Danny's Room

そろそろ山の準備開始〜!

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作家の足跡 その六

 駅ビルの皿うどんは、お世辞にも美味いとは言えなかった。
 
あぁ、こんなことなら中華街ででも早く食っておけば良かった。
 
「お好みで、お酢、ソースを掛けてお召し上がりください」と言われ、両方とも掛けてみたら、益々不味くなった。
 
店の中に、客は僕の外に一組の親子。フロア係のおねぇさんが二人、手持ち無沙汰そうに喋っている。
 
なんとか、皿うどんを胃の中に納めて店を出ると、少し早いが改札をくぐった。
 
まだ30分あるなと思ってホームを見ると、1本早い博多行きの特急「かもめ」が停車していた。
 
すでに発車のベルが鳴っている。最後部のドアから飛び乗り、最前部の自由席をやっと確保すると、
 
総皮張りのデラックスなシートをリクライニングさせた。
 
社内ではしきりに鹿児島本線で人身事故が起きて、ダイヤが乱れている事を繰り返しアナウンスしている。
 
待ち合わせの時刻に間に合うだろうかなどと、今夜20年ぶりに会う友人の事を考えながら、ケータイを開いた。
 
愕然とした。そして、受信したメールの文字を何度も繰り返し読み、そして受信した時刻を確認した。
 
「何これ、悪い冗談じゃないの?!」電車の中も外も何事もないように博多に向かって走っている。
 
博多駅に付き、改札を抜けると、家路を急ぐ通勤客の手に号外が握られているのを見た。
 
大きな見出しに、「東日本で大地震」とある。とっさに実家に電話したが、何回かけてもつながらない。
 
一体何が起こったんだ?とりあえず情報を求めてホテルに戻った。
 
部屋に入るなり、TVのスウィッチをつける。
 
画像が現れるまでの時間がもどかしかった。
 
そして、現れたテロップと画像、M8.8の文字と、畑や家、車を次々と飲み込む真っ黒な波。
 
ふと、一冊の本を思い出した。
 
イメージ 1
 
もう、何年も前に読んだ本だ。
 
だけど、強烈に印象に残っている一冊。
 
 沖を流れる親潮、連続する断崖と複雑に入り組んだ入江、常に新鮮な海流がもたらす豊かな漁場。
 
幾度となく津波に襲われながらも人々は、この海を、海岸線を離れられない。
 
 自然は無情だ。豊かな恵みを施してくれるかと思えば、突然牙を剥く。
 
まるで、人間の存在など全く眼中に無い。
 
 明治29年、昭和8年の大津波を経験しながらも、人々は、世界一の防潮堤を築き、
 
昭和8年の被災した日と同じ3月3日に防災訓練を欠かさず、自然と共存し、その気まぐれに備えようとする。
 
しかし、自然は、それら人間の営みをあざ笑うかのように、想像をはるかに超えた姿を見せるのだ。
 
 吉村昭は、実際にその巨大な堤防を目の当たりにして、明治29年の大津波が押し寄せれば、この堤防を越す
 
事は間違いないと指摘している。それは現実となった。
 
そして、その場合でも、「頑丈な堤防は津波の力を損耗させることはたしかだ。それだけでも、被害はかなり軽減
 
されるにちがいない」と述べた。
 
今、画面に映る完璧に破壊しつくされた田老町の海の壁、この現実を、もし吉村昭が目の当たりにしたら、何と言
 
うだろう。
 
 最後のページに過去の大津波の体験者が語っている。
 
「津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今のひとたちは色々な方法で十分
 
 警戒しているから、死ぬ人はめったにいないと思う」 体験者の予想は大きく裏切られた。
 
明治29年、昭和8年の大津波をはるかに超えた平成の大津波、復興には気の遠くなるような時間と、労力が必
 
要だろう。奇しくも政治的に弱体化してしまった日本、今こそ日本人の真価を問われる時だと思う。
 
一国に出来ないことは世界で賄う。この国の復興は、地球上のすべての国々の真価を問う時でもあると思う。
 
そして、いつかこの三陸に春が来たとき、人々はまた、この地に戻ってくるのだろう。
 
 奇しくもこの日、吉村昭という作家の足跡を辿りながら、色々な事を考えることが出来た。
 
さて、考えるのは終わり、次は行動に移す時だ。
    
                                             おわり
 
最後になりましたが、被災地の方々には、深くお見舞申し上げ、一日も早い復興を願うとともに、微力ながら、私なりになにか出来る事をしたいと思っています。提督、ナイチン、ダニーその他一同、応援しています。頑張ってください。
                                    
