となった19世紀フランスでも、農村部ではまだ「学校の先生なんぞには任せられん」という考え方の家庭も多かったようです。

そのため、学校の方が神父さんにわざわざ頼んでクラスを受け持ってもらう、授業をお願いするのも珍しくなかった、というのも中学校・高校学校にいくなど裕福な家庭(今の私たちの感覚で言うならば、外国に留学させられるとか、そういうレベルかもしれません)の子女にのみ限られていたこの時代、家庭の方が、そして村という共同体の方が学校や教師に対して発言権を持っていたので、「やっぱり信頼できる神父さんに頼みたい」という話になれば嫌とはいえないという事情があったようです。

この「信頼できる神父さん」というのもまた微妙な面をもっていて、キリスト教以前の土着信仰や風習が強く残っている地方では、「教会」もまた、その地域の文化や慣習を受け入れながら存続してきたという経緯があるのです。

「学校」以前には「教会」という中央の権力が、地域の共同体やその文化に対峙していたと言ってよいのではないかと思います。

現在でもアルザスの農村部では自給自足に近い生活形態を守っている地域もあります。そういった環境では、外部から来た「よそ者」の先生が地元の人から受け入れられ、生徒から「尊敬」される為には、村の生活にとけこんで人々の生活の地平にまで降りて行かなければなりません。

こういった農村部における「教員」の立場、村人との関係などを考えてみると、『最後の授業』を通じてアルフォンス・ドーデが描くアルザスの姿というものが、また違って見えてくるのではないかと思います。

19世紀におけるフランスにおける学校教育制度がどのようなものであったかについては、ケルト言語が今でも残っているブルターニュ地方、スペイン国境のピレネー山脈に広がるインド・ヨーロッパ語族に属さないバスク語の文化圏など、これらと比較しながらアルザスでの言語の状況も考え直さなければなりません。

この点はピンチョスにとっては一つの宿題、これから調べてみたいテーマです。


ところでアルザスの場合には、教会と言語の間にまた微妙な問題が絡んできます。それは聖書や賛美歌の言語の問題です。この地方ではドイツ・スイスの影響もありプロテスタント教会が多いですが、クリスマスのときに歌われる賛美歌などはアルザス語です。

このアルザス語、書き言葉がありませんので(「大阪弁)とか「ずうずう弁」が話し言葉でしかなく、書き言葉として捉えることができないのと同じ、といえばニュアンスが伝わるでしょうか)、アルザス地方では教会の賛美歌の表記はドイツ語です。アルザス語で歌って、手に持っている讃美歌にふられた歌詞はドイツ語の表記という具合です。


では『最後の授業』の舞台となったフランス、つまり普仏戦争が始まる前のフランス統治時代において、アルザスの教会では村人たちはフランス語で歌っていたのか?

もちろん正確な答えを求めるなら、人類学や社会学でいうところの「フィールドワーク」や古い文献などを見てみる必要があるとは思いますが、私の見方では「ノー」です。

これはつまり、アルザスでは三言語共存だったという可能性をも示唆している、ちょっとえらそうに聞こえるかもしれませんが、「新説」といっても良いかもしれません。


結局のところ、アルフォンス・ドーデの作品を出発点としてたどり着いた私の結論は、言葉の持つ様々な側面、一つの地域社会における重層性です。行政・経済的な側面の強いフランス語、宗教的かつ古い意味での政治権力に結びついたドイツ語、地域生活のなかに完全に一体化しているアルザス語、一口でこうだと言い切ることが出来ない、それが人間の社会活動だということかもしれません。


「フランス」とは各地方の文化が寄り集まって出来たもの、その上側の部分に「美しい」フランス語とかフランス文化といったものがのっかっている、そんなイメージでしょうか。そしてフランスの起源を探るなら、ローマ、さらにはケルト文化(ガリア)が後の時代にまでその影響を残していることに気づくでしょう。

