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			<title>こころにうつりゆくよしなしごと</title>
			<description>カウンセラーとして感じたり，考えたりしたことについて，ぼんやりと書いてます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_t_tall</link>
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			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>こころにうつりゆくよしなしごと</title>
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		<item>
			<title>気候変動？</title>
			<description>私の住んでいるところは，どこ？日本災難の島嶼県・沖縄です。&lt;br /&gt;
4月になれば，例年であれば，汗ばむような気候になり，そろそろグリーンカーテンを準備するために，ゴーヤをベランダのプランターに植える時期だな～っと実感する頃です。&lt;br /&gt;
なのに，今年はまだ肌寒い。どうしてでしょうか？地球規模で気候変動が起きているのでしょうか？なんでも，北極圏の寒気が，日本列島付近に張り出してきているとか。どうしてでしょうか？・・・&lt;br /&gt;
などとぼやいても，何も変わりません。ならば・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨年50歳になって，枯れてきたな～と思う時と50歳になってもまだ枯れないな～と思うできごとをひとつずつ・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
枯れてきたな～&lt;br /&gt;
　私たち夫婦には子どもがひとりいます。ひとりいるという言い方よりは，一人しかいないと言う方が適切でしょうか？&lt;br /&gt;
　その息子が，この4月に大学に進学したので，私たちのもとを離れ，ひとり暮らしを始めることになりました。家内は息子に随行しました。やった～！！5日間も独身だ！！あそこに食事に行って，あの店に酒を飲みに行って，と色々思案しましたが，実際には自宅でひとりで酒を飲み，食事をとりました。しかも，酒のあては，「湯豆腐」と焼き海苔。&lt;br /&gt;
　これって，「枯れてきた」ことを十分に実証していますよね・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まだまあ枯れてないぞ～&lt;br /&gt;
　先日職場でもたれた会議。私の主張がなかなか通らない。徐々に声が大きくなり始めて，一生懸命に説明している自分を，ふと他人の目で見て，まだまだ熱気があるな～って自画自賛してしまいました。&lt;br /&gt;
　これって，まだまだ「枯れていない」ことにならないかな～？&lt;br /&gt;
　でも，もしかすると・・・これって加齢によって頑固になったということなのかな～って思うと，悲しくもあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フジテレビで，中井貴一と小泉今日子が主演した「最後から二番目の恋」は実に面白かった。あんなふうに，恋できないだろうか？というか，小泉今日子（みたいな人）と恋がしたい，と思いました。最近年の差カップル婚がはやっているようですが，それって，色々難しいよな～って思います。&lt;br /&gt;
「最後から・・・」の中で，レストランで食事を注文するシーンがあって，ひともめした後で，それぞれが注文するときに，相談したわけでもないのに，注文するメニューが同じだったというシーンがあります。私の恩志が「食べ物の趣味が同じ人は安心する」と昔言っていたのを思い出して，ついおかしくなりました。年は離れていてもいいかもしれないけど，生活の経験が全く違うふたりが恋をするためには，何かしらの共通項が必要でしょう。私は，食べ物の趣味は何者にも代えがたいものと確信しております。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それにしても，面白いドラマでした。久しぶりに全話みました。面白かったし，身につまされました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_t_tall/39615162.html</link>
			<pubDate>Fri, 06 Apr 2012 11:07:11 +0900</pubDate>
			<category>春</category>
		</item>
		<item>
			<title>息子の旅立ち</title>
			<description>またまた久しぶりの書き込み&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私どもの夫婦には息子がひとりいます。その息子も今年で20歳になります。昨年から入りたい大学があって，1年浪人しました。今年は何とか志望大学に入学が叶い，本日その大学がある地に赴きました。飛行機で2時間半，鉄道で2時間，私どもが住んでいるところからはとても遠いところです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
息子が生まれたのは昨日のようですが，もう20年も経とうとしています。その間，望みもしないのに私たちの息子として生活してくれたことに感謝しています。まだ，まだ独り立ちできるわけではありませんが，今後は「口は出さずに金だけ出す」というのが私の役割だと思います。その役割に徹することができるかどうか・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それにしても，志望大学に入学できる息子が誇らしい。そんなに偏差値の高い大学ではありません。でも，息子はその大学に入りたいと強く希望して，その一念で1年間の浪人生活を送ったのです。初志貫徹をしたその精神力は，私や家内には持ち合わせていないもののように思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
旅だった今日，実り多い大学生活が遅れるようにと念じるばかりです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
親ばかでした・・・</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_t_tall/39601232.html</link>
			<pubDate>Sun, 01 Apr 2012 17:09:00 +0900</pubDate>
			<category>大学</category>
		</item>
		<item>
			<title>久々</title>
