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震災後大型船の接岸が増加し釣り場の確保が困難になりつつある苫小牧西港にて。
先週の日曜、相方が吊り上げた38センチのクロガシラ。
大きく竿がしのったまま、リールを巻く相方。
隣でうらやましそうに見つめる地蔵の姿がそこにはあった。
「俺のほうがはるかに飛距離はあるのに・・・・」
地蔵手作りの仕掛けの有効性が実証された瞬間でもあった。
しかし地蔵の竿にはアタリもない。
その後間もなく納竿となり
帰宅後刺身で美味しくいただいた。
来週こそはと次の釣行に夢を膨らませる地蔵であった。
おしまい
地 蔵 |
あの田原総一郎が「大東亜戦争肯定論」へ転向
あの田原総一郎が「大東亜戦争肯定論」へ転向
しました。青天の霹靂とはこのことです。
田原氏といえばガチガチの左翼であり
田原氏といえばガチガチの左翼であり
自虐史観、侵略敗戦史観
に凝り固まった人士と思って居ましたから大変驚いています。彼の言い分を要約すると次のようになります。
小学一年生の時に大東亜戦争が始まった。その時世間では日本は亜細亜を白人植民地から解放するために開戦した。
小学一年生の時に大東亜戦争が始まった。その時世間では日本は亜細亜を白人植民地から解放するために開戦した。
この戦争は亜細亜を解放するための聖戦であると世間は沸き立っていた。
アジアから米英の暴政を廃すると
明記されている
(帝国政府)声明文
昭和16年12月8日付け朝日新聞夕刊より
彼自身も聖戦だと思って居た。
その亜細亜解放の熱気は終戦まで続いたが、小学五年生の時戦争が終わり、世間は一転して日本悪者論が支配することと成った。
その亜細亜解放の熱気は終戦まで続いたが、小学五年生の時戦争が終わり、世間は一転して日本悪者論が支配することと成った。
GHQが世論を誘導して、”戦前の日本は全て悪い”ということにしてしまった。
戦後自分もそう思ってきたのだが、子供の頃耳にしていた聖戦論のことが気に掛かり、最近真実は何だったのかもう一度研究してみた。その結果、頭山満など亜細亜主義者の存在に行き着き、あの戦争は紛れもなく亜細亜解放戦争であったとの結論にたどり着いた。
自身のラジオ番組で語ったようです。
http://virya.blog72.fc2.com/blog-entry-21.html
2011.05.06放送 「なぜ日本は大東亜戦争を戦ったのか」
昔、こんな事もあったんですが・・・
平成14(2002)年8月18日 高市早苗議員を罵倒した田原総一朗
平成14(2002)年8月27日 田原総一朗さんへの反論
左翼に転向は付き物なのですが蔑日自虐史観を過去何十年も叫び続けてきて、その結果、散々若者達を反日日本人に仕立て上げてきた彼が齢70にして転向とは!
「何を今更」と言いたくも成るが、しかし、考えようによってはメディアでの露出が多い論客が亜細亜解放論に転向したと言う事は、国民への影響も大きく、良いことでもある。
思想転向はしてないのです。大平洋戦争と言う名称は日本の敗戦後、占領軍が押し付けたものです。敗戦までは大東亜戦争と言ってました。大東亜戦争が侵略戦争でないと言うのは、
最初から負けるに決まってる戦争だった
RT
@tn593:彼の思想転向のきっかけは

