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ぼくらの業界も、震災後しばらくは自宅待機状態だった。新車の発表会や試乗会は軒並み中止。なんとかジャパンのようなインポーターの多くは、外国人の社長が地震と放射能を嫌って逃げ出した。国産メーカーも広報車の貸し出しをやめたところが多かったし、一時、スタンドは大行列だったから、借りたって“満タン返し”なんておいそれとはできなかった。 地震後ほどなく、ジャーナリストの矢貫 隆さんから着信があった。こっちは無事だよとメールを送り返して、それっきりだった。 そうだ、矢貫さんと一緒にクルマで東北へ行ってみようかと考えていたら、きのう電話があった。たった今、石巻から帰ってきたところだという。仙台と石巻にいる知人の安否を探りがてら、被災地を1週間歩きまわっていたそうだ。ウーム、行動力が違うわな。 その生々しい話を今日、新宿アルタ裏の喫茶店で聞いた。隣でケーキ食べてるギャルの二人連れが、時折、固まっていた。 被災者の、というか、被災者なのに心やさしい向こうの人たちに、心打たれるそうだ。自衛隊員の献身ぶりも目を見張るらしい。 逆にムカつくのは、東京から来ているテレビや新聞の記者たち。東京ナンバーの黒塗りハイヤーで避難所に乗りつけて、被災者に「いま、足りないものはなんですか?」って。ならオメーら東京から何か運んでこいよ! と怒っておられた。 津波で家がダメになった人はいるが、幸いにして知り合いはみな無事だったという。矢貫さんが持っていった支援物資は、挽いたコーヒー豆と水と、エスプレッソマシンとコーヒーミルとバーナー。以前、高尾山に登ったときに持ってきていたセットだ(写真)。まだ電気もガスも水道も来ていない避難所で豆を挽き、コーヒー好きに振る舞うと、ものすごく喜ばれたそうだ。
矢貫 隆の震災ルポ、早く読みたいぞ。 |
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2011年04月01日
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