(遺構)石垣、曲輪 (形状)山城 築城主 遠山直廉 築城年 天文年間 主な城主 遠山氏、森氏、川尻氏 指定文化財 国史跡 2008/12/31 よく晴れてました。今回2回目の訪城で、ここは岩村城と共に私の中ではめちゃくちゃお気に入りのお城で、前回の時は、あまりの興奮に落ち着いて見ることのできない部分も今回は落ち着いて大人な感じ?(笑)で見ることができました。思い出の多いお城なので、自分のなかでも何か感じることも多くこれからもっともっと頑張らなくちゃなぁ〜!!!なんて思いつつ廻りました。 ここは、石垣が多く眺望も素晴らしく、お城好きな方でなくとも感銘を受ける場所だと思います。私的には秘密基地的な感覚で、童心に返って遊べる感じの場所でもあったりして(^o^)丿 また、いつか訪ねたいお城です。 今回は、連休中のせいか、何人かのお城好きそうな方々とすれ違いました。中には、熊本ナンバーの車も来ていて、驚きました。 大矢倉跡 牢屋 苗木城には1つしか牢屋がなく、三の丸と二の丸を区切る部分に位置する 苗木城天守台からの展望
概要
戦国時代の天文年間に遠山直廉が築城した。織田信長没後、豊臣方の森長可に城を落とされ、城主遠山友忠は徳川家康を頼って落ち延びた。 関ヶ原の戦いが起こると、友忠の子遠山友政は豊臣方の川尻氏から苗木城を奪い取った。戦後この功が家康に認められ、遠山氏は再びこの地に返り咲き、苗木藩主として幕末まで苗木の地を治めた。
遺構
山上に石垣および堀が良く残る。また、菱櫓台の下に千石井戸と呼ばれる井戸が残る。建築物としては、大手門の扉と柱が残り、中津川市苗木遠山史料館にて展示されている。
沿革
天文年間、遠山直廉により築城される。 天正11年(1583年)、本能寺の変後、森長可に攻められ落城した。 慶長4年(1599年)、森氏が川中島に移封され、替わって川尻直次が入った。 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの際、徳川家康の下に逃れていた遠山友政が攻め落城、同戦役後一万石余りをもって苗木に封じられ居城とした。 以後、明治4年(1871年)に廃城となるまで、遠山氏十二代の居城として用いられた。 昭和56年(1981年)、国の史跡に指定された。 Wikipediaより
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