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 driver誌がリニューアルしてオールカラーになった。「峠狩り」の連載は車載カメラの走行動画を毎回YouTubeで配信するという試みも始まった。
 それらを記念して、今月号は“The 峠道”みたいなところへ行こう。というわけで、「日光いろは坂」を訪ねた。クネクネ道の代名詞だ。


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 中禅寺湖に上がる上り坂が、第二いろは坂。華厳(けごん)渓谷を挟んで、男体山の麓を下りてくる下り坂が、第一いろは坂。ともに一方通行で、1周すると16km。
 そこにいろは48のカーブがある、というのが名前の由来だが、いつもの「峠狩り」方式で数えてみると、全部で165コーナーあった。


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 いつからそう呼ばれていたかわからないほど、いろは坂の名前は古い。旧第一いろは坂だけでは交通容量が足りなくなり、1965年に第二が出来た。そのときに新道にも48個の半分を振り分けたので、数に意味はないのである。「い」から「ん」まで、名前のついたカーブが上下線に48あります、ということですね。


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 第二いろは坂の明智平(標高1274m)からは、第一のつづら折りが一望できる。
 ロープウェイでさらに100m高い展望台まで上がると、中禅寺湖と、そこから蛇口の水みたいに出ている華厳(けごん)の滝が見えるが、つづら折りを下ってくるクルマをここで見ているほうが飽きない。個人的には。

 男体山山腹の縦にえぐれたところは“薙(なぎ)”といって、土砂崩れの元だという。薙刀(なぎなた)の薙で、スパッと切った切り口のことなんですね。
 いまは治山工事で治められているが、昔は男体山の薙を見に行く、つまり崩落を見物に行くというレジャーがあった。という内容を記した幸田文の碑文が明智平にある。観光地、日光のフトコロは深い。


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 いろは坂でいちばんうまいドライバーは、東武路線バスの運転士である。スピードを落とさない走りで、上り坂はふつうの乗用車より速くて驚くが、下りはとくに40番以降のヘアピンカーブでのライン取りが見ものだ。
 
 真後ろについて写真を撮っていたら、ハザードを出して左に寄り、先に行かせてくれるので困った。イッパイイッパイの難所でも、ちゃんと後ろを見ている。あおり運転のタネをまかないマナーは、乗用車も見習わねば。

檜原村の名峠

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 東京の本土に残る唯一の村、檜原(ひのはら)村の時坂峠へ行った。といっても、ポルシェバイクを積んで、麓まではクルマ。

 1月下旬に奥多摩界隈の峠にロードバイクで上がれるのだから、今年はやはり暖冬なのでしょうか。
 5日前、西伊豆から富士山を見たら、この時期としては気の毒なくらい、黒い地肌が出ていた。東京のほうから見ると、けっこう真っ白なのだが、日当たりのいい南側は雪が付かないようだ。去年のちょうどいまごろは、東京にも大雪が降ったんだけど。


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 先週、ヨメさんがA型インフル宣告を受けて、月曜日まで寝込んでいた。
 同じころ、ぼくもちょっと悪寒がして、フシブシが痛くて、やられたかと思っていたが、3日前に症状が治まった。
「インフルエンザ、自然治癒」と入れてググって調べたところ、抵抗力さえあれば、たとえかかっても自然治癒するのだそうだ。皆様もがんばってください。

 あと、個人的にやっているルーティーンでお薦めしたいのは“鼻うがい”ですね。
 いろいろやりかたはあるが、ぼくのは簡単。シャワーで人肌の温水(水だと痛い)を出し、片方ずつ鼻でそれを大きく吸い、思いきりフガーッと排出する。これを何度か繰り返す。人には見せられない。
 もともと花粉症対策で始めたのだが、いまは毎日やっている。自転車やランニングから帰ったあともやる。花粉の洗い流しだけでなく、風邪やインフル予防にもいいと思います。


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 時坂峠は途中の山腹がすっかり伐採されて、ものすごい景色が見下ろせた。
 このへんだと標高500mちょっとだが、まさに「千尋の谷」の迫力。山は高さじゃないですね。
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 クラウンのスーパーチャージャーで2車線の中央道を都心に向かうとき、数km離れて2ヶ所の工事があった。何度か予告標識が出たあと、矢印のボードが並べられ、工事車線側は封鎖される。

