ライフワ−ク(私のイエス伝)

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 素人の聖書研究で、念願のイエス伝を書きます。神人イエスではなく人間として生きたイエスです。出来るだけ平易に書いてゆきたいと思っています。
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      マルコ福音書を読み進む 第30回 
                     第7章1節〜24節
7:1  さて、パリサイ人と、律法学者たちとが、エルサレムからきて、イエスのもとに         集まった。
7:2 そして弟子たちのうちに、不浄な手、すなわち洗わないで手で、パンを食べて               いる者があるのを見た。
7:3 もともと、パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の言い伝えを固く守って、念        入りに手を洗ってからでないと、食事をしない。
7:4 また市場から帰ったときには、身を清めてからでないと、食事せず、なおその       ほかにも、杯、鉢、銅器を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っている事が
      たくさんあった。
7:5 そこで、パリサイ人と律法学者たちとは、イエスに尋ねた。「なぜ、あなたの弟       子たちは、昔の人の言い伝えに従って歩まないで、不浄な手でパンを食べる               のですか」。
7:6  イエスは言われた。「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いている         が、それは適切な予言である。
                 「この民は、口さきではわたしを敬うが、
         その心はわたしから遠く離れている。
                   7:7  人間のいましめを教えとして教え、
        無意味にわたしを拝んでいる」。
7:8 あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言い伝えを固執している」。
7:9 また、言わわれた、「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも
   神のいましめをすてたものだ。

 ここではイエスの弟子たちが手を洗わずにパンを食べているのを見てイエスを攻撃したのです。さて、水は人間にとって身を清めるために極めて大切とされています。神舎仏閣ではお参りする際に柄杓で左右の手を洗い口を漱ぐ(洗うというより水を灌ぐという所作なのですが、大切とされています。)道元の正法眼蔵は私にとっては難解の書で宗教書というよりは哲学書といえるものですが、この書の中に道元は洗面・洗浄の巻を設けてかなり細かく書いています。まず、そのことに驚きますが、私なりに道元のこの箇所を理解しますと、水で顔を洗い、体を洗い清潔な衣で身を包むことも大切だ。しかし、心も身を洗っても駄目だ。内と外は一体であり、内を洗っても駄目だ。外を洗っても駄目だ。大切なのは心と体が一体となった体にある。ここでは「洗う」という「行為」をする体にあるのだ。それが仏法の本道だ。ということでないかと思います。身を清めるということではマルコ福音書の冒頭にヨルダン川で沐浴という方法で罪を清め神のもとに立つ儀式を行ったバプテスマのヨハネという人物が登場します。ヨハネの弟子であったイエスも彼のもとで洗礼をうけます。その後長年にわたってキリスト教にはクリスチャンになるためには「洗礼」という儀式が行われます。(無教会は別です。)カトリック・プロテスタント・そしてそれぞれの宗派によって沐浴方式をとる処もあるかも知れませんが、現在は一般的には頭に数滴の水を垂らすようやり方のようです。このことで身を清めると神のもとに馳せ参じる人となること。罪を許すということになります。ガンジス川の沐浴を洗礼とも言いますがこれも又魂の穢れを清め、罪を清める手段とも言います。それだけ水と心とは世界的にみても切り離せないことと言えます。
 ところでこのマルコ福音書の食事前の手を洗うということでのパリサイ人と律法学者とイエスのやり取りは無論、今書きました、罪を清め、穢れを無くすと言ったこととは別のことですし、法華経を挙げて洗面・洗浄を為せる意味を取り上げた道元の言う世界とは異なっています。
 ここではパリサイ人と律法学者はガリラヤ湖周辺で地元の人々を巻き込んで不穏な空気を作り出しているイエスの行動に監視の目を向けるためエルサレムという遠方の地よりガリラヤ湖までやって来てイエスの行動に難癖をつけようとしたのです。そのためには律法を拡大解釈し弟子の行動に難癖をつけイエスを攻撃したと理解するのがここの文章がより理解出来そうです。確かに水でてを清めることは大切ともいえるが、イエスはこのパリサイ人と律法学者の問いかけに鋭く切り返す。引き合いに出したのがイザヤ書の29章の13節です。と言っても果たしてイエスが66章にわたる長いイザヤ書を読んでいただろうか。恐らく文字を読めなかったであろうイエスがこのイザヤ書29節の13章を言い出せたでしょうか。そう考えるとこれはマルコのイエスの反撃の口実として書き加えたとも考えられます。因みにマタイ福音書もマルコ福音書に倣ってこのイザヤ書に触れています。ここでは手を洗う洗わないということではなく律法や仕来りを守る事が人間にとって何よりも大切なことなのだ、とする彼らに対して「表面だけではためだ、心の問題だ。」とやり返したのです。因みにガリラヤ地方はエルサレムに対して辺境の地とされ人の行き来の激しい所で貧しい人が多く、特に律法を守れない人たちが多く屯していた所でした。エルサレムの人々から見て丁度、東京に対しての沖縄のような意識差あったかと思います。イエスが何故、この地方が多くの活動場所となったかがうかがい知れます。
              