			<description>久々の書き込みです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
正月元旦に父が亡くなりました。病気療養中ではありましたが，こんなに急にしかもあっけなくなくなるとは思いもしませんでした。死去する１年半ほど前に中咽頭癌を患い声を失ってしまっていました。通夜や葬式そして４９日の法要を済ませましたが，この期間にふと気づくと父の声を思い出すことができません。どうしてでしょう？まだ父の死を受け入れることができていないのでしょうか？あるいは正月にも帰省しないほど親不孝を重ねてきたことを悔やんでいるためでしょうか？いずれにしても，不思議でなりません。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_t_tall/35608899.html</link>
			<pubDate>Wed, 03 Mar 2010 11:37:19 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>狂い咲き</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-f3-d0/k_t_tall/folder/779817/30/34894230/img_1?1260263054&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
先週末，佐賀に行った。佐賀大学に用事があって立ち寄った。寒風の吹きすさぶ１２月。構内を流れる川の土手に植樹された桜木が淡い花を咲かせていた。暖冬の今年ながら，冬来たりなば春遠からじを彷彿とさせる光景だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう状況を「狂い咲き」と言うのだろうか？狂い咲きとは何だろうか？咲くべき時を間違っている状況を言うのだろうと思う。しかし，狂い咲きはいとおしいし美しいと思った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は今狂い咲きをしているのではないだろうか？人として花を咲かせるべき時機を逸して，のうのうと生きているのではないかと考えさせられた。花は狂い咲いても美しいし尊い。人はどうなのだろうか？狂い咲は見苦しく迷惑なのだろうか？私は間違っているのだろうか？否！！私は狂い咲きをしても，美しいし尊いと思いたい。私は，まだ青春なんだと強弁したい。そんな４８歳！！</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_t_tall/34894230.html</link>
			<pubDate>Tue, 08 Dec 2009 18:04:14 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>沖縄</title>
			<description>沖縄に住み始めて，もう２８年にもなる。山口の片田舎から，沖縄に初めて来たのが１９８１年。それ以降，３年ほど実家や広島県や奈良県で過ごしたことがあるのだが，その他はずっと沖縄県。沖縄は良いところです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日は１１月１９日。随分と寒さが身にしみるようになってきたころだが，沖縄は好天に恵まれ，今日は最高２３度まで気温が上昇するようだ。しかも，湿度もさほど高くなく，過ごしやすい気候になっている。このような気候故に，住みやすいことは間違いない。夏は暑い？いえいえ，夏の暑さは，直射日光は厳しいし，太平洋南方からの湿気を帯びた南風には閉口することもあるが，気温自体は３２度程度が最高気温。気温だけからすると，暑さはさほどではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
米軍基地さえなければ，もっと住みやすくなりそうな気がする。基地の負担軽減を喧伝してきた民主党は政権をとるとやはり自民党政権とさほど大きな違いはないのか，と落胆せざるを得ない状況になるのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「沖縄人の意識構造」という１冊の本がある。沖縄の心理学者が表した名著である。今は絶版になっているが，沖縄の人たちの意識や気持ち，ものの見方を知る上で，貴重な１冊であることは間違いない。その中に「事大主義」を用いて沖縄の人の心理が解説されている。この沖縄県が「琉球」と呼ばれていた頃，琉球は独立国家であった。つまり，日本でも中国でも，ましてやアメリカではなく，一国をなしていた。その独立は強大な中国から認められていたのである。認められることによって独立を維持するのだが，そのためには「事大主義」が必要だったのだ。その頃の沖縄は，貿易の中継基地として，かなり裕福な国だったという。しかし，１７世紀以降，隆盛を極めた琉球は疲弊し始める。日本への隷属を余儀なくされる。また戦後米国・米軍の統治下では，米国・米軍への事大せざるを得なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように経済の発展のみならず，沖縄の人のこころの自由も奪っているこの状況に閉塞感がある。もちろん，沖縄の人は自由で温かいこころをもっているのは間違いない。沖縄がどのように閉塞されても，そこに住む沖縄の人は平和を愛し，自由に，そして創造的に生きている。天晴れというほかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は元々は「沖縄の人」ではないので，このような現状に対して，もしかすると加害者側の人間かもしれない。私の出身県である山口県は長州と周防の二地域からなるかつての萩・毛利藩である。明治政府設立の際主要なポストを占め，その後も何人かの主要政治家を輩出している。そのことを考えると，沖縄のこの現状を作り上げた加害者側の人間なのだと考えざるを得ない。悲しいことなのだ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_t_tall/34730944.html</link>
			<pubDate>Thu, 19 Nov 2009 11:29:50 +0900</pubDate>
			<category>沖縄県</category>
		</item>
		<item>
			<title>不眠と肩こり</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-f3-d0/k_t_tall/folder/779817/79/34715879/img_0?1258449221&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