 
 
 
 
 

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作家の足跡 その五

 
イメージ 1
 
 午後3時を過ぎても長崎の街はのどかだった。
 
夜は、大学時代の自動車部の仲間が、はるばる熊本から来てくれる。
 
帰りの特急の時間まで、まだ1時間半あった。
 
あの有名な眼鏡橋にも観光客がたむろし、思い思いに記念写真などを撮っている。
 
川沿いには、鯉の餌を売る店が立ち並ぶ。
 
さて、どうしよう。友人が教えてくれた眼鏡橋付近のちゃんぽん屋は、夜まで準備中。
 
吉村昭が贔屓にしていたちゃんぽん屋さんがあったはずだけど、名前を思い出せない。
 
腹が減ったが、まだまだ動ける。そう言えば、吉村昭の自筆の原稿、万年筆で書かれていたよな。
 
その万年筆は、たしか、「マツヤ万年筆病院」とかいう店で購入したり、修理に出していたはず。
 
一度、氏がどんな万年筆を使っているのか知りたくて、電話までした。
 
「パーカーのデュオールドのMを使ってらっしゃいましたよ。ビッグレッドでした。
 
校正用にはパイロットエリートのFでしたね」
 
それを聞いて、真剣にパーカーのビッグレッドを探したっけなぁ。
 
ポツダム宣言の調印式にも使われたこのペン、氏らしい選択だなぁと感心したものだ。
 
訪ねてみようと思ったが、場所がわからない。
 
シーボルトの娘、イネもこのあたりを歩いたのだろうかなどと、幕末の時代に想いを馳せながら
 
川岸を歩く。
 
イメージ 2
ふと見上げれば、気の早い桜が咲き、メジロが花蜜を吸っている。
 
少し早いけど、博多に戻ろう。駅の近くで美味い皿うどんでも食べて、電車の中でメモをまとめよう。
 
そう思い立ち、長崎駅方面への路面電車に乗った。
 
イメージ 3
 
使い慣れれば、こんなに便利な交通手段もない。
 
ガタゴトと、生き物のように走り回るこの電車、なぜかこの街にマッチしている。
 
イメージ 4
 
駅が見えてきた。
 
わずか8時間の滞在だったけど、吉村昭が100回も通った理由が少しわかったような気がする。
 
腹が減った、とにかく街飯だ、そして・・・
 
イメージ 5
 
マリー   「もうお腹ぺっこぺこ!」
 
ピーターポール「本場の皿うどんだ、美味そう!」
 
やっと、ありついたぞ!と箸を取ったとき、携帯電話のメール着信に気づいた。
 
                                                  つづく      
 
 
 
 
 
 
 