       



      マルコ福音書を読み進む29回

                6章45節〜56節
6:45 それからすぐイエスは弟子たちを強いて舟に乗らせ、向う岸のベツサイダに先発させられた。自分では群衆を解散させる間に。

6:46 そして群衆に別れると、祈りのため山に行かれた。

6:47 暗くなって、弟子たちの舟はもう湖の真中に出ていたが、イエスはひとり陸におられた。

6:48 そして向い風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見ると、第四夜回りのころすなわち夜明けの三時ごろ、湖の上を歩いて彼らの所に来て、舟のわきを通り過ぎようとされた。

6:49 弟子たちはイエスが湖上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って声をあげて叫んだ。

6:50 イエスを見て、皆肝をつぶしたのである。しかしイエスはすぐ彼らに話しかけ、「安心せよ、私だ。こわがることはない」言われる。

6:51 そして彼らの舟に乗られると、風はやんだ。弟子たちはすっかり呆気にとられてしまった。

6:52 彼らは5千人のパンのことよっても神の子の力を悟らず、心が頑ななっていたのである。

6:53 ついに湖を渡って、ゲネサレの地に着き、舟をつないだ。風でベツサイダに行けなかったのである。

6:54 彼らが舟からあがると、人々はすぐイエスと知って、

6:55 そのあたりを隈なく駆けまわり、イエスがおられると聞く所に、病人を担架で運び始めた。

6:56 村でも町でも部落でも、その行かれる所にはどこでも、病人を広場に寝かし、着物の裾にでもさわらせてほしいとイエスに願った。さわったほどの者はみななおった。

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 がリラヤ湖はついて以前このシリーズでも取り上げましたが緯度は日本でいえば鹿児島あたりでしょうか。大きさは琵琶湖の1/4程、深さは深いところで40m弱。死海は塩水湖ですが、ここは完全な淡水湖。死海についで世界で二番目に海面より低い湖です。丁度盆地に水が溜まったような湖で周りはなだらかな所もありますが、山に囲まれて一日の内、夕方になると山から吹きおろしの風が湖面に吹き、嵐が襲うこともあるようです。同じ福音書の4章では弟子たちと舟に乗っていた時イエスは嵐が来ても悠然と寝ていて弟子たちが慌てふためき、弟子たちに起こされたイエスが「静まれ!」と言ったら嵐が収まったという記事が載っていますが、この6章の記事はやはり舟に関する記事でイエスが湖上を歩いて舟の傍を通り過ぎ、弟子たちが驚くという記事です。
 この物語は恐らくは、気候天候が目まぐるしく変化するこの湖に関するこの地方に伝わっていた説話をもとにしてマルコが書いたのでしょう。
 この物語で面白いのは舟に乗っているペテロたちはがリラヤ湖の漁師でガリラヤ湖を知り尽くしているのに4章では嵐で慌てふためき、ここでは突然の向かい風に岸にたどり着けず漕ぎ悩んでいるからです。そう思ってこれらの記事を読んでみるとこの地方のガリラヤ湖にまつわる説話をどうしてマルコが記事にしたか見えてくる思いがします。