友人が死去して早いもので１週間が過ぎ，一昨日初七日だったそうです。半月ほど前にあって話して手を握って別れ際に抱擁した感触がまだ残っているというのに，その肉体はすでにこの世から消え失せているとは信じられない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後の私は特に変わった様子もなく，淡々と生活を送っていますが，ふと気づくと睡眠時間が短くなっているし，それ以上に異常な肩こりに襲われているのです。これは多分，いわゆる心因反応。友人の死がこのような形で私の心身に影響を与えているのかもしれません。それは私の問題で，友人がとりついているというような超常現象ではないことは確かです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私が友人の死を，心底受け入れられていないために，認知的には分かっていても，情緒的にはその認知的な判断を拒否してしまっているという状況だと思われます。そのために，いわゆるストレス状態に陥り，不眠や肩こりなどの身体症状が現れてしまっていると解釈できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし，そのような状況を放置しておくことはできません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで今日から自分で自分を治療し始めようと思います。治療と行っても，特別なことをするわけではなく，先ず友人の死を受け入れること，同時に，身体をほぐすような取り組みをすること，などを実践するわけです。例えば，自律訓練法を行うのもいいでしょう。そういうことを行って，その後により効果の高い取り組みを行いたいと考えています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて，効果が上がるでしょうか？自分でも期待しているのです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_t_tall/34715879.html</link>
			<pubDate>Tue, 17 Nov 2009 18:13:41 +0900</pubDate>
			<category>メンタルヘルス</category>
		</item>
		<item>
			<title>年齢</title>
			<description>私は４８歳の丑年生まれ。今年トシオトコです。次のトシオトコは還暦になるりますので，これは相当の年齢ですね。悲しいばかりです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういう年齢ではメタボリック体型は伊方ないことです。そこで，多少なりとも若返りを図るために，スポーツジムに通い，体重を調整しようと，あがいているのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが，なかなか思うようにはいかないものです。というのもジムには週１回か２回程度しか行かないせいもあります。そこで，最近は毎朝腕立て伏せを３０回程度行って，朝食をとるようにしています。そうしているのですが，全然効果はあらわれません。体型の変化は生じないのに，毎日軽い筋肉痛。これも効果と言えば効果なのかもしれませんが，期待した効果ではありません。困ったものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とは言え，やらないよりも良いだろうと自分に言い聞かせて，目先の効果のみを追究せずに，じっくりと構えているところです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１２月１日には人間ドックが予定されているので，少しでも医者から高評価がもらえるように日夜努力しているのです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_t_tall/34697252.html</link>
			<pubDate>Sun, 15 Nov 2009 16:53:21 +0900</pubDate>
			<category>その他スポーツ</category>
		</item>
		<item>
			<title>死に場所の選択</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-f3-d0/k_t_tall/folder/779817/44/34670344/img_0?1257983164&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　さて，先日，高校時代の友人が，末期の癌で余命が幾ばくもないという知らせを受けて，急遽見舞いに行ったことを書きました。その際には，すでに，自宅療養に切り替えており，訪問看護を受け，改善の希望を抱きながら，家族との時間を大切にしながら，静かにその時を待っているように見受けられました。私は20数年ぶりに彼女に会ったのですが，すっかりやせ細って，痛みや不安と戦いながら横たわっている姿が，いとおしく，土曜日は4時間ほど，日曜日も1時間ほど一緒に過ごしました。平成21年11月9日に死去いたしましたが，私が見舞ったときは，弱々しいながらも，まだしっかりと話しができ，土曜日も日曜日もベッドに横たわる彼女から求められて抱擁して別れました。後ろ髪を引かれるという表現はこのような心境をさすものと痛感しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　見舞っておりました際に，訪問看護をしてくださった看護師さんと話しをいたしました。とても明るく優しく専門性にあふれ，友人の心身のことを隅から隅まで理解してくれていることに感服し，友人のこの期に及んで気丈に振る舞える背景のひとつに，この看護師さんがいるんだと直感しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その看護師さんがお帰りになる際に，私は，友人という立場では出過ぎたこととは思いましたが，こころから御礼を申し上げずにはいられませんでした。また，その後のこともお願いしたのでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私の友人は，48歳の年齢でみまかりましたが，多分多くの方に支えられ，彼女の寿命（天寿？）を全うしたのだと思います。今は，苦しみから解放されて，安らかに眠ることを祈るばかりです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その際にお目にかかりました訪問看護の看護師さんの献身的な仕事ぶりをみて，私は地域看護の重要性を目の当たりにしました。死に場所は自分で選択できると思います。自分が人生の締めくくりをどこで迎えるかを自分で選択する。私の友人のように自宅でその時を迎えるという希望を持つ患者もいるでしょう。看護師の側からは効率が悪い，充分な医療サービスが受けられない，などの問題が指摘されると思います。しかし，少なくても私は，私の友人の決断は間違っていなかったと思っています。そして，それを支えてくださった，訪問看護の看護師さんのお力添えがあったから，そらが可能になったと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今後，私の友人のような希望をもつ患者が多くなるのではないでしょうか？死は誰にでも訪れます。その死をどこで迎えるのか，その選択をするのは，患者自身であって良いと思います。そしてそれが可能となるようなシステムがいかに構築されるかが，今後の課題ではないでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_t_tall/34670344.html</link>
