(遺構) 曲輪、土塁、空堀 (形状) 平山城 国史跡指定 2009・02・11 整備途中でコーンやブルーシートなどがいたるところに置いてありました。 どんな風になるのか?次回の訪城が楽しみです。 三方を水田に囲まれ要害の地だと伺えます。そして、とにかく広大です。 土塁や空堀の遺構がはっきりわかり、中世城郭の雰囲気が味わると思います。 これから何か建立する予定があるんでしょうか? 城山は、ビニールテープがいたるところに張ってあって何回もつまづいて転びそうになりました(笑) 大堀切 城山虎口 城山 奥の山 現地案内版 本佐倉城遠景 歴史・沿革 室町時代後期に千葉宗家を倒して家督を奪った馬加氏は、将軍足利義政の命により千葉実胤と自胤を支援した東常縁に討たれ滅亡した。また太田道灌も実胤・自胤を支援し江戸城を築城するなどした。だが、馬加康胤の子(異説あり)・千葉輔胤は、古河公方足利成氏と結んで下総国を平定したことで宗家の地位を確保し、文明年間に従来の亥鼻城よりも内陸のこの地に城を築いて本拠地を移した(なお、文明11年(1479年)に太田道灌が千葉輔胤を攻めたときに追い詰められた輔胤の籠城先が臼井城であったことから、この時点ではまだ本佐倉城は完成していなかったと推定されている)。 その後、9代にわたって戦国大名千葉氏宗家の本拠地となったが、天正18年(1590年)、千葉氏が小田原の陣後に改易されると、徳川氏に接収されて一旦は破却され、代わりに城下に陣屋が設置された。 慶長15年(1610年)、軍事上の必要から同地に封じられた小笠原吉次、土井利勝が再び本佐倉城に入って佐倉藩の藩庁が置かれた。 元和元年(1615年)、藩庁の佐倉城への移転と一国一城制により廃城となった。なお、本佐倉の城下町は酒々井宿に移設されて成田街道の宿場町になったと考えられている。 Wikipediaより |

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