 舟は、いろいろなたとえに使われます。学校の卒業時や結婚式の祝辞等では「人生の新たな船出」と語られ「これから人生の荒波に負けず」と語られることが多いですし、また、全く意を異にして日本を不沈空母と称した中曽根首相の言葉もありました。恐らくここでは民間説話を当時の教団を想定し記事にしたのでしょう。当時、いくつかの原始キリスト教団があったと思われます。そんな教団を舟と例えマルコが批判したと考えるのはどうでしょうか。少しのことで動揺し揺れ動く様をイエスが批判する。
「お前たち、漁師だろ!それがどうしたこのガリラヤの湖のことも知らず慌てふためくとは・・。お前たちはまだ何もわかっていないのか・・。」と・・。
 イエスが弟子たちが慌てふためく舟の傍を通り過ぎる。「前を通り過ぎる」とは聖書では「神の顕現」の際に用いられる表現とされています。そのような不安定な慌てふためく教団(舟)に慌てふためくな、しっかりしろお前たちの前には神がいる。それはイエスだと・・。この物語をそのように私は理解します。湖面の上を歩くイエスは、暗がりで分かりづらい中、浅瀬を歩いていたのだ、という人もいます。時間の設定は第四夜回りと言う表現で夜中の三時と書いています。この地では日没から日の出まで4段階に分けていました。一段階が3時間。夏と冬では異なりますが、第一が6〜8、第二が9〜11、第三が12〜2、第四が3〜5となるのでしょうか。明け方ではあるのですが、月明かりがあるにしろまだまだ夜です。そんな時間帯にこの物語をマルコが設定したにはやはり理由があるはずです。イエスという「光り」「明かり」を無くすと慌てふためく・・。しかし、それを乗り越えると間もなく太陽が昇ってくる。だから神を見失うな。ということになるのでしょうか。マルコは、パンの奇跡を引き合いに出して弟子たちを無理解として批判する。ここにもマルコの一貫してみられる弟子批判が隠されていると思います。


 


マルコ福音書を読み進む 第28

イエスが生涯かけて人々に働きかけたものは一体何だったのでしょうか。
昔、キリスト教は『愛』の宗教だと思っていました。確かにその側面はあります。ヨハネ福音書やパウロ書簡等々からはそのことを感じます。しかし、実際に生きたイエスはどうだったのでしょうか。マルコ福音書を手掛かりにイエスの実像を求めてきましたが、マルコ福音書にはイエスが直々に『愛』を語ったところがありません。
それに引き換えくどいようにマルコが記したのはイエスの数々の癒しの物語であり、重複するように書かれている『パンの奇跡』です。これらの記事を通してマルコはイエスの何を語りたかったのでしょうか。そこでマルコの語るイエスの『神の国』に知る手がかりがあると考えます。
イエスが『神の国』と言ったのは、マタイのような彼方の『天の国』ではなく、今ある『神の国』への思いだったと思います。
現在、IS等による世界紛争にもつながりかねない紛争の中、本当に「幸せ」とは何か、を考えざるを得ません。本当に危機と背中合わせの人々にとって
「幸せ」とは、衣食住の確保以外にはありません。難民たちの不衛生なテント暮らしや、アフリカでの飢餓難民のニュースに触れるにつれ、この衣食住にプラスして医療が急務なのだと感じざるを得ません。
イエスの『神の国』は、①人に寄り添うこと。②物を分かち合うこと。だったかと思います。人に寄り添うこととしてイエスの癒しの奇跡があります。
前号でも書いたと思いますが、人は一人では生きられない。人はこの字が示すように人が人を支える関わり合いの存在ということで、人に寄り添うこと。それがイエスの癒しの原点であり、さらに癒したらしめる要素として現代風に言いますとストレスからの解放があったと思います。ユダヤ人にとって律法は犯しがたいもので、二重にも三重にも律法によって縛られていたのてす。その例の一つが俗にいうツァラアト、ライ病です。しかし、聖書の言うツァラアトは、中近東の乾燥地帯で発生する皮膚の一種でカサカサと皮膚が荒れる皮膚病の類で厳密にはレブラではなかったと思われます。しかし、そのような人をレブラ扱いにし隔離、差別した当時のユダヤ教についてイエスは敢然と立ち向かったのです。「君はレブラなどではない。単なる皮膚病だ!」と大勢の前で宣言したのです。それはとりもなおさず律法支配への挑戦であり、貧しい人々が住み、蔑まれていたがリラヤ湖周辺の住民に対して「自由であれ」と自由への扉を開いた証しであったのです。①のイエスが寄り添った意味は、そのような閉ざされた世界から自由への世界へと扉を開くことだったと思っています。今でこそ自由は「空気」の程と日本人は捉えていますが、しかし、軍事国家等々の閉ざされた国では人々にとって大切な問題なのです。(最近の日本はその大切な「自由」を失いつつありますが・・。)次に②があります。ここでは『共食』と言うことです。イエスは、人は人をわけ隔てするのではなく同じものを互いに分け与えて食すること。そこに共同ゆえに平和があると、訴えたのだと思います。格差ではなく平等ということがここにはあります。パンを割き感謝して食べるという記事は聖書には何か所も出てきますが、やがてこのような記事が何時しかキリスト教の聖餐式へと形式化され行ったと考えます。