			<pubDate>Thu, 12 Nov 2009 08:46:04 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>人生</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-f3-d0/k_t_tall/folder/779817/00/34662900/img_0?1257909223&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
竹内まりやの「人生の扉」。私のお気に入りの一曲。カントリーワルツっていうのかな，軽快な曲調で，メロディも魅力的。人生を淡々と歌い上げている。歌詞がまた良い。しかも編曲も良い。特にお気に入りは，英語の歌詞。&lt;br /&gt;
I sya it&amp;#039;s fun to be 20.  You say it&amp;#039;s great to be 30.   &lt;br /&gt;
And they say it&amp;#039;s lovely to be 40.   But I feel it&amp;#039;s nice to be 50. &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
I say it&amp;#039;s fine to be 60.  You say it&amp;#039;s alright to be 60.  &lt;br /&gt;
And they say still good to be 80.   But I&amp;#039;ll maybe live over 90.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
I say it&amp;#039;s sad to get weak.  You say it&amp;#039;s hard to get older.   &lt;br /&gt;
And they say that life has no  meaning.    But I still believe it&amp;#039;s worth living.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
若いときは誕生日が嬉しくて待ち遠しい。中年以降は誕生日が悲しかったり寂しかったりするというのではなく，５０歳になっても，６０歳になっても人生を楽しもうという歌詞でしょうか？年をとって弱々しくなるのは致し方のないことですが，それでも元気に生きたいという意味でしょうか？&lt;br /&gt;
先日友人が死去しました。一緒に５０歳，６０歳と歳を重ねることができませんでした。それはとても悲しくて寂しいことです。しかし，彼女は自分の人生を一生懸命生きた。正直に生きた。その証人にならなければならないと考えると，今この悲しみを乗り越えるのが自分の彼女に対する誠意だと思っています。私の人生を私らしく生きて，はじめて彼女の人生が語れると思います。彼女は私の誇りです。&lt;br /&gt;
そして今回の不幸な経験の中で，私は友人について考えるようになりました。友人はいいものだと分かっていても，友人を大切にすると言うことについてあまり考えてこなかった。２０年以上会ってない友人たちと連絡をとって，一緒に歳をとっていきたいと考えるようになっています。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_t_tall/34662900.html</link>
			<pubDate>Wed, 11 Nov 2009 12:13:43 +0900</pubDate>
			<category>その他趣味</category>
		</item>
		<item>
			<title>こころの友</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-f3-d0/k_t_tall/folder/779817/08/34653708/img_0?1257820769&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
高校時代にできた女友達。彼女は大変な音楽的才能を持っていた。高校に入学して初めて会ったと思っていた。別々の中学校から偶然同じ高校に進学。その中学時代に，私は偶然に彼女に２度ほど出会っていた。中３の夏に出場した音楽コンクール。独唱の部の会場で遭遇していたのだ。結果は彼女は優勝。私は入選。もう一度は，陸上競技場。お互いに住居している市を代表して県大会に出場していた。そして，同じ高校で合唱部に所属して活動した。そして，高３夏。またもや一緒に音楽コンクールに出場。結果はまたもや彼女が優勝，私は入選。高校時代にはいろんなことがありました。泣きもしたし笑いもした。その後はあまりつきあいはなくなりました。でも，友人であることに変わりはなかった。&lt;br /&gt;
性別を超越した友人。あと数年すれば，一緒に風呂に入れるような間柄になれたと思う。もちろん一緒に入浴することはないだろうけど，そういう感じの友人。その友人の何も知らないけど，長くあっていなくても，会えば何のわだかまりもなく打ち解けられる友人。こころの友。親友。&lt;br /&gt;
その友人が昨日亡くなった。悲しいという以上に苦しい。後悔ばかり。もっとやってあげられることがあったのではないかと，もっと苦しみを取り除いてあげられたのではないかと・・・。それは私の思い上がりだと分かっているのだけど，そう思ってしまう。ごめんなさい，ごめんなさいと，彼女に謝っている自分に気づく。&lt;br /&gt;
こころから冥福を祈っている。そして，残された家族に，せめて私にできることがあればと考えている。&lt;br /&gt;
そのうち，そっちの世界で会えるよね。それまで少し待っていてね。センチな気分でそうつぶやいている自分に泣き笑いの昨日・今日。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/k_t_tall/34653708.html</link>
			<pubDate>Tue, 10 Nov 2009 11:39:29 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
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