(遺構)曲輪、土塁、空堀、石垣、井戸、堀切、竪堀、碑、説明板 (形状)山城 2008/12/28 龍潭寺裏の登城口からあがりました。結構急峻で、雨と紅葉後の落ち葉で足場が悪く寒い中汗だくになりながら登りました。軽い山登りだなぁ〜っ感じかな? 道も狭くて足元も悪いので、トレッキングシューズ必須です。 やっと頂上(^^) 「ついたぁ〜!!!頂上(^O^)/」ってとりあえず叫んどきました(笑) 晴れてれば、きっとめちゃくちゃ眺めがよいのだと思います。 達成感と充実感ありまくりです。ここはおすすめです。行ってみてください(^◇^) 龍潭寺 石田光成公像 登り道 上から撮影 こんな感じの道をあがっていきます。 堀切 本丸跡 佐和山城から見る彦根城 千貫井戸 石田時代貴重な飲料水で、千貫にもあたる価値があることからこの名がついた 太鼓丸跡 佐和山城(さわやまじょう)は滋賀県彦根市(近江国犬上郡)にある山城跡。犬上郡のみならず近江支配の重要拠点であり、16世紀の末には石田三成が居城としたことでも知られる。
歴史
佐和山城を築城したのは鎌倉時代の豪族・佐保氏とされる。戦国時代には浅井氏の支城となり、元亀年間には浅井氏の家来である城主磯野員昌が織田信長らと激戦を繰り広げた。しかし1571年(元亀2年)2月に磯野は降伏し、代わって織田氏配下の丹羽長秀が入城し、犬上郡支配の拠点とした。1582年(天正10年)6月の本能寺の変の後に行われた清洲会議では、明智討伐に功があった堀秀政に与えられ、その後、堀家の転封にともない堀尾吉晴が入城した。さらに、1590年(天正18年、ただし入府時期には異説あり)には五奉行の一人である石田三成が入城した。三成は大規模な改修工事を行い、山頂に五層(三層説あり)の天守が高くそびえたつほどの城を築き、「三成に過ぎたるもの二つあり、島の左近と佐和山の城」と言わしめた。但し、三成は奉行の任を全うするために伏見に滞在することが多く、実際に城を任されていたのは父の正継であった。 1600年(慶長5年)9月15日の関ヶ原の戦いで三成を破った徳川家康は、佐和山城攻めを願い出た小早川秀秋軍を先鋒として佐和山城を猛攻撃した。城主不在にもかかわらず城兵は必死の抵抗をみせたが兵力の劣勢は覆せず2日後には落城。三成の父・正継や妻など大半の者は討ち死にした。 徳川方の兵士は「栄華を極めた三成はさぞ華美を尽くしたのだろう」と思い、我先にと城内に乱入したが、城の壁は粗壁であり、また何の装飾もない質素な作りとなっていたという。しかも、三成邸にあったものは豊臣秀吉から送られた感謝状のみであったと伝わっている(『甲子夜話』)。 石田氏滅亡の後、徳川四天王の一人である井伊直政がこの地に封ぜられ入城した。三成は領地で善政を敷いており、領民からも大変慕われていたので、直政はその威光を払拭するため新たに彦根城築城を計画した。しかし、直政は築城に着手できないまま1602年(慶長7年)に死去したため、嫡子の直継がその計画を継ぎ、佐和山城などの築材を利用して建造した彦根城が完成した。1606年(慶長11年)に直継が彦根城に移ったため、佐和山城は廃城となった。 ほとんどの建造物は彦根城に移築したり破却されたため城跡には残っていないが、石垣と土塁の一部などが現在も残っている。 Wikipediaより
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佐和山城は大手門しか写真とってないいんで、今度登りたいんですが
どの位時間かかりました?
上から見る彦根城もいいですね♪
2008/12/30(火) 午前 1:39
そうですね〜?
30分くらいはかかります。人によってはもっとかかるかもしれません。あいまいでごめんなさい。
是非いってみてください。
晴れた日は眺めがとてもいいと思うから(^o^)丿
2008/12/30(火) 午前 8:58
ここは晴れた日に登ることをおすすめします。
このお寺が井伊家の菩提寺ですね。浜松との関係も深いお寺ですよね。
2009/2/20(金) 午後 3:18
ひさにゃんさん
そう思います。この日は、寒くて雪で足元ツルツルで急峻な道が更に体力を消耗させてくれました。(笑)
龍譚寺・・・浜松にもありますよ。
庭園が小堀遠州作だったと思いますが???違ったかな?
素晴らしいです。
2009/2/23(月) 午前 11:01