フランスの植民地の文化を論じた「コロニアル」文学の研究をはじめ、近年「多文化主義」をとなえる文化人も多いですが、フランスをじっくり、あるいはもっと狭めてアルザスをじっくり見つめていけば、そこにまったく同じ問題が潜んでいるということに気づくのです。

アルザスを基点に日本をもう一度眺めてみれば、また新たな展望が開けてくるのかもしれません。


追記:一ツ橋大学のホームページにもう少し細かい資料が載っていました。
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/eu-lang/alsace.html

先に紹介したとおり、『最後の授業』については様々な意見があるようですが、ピンチョスなりに考えてみました。

とはいえ、東大総長までつとめられた蓮実先生(ノルマンディー地方の「スリジー・ラ・サル」という古城、ここでは人文科学系のあらゆるテーマで国際学会が催されます。以前ピンチョスもここで蓮実先生にお目にかかりました)にたてつくのも私の本意ではないですし、また台湾や韓国をはじめとした日本の帝国主義的な国語政策に言及する田中、蓮実両氏を揶揄し日本の植民支配を正当化しようとする右翼の論陣と対決する勇気もありません。

アルザスに住む一日本人の目線からです。



「アルザス語」についてのおさらい
アルザス人にとってアルザス語とは日常言語です。つまり毎日の生活の中で家族や隣の家の人、あるいは村人が集まれば、そこにコミュニケーションが生まれます。そういった時に「話す」言語なのです。

自分たちが住んでいる場所でだけ話される言葉ですから、その地域の活動に根ざした言語ということです。つまり、村に古くから伝わる伝統行事、自分の家で代々伝承されてきた風習や生活習慣、あるいは農作業や伝統工芸などの労働など、これらの「生活すべて」を語り、そして実際の場面で「運用」するための言語として存在するということです。

他方では、フランス語やドイツ語は公用語として受け入れられてきました。お役所での届け、仕事もすれば税金も納めなければなりませんし、農作物を売るのに証文や経理に必要な文書も作成しなければなりません。そういった時に必要な道具こそが「公用語」です。戦争によってフランスやドイツに占領され、公用語がドイツ語になったりフランス語になったりということはありましたが、地元の人、村人にとってはどちらも「習得すると便利なもの」という認識だったという風に考えたほうがよいでしょう。

日常生活のレベルと行政上のレベルという二つの地平を同時に見つめておく必要があります。 ようするに、 フランス語・ドイツ語とアルザス語はこれまで「共在」してきたのであって、片方が他方を駆逐するという関係ではなかったということです。
(実際、『最後の授業』が書かれた1870年代よりも随分と後ですが、1900年頃でも95パーセントの人口がアルザス後を話していたという統計があります)


そこから見えてくるのは、「フランス語やドイツ語を学校で習うこと」と、「アルザス人の文化的なアイデンティティを失うこと」は、ぜんぜん違うことだということです。

アルザスの文化的なアイデンティティとは衣食住の全て、つまり何代にもわたって守りついできた家、インテリア、農地、道具、民族衣装、土地で取れる食べもの、伝統産業、村の行事、信仰などを含む全てです。

フランス語・ドイツ語が教育制度として普及したからとって、アルザスがフランス化・ドイツ化して、すべてがルイ王朝風・ナポレオン風になったでしょうか?今でも農村を訪れるなら、昔のままのアルザスの姿が残っているのを目にするのは難しくありません。


「言語教育=権力支配」という考え方はどこまで正しいのか?
古代言語(エジプト、ギリシャ・ローマ)、旧植民地における言語統制とその後の影響(英語、フランス語など)などの研究では、民族学の分類区分が用いられて、
1. 支配はどの分野で進んだのか
2. 誰が、何の目的でそれを望んだのか
など、細かな定義のもとに権力関係を分析することが通常となっています。

