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人は、他人に対して、どれほどの優しさを、与え、実践し、自覚出来るのでしょうか。
毎日の様に報道される痛みに、どれほど寄り添い、感覚として味わっているのでしょうか。
ただ、自己の流れる時間の一コマとしてやり過ごしては居ないだろうか。
食糧難の難民のやせ細った身体をテレビで眺め、食事をした事は無いだろうか。
休養中、その施設は、全面を横須賀の海に、後方には葉繁森に囲まれた、自然豊かな所でした。
時が緩やかに流れる。まるで妖精のヒソヒソ話しの様に。
海鳥のサエズリさえ、柔らかな羽の様に舞い降りてくる様でした。
外敵は居ません。敵は、自分自身以外いません。縮小された社会です。
そんな環境で暮らしていると、何か小人の世界の住人になった気がしました。
洗濯をし、広い中庭で日光浴をする。
サラリーを得る事も考えず、只時に見をゆだねている。幸福か? と聞かれればそうかも知れない。
しかし、現実的に幸福か? と聞かれれば、首をひねるしか無い。現実でありながら、現実と隔離されているからだ。
資本主義の生活から逸脱している。まるで、テレビの中の難民の気分だ。
ある程度のストレス、圧力により、人間は現実感覚を保っているのだろう。
無縁の圧力に見る難民の姿が、希薄な現実として眺められる様に。
結局、他人は他人で、育った環境、人格により、傷も千差万別だからだろう。
行動が思想を決める、誰かが言っていた言葉だ。では行動は何が決める? と。
もちろん、戦場に赴き、共闘しろと言っている訳ではない。
戦争はこの国でも既に起こっている。自殺者が3万人を超えている。
しかし自国の事でさえ現実として認識しているだろうか?
人生は、自ら放り出してしまう程、酷くは無い。
他人との比較によって、個人の価値が決まる物では無いからだ。
横須賀に満月が浮かべば、海面にも揺れる満月が浮いているだろう。
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kenjiさん!〜〜貴方の気持ちを実に良く表現しているか・・私には解ります・・。
『>外敵は居ません。敵は、自分自身以外いません。縮小された社会です。』その通リなんですよネ!人間万人が万人「独生独死、独去独來」なんですね・・。生まれる時も、死んでいく時も独り・・去る時も来る時も独り〜〜なんですね。その”独”が”他”の存在を認識して”この世”が形成されているのではないでしょうか〜〜★何のために”生きる”のか?”・・何のために働くのか?・・これに個々が悩むのです。つまり、誰もが”食べる為””生きる為”〜”幸福になる為”・・という”生きる目的”で生かされていると想うのです・・。終局は未来の必然である"死”を向かえる訳ですよね・・。人生は一生が苦である〜〜お釈迦様の言葉の重さに納得するのです・・明日も元気に!★〜
2008/2/8(金) 午後 10:50 [ sin*an_*6*322 ]
ありがとう、sinranさん。
深く、知的に満ちたコメント、感謝です。
人生は一生が苦である。そうかも知れません。
図らずも、人生はたどる方向に流れ行く。
2008/2/10(日) 午前 9:58 [ ka9*n*rvana ]
時に身を委ねるって貴重です。
時に追われ見失う大切な事、故に己を見失う日々。
「川の流れの様に生きられたらいいなと思う」
そんな歌が在りました。
2008/2/10(日) 午後 11:31 [ - ]
矛盾の中で生きている事を日々感じます。
2008/2/11(月) 午前 0:44
hibiki さん、確かに身を委ねる事の怖さはありますよね。
空を眺めるのも、暫く振りです。
2008/2/11(月) 午後 1:14 [ ka9*n*rvana ]
思考さえ、自分自身でさえ、矛盾の塊ですよ。
らんぷさん、日々は矛盾に暮れ行くのでしょうか。
2008/2/11(月) 午後 1:16 [ ka9*n*rvana ]
その中で漂うしかないのかもしれません、悲しいことですが。
2008/2/15(金) 午前 9:34
そうですね、悲しいかな現実は厳しい。
らんぷさん、身を任せる事が人生なら、我々は何所に辿り着くのでしょう。
2008/2/15(金) 午前 10:05 [ ka9*n*rvana ]
宗教じゃないけど神様がいればなぁ〜
2011/9/16(金) 午後 11:07 [ ぽん ]