教育・新米教師と生徒たち)

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初心忘るるべからず! 一生懸命に生きたことは、常に原点!
 教師もまた、そうでなければならない。未来に生きる子供達のために・・。
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 ''' 新米教師を励ましてくれた生徒たち(4)
  
  私がこのシリーズでこの3人を十二人の中に入れたのは、私にいろいろな事をこの事件

を通して教えてくれたからである。

その数年後、私が本校に相談室を開設し、素人で手探りで「相談室」をやり始めたのは、

彼女達の学校を去っていく後ろ姿がそうさしたのである。

聖書に出てくる「迷える子羊」のたとえ話ではないが、こぼれ落ちていく子供を「群れ」

の中に引き戻すことの中に「教育」の役割の重要性を感じたのであった。

◎ 初年度の私の受け持ったクラスの生徒の中で、その後私に何らかの支えになってくれ

  た12人目の生徒として、よし子がいた。よし子は文恵グループのメンバーの一人で

あった。個人的には、他の生徒に比べ交流もなく、問題行動等で悩ました生徒でもな

  かったが、ある1つのことがこの子を私の心に強く焼き付けたのである。

9月になって彼女の母親が急死した。病死であった。告別式に参列しようと思った

  が、本人からの強い断りもあり参列出来なかった。後日、拒否する彼女を説得し、何

  とかお線香をあげるために彼女の家に行くことが出来た。彼女の環境調査書を頼りに

彼女の家を訪問したが、訪問してみて驚いた。2階建ての木造アパートだったが、彼

  女の住んでいる部屋はその2階の突き当たりにあった。6畳一間。それも襖で仕切ら

  れているようで、小さな床の間には母親の位牌と写真が飾られていた。家具も余りな

く見たところトイレは共同で炊事場も共同に見えた。彼女はここに家族4人と生活を

していた。彼女が何故、告別式に来てほしくない。家庭訪問もしてほしくないと言い

  張ったのか、その時になって分かったように気がした。他にも部屋があったのかもし

れないが、家具を置いた部屋の広さは4畳半程度。どのようにして家族は寝起きして

いたのだろうか。それに比べS子の家庭のように娘には晴れ着、息子にはスポーツカー

という家庭もある。

しかし、よし子は微塵もそのような貧しさは感じさせなかった。そのことに驚いた

のだ。心が豊かに育ってきたのだろう。人は物質ではない。心なんだ。心が豊かであ

  ることが貧しさを感じさせないのである。

よし子とS子を通して生徒達一人一人の家庭環境の違いとその複雑さ知ることにな

ったのである。

民子、春子、とも子、一美、かな枝、文恵、富士子、和子、よし子、H子、K子、

  S子・・・。初年度の特に印象に残る12人を載せてみた。この他にも沢山の思い出

に残る生徒達がいた。その一つ一つが今の私の何かを支えている。しかし、あえて私

の初年度のクラスにおける「24の瞳」を揚げるとするとこの12人であろう。

この生徒達は、教育に大切ないろいろな側面(ふれあい、相互信頼、家庭環境の重

  要性、クラス経営の難しさ等)を教えてくれたのである。

   彼女達が3年になり卒業を前にしたある日、和子達が私を職員室まで呼びに来た。

彼女達の後についてある教室に入るとびっくり!1年次のD3組の生徒全員が椅子に

座り私の来るのを待っていたのである。途中学校を去っていったH子、K子、S子の

  3人を除いて・・。

2年生になり生徒達は新しいクラス編成のためバラバラになっていたのに、秘かに

連絡をとりあっていたのだ。

一人一人が回覧して編んだというレースのテーブル掛け・そして一人一人が書いて

くれた私への励ましの長い言葉の巻物!それを彼女達はプレゼントしてくれたのだっ

  た。新米教師として、これがどれ程励ましになったか。今でもこれらは私の大切な宝

物となっている。そして、その日のことがまるで昨日のようにまぶたの裏に浮かぶの

である。

私は、このクラスを受け持った後、1年生のクラスを2回続けて持つことになる。

しかし、今もって活き活きとまぶたに浮かぶクラスは、この1D3というクラスなの

だ。もう、24年も前のことなのに、このクラスの生徒達に限ってほとんど全員近く

顔と名前が不思議と思い出す事が出来る。初年度はどのような場合でもその人の原点

であり、「初心に戻れ」とはこのことなのだろう。

昨春、ここで取り上げたとも子の娘が本校の1年生として入学してきた。わたしに

  とってまるで初恋の女性に会うような気持ちで入学式後とも子と再会出来た。

24年の歳月が流れ、彼女も立派な母親になっていた。けれどもそこには24年を

経ても変わらない教え子の姿もそこにはあった。

我が子をいつくしむ母親と、教室の中を駆けずり回っていた24年前の彼女がだぶ

って私の前に合った。感無量の思いである。 '''