ドーデの『最後の授業』を読んで、そこに「フランス語=フランス権力」を読みとろうという人や、あるいは圧迫されたアルザス文化を擁護すべきだという人、どちらの意見を聞いたにしても、生粋のアルザス人なら「ちょっと違うんじゃが」と答えそうですね。


追記:一般読者の感想を寄せた紹介がこちらにありました
http://www.naruto-u.ac.jp/~itohh/Link/LastClass-Kansou.html

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子供にも国語の大事さをわかってもらおうという「意図」でしょうか、アルフォンソ・ドーデの『最後の授業』は日本では学校教育の場面でしばしば利用されてきたテキストです。

しかし、フランス語、ドイツ語、そしてアルザス語についてあまり知識のない方には問題の論点が今ひとつつかみにくいかもしれません。また、国語教育の中で用いられてきたこの本について反論、賛成する日本の文学者、作家などの皆さんも、アルザスの文化的背景について深い知識をもっている、という感じもあまりしません。

そこで、誰もがわかるように(ピンチョスは『にゃろめの数学教室』の大ファンです)簡単にアルザス語を、そして『最後の授業』を分解してみましょう!


追記)JPG形式でアップロードしましたが、オリジナルはプレゼン形式でPPTで作ってあります、希望があればメールでお渡しできますので、アドレスをどうぞ。

色々な評価があるようですが、ピンチョスの見方を紹介する前に、日本の状況を説明した文章がありましたので、紹介しておきます。

以下転載です。

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言語統一政策が教育行政の面で改めて強化されるのは、普仏戦争に先だつ第二帝政期である。大革命後のそれが国家的統一の維持の第一条件であったのと比較して、19世紀中葉におけるこうした風潮の再興は、ナポレオン三世の領土的野心や植民地拡大の夢を反映している。教師は、いかなる地方であれ、教育の場での地方語の使用が厳禁される。この政策に激しく抵抗するアルザス人たちは、二言語使用の権利獲得のために持続的な運動を組織し、特別処置としてアルザス語の授業を何とか維持するが、それも、一日に35分という短い時間に還元され、その授業も、フランス語で行われねばならなくなる。

殆どの生徒は地方語の方を遥かによく理解するのだから、効率という点からはいかにも不条理な授業形態というべきだろう。だが、アルザス地方の首府ストラスブールの学区長は、その配下の視学官に次のような手紙を送付する。「もしこの点を疎かにする教師が居たら、是非ともその名を報告しなければならない」。(『フランス語』誌LangueFrancaise第25号MarcHugの論文<La Situation en Alsace>による)

この手紙の日付けが1859年7月12日である点に注目しよう。独仏休戦協定の成立が12年後の71年なのだから、フランス万歳と黒板に書き残して沈黙する「最後の授業」の先生は、作者ドーデの意図がどんなものであれ、ストラスブールの学区長に名前を知られたくない教師の一人だったということになる。いずれにせよ、彼は、アルザス人にとっての他人の言葉を、国語として彼らに強制する加害者に他ならないのだ。だから、言語社会学的な見地から「最後の授業」を引用された鈴木氏は、氏自身がしばしば指摘される文化的な誤読に陥っておられると言う外はない。

「最後の授業」から読み取るべきは、フランス語という「自分たちの言語への執着」などではいささかもないのだ。そんなものはどの道一つの政治的な虚構に過ぎない。しかもその虚構の神格化に積極的に貢献してしまうのが、しばしば言葉の知を弄ぶ教師とか文学者といった類の人間だという点こそを、アルフォンス・ドーデの短編から読み取らねばならない。今日の日本語論の多くがどこか胡散臭いのは、その裏に、「最後の授業」の教師に似た善意の加害者性が透けて見えるからではなかろうか。