作家の足跡 その四

イメージ 1
 
 さて、タイトルの「作家の足跡」であるが、タローさんが言うように、僕が好きな吉村昭氏の足跡を辿る旅
 
である。先ず、上の地図の中央やや左のJR長崎駅に降り立ち、バスで浦上川を渡って「飽の浦町」にやって来
 
た。資料館の開館まで時間があったので、大きくS字を描くバス通りを歩き、小高い丘の上から見る、第二船台
 
や、昔のガントリークレーンの迫力に、しばし呆然と立つくし、感動覚めやらぬうちに造船所資料館に戻ってき
 
た。そこでは、奇しくも「吉村昭コーナー」を設置しているところで、幸運にも自筆の原稿や、取材ノートを見る
 
ことが出来たのだ。
 
 そして、これから、「大浦天主堂」方面行きのバスに乗り、連合国側の公使館が建ち並んでいた、すなわち、
 
連合国側のスパイ達が、この大きな簾で囲われた中身を、どのように日々観察していたのかを確かめるために
 
グラバー園を訪れた。時刻は11時50分、もうすぐ正午になろうとしていた。空はあくまで青かった。
 
イメージ 2
 
ピーターポール「ワオッ、アメイジ〜〜〜〜ンッ!!」
 
マリー   「あなた、今朝からそれっきり言ってないわよ!」
 
でも、それは仕方なかった。だって、本当に素晴らしいパノラマだったのだ。
 
イメージ 3
 
 海から立ち上がり、低く横たわって連なる山、川に沿って広がる街並み、正面には造船所。そして、かすかに聞
 
こえる天主堂の鐘の音。狭い湾の中を行き交う船が、海軍グレーでなかったら、なんと平和な風景なのだろう。
 
それでも正面に見えるガントリークレーンをズームアップしてみると、
 
イメージ 4
 
第二船台の様子が丸見えだった。
 
これなら、38.9mと異様に広い船幅と、そこに搭載されるであろう主砲の大きさも容易に測り知ることが出来
 
る。そしてそれから想像される口径と射程距離や破壊力。
 
漏れれば敵国は更に大きな戦艦を建造してくるだろう。
 
しかし、既にこの「大鑑巨砲主義」では勝てない時代に突入していたことに海軍は気付こうとしていなかった。
 
イメージ 5
 
マリー 「せっかく来んだから、難しい話ばかりしてないで、グラバー亭を楽しみましょうよぉ!」
 
そうだね、トーマス・グラバーは、去年の大河ドラマでも有名になったけど、薩長の倒幕派に武器を売って
 
大儲けした外に、なんと麒麟ビールの元祖でもあるんだよね。
 
マリー 「まぁ、美味しいキリンラガーが飲めるのは、グラバーさんのおかげなのね!」
 
ピーターポール「自分が飲みたかっただけだと思うんだけど・・・」
 
さて、対岸からの船台も観察できたし、グラバー園も楽しめたし、次行くぞぉ!
 
すでに時刻は12時をとうに過ぎていた。腹が減ってきたが、ここにだけは行かなければならない。
 
お昼はどこかで、本場のちゃんぽんか皿うどんにしよう。
 
というわけで、路面電車に乗って長崎駅を通過し、やって来たのは、
 
イメージ 6
 
ここだった。時刻は午後1時40分になろうとしていた。
 
核分裂物質であるプルトニウム239に中性子をぶつけ、連鎖的分裂反応を起こさせ、巨大なエネルギーを
 
発生させるのが原爆の原理だが、そのエネルギーによる熱線、爆風、放射線によって、15000もの命がこの地
 
でなくなったのだ。
 
そして、その15000の生命のほとんどが広島と同じく民間人だったという事実、いや、原爆ばかりじゃない、
 
東京を始め全国各地で行われた無差別爆撃、軍事施設も民間も無差別に攻撃して多くの民間人を犠牲にした
 
のであれば、明らかに戦時国際法違反だ。
 
不沈艦と言われた「武蔵」と「大和」という海軍最後の切り札をいとも簡単に失い、陸も空も海も、玉砕しか戦う
 
手段が残されなかった日本に対し、本当に核の使用が必要だったのか?
 
勝者と敗者の間には国際法なんてものは存在しない。あるのは勝者の傲慢と矛盾だけだ。
 
勝者が日本を実験台にして自らの国力誇示と、戦後の敗戦国の処理における有利性を確保するために
 
使用された核、この地で毎年行われる夏の式典に国として参加しながら、なぜ廃絶しないのか?
 
そして、その核の恐ろしさを最も知っているはずの日本が、どうしてその核に対する認識が甘いのか?
 