       

 新米教師を励ましてくれた生徒たち(3)

 一方、この明るくて思いやりに満ちた日々

も、すべてが良かったわけでは無かった。私にとって暗くて重い出来事もあった。

クラスにK子とS子とH子と言う生徒がいた。この3人は、最初から他の生徒との協調

性に欠け、クラスの中では浮いた存在だった。でも、新米教師にとってこの子らが、どの

程度浮いた存在だったのか、またいつ頃から問題傾向を持つようになっていったか、知る

事が出来なかった。

1年も2学期に入り、生徒達が学校生活に慣れた頃から3人の様子がおかしくなり始め

た。この内、S子とK子が10月のある日、突然家出をした。そこで親しかったH子の家

  を訪ね2人の居場所を調べたが、はっきりせず、そのまま切ない気持ちを抱いて小雨降る

竹の塚の団地を捜し歩いた。団地の集会所にいるかもしれないというかすかな情報をもと

に・・・。4日後、S子の家庭に行き、再度情報ほ得ようと柏駅のプラットホームに降り

た時、プラットホームの端に灯りに照らし出されて立っているS子を偶然見つけたのだっ

た。夜10時をまわっていた。私が肩をたたくと彼女はハッとしたように振り返った。逃

  げょうともしなかった。しかし、その瞳はうつろで力が無かった。でも私は嬉しかった。

これで、この生徒も学校に戻ってくれると思った。彼女の家は東武野田線豊四季駅の近く

にあり肉屋を経営していた。彼女を後から押すようにして家まで連れていったが、帰って

来た娘に困惑しながらも母親は、嬉しそうに何度も頭を下げて私に礼を言った。

「なんの不自由もさせていないのに・・。」母親はつぶやいた。彼女の父親は離婚してい

なかった。母親が一人で二人の子を育て肉屋をきりもりしていたのだった。

「お父さんがいないから、この子と、この子の兄が私の生き甲斐なのに!兄にはスポーツ

  ・カー」を買ったり、この子にも正月の晴れ着を買ってあげようと思っていたのに・・」

そう言って母親は涙を流した。

しかし、その時、私の心は何故か空しかった。

人はかかわりの存在であり、かかわりの原点が家族である。この家庭が「離婚」という

ことで歯車が狂い出している。母親は、二人の子を育てるために必死になって商売をして

いる。母親の子供への愛情表現が「物質」でしか表現出来なくなっている。この子がどん

な世界で生き、どんなことを求め、どんなことで悩んでいるか、時間のゆとりのない故に

見えなくなっている。そんな家庭の「破れ」を新米教師が肌で初めて感じたのである。

 K子も家に戻った。しかし、安心したのもつかの間、二人は又家出をした。この2回目

  の家出は、学校を「辞める」為の家出であった。彼女たちはこの家出の間、「 職探し」を

したらしい。しかし、高一の生徒に適当な職が見つかるはずがなかった。

二人は、数日後北千住の駅前で補導された。

彼女達が補導されて学校に連れ戻された時、彼女達は荒れていた。数日後学校の指導部

本部会議が開かれ彼女たちの退学処分が決まった。( 当時は、担任は事件を起こした生徒

の弁護は出来なかった。担任の気持や意見は無視された。そんな古い学校体制だった。 )

