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連休明けの7日より小豆島を出発し、9日に着いて設置工事を完了いたしました。
工事完了後、校長先生に被災地を見せていただきました。
この坂元中学校は小高い丘の上にあり、津波の被害には遭わなかったものの、
生徒の3分の一以上が仮設住宅で生活している状態だそうです。
また、この中学校が避難場所になっていたようです。
中学校より海抜が10mほど下がった所の住宅はこの通りです。
基礎コンクリートが残っただけの家
もう少し東の海岸線の方へ走りますと、町営住宅でしょうか?
窓は破れ、中の家具などは散乱しています。
もう少し東へ移動しますと、JR常磐線の線路跡
線路の跡形も有りません。
進路を南に変え、中浜小学校方面へ
この道の横には住宅が立ち並んでいたようです。
スーパーでしょうか?看板と駐車場があります。この規模の店舗の駐車場だったらかなりの住人が暮らしていたのが、想像できます。
走っても走っても、建物はありません。有るのは何とか残った基礎部のみ。
見渡す限りかつて畑だったのか!?って位の平野です。
その先に唯一の建物中浜小学校が見えてきました。
校長先生がこの中浜小学校を案内して下さいました。
先ずは体育館
床は剥がれ、、、
窓からは流木が刺さり、、、
ガラス一つ残ってませんでした。
校舎の方はこの通り
二階の青の看板が津波の高さだったようです。
この中浜小学校の震災後のHPです。PDFの為、携帯等は見れないかも^^;
震災当日登校していた生徒は59名。職員は14名
震災直後、避難場所へ移動するにも、避難場所の坂元中学校までは20分掛かり、当時の情報では津波到達予想がが10分前後と間に合わない!
先生方は苦渋の決断で三階屋上の物置に非難する事にしたようです。
その三階屋上に続く階段。
教材準備室内にあるこの狭い階段。この階段が地元住民を含め90人の命を繋いだのです。
そして、津波到達しましたが、子供たち、先生たちは津波の直撃を回避。
この夜は屋上で一晩過ごしたようです。
翌朝、偶然通りかかった自衛隊ヘリにて全員救助されたようです。
校舎2階から海に向かって撮ってます。
震災前は海の近くには防風林の松林が生い茂り、建物が建ち、この先に海が有るなんて分からない位だった様です。
そして、小学校に隣接する墓地
私たちの心の支えであるお墓。私自身お墓に関わった仕事をしているので、とても悲しくなりました。
一つ当り1トン以上あるお墓が、土台部分より薙倒され、遺骨から流されてしまってました。
運動場には流された車を集積。夏には車から草が生い茂るようです。
この小学校は平成元年に新築されていて、あらかじめ、津波被害を想定しての設計だったようです。
もし、地震で壊れていたら、、、、、
など想像するともの凄く怖いです。
また、津波の被害に直面した子供たちの心は大丈夫なのか!?心配です。
この中浜小学校付近は地盤沈下しており、住宅の建築はもう無理な様です。
現在は山元町立坂元小学校に併設されています。
この山元町全体の被害は
死者 613名 行方不明者 5名
全壊家屋 2203棟
半壊家屋 527棟
恋人を失った人、家族を失った人、友人を失った人
それぞれ心の傷を負った方たちの心の支えとして、今回届けた、
『立ち上がった若者』
をきっかけに、被災された皆さんに立ち上がり、一歩前進していただけたらと思います。
震災から1年経ってから今回行きましたが、子供たちは元気でした!
逆に私自身が元気が貰えたような気がします。
貴重な体験でした。
終 |
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1年以上たっても、その状況・・・(゚o゚;;
復興、復興って聞きますが、時間がかかりそうですね!
1日もはやく子供達が立ち上がってくれることを祈っています
2012/6/21(木) 午後 0:23
しろぶたさん!
被災した方たちはきっと力強い東北魂で、立ちあがる!と思います!私たちも負けずに頑張らなければね。
2012/6/22(金) 午後 2:20