実際「最後の授業」という短編がある種のフランス人にとっては極めて不愉快な作品だという事実を発見して仰天したという体験談を、斉藤一郎氏が雑誌『ふらんす』(1975年1月号)二紹介している。パリで親交を結んだあるフランス人の夫妻から、フランス文学を学び始めた動機などを聞かれ、氏は「最後の授業」に接した時の感激を語り始める。すると、妙に気詰まりな沈黙が相手夫婦の顔をこわばらせる二人はブルターニュ出身のブルトン人だったのだ。 彼らは、アルザス人と同様に、フランス語によって自分の言葉を奪われた人だったのである。

だから、フランス語は美しいとか、フランス人は母国語をこよなく愛するといった類の言葉を、そう簡単に口にしてはならないというのが、斉藤氏の結論である。
http://it1127.cocolog-nifty.com/it1127/2005/11/post_369f.html





蓮實重彦『反=日本語論』(筑摩書房)や田中克彦『ことばと國家』(岩波新書)が、社會言語學の觀點からそれを次のやうに指摘してゐる。歴史的にアルザス地方の言葉はドイツ語(の一方言)なのであつて、フランス語では決してなかつた。抑もフランス語が「自分の言葉」であるのなら、「書く事」はともかく、「話す事」すら出來ぬなどといふ事がどうしてあり得ようか。要するに、フランス人作家ドーデは現實を捻ぢ曲げてゐるのであり、彼の手に成るアメル先生は「アルザス人にとつての他人の言葉を、國語として彼らに強制する加害者にほかなら」ず(蓮實)、小品「最後の授業」は「言語的支配の獨善をさらけ出した、文學などとは關係のない、植民者の政治的煽情の一篇でしかない」(田中)。
http://homepage3.nifty.com/okadash/getsuyo/derniere_classe.html

De temps en temps, quand je levais les yeux de dessus ma page, je voyais M. Hamel immobile dans sa chaire et fixant les objets autour de lui comme s'il avait voulu emporter dans son regard toute sa petite maison d'??cole... Pensez! depuis quarante ans, il ??tait l?? ?? la m??me place, avec sa cour en face de lui et sa classe toute pareille. Seulement les bancs, les pupitres s'??taient polis, frott??s par l'usage; les noyers de la cour avaient grandi, et le houblon qu'il avait plant?? lui-m??me enguirlandait maintenant les fen??tres jusqu'au toit. Quel cr??ve-coeur ??a devait ??tre pour ce pauvre homme de quitter toutes ces choses, et d'entendre sa soeur qui allait, venait, dans la chambre au-dessus, en train de fermer leurs malles! car ils devaient partir le lendemain, s'en aller du pays pour toujours.
Tout de m??me il eut le courage de nous faire la classe jusqu'au bout. Apr??s l'??criture, nous e??mes la le??on d'histoire; ensuite les petits chant??rent tous ensemble le BA BE BI BO BU. L??-bas au fond de la salle, le vieux Hauser avait mis ses lunettes, et, tenant son ab??c??daire ?? deux mains, il ??pelait les lettres avec eux. On voyait qu'il s'appliquait lui aussi; sa voix tremblait d'??motion, et c'??tait si dr??le de l'entendre, que nous avions tous envie de rire et de pleurer. Ah! je m'en souviendrai de cette derni??re classe...
Tout ?? coup l'horloge de l'??glise sonna midi, puis l'Angelus. Au m??me moment, les trompettes des Prussiens qui revenaient de l'exercice ??clat??rent sous nos fen??tres... M. Hamel se leva, tout p??le, dans sa chaire. Jamais il ne m'avait paru si grand.
«Mes amis, dit-il, mes amis, je... je... »
Mais quelque chose l'??touffait. Il ne pouvait pas achever sa phrase.
Alors il se tourna vers le tableau, prit un morceau de craie, et, en appuyant de toutes ses forces, il ??crivit aussi gros qu'il put:
«VIVE LA FRANCE!»
Puis il resta l??, la t??te appuy??e au mur, et, sans parler, avec sa main il nous faisait signe:
«C'est fini...allez-vous-en.»

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