 そのボードをかすめるように、ぼくの直前に強引に割り込むやつがいた。しかも2ヶ所とも同じクルマ。赤のメルセデス190E。2回ともクラクションを鳴らすまもなく、急ブレーキを踏まされた。ヒヤッとして、頭に血が上った。

 車線が2本に復帰するや、アクセルを床まで踏んだ。と同時に赤い190も加速を始め、つまりカーチェイスが始まった。
 ところが、これが追い越せない。ジリジリ離されてゆく。さすがにアウトバーンのクルマだなあと、怒りながらも感心した。

 敵をやっと追い越せたのは、首都高速の料金所を抜けてから。初期加速はこっちのほうがいい。だが、別のゲートを飛び出していた190をヤッホーと叫びたい気分で追い抜いたとき、相手の顔を見て、たじろいだ。
 コワそうな人だった……、大男だった……、パンチパーマをかけていた。そんなやつのベンツが、こんどはすぐ後ろにいる。
 
 またアクセルを床まで踏んだ。しかし、スーパーチャージャーがヒューンと唸りをあげても、敵はいっこうにミラーから遠ざからない。それどころか、困ったことになった。
 代々木のカーブを抜けると、渋滞だった。バトルに幕が落とされ、2車線の渋滞のシッポに2台が並ぶ羽目になった。右ハンドルと左ハンドル。喧嘩の相手が、すぐ隣にいた。

 おそるおそる横目で見ると、敵はいっぱいに開けたウィンドウから日焼けした太い肘を出し、くわえタバコの構えだった。好戦的である。挑発的である。そのくせ、少しもこっちを見ようとしない。それがまた不気味だった。
『自動車ジャーナリスト、首都高速上で殴られて大怪我』
 ひとりの自分が、朝刊の社会面を懸命に振りかざしていた。その一方で、あんなひどいことをされて、おまえは黙っているのかッ! ここで一発かませなんだら、おまえは負け犬だ。もうひとりの自分はそう叫んでいた。

 結局、ぼくは蛮勇をふるって朝刊を破り捨てた。意を決し、パワーウィンドウのスイッチを押し込んだ。ガラスが音もなく下がっていった。そして、断固たる態度で一発、こうかました。
「やっぱりベンツって、速いですね……」
 肘を出したまま前を凝視していたパンチパーマの大男は、次の瞬間、キッとこっちを見るなり応戦した。
「ス、ス、スーパーチャージャーも、サ、さんリッター並みの走り、しますねェ〜」
 口からタバコが飛び出しそうになっていた。
 昼下がりの渋滞の首都高速に、ふたりの小心者が並んでいるだけだった。

●●●● 
 以上は、91年に出した拙著『今朝、僕はクルマの夢を見た』に収めたエッセイである。あれから30年近く経ち、あおり運転が世間を騒がせている昨今、この原稿をノンフィクションとして出版するのはコンプライアンス的に無理でしょうね。

「あおり運転」という名前ができたのは、いいことである。名前がついて初めて顕在化するし、議論もできる。違反行為として成立もした。
 だが、この問題を考えるとき、忘れてはならないのは、あおり運転が始まる前に、まず何があったか、だと思う。
 ほかのクルマの無謀運転のせいで急ハンドルや急ブレーキを余儀なくされた。あおり運転トラブルは、そういうところから勃発することが少なくないとぼくはみている。
 
 しかしそれでたとえどんなに怒り心頭に発しても、そのアピールとしてあおり運転をしてはいけない。そう定められたのは正しい。進歩だと思う。
 クルマはスピードが出せる。簡単にスピードのターボがかかる。だから、絶対にクルマを使って殴り合いをしてはいけない。その考え方はまったく正しいが、でも、それだけだと、最初に違法運転をした側は“やり得”にならないだろうか。

 目的が“愛国”的であれば何をしてもいいという考え方のことを、中国では愛国無罪という。だからどんな反日行動も許されると。
 同じようにいま、ちょっと「反あおり運転無罪」みたいなことになっているような気がする。

