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さて,先日,高校時代の友人が,末期の癌で余命が幾ばくもないという知らせを受けて,急遽見舞いに行ったことを書きました。その際には,すでに,自宅療養に切り替えており,訪問看護を受け,改善の希望を抱きながら,家族との時間を大切にしながら,静かにその時を待っているように見受けられました。私は20数年ぶりに彼女に会ったのですが,すっかりやせ細って,痛みや不安と戦いながら横たわっている姿が,いとおしく,土曜日は4時間ほど,日曜日も1時間ほど一緒に過ごしました。平成21年11月9日に死去いたしましたが,私が見舞ったときは,弱々しいながらも,まだしっかりと話しができ,土曜日も日曜日もベッドに横たわる彼女から求められて抱擁して別れました。後ろ髪を引かれるという表現はこのような心境をさすものと痛感しました。
見舞っておりました際に,訪問看護をしてくださった看護師さんと話しをいたしました。とても明るく優しく専門性にあふれ,友人の心身のことを隅から隅まで理解してくれていることに感服し,友人のこの期に及んで気丈に振る舞える背景のひとつに,この看護師さんがいるんだと直感しました。
その看護師さんがお帰りになる際に,私は,友人という立場では出過ぎたこととは思いましたが,こころから御礼を申し上げずにはいられませんでした。また,その後のこともお願いしたのでした。
私の友人は,48歳の年齢でみまかりましたが,多分多くの方に支えられ,彼女の寿命(天寿?)を全うしたのだと思います。今は,苦しみから解放されて,安らかに眠ることを祈るばかりです。
その際にお目にかかりました訪問看護の看護師さんの献身的な仕事ぶりをみて,私は地域看護の重要性を目の当たりにしました。死に場所は自分で選択できると思います。自分が人生の締めくくりをどこで迎えるかを自分で選択する。私の友人のように自宅でその時を迎えるという希望を持つ患者もいるでしょう。看護師の側からは効率が悪い,充分な医療サービスが受けられない,などの問題が指摘されると思います。しかし,少なくても私は,私の友人の決断は間違っていなかったと思っています。そして,それを支えてくださった,訪問看護の看護師さんのお力添えがあったから,そらが可能になったと思います。
今後,私の友人のような希望をもつ患者が多くなるのではないでしょうか?死は誰にでも訪れます。その死をどこで迎えるのか,その選択をするのは,患者自身であって良いと思います。そしてそれが可能となるようなシステムがいかに構築されるかが,今後の課題ではないでしょうか?
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