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駅ビルの皿うどんは、お世辞にも美味いとは言えなかった。
あぁ、こんなことなら中華街ででも早く食っておけば良かった。
「お好みで、お酢、ソースを掛けてお召し上がりください」と言われ、両方とも掛けてみたら、益々不味くなった。
店の中に、客は僕の外に一組の親子。フロア係のおねぇさんが二人、手持ち無沙汰そうに喋っている。
なんとか、皿うどんを胃の中に納めて店を出ると、少し早いが改札をくぐった。
まだ30分あるなと思ってホームを見ると、1本早い博多行きの特急「かもめ」が停車していた。
すでに発車のベルが鳴っている。最後部のドアから飛び乗り、最前部の自由席をやっと確保すると、
総皮張りのデラックスなシートをリクライニングさせた。
社内ではしきりに鹿児島本線で人身事故が起きて、ダイヤが乱れている事を繰り返しアナウンスしている。
待ち合わせの時刻に間に合うだろうかなどと、今夜20年ぶりに会う友人の事を考えながら、ケータイを開いた。
愕然とした。そして、受信したメールの文字を何度も繰り返し読み、そして受信した時刻を確認した。
「何これ、悪い冗談じゃないの?!」電車の中も外も何事もないように博多に向かって走っている。
博多駅に付き、改札を抜けると、家路を急ぐ通勤客の手に号外が握られているのを見た。
大きな見出しに、「東日本で大地震」とある。とっさに実家に電話したが、何回かけてもつながらない。
一体何が起こったんだ?とりあえず情報を求めてホテルに戻った。
部屋に入るなり、TVのスウィッチをつける。
画像が現れるまでの時間がもどかしかった。
そして、現れたテロップと画像、M8.8の文字と、畑や家、車を次々と飲み込む真っ黒な波。
ふと、一冊の本を思い出した。
もう、何年も前に読んだ本だ。
だけど、強烈に印象に残っている一冊。
沖を流れる親潮、連続する断崖と複雑に入り組んだ入江、常に新鮮な海流がもたらす豊かな漁場。
幾度となく津波に襲われながらも人々は、この海を、海岸線を離れられない。
自然は無情だ。豊かな恵みを施してくれるかと思えば、突然牙を剥く。
まるで、人間の存在など全く眼中に無い。
明治29年、昭和8年の大津波を経験しながらも、人々は、世界一の防潮堤を築き、
昭和8年の被災した日と同じ3月3日に防災訓練を欠かさず、自然と共存し、その気まぐれに備えようとする。
しかし、自然は、それら人間の営みをあざ笑うかのように、想像をはるかに超えた姿を見せるのだ。
吉村昭は、実際にその巨大な堤防を目の当たりにして、明治29年の大津波が押し寄せれば、この堤防を越す
事は間違いないと指摘している。それは現実となった。
そして、その場合でも、「頑丈な堤防は津波の力を損耗させることはたしかだ。それだけでも、被害はかなり軽減
されるにちがいない」と述べた。
今、画面に映る完璧に破壊しつくされた田老町の海の壁、この現実を、もし吉村昭が目の当たりにしたら、何と言
うだろう。
最後のページに過去の大津波の体験者が語っている。
「津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今のひとたちは色々な方法で十分
警戒しているから、死ぬ人はめったにいないと思う」 体験者の予想は大きく裏切られた。
明治29年、昭和8年の大津波をはるかに超えた平成の大津波、復興には気の遠くなるような時間と、労力が必
要だろう。奇しくも政治的に弱体化してしまった日本、今こそ日本人の真価を問われる時だと思う。
一国に出来ないことは世界で賄う。この国の復興は、地球上のすべての国々の真価を問う時でもあると思う。
そして、いつかこの三陸に春が来たとき、人々はまた、この地に戻ってくるのだろう。
奇しくもこの日、吉村昭という作家の足跡を辿りながら、色々な事を考えることが出来た。
さて、考えるのは終わり、次は行動に移す時だ。
おわり
最後になりましたが、被災地の方々には、深くお見舞申し上げ、一日も早い復興を願うとともに、微力ながら、私なりになにか出来る事をしたいと思っています。提督、ナイチン、ダニーその他一同、応援しています。頑張ってください。
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