近年、家族が食することが、個別的になり一人で食することが増えました。
私の家族も仕事等の関係で個別に食することが増えました。このことがとても良いとは思えません。昔、公民権運動の発端となったバス乗車差別を扱った「ロング・ウオーク・ホーム」言う映画を観たことがありました。その映画の一場面にとても印象的な場面がありました。黒人の家族が食前に料理の並べられた食卓を囲み家族みんなが手を握り、その手を掲げ祈るシーンでした。食事を共にするということは、ある意味では心を一つにする行為。祈りはそれを各自が確認することでもあるのです。
「今日の糧を与えたまへ」と祈るのです。私の父も元旦の折り、家族がお節料理と雑煮を前に卓袱台を囲んで座った時、祈りをしました。

別件ですが、私の現役の頃を思い出しました。仕事が終わって安酒場に毎日のように仲間が集まり憂さを晴らすための飲み会をしました。忘年会もこれに似た集いかも知れません・・。これらは極めて卑近なつまらない例ではあるのですが、しかし、何故人はそのようなことをしたがるのか、と考えると、そこには仲間とともに何かを分かち合いたいという無意識の思いが隠れていたのではないか。そこには≪ともに分かち合う≫共食の意味合いが心のどこかにあったのではないか、と思うのです。
 
  マルコ福音書を読み進む 第27
マルコ福音書630節〜44
             『5.000人と5つのパンと2匹の魚』
このシリーズの24回から三回にわたってこのパンの奇跡を取り上げてきました。私がこの奇想天外の奇跡を数回に分けて書いてきたのは、この物語がイエスの基本的姿勢を示す大切な物語だと思うからです。前回にも書きましたがこの物語は四福音書すべてに載っている上に、マタイとマルコは同様に記事を人数を変えて載せている点に注目したからです。この物語は当時かなりの地域に広く知れ渡っていた物語だったのでしょう。マタイとルカの福音書の原本とされているマルコ福音書。その著者であるマルコがガリラヤ湖周辺で伝承されている物語を収集する際、間違って重複して載せたというよりは、同様の物語が別の処でも収集出来たのでそのまま記載したのだと判断します。(マルコ:8)*大体マルコは伝承を収集する際、聞き集めた伝承は取捨選択をせずにそのまま前後関係の繋がりをそれほど意識しないで福音書に組み入れた思われます。しかし、そんな中この物語がマルコにとって生前のイエスを読み解く大切な考え方・生き方が隠されていると判断したと思います。
 