中古車バブルですか

 このブログでクルマのことを書くので、当然、ぼく宛のバナー広告はクルマ関係が多い。
 最近しょっちゅう見せられるのが、“価格.com”の中古車検索である。しかも、ボヨーンとポップアップしてくる中古車に、ツボどんぴしゃりの超マイナーなふるーいクルマが多いのだ。


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 68年ミニ・マーコス。BMCミニのサスペンションとエンジンを使った英国バックヤードスペシャル。カッコはキテレツだが、乗ると、敏捷性のカタマリ。いままで運転したクルマのなかでいちばん楽しかったなあ、と思い出すクルマの1台だ。


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 68年ジネッタG15。だれも知らないですよね。これもイギリスのキットカーで、オリジナルのフレーム/FRPボディにリアエンジンのヒルマン・インプ用1ℓパワートレインを移植したRRスポーツカー。ノーズが軽くて、楽しい。
 
 英国のバックヤードビルダー(裏庭製作所)というと、ウチはファン・トゥ・ドライブ性能だけで、「デザインは取り扱っていません」「そこまで手が回りません」みたいな、ヘンなカタチのクルマが多いのだが、ジネッタはカッコもポイントが高い。


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 時代はちょっとバック・トゥ・ザ・フューチャーして、81年デローリアンDMC12。
 値段にびっくりだが、ステンレスボディの程度はよさそうだから、これくらいするのだろうか。乗ると、大味だけど。

 これに限らず、80年代以前の人気中古車は、国産、外車を問わず、いまおそろしく高い。バブルが来ている感じだ。
 いちばん驚いたのは、これ↓。


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 72年日産スカイライン2000GT-X。GT-Rではない、フツーのハコスカなのに、1490万円! 
 しかもこれ、年式もグレードも色も、ぼくが初めて乗り回したクルマ(実家の)と同じなのだ。日産の中古車センターで74年に買った2年落ちの中古車は、程度もあまりよくなくて、たしか46万円とかだった。
 
 しかしこの個体、たしかに奇跡のコンディションを保っているように見える。無改造だし、ホイールキャップだし。
 にしても、いまここまで高値をつけられるのは、アメリカの25年ルールの影響なんでしょうね。いざとなったら、向こうで高く売れるという。


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 60年代の初代マツダ・コスモ・スポーツも、いまは1000万円以上があたりまえだが、クーペに変わった2代目の79年式も300万円近い。新車時より上がっている。
 しかもこれは、小さいほうの12Aロータリーモデル。逆に言うと、だからこそこうして無改造のまま現存しているのかも。
 でも、こういうクルマに高値がつくのは、いいことだと思う。“還付金”じゃないけれど、モノを長いこと大切にしていると、いいことあるよ、という世の中であってほしいですね。
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 普通免許をとると、もれなく付いてくるのが「原付」の免許である。
 正式名は「原動機付き自転車」。いまのスクーターやスーパーカブを見て、どこが自転車なんだ!? と思うかもしれないが、起源はこれ。
 マイカーも軽トラもまだなかった1950年代、自転車にエンジンを後付けしたこういう二輪車がつくられて、使われた。文字通り、原動機付きの自転車に乗るために制定されたのが、原付免許のそもそもなんですね。

 この原付は、愛知県でつくられていた1950年トヨモーター。去年の夏、オートバイ愛好家所有のコレクションが刈谷市美術館で「トヨモーター展」として公開されたその1台。


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 いま見ると、実にカッコイイ。とくに後輪に付くエアロシェイプなエンジンカウル。素材はマグネシウムと聞いて驚いたが、当時、軍需用の安い放出品が出回ったらしい。

 トヨモータースが製造したのは2ストローク単気筒エンジンや燃料タンク、そのほか駆動系や操作系の部品だけで、自転車本体は市販品である。フロントサスペンションが付いた、ロングホイールベースのこれもフツーの自転車として売っているものだった、

 ファットバイクユーザーとして驚くのは、後輪の太いこと。ファットタイヤとそんなに変わらなく見えるが、当時、配達用に使われる重運搬用自転車は、これが標準サイズだったという。つまりこれをナマアシでこいでいた。
 しかも、道路はまだ未舗装があたりまえでしょ。昔の人は健脚だったんですね。


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下野康史(かばた・やすし)
下野康史(かばた・やすし)
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