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尾張国の城

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清州城

清州城
(所在地)愛知県西春日井郡清洲町
(遺構)模擬天守、石垣、碑、説明板
(形状)平城

2008/12/24
 到着時間、大幅に遅れ完全に中には入れなかったぁ(/_;)
でもでも公園の遊具に乗って子供なみに遊びました。
滑り台が冷たかった・・・
って。。。夜の公園で遊ぶ私のほうが周りから見たらもっと冷たくて痛い子だな(笑)

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清洲城は、応永12(1405)年頃に尾張守護斯波義重が築城した。
文明8(1476)年、下津城から清洲城に守護所が移って尾張の中心地となり繁栄し、その後、織田大和守が守護代となって居城した。
弘治5(1555)年、織田信長が守護代織田信友を攻めて清洲城を奪い那古野城から移って城を大改修した。
信長はここから桶狭間合戦にも出陣している。
徳川家康と同盟を結び、東方に軍事的脅威がなくなった信長は、永禄6(1563)年に小牧山城を築いて本拠を移し、本格的に美濃攻略に乗り出した。
天正10(1582)年、本能寺の変後に尾張を領国とした織田信雄は、清洲城を本城と定め、大天守・小天守を築き三重の堀をめぐらすなど、清洲城を整備した。
天正18(1590)年、織田信雄が改易となると、尾張は三好秀次の領国になり、更に秀次が失脚した文禄4(1595)年には子飼の武将、福島正則が城主となった。
慶長5(1600)年、関ヶ原合戦後、その戦功により福島正則が安芸広島城に移ると、徳川家康は豊臣家に対する押さえとして四男忠吉を清洲城に封じた。
忠吉の死後、9男義直が城主となったが、慶長15(1610)年に名古屋城築城にともなう「清洲越し」が行われて廃城となった。


          帝國博物学協会 ホームページより
           

名古屋城

名古屋城
(所在地)愛知県名古屋市中区本丸
(築城主) 徳川家康
(主な城主) 尾張徳川氏
(遺構) 3櫓・1門、庭園、石垣、堀
(指定文化財) 国の重要文化財(櫓3棟、門1棟)


 2008/12/24
 残念ながら、到着した時には17時を少しまわっていたため登城できず、天守と西北隅櫓のみの画像になってしまいました。しかも暗くてよく映っていませんがあしからずです。
今回2回目の訪城でしたが、次回は時間に間に合うようにまた近いうち出かけたいと思います。
ライトアップされた名古屋城もきれいでした。夜でも中に入れたらロマンチックなんだろうけど・・・
もったいない感じ(^◇^)’’


大天守 金の鯱をいただく5層(7階地下1階)の天守は層塔型。戦災で焼失したが、1959年(昭和34)に再建。
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西北隅櫓 3層3階の入母屋造り。清洲城の古材が用いられたといわれ、別名「清洲櫓」といわれている。
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名古屋城(なごやじょう)は、尾張国愛知郡名古屋(現在の愛知県名古屋市中区・北区)にあった城郭で、現在は名城公園として整備されている。尾張徳川家17代の居城。金鯱城、金城ともいい日本100名城にも指定されている。

伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われ、大坂城、熊本城とともに日本三名城に並び称されている。天守に取り付けられた金の鯱(金鯱(きんこ))は、城だけでなく名古屋の町の象徴にもなっている。城地は織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の故地で、この城はのちの名古屋城二の丸の位置にあったとされる。


歴史

戦国時代
16世紀の前半に今川氏親が、尾張進出のために築いたとされる柳ノ丸が名古屋城の起源とされる。この城は、のちの名古屋城二の丸一帯にあったと考えられている。1532年(天文元年)、織田信秀が今川氏豊から奪取し那古野城と改名された。

信秀は一時期この城に居住し、彼の嫡男織田信長はこの城で生まれたといわれている。のちに信秀は古渡城に移り、那古野城は信長の居城となったが、1555年(弘治元年)、信長が清須城に本拠を移したため、廃城とされた。


江戸時代
清洲城は長らく尾張の中心であったが、関ヶ原の合戦以降の政治情勢や、水害に弱い清洲の地形の問題などから、徳川家康は1609年(慶長14年)に、九男義直の尾張藩の居城として、名古屋に城を築くことを決定。1610年(慶長15年)、西国諸大名の助役による天下普請で築城が開始した。

普請奉行は滝川忠征、佐久間政実ら5名、作事奉行には大久保長安、小堀政一ら9名が任ぜられた。縄張は牧野助右衛門[1]。石垣は諸大名の分担によって築かれ、中でも最も高度な技術を要した天守台石垣は加藤清正が築いた。天守は作事奉行の小堀政一、大工頭には中井正清と伝えられ(大工棟梁に中井正清で、岡部又右衛門が大工頭であったとの説もある)、1612年(慶長17年)までに大天守が完成する。

清洲からの移住は、名古屋城下の地割・町割を実施した1612年(慶長17年)頃から徳川義直が名古屋城に移った1616年(元和2年)の間に行われたと思われる。この移住は清洲越しと称され、家臣、町人はもとより、社寺3社110か寺、清洲城小天守も移るという徹底的なものであった。

1634年(寛永11年)には、徳川家光が上洛の途中で立ち寄っている。

                ウィキペディアより

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