(遺構)復元門、濠、曲輪、碑 (形状) 平城 築城主 徳川家康 築城年 1585年(天正13年) 主な改修者 徳川家康 主な城主 徳川氏、中村氏、内藤氏(松平氏) 廃城年 1869年(明治2年) 指定文化財 史跡 手前 東御門 奥 巽櫓 2009/01/10 静岡駅を降りて歩くこと20分くらい石垣見えてきました。外堀を一周しましたが、結構広くて時間かかりました(^。^)とにかく人が多くて、ビックリ!!! 部活なのかな?走ってる人がめちゃくちゃ多かったです。 何度か来ていますが、こんなにゆっくりみたのは初めてで地元に密着してるお城だなぁ!という印象でした。地元人に愛されてる感漂いまくりの駿府城。家康公やるなっ(^o^)丿 それから今回あんまり気に入った写真が撮れなかったからまたこよっと! 駿府城 大手御門 東御門 本丸堀 本丸跡に建つ家康公銅像 家康公お手植えみかん 駿府城(すんぷじょう)は、静岡県静岡市葵区(駿河国安倍郡)にあった城である。別名は府中城や静岡城など。江戸時代には駿府藩や駿府城代が、明治維新期には再び駿府藩(間もなく静岡藩に改称)が置かれた。
概要
14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏によって、この地に今川館が築かれたが、16世紀に武田信玄や徳川家康の駿河侵攻でその城館は失われた。1582年(天正10年)の武田氏滅亡後に駿河を支配した家康によって近世城郭として築城し直され、この時に初めて天守が建ったとされる。その後1590年(天正18年)には、北条氏滅亡に伴う家康の関東移封により、豊臣系大名の中村一氏が入城した。江戸時代初期、家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、大御所となって江戸から駿府に隠居した。このとき駿府城は天下普請によって大修築され、ほぼ現在の形である三重の堀を持つ輪郭式平城が成立した。しかし1607年(慶長12年)に、完成直後の天守や本丸御殿などが城内からの失火により焼失した。その後直ちに再建されたが、1610年(慶長15年)再建時の天守郭は、五重七階の天守が中央に建つ大型天守台の外周を隅櫓・多聞櫓などが囲む特異な構造となった。 1616年(元和2年)に駿府城で家康が没するまでの大御所政治時代、駿府は江戸と並ぶ政治・経済の中心地として大いに繁栄した。 現在では、外堀と中堀の間にある旧三の丸には官庁や学校などの公共施設が立地し、中堀の内側にある旧本丸・二の丸は「駿府公園」として整備されている。天守・櫓・門などの建造物は現存していないが、石垣と中堀・外堀が往時の姿を留めている。また近年、二の丸巽櫓・東御門(櫓門)と続多聞櫓が、更には明治時代に陸軍歩兵第三十四連隊を置くために埋められた内堀(本丸堀)が部分的に復元されている。なお2007年現在、未申(ひつじさる)櫓の復元工事を行っている(石垣の発掘補強中)。
歴史・沿革
東御門高麗門(復元) 東御門櫓門(復元) 中堀 外堀駿府城築城以前については今川館を参照
安土桃山時代
1585年(天正13年) 駿河国を支配した徳川家康が浜松城より居城を移して築城。 1590年(天正18年)小田原の役後、江戸に移封となった徳川家康に代わり、中村一氏が大名として入城。
江戸時代
1601年(慶長6年) 家康の異母弟・内藤信成が駿府城主に任ぜられる。 大御所政治時代 1606年(慶長11年) 内藤信成が長浜城主に移封される。 1607年(慶長12年)12月 失火により御殿・天守など本丸の全てを焼失。直ちに再建にかかる。 1608年(慶長13年) 本丸御殿等完成。 1609年(慶長14年) 家康の第十子・徳川頼宣が駿府城主となる。 1610年(慶長15年) 天守完成。 1616年(元和2年) 家康死去(75歳)。
家康没後の江戸時代
1619年(元和5年) 頼宣が和歌山城主に移封。 1624年(寛永元年) 徳川秀忠の第二子・徳川忠長が駿府城主となる。 1631年(寛永8年) 忠長が乱心、兄である徳川家光に改易と蟄居を命じられる。 1632年(寛永9年) 忠長が高崎城で自刃。以後、駿府は江戸幕府直轄(天領)となり、駿府城代・駿府定番(副城代に相当)が置かれる。 1635年(寛永12年) 城下の火災が城に延焼し、大半を焼失。 1638年(寛永15年) 御殿・櫓・城門等が再建されるが、城主がいないため天守は再建されず。
近現代
1868年(明治元年) 大政奉還に伴い、徳川慶喜の養嗣子徳川家達が駿府城に移り駿府藩主となる。 1869年(明治2年) 江戸が東京に、駿府が静岡に改名される。廃藩置県により、静岡藩(駿府藩から改称)知事徳川家達が東京に移る。 1889年(明治22年) 静岡市に払い下げられ、公園となる。 1896年(明治29年) 陸軍歩兵第三十四連隊の誘致に伴い、本丸堀は埋められ、城郭施設は全て取り壊される。 1949年(昭和24年) 大蔵省より静岡市に再度払い下げ、公園として整備。 1989年(平成元年) 巽櫓復元、資料館として公開。 1996年(平成8年) 東御門復元、資料館として公開。 2006年(平成18年) 日本100名城(41番)に選定。 Wikipediaより
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