(築城主) 大森頼春 (遺構) 石垣、土塁、堀 (形状) 平山城 指定文化財 国史跡
2008/12/06 この日は、お天気もよく心地よく城郭めぐりができました。
小田原城は2度目の訪城でしたが、今回は御鐘台小峯の大堀切もみることが出来てゆっくりまわることができました。小田原城には、ぞうさんとおさるさんもいて・・・ お城にぞうさん???なんでだろ??? でもでも、ぞうさんもお猿さんも愛らしかったです。 今回、石垣山一夜城も訪城したかったのですが、残念ながら時間がなくて(ToT)/~~~次、神奈川に出かける機会があったら必ず見てみたいです。 高麗門 銅門 銅門 門扉 銅門土塀模型 常盤木門 歴史 扇谷上杉氏の戦略拠点として室町後期から大森氏が守備していたが、伊勢宗瑞(北条早雲)が奪取し、子の北条氏綱が居城とした。以後、北条氏代々の本拠として栄えた。 北条氏の滅亡後、江戸にはいった徳川家康にとって小田原は関東の入り口を扼する枢要の地であったため、小田原城には譜代の重臣が封じられた。城主は、大久保氏→幕府直轄(一時阿部氏)→稲葉氏と変遷し、貞享3年(1686)に大久保氏が返り咲き、以後幕末まで治めた。 特徴 北条氏時代の小田原城と近世の小田原城とは、事実上、別の城である。北条氏時代の城は、八幡山と呼ばれる丘陵上を中心とした範囲であり、後に豊臣秀吉の襲来に備えて大規模な総構を築造した。近世小田原城は、当初、北条氏時代の縄張を踏襲し、改修を加えて使用していたが、稲葉氏時代(寛永年間)に幕府のテコ入れによって大規模な普請を行い、面目を一新した平山城としての小田原城が誕生したのである。 小学館 日本名城百選より
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