間もなく彼女たちは学校を去って行った。退学処分を指導部主任から言い渡されて学校を

去る時、K子は私の顔をキッとにらみ「先生を殺してやる!」といきまいた。この言葉は

今でも私の脳裏に焼き付いて離れない。この言葉に担任の無力さを思い知らされた。この

  事件はいい気になって他の生徒達と楽しく過ごして私に、まさしく冷水を浴びせかけた。

彼女達は、私にクラス経営の難しさと、問題生徒に対して教師はどのように対処すれば

良いのか・・・。そして、子供の心の渇きの根っこにある家庭の重さを知らしめられた出

来事であった。3人の内、退学しなかったH子は、翌年クラス替えになり2年生に進級し

たが、喫煙事件を起こし学校を去って行った。

私がこのシリーズでこの3人を十二人の中に入れたのは、私にいろいろな事をこの事件

を通して教えてくれたからである。

その数年後、私が本校に相談室を開設し、素人で手探りで「相談室」をやり始めたのは、

彼女達の学校を去っていく後ろ姿がそうさしたのである。

   http://members3.jcom.home.ne.jp/kabanotakara/

新米教師を励ましてくれた子供達

私がこの学園の教師になったのは、大学を卒業した年、私が22才の時であった。そし

 て、いつしか月日が流れ、今年で25年目、47才を迎えようとしている。何時しか窓際

 族の仲間入り・・。そう思うとなにか月日のたつのが無情の如く早い。この流れていった

月日の中でたくさんの生徒と出会い、たくさんのドラマが展開した。今思うと、その一つ

一つが私の大切な部分をしっかりと支えているように思う。

今回、このシリーズに、中でも忘れられない生徒の群像を載せておきたいと思う。その

 生徒達とは、初年度に出会った生徒達である。

私がこの学校に入職した年は、第一ベビーブームの頃で一学年18クラスと言う多数のクラ

 スで構成され、学校全体では、三千名近い多数の生徒がいた。そのこともあって22才、

 大学を卒業したばかりの私も入職早々担任をすることになった。1年D3組というクラス

  で1クラスに57名という多数の生徒がいた。新米教師がのっけから右も左も全くわから

ないのにクラスをもたされ、そのクラスも57名と大所帯・・。教室に入っても教室は生

徒でぎっしり、担任をしてしばらくの間は、教室の教壇に上がって出席をとっても、胸が

高鳴っているので、ドキドキしてばかり、生徒の顔もまともに見られず見れるのは頭ばか

り・・・。

しかし、そのような状況であった初年度、この初年度が私にとって、教師をやっていく

時のバネとなり、今もって支えになっている。今から20年前、この同じ「エンピツ」の

小冊子の中に「愛すべきもの人間!」というタイトルの文章を載せた。私にとって懐かし

い文章なので、この文章を基に、私の「24の瞳」を書いてみたい。

(文中の名前は仮名です。)

    ある雪の日

今年も又、東京の町に小雪が舞った。小雪が校庭に舞うたびに思い起こす事がある。そ

れは、いまから4年前のこと、その日は本校の入学試験の日だった。その日は、朝から雪

が降りしきっていた。

入学試験の朝掃除当番にあたっていた民子が、息を切らして私の下宿の細い急な階段を

登って来た。民子は私が受け持っていたクラスの生徒であった。

「トントン」勢いよく私の部屋のドアをノックした。「先生!先生!」、私は眠い目をこす

りこすり身を起こした。「誰?」「民子よ。起きてよ!」私は勢い服を着るとドアを開けた。

顔を赤らめ、ハアハアと息を切らし白い息をたてながら民子が立っていた。「 先生!朝

当番の監督でしょう?」民子は、私に朝当番の監督を知らせに来てくれたのだった。

その頃、私は学校から歩いて5分ばかりのところに下宿していた。その下宿部屋は普通

の民家の二階で六畳一間だった。民子の母親が「学校から近い処」という条件で捜してく

れたのである。彼女の家とは、母親の紹介ということもあって近かったのである。

「先生!早く掃除を済ませて雪合戦しようよ。」

私は、外へ飛び出した。外は白一色の銀世界だった。近年にない大雪だった。私は走り

だす前に民子は、道路をころげるように走り出した。走りながら叫んだ。「 先生!急いで

よ。掃除が終わってしまうから・・。 」民子の明るい健康そうな声が響く・・。 駈けて

いく小さな民子の後ろ姿。振り返っては振る黄色の手袋、そして降りかかる雪、そこには

  走り出したくなるような「詩」があった。 髪もとかず、顔も洗わなかった私だったけれ

ども、「心」は童心に戻ったかのように弾んでいた。

 学校に着くと、生徒達と一緒に受験生が歩きやすいように道路の雪かきをし、時間の合

間をぬって生徒達と先生方とで雪合戦に興じた。まるで童心に帰った一時であった。(続く)

転載元転載元: 人生をハングリ−精神と愛情を持って心豊かに生きよう!