 アイルランドの聖書学者ジョン・ドミニク・クロッサンは『イエスーあるユダヤ人貧農の革命的生涯』でこのことをイエスの共食 にイエスの『神の国』を見出しています。
 マルコ伝の冒頭で、
 「神の国は近づいた。福音を信じなさい!(マルコ1:15)
とマルコはイエスの口を通して言わせています。イエスの述べ伝えようとした『神の国』とは、一体どのようなものであったのか・・。
それが≪共食≫という概念です。マルコ伝では1章から6章に至る中で、ことさら数多くの癒しの奇跡を行っています。そして、この6章と8章の二度にわたっての『パンの奇跡』へと続いています。
 さて、イエスの行った癒しの数々の奇跡は何を物語っているのでしょうか。それは閉ざされた世界からの解放ということです。おびただしい律法からくる約束事は、人々を苦しめる。いわば現代的な意味で言えば閉ざされた世界からくるストレスです。病は気からといいますが、時としてストレスは病に繋がっていく・・。イエスはその閉ざされた世界からの解放を声高に叫んだのです。その一つの徴が数々の奇跡としてマルコが書いた。そのように理解しています。
神の国は、そんな閉ざされた世界。律法を守るところにはない。これらの律法へのこだわりを捨て去り、弱きもの・小さきものへ寄り添うことだ。それが癒しの奇跡物語が語るものだと思います。私は現役教師時代に長年にわたって校内に相談室を作って生徒の相談にのることを教科やクラス担任の他にやってきました。至らない点が多大あったカウンセラーでしたがそこでの反省を踏まえ痛感した一番のことと言えば、「生徒の悩みに処方箋を出すことより、生徒の心に寄り添い、どれだけ生徒の悩みに心を傾けられるか・・。」でした。このことがたやすく見えて如何にむずかしいことか、つくづく思ったのです。
 果たしてイエスがどれだけ当時の人々に寄り添えたかは、分かりかねますが、マルコの書くイエスの癒しの奇跡の数々から想像できます。(マルコ伝の5章25節〜34節の『長血の女』などはその典型かと思います。)
 イエスが教えを説いてまわったがリラヤ湖周辺は、死海あたりの乾燥した無味乾燥な地域ではなく緑豊かな風光明美なところです。そのためにこの辺りに仕事を求めに来た人も多かったということですが、全般的には貧農地帯で、しかもローマ文化との接点地域であり、ローマからの圧力もエルサレムあたりと比べて強く、辺境の地として蔑まされていた地域・・。そんなアンバランスの地域でのイエスが目指したのは病をもたらす律法からの『自由』と物を分かち合うという『共食』の世界だったのです。イエスの説いた「神の国」の具現がこの5000人・4000人を対象とした「パンの奇跡」です。
 この神に感謝しパンを割く行為は、クムラン教団にも行われ、後々のキリスト教の聖餐式へとなっていきますが、イエスがガリラヤ湖畔で行った≪共食≫は共同体としての分かち合いということです。
 ここに以前、載せた『美しき緑の星』という映画があります。この映画ははじめ古代のような世界からスタートと現代へとストーリーが移り最後に最初の風景にもどっていくというユニークな映画ですが、この映画の初めにガリラヤ湖畔を思わせる場所に集まった多くの人に食べ物を配る場面が出てきます。私はこの場面を観ながらイエスの5000人・4000人のパンの奇跡を思い出したのです。
  
