愛すべきもの、人間!(17)
いつも人は「信じあえる。」と言い続けていた彼女・・・。その彼女が、激しい夫婦ケン
カに巻き込まれ、気持ちが動揺し、死のうとも、家出しようとも思い、その悩みを綴っ
たノート。でも、そのノートの最後で気持ちをとり直し、「信じ合う」ことの大切さに
望みをおこうとしている様子が伺えます。
この生徒、S子(仮称)が私の高校に入学して来たのは、私が教師になって3年
目の事でした。1年目、初めて教壇に立った年、授業とクラスのことで頭の中は一杯で
毎日が矢のように過ぎて行きました。そして、その中で出会った生徒達と、大変楽しい
日々を過ごしました。2年目、私が受け持ったクラスの生徒達は2年生に進級。私も彼
女たちと一緒に2年生に上がりたかったのですが、再び1年生のクラスを持たされるこ
とになり、大変落胆しました。そのこともあって2年目のクラスの生徒達には気の毒で
すが、教師としての意気込みは中途半端になってしまいました。3年目は、これではい
けない、「初心に戻らなければ・・・。」と思い、心新たに望んだ年でした。「 少しでも
地に足のついたクラス運営」が出来るように言い聞かせた年でもありました。生徒との
対話を最重点にしていこうと決意したのもこの年でした。そのため幾つかの実践を試み
ました。放課後の生徒との個人面接やグループ討論会・家庭訪問・クラスノート(輪番
制の生徒達相互の対話と担任との対話ノート。個人対話ノート(生徒個人と担任の対話
ノート)等々でした。
先程載せた生徒の文章は、その時S子の個人対話ノートからの抜粋でした。私が実践
した個人対話ノートは、クラス全員を対象にしたもので、提出も自由で内容も自由とし
生徒の自主性に任せました。このノートを始めた当初は、もの珍しさもあってかなりの
生徒が利用し、担任の私も毎日欠かさず家に持ち帰って返事を書いたものでした。でも、
毎日返事を書くと言うことは、実施してみると大変なことで、それだけで1日が終わっ
てしまいました。そのうち1日遅れ、2日遅れと返事が滞り、それに連れて利用する生
徒も減っていきました。そして、利用生徒が固定されるようになり1年間を終わるあた
りに7〜8名程度になってしまいました。
本校では、1年次から2年次にかけてクラス替えが一度あり担任も替わるのですが、
その時、たまたまS子が2年次の新しい私のクラスに入ってきました。ですから、S子
とは1年次から3年間接することが出来ました。
新しい2年次のクラスでは、個人対話ノートは1年次の失敗もあり公には実施しませ
んでした。
さてS子ですが、比較的大柄で均整のとれた容姿端麗の生徒で、成績も上位で性格も
明るく清純で何事にも積極的な生徒で先生方からも大変評判の良い生徒でした。クラブ
ではダンス部の部長、クラスでは学級委員をしたり、クラスからもクラブからも人望厚
く欠くことの出来ない生徒でした。
2年次にこのような事がありました。ロング・ホームルームの時間の事でした。この
時間は『劣等感』をテ−マにした討論会でした。テ−マがテ−マだっただけに討論が進
んでいく中で生徒達は落ち込んでいきました。ある生徒は言います。
「私は、都立高校へ行きたかった。でも、都立高校を落ちてどこへも行かれず仕方な
くこの高校に来たのです。」また、ある生徒が言います。
「電車に乗っていると、他校の生徒達がバカ校として私の高校をバカにしている
のを耳にして大変嫌な思いをしました。」ある生徒は言います。
「中学校の時、この高校に行くって言ったら笑われた。」ある生徒は言います。
「親から、月謝がもったいない」「この制服を着るのが嫌です。」等々・・。
様々な意見が出ました。そのうちに意見は出なくなり教室のあちこちですすり泣きの
声がもれ始めたのです。こんなにも生徒達の心の中に『劣等感』が拭い切れない形であ
ったのかと思うと私の気持ちも重いものになっていきました。教室の後ろで聞いていた
私はため息をつくばかりでした。
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