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マルコ福音書を読み進む 第30回
第7章1節〜24節
7:1 さて、パリサイ人と、律法学者たちとが、エルサレムからきて、イエスのもとに 集まった。
7:2 そして弟子たちのうちに、不浄な手、すなわち洗わないで手で、パンを食べて いる者があるのを見た。
7:3 もともと、パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の言い伝えを固く守って、念 入りに手を洗ってからでないと、食事をしない。
7:4 また市場から帰ったときには、身を清めてからでないと、食事せず、なおその ほかにも、杯、鉢、銅器を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っている事が
たくさんあった。
7:5 そこで、パリサイ人と律法学者たちとは、イエスに尋ねた。「なぜ、あなたの弟 子たちは、昔の人の言い伝えに従って歩まないで、不浄な手でパンを食べる のですか」。
7:6 イエスは言われた。「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いている が、それは適切な予言である。
「この民は、口さきではわたしを敬うが、
その心はわたしから遠く離れている。
7:7 人間のいましめを教えとして教え、
無意味にわたしを拝んでいる」。
7:8 あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言い伝えを固執している」。
7:9 また、言わわれた、「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも
神のいましめをすてたものだ。
ここではイエスの弟子たちが手を洗わずにパンを食べているのを見てイエスを攻撃したのです。さて、水は人間にとって身を清めるために極めて大切とされています。神舎仏閣ではお参りする際に柄杓で左右の手を洗い口を漱ぐ(洗うというより水を灌ぐという所作なのですが、大切とされています。)道元の正法眼蔵は私にとっては難解の書で宗教書というよりは哲学書といえるものですが、この書の中に道元は洗面・洗浄の巻を設けてかなり細かく書いています。まず、そのことに驚きますが、私なりに道元のこの箇所を理解しますと、水で顔を洗い、体を洗い清潔な衣で身を包むことも大切だ。しかし、心も身を洗っても駄目だ。内と外は一体であり、内を洗っても駄目だ。外を洗っても駄目だ。大切なのは心と体が一体となった体にある。ここでは「洗う」という「行為」をする体にあるのだ。それが仏法の本道だ。ということでないかと思います。身を清めるということではマルコ福音書の冒頭にヨルダン川で沐浴という方法で罪を清め神のもとに立つ儀式を行ったバプテスマのヨハネという人物が登場します。ヨハネの弟子であったイエスも彼のもとで洗礼をうけます。その後長年にわたってキリスト教にはクリスチャンになるためには「洗礼」という儀式が行われます。(無教会は別です。)カトリック・プロテスタント・そしてそれぞれの宗派によって沐浴方式をとる処もあるかも知れませんが、現在は一般的には頭に数滴の水を垂らすようやり方のようです。このことで身を清めると神のもとに馳せ参じる人となること。罪を許すということになります。ガンジス川の沐浴を洗礼とも言いますがこれも又魂の穢れを清め、罪を清める手段とも言います。それだけ水と心とは世界的にみても切り離せないことと言えます。
ところでこのマルコ福音書の食事前の手を洗うということでのパリサイ人と律法学者とイエスのやり取りは無論、今書きました、罪を清め、穢れを無くすと言ったこととは別のことですし、法華経を挙げて洗面・洗浄を為せる意味を取り上げた道元の言う世界とは異なっています。
ここではパリサイ人と律法学者はガリラヤ湖周辺で地元の人々を巻き込んで不穏な空気を作り出しているイエスの行動に監視の目を向けるためエルサレムという遠方の地よりガリラヤ湖までやって来てイエスの行動に難癖をつけようとしたのです。そのためには律法を拡大解釈し弟子の行動に難癖をつけイエスを攻撃したと理解するのがここの文章がより理解出来そうです。確かに水でてを清めることは大切ともいえるが、イエスはこのパリサイ人と律法学者の問いかけに鋭く切り返す。引き合いに出したのがイザヤ書の29章の13節です。と言っても果たしてイエスが66章にわたる長いイザヤ書を読んでいただろうか。恐らく文字を読めなかったであろうイエスがこのイザヤ書29節の13章を言い出せたでしょうか。そう考えるとこれはマルコのイエスの反撃の口実として書き加えたとも考えられます。因みにマタイ福音書もマルコ福音書に倣ってこのイザヤ書に触れています。ここでは手を洗う洗わないということではなく律法や仕来りを守る事が人間にとって何よりも大切なことなのだ、とする彼らに対して「表面だけではためだ、心の問題だ。」とやり返したのです。因みにガリラヤ地方はエルサレムに対して辺境の地とされ人の行き来の激しい所で貧しい人が多く、特に律法を守れない人たちが多く屯していた所でした。エルサレムの人々から見て丁度、東京に対しての沖縄のような意識差あったかと思います。イエスが何故、この地方が多くの活動場所となったかがうかがい知れます。
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