 済みません。この映像はすでに消されていますので【美しき緑の星】で検索してみてください。映像がユーチューブで観れます。

一度、この映画の冒頭部分と最後の部分をご覧ください。
 
マルコ福音書を読み進む 第26回
前回、マルコ・マタイ・ルカ・ヨハネの各福音書に載っている5000人と5つのパンと二匹の魚の物語について少し書きました。私がここで言いたかったことは、何故、この奇想天外な出来事がどの福音書にも載り、さらにマルコとマタイではこれと似たような出来事の記事が重複するように載っているのかということです。ということであちこち調べてみるのですが、むしろこの記事の前段で出てくる弟子たちの伝道スタイルに触れる記事(6章6〜13節)に関しての解説が多く、この奇跡に関してはいろいろ教会で説教されているものの、この箇所を捉えて正面切って捉え納得できるような説教や解説をほとんど見かけません。唯一私が同感出来たのはジョン・ドミニク・クロッサン(元カトリック司祭・「イエス・セミナー」議長)が<イエス・あるユダヤ人貧農の革命的的障害>で書いている解釈。その解釈を含めてこの記事を私なりに読み解きたいと思います。
さて、この物語を読みつつ思い浮かべるのはイエスが『山上の垂訓』等にみられるような場面です。恐らくイエスがガリラヤ湖畔に度々人々を集めてパンを裂き共に食べながら教えを説いていたことが度々あったのでしょう。そこでその時の様子を旧約聖書の列王記に出てくる20個のパンと一袋の穀物足らず量で100人が食べ、あり余ったという不思議な物語等を参考に、マルコがこの出来事を当てはめたのでしょう。マルコにとってイエスという人の存在自体が希有の神がかった人物・尊敬出来うる巨大すぎる人物に見えていたのでしょう。そこでこの列王記の物語を拡大し、イエスの大きさをより大きく表現したのでは・・。とそのように考えます。
イエスの磔刑が引き金となってパウロやペテロたちによってユダヤ教の一派から抜け出て大きく広がりを持とうとしていた原始キリスト教、当時、キリスト教の母胎と考えられるはエッセネ派(師であるバプテスマのヨハネはエッセネ派と考えられています。)とディアスボラ(離散しているユダヤ人)ではなかったかと思われます。さて、エッセネ派は当時4000人〜5000人程いたと考えられます。それをこのパンの物語の人数5000人に当てはめたのでは・・。と思います。ちなみにマルコとマタイにダブって出て来る記事では4.000人となっています。さて当時のガリラヤ地方は、ローマ文明と接し、外部からの攻撃もあり常に緊張関係にあったものの逆に死海あたりとは全く風土が異なり土地は肥え、この地で農業やオリーブ栽培や牧畜をするために多くの人が集まっていて、小さな村でも1万人余り・・。ガリラヤ地方全体では18万人程いたとされています。ローマ文明との接点にあった彼らは南のユダヤ地方の人々と比べ自由闊達で律法を守ることに疎く、そのためにユダヤ他方の人々から下げずまれ、素朴である反面暴力的でアムハーレツ(地の民)と呼ばれて軽蔑されていたのです。その地方をイエスの命で伝道に廻った所は主にエッセネ派の多く住む村々ではなかったのかと思います。12人の弟子の派遣・・・6章 6節〜13)この時期はキリスト教の黎明期。新鮮なエネルギーに溢れていた。そこでそのエネルギーとそこから来る広がりをイエスの大きさとともに5つのパンと2匹と5000人の物語に重ねてマルコが書いたと考えるのです。さて、パンと魚ですが、パンは男の弟子。魚は女の弟子と考えたりします。彼らがイエスの命を受けエッセネ派の多くの人にイエスの教えを広めた、と考えるのですが如何ですが、しかし、ここで決して見落としていけないことは、この記事に見えるイエスの姿勢です。イエスは短い生涯にわたって何をしたか、それは愛ではなく、人々を律法や社会制約や偏見から自由になること(これが奇跡物語の原点)と、人々が共に物に感謝し分け合うという(共食)ということにあったことです。彼にとって命を賭けた『神の国』とはそのような状況の実現すること。そしてその告知だったと思います。
この(共食)がイエスの重要な命題であったか、そこで前回では、ルカが書いたとされる使徒行伝とパウロの手紙の中からコリント第一の手紙から「パンを裂き共に食べる。」という行為の記事を乗せました。イエス理解にとって重要な行為なのです。
田川建三という新約学者がどこかの著書で「人は何のために生きるか。」と問われれば「食べるためだ。」と書いていましたが、私も「何のために生きるか」と言えばまずは「食べるためだ。」と答えます。
極めて有名な「主の祈り」の中では、

天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みに会わせず、
悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。
アーメン。

 
 これはマタイ伝の69〜13節に載っている〈主の祈り〉です。これとの並行記事が
ルカ伝の11章にあります。
 マルコ伝にはありません。マルコ伝からイメージとして浮かぶイエスが祈ったとすると、その祈りは前半かと思います。後半は私のイエス像からは程遠く、これはむしろマタイのすべて精神性に置き換える解釈か、それとも口伝する中で形成された言葉なのか、分かりませんが、いずれにしてもイエスが言ったとは思えません。
私が感じているイエスは、
 天にいる父ちゃんよ。
 もし、そちらに天国なるものがあるならば
 この貧しい地上にもその天国なるものを実現させてくれよ。
 多くは言わない。兎に角毎日、飢えることなく食べ物を与えてくれよ!
 
これとは別にマタイ伝には、有名な「人はパンのみで生きているのではない。」という言葉があります。(44節)
 このことを含めて、次回は仏教の托鉢・仏壇への供え物と創世記に見られるカインとアベルの紙への供え物物語。加えて日常我々が食卓を囲んでの夕食・昼食・夕食・・。さらに発展して仲間との飲み食い・忘年会等々・・。【食】に関してその中に隠れた??・共通したもの??を考えてみたいと思います。
 
 
 

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