ピーターポールとマリー、よ〜く考えるんだよ、そのために連れてきたんだからさ。
 
 その後、原爆資料館を見学し、そこから見えたシンメトリーを基調とした教会に惹かれてやって来たのが
 
イメージ 7
 
 何故かここだった。時刻は午後2時58分だった。
 
クリスチャンではないのだが、中に入ってみると、ステンドグラスを通して差し込むクリアブルーの光が
 
青の洞窟のような荘厳な雰囲気を醸し出して、身を清めたくなるような気分になり、
 
思わず正面の十字架に手を合わせたのだった。
 
                                  つづく
 
 
 
 
 
 

作家の足跡 その三

イメージ 10
 湾に面した造船所をぐるりと回り込み、小高い丘に続く路を登って行く。
 
あの天に向かってそびえ立つガントリークレーンって、一体、どのくらいの高さがあるのだろう。
 
紅白の帯の幅を10mとすると、70mは優にある。このとてつもなく大きな質量を持った巨大な重機が、
 
氷の上を滑るように動き、家一軒もあろうかと思われる、また巨大な部品を、建造中の船に取り付けて行くのだ。
 
おそらく、ガントリーの台車が移動するレールと左右の台車の精度は、ミリ単位以下かもしれない。
 
雑駁の中の緻密、日常の中の非日常、まるでアニメーションでも見ているかのような感覚にとらわれた。
 
イメージ 11
 
 そして、例によって、階段だらけの民家の前を通って、全景を見渡せる丘の上に登って行った。
 
イメージ 12
 
 目の前には、先ほどのマッスルな巨人型ガントリーとは対照的に、細い鉄骨で組み上げられた、旧型の
 
ガントリークレーンの一部が残っていた。下の船台には、明らかに防衛省発注のフネが建造中である。
 
武蔵が建造されていた昭和初期には、この骨格模型のようなガントリークレーンが、それぞれの船台の上を覆
 
い、水縁まで伸びていたのだろう。
 
 そして、特に武蔵を建造していた二番船台のガントリーは、全国から集められた棕櫚で作った簾で全体が
 
覆われ、何を作っているのか、外部には一切見えないように図らっていたようだ。
 
確かにこの高台から見ても船台から、対岸の大浦地区までは、数百mしか離れていない。
 
対岸に多くあったと言われる、連合国の公使館からは、双眼鏡でもあれば、丸見えだったであろう。
 
特に重要だったのは、主砲の口径だった。
 
46センチ砲は当時世界最大で、その射程距離は42,000mと言われた。
 
その当時のアメリカのアイオワ級戦艦の38,000mをはるかに凌いでいた。
 
その上、46センチ砲を防御出来る戦艦は皆無だったため、敵艦の射程距離の外から悠々と攻撃出来る
 
と考えたわけである。しかし、悲しいかな、武蔵の敵は戦艦ではなかったのだ。
イメージ 13
    ※この画像は艤装中の一号艦(大和)です。お借りしました。
 
そして、その全てを隠す為に使われた簾の材料である棕櫚の量は、500tにも及んだと言う。
 
日の出が美しかった有明海の養殖網(筏?)をつくるための材料が、全て買い占められてしまったのである。
 
武蔵を建造するために、全国の漁業従事者が知らず知らずのうちに、大きな影響を受けていたのだ。
 
それでは、その反対がわの大浦地区からは、この造船所はどう見えていたのだろう、興味は尽きない。
 
その前に、資料館に寄ってみよう。僕は、造船所を見渡す丘を下りた。
 
 丘を下りると、先ほどのガントリーのすぐ裏の家で、初老の婦人が二人、庭の花について喋っていた。
 
イメージ 14
 
 聞けば、この古いガントリークレーンも年に何回か動くらしい。
 