 愛すべきもの、人間!(24)   新米教師を励ましてくれた生徒たち!(2)
 
  髪もとかず、顔も洗わなかった私だったけれども、「心」は童心のように弾んでいた。

 学校に着くと、生徒たちと一緒に受験生が歩きやすいように道路の雪かきをし、時間の合間

 をぬって生徒たちと先生方とで雪合戦に興じた。まるで童心に帰ったようか一時であった。

  ふいに私の耳元で、誰かが大きな雪の固まりを投げた。「ビジッ!」と冷たい感覚が首筋

 にはしる。振り返ってみると、民子達だった。おさげ頭にゆきが降りしきるものかまわず、

 校庭を走り回る生徒達・・。この風景が何故か初年度の私の「心の風景」となっている。

  毎日が楽しく、そして明るく、それに加えて希望に充ち満ちあふれていた。


 その頃の様子を歌った詞

  1.僕は、一日の始まりに勢いよく布団をける

    子供達と語る楽しみと歌いたい気分で

    下町の街角を学校に向かって突っ走る

    膝の出たスボンは情熱のしるし、

    汗くさいシャツは若さのしるし、

    教師になった喜びに毎日をころげ、

    毎日を明るさの中に生きていた

  2.子供らがキシキシと会談を登ってくる

   ドッとなだれ込み笑う

    小さな二階部屋は、歌いたい気分の

    若さと若さの触れあいの中で笑いあう

    膝の出たズボンは情熱のしるし、

    汗くさいシャツは若さのしるし、

    教師になった喜びに毎日をころげ

    毎日を明るさの中に生きていた 
 


  1年D3組の生徒達は自由で奔放で明るく優しい生徒が多かった。

中でも今でも鮮烈なイメージで残っている生徒達がいる。私の初年度のクラスの生徒達

12人!

◎ とも子は、小柄ながら情熱家で感激家で、理想家だった。彼女は、クラス新聞を発行

することを提案。自らが積極的に新聞発行に励んだ。私もその都度かり出された。旧

校舎の裏にあったバラック建ての生徒会室、裸電球の薄暗い灯りの下でガリ刷りを彼

  女達と一緒にやった。一枚一枚手刷りの新聞。みんなは手も顔もインクで汚し、でも

クラス新聞を刷った。

◎ 春子は、民子とともに、私の下宿へよく遊びに来た生徒だった。下宿では、いつもに

  こやか笑い、明るさをたたえた純な生徒であった。クラスでもいろいろ委員を嫌がら

  ず引き受けてくれた。とにかく休みの度に下宿に来ては、民子達とラーメンを作って

してくれた。

◎ 一美という生徒も彼女達と友達であり、気のいい明るいおしゃべりの生徒であった。

私のことをいつも「サブ!サブ!」と呼び捨てにしていたが、それだけにこちらから

見ても親しみ易い子だった。そんな彼女も仲の良いグループの生徒の扱いで、激しく

私に抗議したことがあった。明るく人の良い生徒ながら、時としてはっきり物事を言

  う生徒でもあった。

◎ かな枝という気だての人一倍優しい生徒も民子達の仲間の一人であった。他の生徒達

が明るくておしゃべりで、少々気丈なところがあった中で、このかな枝はどちらかと

いえば比較的口数の少ない生徒だった。この仲間は、少しずつ性格と、それぞれの結

  びつきを異にしながら私には1つに見えるくらい、みな清純で女学校の良い面を一杯

    たたえている生徒達だ合った。

◎ 富士子は、美人でスタイルもよくクラスの優等生だった。民子のグループとは、一線

を画していたようだったが、彼女は他のクループにいながらも、グループに強く執着

せずどちらかといえば八方美人的な態度を取っていた。クラスの学級委員としてクラ

スの人間関係に気配りをしたのであろう。そのためあまり自分を出さず、いつも微笑

  みを絶やさなかった生徒の一人であった。彼女は併設の中学校の卒業生で、その点で

は、高校の雰囲気や教育に関して一応、肌で知っていた生徒だったので、新米教師か

    から見て全幅の信頼をおいていた。この生徒もまた、清純そのものであった。

◎ 文恵は、クラスの中では言葉遣いも悪く態度も大きな生徒で少々、つっぱり風なとこ

  ろも見られたであったが、その実は、決してくずれたところのない純情な生徒でもあ

  った。その証拠に富士子は、この文恵グループにいた。文恵も向う気が強い反面、優

  しい子だったのである。

◎ 和子は、文恵グループの一人であった。ある先生の大ファンだった彼女は、そのこと

  で一喜一憂をし、篤い思いをたぎられた。彼女は2学期学級委員を名乗り出てクラス

の事に彼女なりに奔走した。でも、憧れの先生の事で人知れず悩むことが多かった。



  この紙面で、民子ほか7名の姓とを極く簡単に書いてきたが、この年のクラスの生徒は、
 
この他にももっと沢山の生徒が思い出される。


http://members3.jcom.home.ne.jp/kabanatakara/

転載元転載元: 人生をハングリ−精神と愛情を持って心豊かに生きよう!

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