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「後祭」の巡行30番から最終(32番)までをご紹介します。 このシリーズやっと終了です。長くかかりましたが最後までご覧頂いて ありがとうございます。 私にとってはこのまとめは非常に貴重なものとなりました。 ○黒主山(くろぬしやま) 第30番 油天神山が梅なら、こちらは桜を松と共に飾り、華やいだ雰囲気をかもしだす。 謡曲「志賀」のなかで、六歌仙の1人、大友黒主が志賀の桜を眺めるさまをテ ーマにしています。杖をつき、白髪の髷(まげ)の翁の人形は、いかにも品格 があります。失火で町家(ちょういえ)を失ったのを機に、5階建てビルにし、 祭りのときだけ町会所にするのは時代をさきどりしたと話題になりました。山 を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になります。 前懸は中国の雲龍文綴錦です。 黒主山 黒主山 細かな細工の前懸です。 ○浄妙山(じょうみょうやま) 第31番 橋弁慶山に似て、アクロバティックな人形の姿が人目を引きます。宇治橋の上、 宇治川の合戦。一来法師が三井寺の僧兵・浄妙の頭上を飛び越して先陣をとっ た故事にちなみます。揺れる山の上で人形の上にさらに1体を乗せるのは強度 の点で難しいですが、1本の木で上下を繋ぐアイデアは素晴らしい。上下の人 形を、上さま、下さまと呼ぶのもゆかしい。浄妙のよろいは室町時代のもので、 重要文化財。 浄妙山 浄妙山 このアクロバティックな姿がすごいです。 ○南観音山(みなみかんのんやま) 最終(第32番) 俗に「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性なので、南では宵山の夜更けに 翌日の巡行の無事を祈って“あばれ観音"の行をされる」といういい伝えがあり、 「あばれ観音」の別名があります。楊柳観音像と善財童子像を安置します。楊柳観 音は、三十三観音の筆頭とされ、姿を変えて、手に柳を持ち薬師観音と同様に衆生 の苦難を救います。この山の楊柳観音は頭から袈裟をつけ趺座(ふざ)します。 南観音山 南観音山 南観音山 長い間おつきあいありがとうございました。 |
11年祇園祭山鉾巡行-全山鉾有-
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詳細
2011年京都 祇園祭 山鉾巡行
くじ改めのところで全ての山・鉾を撮影しましたのでご覧頂きたいと
思います。
並びは2011年のくじ改めの順です
くじ改めのところで全ての山・鉾を撮影しましたのでご覧頂きたいと
思います。
並びは2011年のくじ改めの順です
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「後祭」の巡行27番から29番までをご紹介します。 このシリーズも残すところあと1回となりました。 ○鯉山(こいやま) 第27番 前掛けや見送りは16世紀のベルギー製のタペストリーで、重要文化財に指定され ています。ギリシャの叙事詩に題材をとって人物や風景が描かれており、山鉾き っての貴重なものです。人物でなく、魚をテーマにするのは山のなかで唯一。竜 門の滝をのぼる鯉は竜になるとの言い伝えで、木製の鯉が勢い良く水しぶきを上 げる様は勇壮です。 鯉山 ちょっと見にくいですが16世紀ベルギー製のタペストリー 鯉山 唯一魚をテーマにしています 鯉山(画像追加) ずうさんのご要望にお応えしてタペストリーを 拡大してみました。 これで何となく雰囲気は伝わるかな? ○役行者山(えんのぎょうじゃやま) 第28番 鈴鹿山と共に山鉾町最北の山。役行者(えんのぎょうじゃ)は自ら修行するだけで なく、庶民の中に入って医療などにつとめた僧。古くから民衆に人気があった。人 形3体はその役行者をまん中に、鬼の顔の一言主神、葛城女神。三者の関係はさだ かではないですが、者が大峰山と葛城山のあいだに橋を架けようとして、鬼を使っ たとの伝説によるらしい。人形が多いだけ山のサイズも最大級です。 役行者山の先導 役行者山 ○鈴鹿山(すずかやま) 第29番 鈴鹿山は、旧東海道の難所・鈴鹿峠をいう。畿内と東国を結ぶ要衝として、歴史上 のエピソードも多い。商人を狙う盗賊が多かったことが、鬼が出る、に転化したよ うです。この山の神・鈴鹿明神(瀬織津姫命)の伝説も鬼退治のおはなし。大なぎ なたを手に、立て烏帽子の女神の姿がりりしい。 胴懸は中国故事人物図の優品で十八世紀中国清朝の作。 鈴鹿山 鈴鹿山 |