「動くときは、窓ガラスがビリビリ震えるから分かるんですよ」と教えてくれた。
 
武蔵の事は当然のことながら、何も知らなかった。
 
ひっきりなしに走るバスに乗ってもいいのだが、やっぱり歩きたかった。もう一度、造船所を囲むバス通りを
 
グルッと歩いて、飽の浦のゲートに着いたのは、午前10時16分だった。
イメージ 15
 
平日である。受付で記帳すると、僕の前には一人しか来ていなかった。
 
イメージ 16
 
 中に入ると、当然のように先ず岩崎弥太郎が迎えてくれる。思わず、香川照之の顔が浮かぶ。
 
弥太郎自身は、51歳で亡くなっており、この造船所とは直接的には関係が無いが、ドラマでも頻繁に出て
 
いたように、土佐商会の主任となり、グラバー亭に出入りし、亀山社中の経理をも担当したと言われ、長崎が
 
活躍の場であったことには違いない。
 
イメージ 1
 
 資料館の建物は、レンガ造りで明治31年に建てられた現存する最も古い建ものだそうだ。
 
原爆の爆風にも耐えた歴史ある建物である。
 
明治時代の造船の様子から紹介されているが、時間の関係で飛ばしていこう、そして、
 
イメージ 2
 これが見たかった。海縁までせり出した二基のガントリークレーン、左側が第二船台だから、ここで武蔵が
 
建造されたのだ。
 
イメージ 3
 
 数少ない武蔵野写真。一列目、中央に写っているのは、昭和天皇。
 
就役直後の写真であろう、連装高射砲もまッサらで全く使用感が無く、本当に戦艦?と思わせる。
 
イメージ 4
 
大和の断面図。バランスを取るための大きな注水区画のバルジとその隔壁の厚さに驚く。
 
そして、この設計図と少年製図工のエピソードを思い出した。
 
イメージ 5
 
これは、海軍に提出した「武蔵」の見積書。
 
金六千弐百五十参萬八千五百五拾圓也とある。
 
イメージ 6
一番気になっていた「進水ニ関スル研究」もあった。
 
全長263m、36,000tの船体が斜度2〜3度の船台から海面に滑り落ち、毎時15ノット(約30キロ弱)のスピ
 
ードで対岸に向かって突き進むのである。船尾から入水するので、水の抵抗は大きいが、対岸までの距離は
 
わずかに船体の2.6倍しかないのである。約1分半後には、轟音を上げて対岸に激突することになるのだ。
 
それを回避するにはいかにしたら良いのか?是非とも中が見たかった。
 
そして、更にとなりのケースに足を進めると、信じられないものを目の当たりにした。
 
イメージ 7
 
 それは、吉村昭の戦艦「武蔵」の生原稿だった。
 
そして、さらに、
 
イメージ 8
その取材ノートも展示されていた。
 
驚いた、只々驚いた。
 
なんで、こんな物がここにあるのだろう?理由はこれだった。
イメージ 9
 
 なんと、今日、ここに吉村昭コーナーを常設し、午後2時からそのセレモニーを行うとのことだった。
 
幸運と言わざるを得ない。
 
氏が、作品を書き上げるまでに、幾度となく通ったこの地で、氏も眺めたであろう圧倒的な造船所の光景を
 
目の当たりにし、氏も取材したであろう地元のお年寄りとも言葉を交わすことが出来、そしてそれを氏自身が
 
書き留めたノート、原稿をこの目で直に見ることが出来たのである。
 
 出張の中日、遥々出向いた甲斐があったというものだ。
 
セレモニーには、誰が来られるのだろうか?興味はあったが、時間が許さない。
 
充分に満足して古いレンガ作りの建物を後にした。午前11時だった。
 
                                             つづく
 
 
 
 
 

