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相手の思う事、気持ちが解らない為に、それを伝えるべく、言葉は生まれたのだと思う。
もちろん、情報である以上、文明には役立つ、ツールではある。
しかし、言葉は幾らでも偽れ、飾る事が出来る。
都会で音の無い所を知っているだろうか?
地面から昇る熱気の様に、音や言葉は渦巻いている。
雪崩の様に、道玄坂を滑り落ちて来る。
きっと、個人的に伝えたいこと、自分はこういう人間なんだ、
そう言った事を表明しなければならないし、その場の感覚で、
余りにも意味の無い言葉を使い過ぎたのかも知れない。
他人の言葉が、何時からか軽く耳元を流れる様になった。
昔はどうだったんだろう?
言葉に重みがあったのではないだろうか?
もっと真摯に受け止めていたのではないだろうか?
昨日、友人の女性が亡くなった事を聞いた。
自ら命を絶ったらしい。詳しくは聞かない、一ヶ月も前の事だそうだ。
悩みや、辛さを何度もメールや電話で聞いていた。
死にたいと泣いていた事もあった。
心から慰め、励ましたつもりだった。
もちろん、他人は人を救えない。自分を救えるのは自分だけだ。
じゃあ言葉は?ただその場の感情を、情報を伝える為の道具なのか?
言葉で救えないなら、一体何で救える?
会いたい人にも会えない、話したい人とも話せない。
もう、怠慢は止めよう。
一人一人の言葉に注意を払って、大切に受け止めて上げよう。
この世には、取り返しのつかない事が、余りにも多すぎるのだから。
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