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決して忘れていた訳じゃありません。 今回から「後祭」の巡行です。 山鉾巡行は46年前まで、八坂神社の神幸祭と還幸祭に合わせて、17日の 前(さき)祭(まつり)と24日の後祭(あとまつり)に分かれていた。 前祭に「吸収合併」されて失われた後祭を復活させようとの議論が、祇園祭 山鉾連合会で動き出した。しかし、警備の問題等なかなか進まないのが現実 のようです。 ○北観音山(きたかんのんやま) 第24番 北観音山 応仁の乱の時代から隣町の南観音山と、1年おきの交代で山を出して いたといわれます。隔年にでるというのは例がなく、この両山だけ。もとはかき 山だったが、後に曳き山になった。楊柳観音像と韋駄天立像を安置されています。 鉾ではないので真木の代わりに真松を立てる。松は、毎年鳴滝から届けられ、籤 で所有を決めています。史料には「左三の枝に尾長鳥あり」とありますが、いま は鳩が留まっています。北観音山に、尾長鳥が留まっています。 ○橋弁慶山(はしべんけいやま) 第25番 山の御神体がなにを表すかは一目瞭然。五条の橋の上、牛若丸が軽々とぎぼし の上に飛び上がり、弁慶がなぎなたを構えるシーン。足駄の前歯だけで人形の 体を支えるこの躍動感は、とても500年も前の造形とは思えない素晴らしさで す。かき山としてただ1つ、くじ取らずであったことや、山籠、真松もない形 式からも、山の中では屈指の古いものであることが分かります。 ○八幡山(はちまんやま) 第26番 八坂さんの祭りに石清水八幡をまつるのは不思議ですが、当時それだけ八幡さん が信仰されていたあかしでしょう。社殿は江戸時代後期天明年間の作と伝えられ る総金箔押しの華麗なもの。前面の鳥居の笠木のうえに、向かい合って八幡さん のシンボルの鳩が2羽、止まっているのが愛らしい。 |
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今日はくじ21番から23番までをご紹介します。 ○放下鉾(ほうかぼこ/ほうかほこ) 第21番 鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来します。 鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているの で別名「すはま鉾」とも呼ばれます。かつては長刀鉾と同様「生稚児」であ ったが、昭和4年以降稚児人形にかえられています。稚児人形は久邇宮多嘉 王殿下より三光丸と命名せられ、巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞 いができるように作られています。 ○放下鉾(ほうかぼこ/ほうかほこ) 第21番 ○岩戸山(いわとやま) 第22番 『古事記』『日本書紀』に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を故事 にもつ曳き山です。「天の岩戸」は、素戔鳴尊の乱暴に天照大神が岩戸に隠 れられたため、天地は常闇となり、八百万神は安の河原に集まって対策を練 り、常世の国の尾鳴鳥を鳴かせ、鏡を鋳造し、500個の勾玉をつくり、天香 山の榊を立て、天鈿女命が舞った伝承です。屋形内に、伊弉諾尊、天照大神、 手力男命の3体の人形が飾られます。 ○岩戸山(いわとやま) 第22番 渋滞でちょっと休憩です。 ○岩戸山(いわとやま) 第22番 さて出発!!^^ ○船鉾(ふねぼこ) 第23番 『日本書紀』の神功皇后の新羅出船に由来します。屋形内に飾られた 神功皇后の人形は、面を着け、頭に天冠を頂き紺金襴の大袖に緋の大 口、緋縅の大鎧を付けています。応仁天皇を生んだゆかりから、御神 体に、晒を巻いて置き、巡行後に安産祈願の御腹帯として授与する習 慣があります。現在の船鉾は、宝暦年間に計画され、天保年間に完成。 船頭に「鷁(げき)」と呼ばれる想像上の瑞鳥を飾ります。高さ1.3メ ートル、両翼端2.7メートル。 ○船鉾(ふねぼこ) 第23番 ○船鉾(ふねぼこ) 第23番 |
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今日はくじ19番から20番までをご紹介します。 ○山伏山(やまぶしやま) 第19番 山に飾る御神体が山伏の姿をしているので、この名前があります。前(さき) の祭りでは一番北の山。役行者山と同様、当時民間信仰として人気のあった 修験道・山伏から着想されました。正面の水引は、雲中の竜、青海波と麒麟 を精緻な刺しゅうで描いた中国からもたらされた豪華なもの。見送りも中国・ 明時代のものとされます。 籤改めで、くじ順の書状が風で飛んでいきます。 ○山伏山(やまぶしやま) 第19番 ○蟷螂山(とうろうやま) 第20番 かまきり山、とも。文字どおりカマキリが屋根の上に乗り、子供たちも喜びそうな 楽しい趣向です。「蟷螂の斧」とは、自分の力のほどをわきまえず、大敵に立ち向 かうことですが、その勇猛さを賞した中国の君子の故事が出典。町内の事情で、明 治初め以降巡行をやめたが復帰しました。 ここもくじの書状が風で飛ばされました。 ○蟷螂山(とうろうやま) 第20番 かまきりのからくりが面白いです。 ○蟷螂山(とうろうやま) 第20番 羽を広げました。 |