作家の足跡 そのニ

 造船所の中に入れないことは分かっていた。
 
巨大な鉄骨や鉄板がクレーンに吊られて頭上を行き交い、溶接の火花があちこちで散っている危険な
 
仕事場なのだろう。そんなところへ突然行ったって、門前払いは当たり前だ。
 
しかし、入り組んだ湾を小高い山が囲んだ地形。山に登れば、その全容の一部でも覗けるに違いない。
 
そして、駅でもらった観光地図で位置を確かめると、なんと、工場内に、造船所資料館があるではないか。
 
 建造時は、最高の機密として取り扱われ、誰もその姿を見ることが出来なかった「武蔵」も、流石に戦後
 
60年以上も経てば、その貴重な資料を晒しているに違いない。
 
僕は、期待に胸膨らませて「飽の浦」という停留所でバスを降りた。
 
 時計を見ると、まだ8時半である。資料館の入り口は閉ざされていて、従業員が門扉を磨き上げていた。
 
聞けば、開館は9時からだと言う。当然、工場は事前に総務部に申請して、造船所の指定した日時しか
 
見学は出来ないそうだ。
 
 地図を見ると、見たい第二船台はかなり先だ。吉村昭の「戦艦武蔵ノート」にも広大な敷地内を車で移動した
 
と書いてあった。工場と道を隔てた山の中腹には民家がへばり付くように建っている。
 
あの山の上に登ってみよう。そう思い立ち、バス通りを歩いていった。
 
 さだまさしの小説「下夏」にもあるように、確かに坂の多い街だ。
 
イメージ 1
 
こんな細い階段がバス通りから、山の斜面を這い上がるように何本も伸びている。
 
そして、それらは、蜘蛛の巣のように枝分かれして、住宅の玄関先、勝手口の横を通って、家々を結びつけてい
 
るのだ。振り返ってみると、
 
イメージ 4
 
こんな風景が見える。朝起きてから夜寝るまで、海と山、そして船が見える暮らしだ。
 
さらに進むと、
 
イメージ 5
 
鳥居が見えた。白い手すりが住んでいる人達を想像させる。
 
どんなお社があるのだろう、興味深々で登って行くと、
 
イメージ 6
 
お社に向かって手を合わせていたご老人とすれ違った。
 
僕は、朝の挨拶をしてから、少しだけ話を聞いてみることにした。もしかすると、武蔵についてなにか話が
 
聞けるかもしれない。
 
確かにこの造船所では、盛んに軍艦を進水させていたが、武蔵の存在は全く知らなかったそうだ。
 
そればかりか、武蔵という戦艦があったことを知ったのは戦後だいぶ経ってからのことと言う。
 
「あの頃は、何でもかんでも秘密秘密じゃったから」と目を細めていた。そして、この山の向こう側に行けば、
 
ガントリークレーンが見えるよと聞き、礼を言って行ってみることにした。
 
一旦バス通りに戻り、車が行き交う大きく右にカーブする坂道を登りきった所で僕の足は止まった。
 
イメージ 9
 
一体、なんという景色だ、精巧なミニチュアを覗き見るような緻密な工作物の集合と、圧倒されるほどの質量を
 
持った巨大な船体とガントリークレーンの対比。その間をまるで蟻のように動いている人間、少し早く動いている
 
のは、自転車を扱いでいる人間。抜けんばかりの青空にそそり立つ、朱と白に塗り分けられた巨大クレーン。
 
チクチクと網膜が刺激されるのを感じながら、しばし呆然としてしまった。
 
イメージ 7
 
海に向かって深く掘り下げられたドック。
 
手前の小型の護衛艦が入っているのが、第一船台だろう。
 
すると、その向こう側の巨大なタンカーを建造しているのが、第二船台。
 
そう、今から70年も前、世界最大の不沈戦艦「武蔵」を建造、進水させた第二船台である。
 
イメージ 8
 
残念ながら、建造当時、船体をおおうように建てられていた旧型のガントリークレーンはとり外され、
 
奥のドックに部分的に残るだけのようだ。それでも、奥に見える赤く錆止めが塗られた鉄骨のガントリー
 
がこの巨大な船体を覆い、更に全国から買い占められた棕櫚の簾でその姿を隠していた様子は、容易に
 
イメージ出来る。
 
イメージ 2
この景色を前にして、毎日営み続けられている暮らしもある。
 
イメージ 3
時刻は9時半を回ったところだ。すでに資料館は開館している。
 
だけど、あの古いガントリークレーンをもっとよく見たい。僕の足は更に先へと向かって行った。
 
                                             つづく

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