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天候が厳しくなる前に出発しようと社長に声をかけ岩崎もレイ
ンウェアを着て歩き始めた。地蔵峠の取り付きからの急坂は岩
崎も苦しかったが社長のフォローをしながら、はしご・鎖場を
乗り越えた。尾根に出るとあの時と同じ風が突然やってきた。
岩崎は恐怖を覚えると同時にチャンスだと感じた。社長を突き
落としたとしても強風が理由になる。そして登山届けがないの
で当分身元はわからないだろう。
岩崎は社長にもう少しで頂上なので頑張ろうと告げ登り始めた。
展望荘の山小屋を越えたあたりから風は一層強くなった。雲で
辺りはまったく見えなくなってきた。社長は下山しようと岩崎
に告げたが、岩崎はもう少しだからと社長に登ることを促した。
こんな強風の中でしかもシーズン終盤のこの季節に赤岳に登る
ものは誰もいなかった。展望荘の先で少し休憩をとった後岩崎
が立ち上がろうとしたその一瞬突風が岩崎の体を宙に舞い上げ
た。岩崎は踏ん張ることもできず山梨県側へと滑落した。社長
はあっけにとられた。本来であれば自分がそういう目にあうこ
となどまったく知らずにいた。社長は一人では身動きをとるこ
ともできずにいた。夜になり気温も下がり社長の体温を一気に
奪った。
翌朝登山者によって社長の凍死体が発見された。また、美濃戸
のレンタカーの放置から岩崎が行方不明という事実も判明した。
渓夫は当日の天候が悪化することを知り、登山は中止していた。
当然岩崎もこの天候なら中止するだろうと思っていた。素人を
連れての前線の通過の中の登山の危険性はさすがの岩崎でも理
解できるだろうと思っていた。しかし、岩崎はそれよりもこの
チャンスで社長を何とかしたい。この思いのほうが強かったの
である。天候のことに気をつける余裕などなかった。遺体発見
の夕方、諏訪署の刑事から渓夫に連絡があった。事件当日の渓
夫の動向について聞かれた。が渓夫は自宅にいたこと、近所の
人にその証明は取れると伝えた。また、岩崎とは矢崎の件以降
はまったく会っていないと伝えた。翌日、山梨県側に滑落して
いる岩崎が発見された。死因は滑落による全身打撲とされた。
事件性はどこにもなかった。諏訪署が事件と判断してもその証
拠を押さえることは不可能であった。事実は事故である。
八ヶ岳にもそろそろ降雪の便りが聞かれる季節。渓夫は澄み渡
ったしかしキリッと肌を刺す風の吹く赤岳の頂上にいた。すべ
ては終わった。しかし、渓夫の心に一生消えない重荷がのしか
かった。
その重荷が何であるかを知っているのはこの赤岳に吹く風だけ
であった。
おわり
山と仕事の人間模様。普段の生活で見えてくる物をほんの少し
まとめてみました。 5年前の入院生活から復帰し、出社前の喫茶店で毎日手帳に数
行ずつ書き始めた文章が書き終わった所で再びパソコンに書き
写しながらちまちまと作業をしているとここでの投稿を終える
のに約3年程かかってしまった。たった2〜30ページの文書
なのに・・・・・。
最後まで読んでいただいた方がもしいらっしゃったら本当に
長い間ありがとうございました。
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